春雷③
外に出ると、昼間だと言うのに外は薄暗く、蒸し蒸しと湿度が高かった。今にも一雨、来そうな天気だ。浅井は警察車両を玄関近くに回して生長を待つことにした。
程なく、玄関先に生長が直美を連れて現れた。
生長が助手席のドアを開けて、「雨が降りそうなので、直美ちゃんを送ってから、現場に行きたいんだけど、いいか? 直ぐ、そこの花屋さんだ」と聞いた。
「大歓迎です」と浅井が答えると、生長が直美を後部座席に座らせた。
若い直美を迎えて、車中は華やいだ。直美はよくしゃべった。「ねえ、叔父さん。今は大楽塾であった殺人事件を調べているのでしょう? ああ、いいの、返事は。捜査に関することは言えないってことくらい、分かっているから。でも、ジュリエットが殺されちゃたなんて、ちょっとショックだわ」
「ジュリエット?」生長が尋ねる。
「うん。前にね、フリーペーパーで『新進気鋭の若塾長』として、大楽塾の塾長さんが紹介されたことがあったの。その時、奥さんとの馴れ初めが書いてあったの」
「二人の馴れ初め?」
「奥さんは大学の同級生らしいけど、お互いの実家は昔から、いがみ合ってきたんですって。でも、両親の大反対にもめげずに、愛を貫き通して結婚したんだって。ねっ、まるでロミオとジュリエットでしょう? 私が言っているんじゃなくて、フリーペーパーにね。ハッピーエンドのロミオとジュリエットって書いてあったの」
差し詰め村田家が教皇派のキャピュレット家で、大楽家が皇帝派のモンタギュー家と言うことになるのだろう。
「へえ・・・ロミオとジュリエットね・・・」生長が呟く。
あっという間に花屋に到着した。直美を降ろしてしまうと、車内はいつも通りのむさ苦しさに戻ってしまった。
「チョウさん。ロミオとジュリエットですって――そんな仲の良さそうな夫婦だったようには見えませんけどね」
「他人の家のことなど、傍から見ていたって分からんものだ」
「劇的な出会いをしたカップルって、結婚すると上手く行かないもんだって聞きますけど」
「結婚生活なんて、平凡な日常の繰り返しだ。出会いが劇的だと、普通の暮らしに満足できなくなるんだろうな。まあ、出会いが劇的でなくても、満足できなくなることがあるからな」
危ない。生長は自分と別れた妻、瞳とのことを思い出しているようだ。浅井が慌てて話題を変えた。「ロミオとジュリエットって、二人共、死んじゃうんですよね? ああ、それで、ハッピーエンドのロミオとジュリエットと呼ばれていたんですね」
「だろうな。ハッピーエンドのモロボシ・ダンとアンヌ隊員みたいなもんだ。いや、北斗星司と南夕子の方が良いかな」
生長は特撮オタクだ。良かった。生長の好きな特撮のことに話題が逸れたようだ。
個人的なことだ。浅井は生長が離婚した経緯について、詳しく知らない。それでも、先輩刑事から色々、聞かされていた。
一年ほど前、生長は妻、瞳から離婚を切り出された。生長には離婚を切りだされる心当たりがなかったようだ。
「あなたを待つことに疲れた」というのが妻から言われた離婚の理由だったらしい。
「あなたが今日も無事で帰ってきますように――と祈りながら、毎日毎日、家に帰ってくるのを待っている日々がもう嫌なの」
そう言われたと聞いた。刑事の妻として、夫の無事を祈りつつ続ける日々に疲れ果ててしまったのだ。それから、離婚まではあっという間だった。
「刑事だったら、仕方ないさ」と先輩刑事たちは一応にそう言う。
そして離婚から一年ほど経ったある日、生長から「おい。携帯電話のメッセージの返信ってどうすれば良いんだ?」と突然、聞かれた。
「チョウさん。なんか、うちの親父みたいなことを言いますね」
「仕方ないだろう。お前より、お前の親父さんの方に年が近い」
「はは」と生長の携帯電話を見ると、「良い天気ですね」と短いメッセージが入っていた。送信者は瞳。生長の元妻からだった。
浅井は手取り足取り、生長にメッセージの返信方法を教えた。生長は何度も失敗しながら、慣れない返信メッセージを打った。
――良い天気だね。元気?
それだけ打って返信するのに十分かかった。
どうやら、そこから瞳とのメッセージのやり取りが始まったようだった。
今はただ、瞳とメッセージをやり取りすることが、楽しくて仕方ない様子だ。一度、失敗した二人はなかなかその距離を縮められないのだ。
「チョウさん、昨日は元奥さんとデートだったんですってね? 一体、何時の間に、デートなんかしていたんですか?」
沈黙に耐えかねて、浅井が探りを入れる。
「あん? 直美ちゃんも、余計なことを・・・デートなんて、そんな暇、ある訳ないだろう!」
そのはずだ。
「あれ、西岡さん、チョウさんがデートでレストランに腕時計を忘れて行ったので、元奥さんに頼まれて届に来たって言っていましたよ。高級レストランでお食事だったとか――」
直美は「高級レストランで食事」とは言っていなかった。
「アホか。昨日は確かにあいつと食事の約束をしていたけど、事件があったのでキャンセルしたんだよ。夜に、『食事がまだだ』とメールしたら、あいつが弁当作って持って来てくれた。それで近くの公園で弁当を食べた時に、腕時計を忘れたんだ」
「そうですか――」
レストランでなかっただけで、会って食事をしたことに間違いないようだ。瞳は忙しい生長の為に弁当を作って来てくれたという。
もう立派なデートじゃんかよ! と浅井は心の中で突っ込んだ。そして、それだけアツアツだったら、再婚すればいいじゃん! と思った。
二人の間に沈黙が流れた。
話題を変えて、「ところでチョウさん、課長は何の話だったんですか?」と浅井が尋ねた。
「ああ、うん・・・」と生長は歯切れが悪い。
「面倒ごとですか?」
「実はな――」
山縣から玲の死因が「シアン化カリウム」であることを告げられ、美祢市で発生し、未解決のままになっている田中陽介殺害事件との関連性が出て来たので、それを念頭に捜査を続けてくれと言われたことを生長は浅井に告げた。
そして、「美祢の事件との関連性は極秘事項なので、決して口外しないように」と口止めした。
ただでさえ地元の名士である大楽家での殺人事件とあって、世間の耳目を集めていた。更に連続殺人事件である可能性が浮上して来たとなると、マスコミの喧騒は想像を超えたものになるだろう。
県警の上層部は、そのことを危惧していた。
浅井が被害者の体内からシアン化カリウムが見つかったという話をした時、生長は微妙な表情をしていた。美祢の事件のことが頭を過ったのだろう。
これは厄介な事件になりそうだ。浅井もそう感じた。
事件の前途を予言するかのように、雷の轟音と共に大粒の雨が、バシバシとフロントグラスを叩き始めた。




