春雷②
現場百篇、捜査中、生長は何度も犯罪現場に足を運ぶ。現場に足を運んでいる内に、新しい証拠を発見したこともあるが、現場を歩き回っていると、事件のことを整理し易いのだそうだ。
生長が浅井を連れて県警を出ようとした時、「生長君。ちょっと――」と課長の山縣に呼び止められた。
生長は浅井に手を上げて、「ちょっとそこで待っていてくれ」という仕草してから、山縣のデスクに向かった。
浅井は席に戻って、生長が山縣のもとから戻ってくるのを待つことにした。席に戻ると直ぐに、机の上の電話が鳴った。受付からだった。生長に来客だということだった。
「分かりました。生長さんは今、手が離せないので、代わりに僕が受付に降りて行きます」そう言って電話を切ると、生長の机の上に「来客だそうです。一階にいます。浅井」とメモを残して腰を上げた。
受付に降りると、異様にくすんだ外の景色に驚いた。
良い天気とは言えなかったが、先ほどまでは時折、太陽が顔をのぞかせていた。今は曇天が空を覆っており、異様に薄暗かった。雨が落ちてくるのは時間の問題だろう。
受付の婦警に「生長さんを尋ねてきた方はどちらに?」と尋ねると、「あちらです」と指し示した。一人の若い女性が立っていた。
小柄で丸い顔をしている。凹凸の少ない顔だが、見るからに愛らしい顔立ちだ。
――チョウさんと若い女性?
頭の中で忙しく考えながら、「浅井と言います。生長さんは、今、ちょっと取り込んでいまして、もう直ぐ降りて来ます。どうぞこちらへ」と、女性を隅のミーティング・コーナーへ案内した。
若い女性は「はい」と明るく頷くと、浅井の後をついてきた。
――チョウさん、こんな若くて可愛らしい女性と、どこで知り合ったのだろう?
浅井はちらちらと後からついてくる若い女性の様子を伺った。
「あの――」と若い女性が浅井に話しかけてきた。振り返ると、「叔父さんの同僚の方ですか?」と問いかけた。
女性の言葉を聞いて、ああ~と浅井は思い当たった。
生長に年頃の姪っ子がいることを思い出したからだ。いや、正確には姪っ子がいたという表現が正しいだろう。
生長には十年以上連れ添った妻がいた。瞳という名で、おとなしい女性だった。ところがある日、突然、生長は瞳から離婚を切り出されてしまう。生長夫婦の離婚が成立して一年以上が経つが、浅井が部下になった時は、二人はまだ離婚前だった。生長から「可愛い姪っ子がいるんで、お前に紹介してやろうか?」と言われたことがあった。
瞳には年の離れた姉がおり、娘が短大を卒業したばかりだと言うことだった。
浅井は「チョウさんが女の子を紹介してくれるのですか⁉ はは。ええ、是非、お願いします」と頼んでおいたのだが、その内、生長夫婦の関係がおかしくなり、二人が離婚してしまったので、結局、生長が浅井に姪っ子を紹介してくれることはなかった。
「ひょっとして、生長さんの姪御さんですか?」浅井が尋ねると、若い女性は、「はい。叔父さんと言っても、元叔父さんですけどね」と言って笑顔を浮かべた。
やはり生長が浅井に紹介してくれようとしていた姪っ子のようだ。
ミーティング・コーナーに女性を案内し、「どうぞ」と席を進めた時、「がらがら――!」と物凄い音がした。
女性が「きゃっ!」と悲鳴を上げて身をすくめる。
「近所に雷が落ちたみたいですね」浅井が笑いながら言うと、若い女性は「ええ」と恥ずかしそうに答えた。
「じゃあ、生長さんを呼んで来ます」と立ち去ろうとすると、「あの――」と女性の方から浅井を呼び止めた。
若い女性は暫くためらった後、意を決したように、「私、西岡直美と言います」と名乗った。少々、面食らいながら、「浅井です。生長さんとコンビを組ませてもらっています」と改めて自己紹介すると、直美が「やっぱり。若くて優秀な刑事さんとコンビを組んでいるって聞いていました。もしかしたら――と思っていたのですが、あなたのことだったのですね」と心憎いことを言った。
浅井は直美の言葉に舞い上がった。
「いえ、僕は、そんな・・・」しどろもどろになると、直美は「うふふ」と小悪魔的な笑顔を浮かべて、「今、ちょっとよろしいですか?」と言った。若い女性を相手に浅井に嫌はない。
「ええ、もちろん」
二人、どちらともなく椅子に腰をかけた。
「浅井さん、叔母と生長さんの関係はご存知ですよね?」
「はい。昔、二人は結婚されていて、ご夫婦だったんですよね」
「そうなんですけど、昔のことじゃなくて、最近のこと、知りません?」
「最近ですか・・・詳しくは知りませんけど、生長さん、奥さん、ああ、元奥さんか。元奥さんと携帯でよくメールのやり取りをしているみたいですよ」
浅井の言葉に「――でしょう」と直美は、わが意を得たりと大きく頷いた。「二人共、離婚してからも、お互いのことを思い合っているのに、何故かやり直そうとしないのです。端で見ていて、もう焦れったくて、焦れったくて・・・・」直美は地団太を踏みそうだった。
「まあ、確かに、僕もそんなに好きなら、もう一度、再婚すれば良いのにって思っていました。生長さん、奥さん、いや元奥さんか、元奥さんからメールが来ると、嬉しそうに、こそこそと返事を書いています」
浅井の言葉に直美が、また「――でしょう」と頷く。
「昨日も二人でデートしていたみたいなんですよ」
「デートですか⁉」
大楽家で殺人事件が発生し、昨晩、生長は遅くまで県警本部にいたはずだ。何時、チョウさん、デートに出かけたのだろうと思いながら直美の話を聞いた。
「どこかのレストランで一緒に食事をしたみたいなのです。叔父さん、レストランに遅れて来たみたいで、この陽気ですから、汗びっしょりだったそうです。叔母さんがハンカチを渡して、汗を拭った時に、腕時計を外して、そのままレストランに忘れていったみたいです」
「レストランで夕食ですか――⁉」その後に「そりゃまた豪勢な」と言おうとした言葉を飲み込んだ。
「叔母さん、今日は仕事で、『腕時計どうしようかしら?』と言うので、私が叔母さんに代わって腕時計を届けに来ました。それに・・・」直美が言葉を切った。
浅井が眉を上げて、話の先を促した。「叔父さんにハッパをかけてやろうと思ってやって来ました。叔母さんは、きっと叔父さんからの『やり直そう』っていう言葉を待っているのだと思います」
「そりゃあいい!」浅井が声を上げて賛同する。
「本当ですか! じゃあ、私に協力して下さる?」
「勿論! 僕にできることなら、何でもします」
浅井が答えたところに、生長が階段を降りてきた。こちらにやってくる。
「おっと、いけない。生長さんが降りて来ました。西岡さんと話し込んでいるところを見られると、勘の良い生長さんのことです。僕らの企みを見抜いてしまうかもしれません」浅井が立ち上がった。そして、生長に見えないように背中で、こっそり直美に名刺を渡して、「電話して」と声を出さずに口を動かした。
「OK」と直美が人差し指と親指を丸めてOKサインを送った。
「やあ! 直美ちゃん」
生長がやって来た。直立不動の浅井をじろりと睨んだ。
「僕は車で待っています」浅井が逃げ出した。
その後ろ姿を、生長が不審そうな眼で見送った。




