七.准教授・兼重千尋⑥
狭い道幅だったがUターンすることにした。車の向きを変え、来た道を引き返した方が良いと思った。このまま進むと、都会の喧騒から離れて行くばかりだ。
車を路肩一杯に寄せてから、目いっぱいハンドルを切った。ガードレールがないので、道路からはみ出すと、崖下に転落してしまう。ハンドル操作には慎重を要する。分かってはいたのだが、若い頃と違って、方向感覚も衰えていた。ぎりぎり曲がり切れると思ったのだが、車は重力を失い、転落を始めた。
「あわわわ――‼」運転席で上下に激しく揺られながら悲鳴を上げた。
すると、がつんという衝撃の後で、車が止まった。
道路を曲がり切れずに崖下に転落したのだが、運よく、山肌に生えた樹木にぶつかって、車が止まったようだった。
車内で暫く茫然としていた。やがて状況が理解できると、初めて安堵の溜息をついた。事故のことが知れると、きっと息子や妻から、「二度と車には乗るな!」と怒られることだろう。
「やってしまった・・・」後悔の念で、頭がいっぱいになった。
自分ではどうすることもできない。
車内を探してみたが、携帯電話が見つからなかった。日頃、息子から「携帯電話を持って歩け」と言われていたのだが、使うことがないので、家に置いて来てしまったようだ。また息子に小言を言われる材料が増えてしまった。
携帯電話を探すことはあきらめた。道路で待っていれば、その内、車が通りかかるだろう。道路に戻って助けを呼ぼうと思った。
森田は車のドアを開けて外に出た。
「うわ――!」
車は斜面に生えた樹木にひっかかるようにして止まっていたのだ。当然、足場などない。車を一歩出ると、急斜面が待っている。戸外に出た森田は宙を踏み、悲鳴を残すと山の斜面を転げ落ちて行った。
車は運よく樹木にぶつかって止まったが、森田はそうは行かなかった。森田は樹木をすり抜け、斜面を何時までも転がり落ちて行った。
事故から一時間後、三十路過ぎの主婦が子供を助手席に乗せて通りかかり、崖の途中で木に引っ掛かっている車に気が付いた。運転席のドアが開いていた。どうやら運転手は車外に投げ出されたようだ。崖下に転落したのかもしれない。主婦は警察に通報した。
パトカーと消防車が到着し、森田の救助が始まった。
森田は崖下で気を失っていた。
命綱をつけた消防隊員が、救助のために崖を降りて行った。森田は無事に救助された。二十メートル近く、崖を転がり落ちたのだが、左腕の骨折を除けば、擦り傷ばかりで思いのほかに軽傷だった。
崖下で気を失って伸びていた森田を回収する時、消防隊員は異様なものを発見した。
森田が横たわる場所の傍らに小川が流れていた。小川を避けて消防隊員が降り立った場所に骨のようなものが散らばっていたのだ。最初、動物の骨かと思った。だが、骨の大きさから見て、キツネやタヌキのような小動物ではなく、熊のような大型の動物の骨であると思われた。
この辺りで熊が出るという話は聞いたことがない。
――ひょっとして人骨ではないか!
という考えが消防隊員の脳裏を過った。
森田の救助と合わせて、人骨と思しき骨の回収が行われた。
消防隊員が回収した人骨らしきものは、埼玉県警の科捜研に回され、鑑定が行われた。その結果、人骨であることが確認された。死後、三年以上経過していると思われた。
埼玉県警では鑑識を派遣し、人骨が見つかった辺りを捜索した。すると、小川の上流から残りの白骨死体が見つかった。
どうやら、春先の大雨で崖崩れが起き、山に埋められていた遺体が谷底へ流れ出たようだ。それを小川が徐々に川下に運んで行ったものと考えられた。
森田が崖下に転落しなければ、白骨遺体が見つかることは無かっただろう。
更に、大学の法医学室で詳しく調べたところ、死因が毒殺であることが分かった。
青酸カリや青酸ガスで亡くなった人の歯は、血液でピンク色に染まる。白骨死体の歯から死因を特定することができた。
西脇が長い沈黙を破って言った。「その白骨遺体。ひょっとして失踪した柏木さんではないでしょうか?」
「私もそう考えています」
「柏木さんの遺体が山に埋められていたということは、彼は殺されたということでしょうね」
「シアン化カリウムで服毒自殺したのなら、山に埋められることは出来ませんからね」
兼重も冗談を言うようだ。
兼重と警視庁は、犯罪データ・ベース構築の為、警視庁から情報を提供してもらう代わりに、過去の事件との関連性について、警視庁から問い合わせがあって、それに答えることがある。持ちつ持たれつの関係なのだ。三件の事件の関連性については、警視庁にも連絡を入れたばかりだと言うことだった。
「はは。確かに。三つの事件について、関連がありそうですね。ところで、兼重先生。一連の事件が大楽家の事件と、どうつながっているのでしょうか?」
「最初のご質問でしたね。大楽事件についての報告を読んだ時、最初にひっかかったのが下足痕だったのです」
「下足痕? まさか・・・」
「そうです。大楽家で夫人が殺害された現場にも、下足痕が残っていました。それも二十六.五センチの」




