七.准教授・兼重千尋⑤
「兼重先生がそう思うなら、二つの事件は関連していると考えて間違いないと思いますよ」と西脇が言うと、兼重は「そうですか」と少し、嬉しそうだった。
「犯人は捕まっていないと言うことでしたが、容疑者はいたのでしょう?」
「いました」
警察では西口の関係者を徹底的に洗ったが、殺意を持っている人間は見つからなかった。良くも悪くも目立たない人物であったようだ。トラブルとは無縁の人物に思われた。だが、捜査が進むに連れ、西口の関係者以外の意外なところから、一人の人物が浮上していた。
「意外なところですか?」
「はい。柏木真志という人物で、同じ豊島区内にあった『河村鍍金鉱業所』というメッキ加工工場に勤務していた従業員でした」
柏木は西口の殺人事件が起こる一年程前に、工場からシアン化カリウムを盗み出して姿を消していた。
地元の高校を卒業後、柏木は二十年以上、このメッキ工場に勤めており、生真面目な性格を買われて、劇物であるシアン化カリウムの管理責任者を任されていた。柏木が何故、突然、工場からシアン化カリウムを盗み出し、姿を消したのか、誰にも分からなかった。
「柏木さんは既婚者で、妻と小学生の娘がいました」
柏木は家族に何も告げずに、行方をくらました。
成分分析の結果、柏木が持ち去ったシアン化カリウムが、西口の殺害に使用された毒物と同成分であることが確認された。柏木が西口殺害の容疑者として浮上し、警察で足取りを洗ったが、行方を掴むことはできなかった。
「柏木さんの失踪から西口さんの事件まで、一年が経過していました。二人の間に、接点を見出すことができなかったようです」
柏木を犯人と断定するには証拠が足りなかった。
「結局、柏木さんは容疑者の一人のままでした」
警察の懸命な捜査にも係らず、柏木の他に有力な容疑者が浮かび上がって来ずに、事件は未解決となった。
「そうですか・・・西口さんが何故、殺されたのか、分からないままになってしまっているのですね。家族のことを考えると、やるせない気持ちになります」
「ええ。ですが、最近、動きがあった――と思うのです」
「動きがあった⁉」
「少なくとも柏木さんの失踪事件に関連があるかもしれないと、私は思っています」
「へえ~それは一体?」
「はい」と兼重が最近、起こった出来事を話してくれた。
ここに、森田祐市という人物が登場する。
七十歳を超えて、物忘れがひどくなり、久しぶりに顔を会わせた長男から、「逆走して事故でも起こすと大変だから、あまり車には乗るな」と言われてしまった。
「お父さんの運転は怖い」と妻は助手席に乗りたがらない。
会社で働いていた頃の友人が入院したと聞いて、車を飛ばして見舞いに行った。親しい友人は皆、軒並み七十歳を越えている。既に故人となってしまった者も少なくない。久しぶりに旧友と再会し、昔話に花が咲いた。
病院からの帰り道、高速道路に乗ったのが失敗だった。出口をひとつ間違えてしまい、一般道を走って家に帰ろうとしたのだが、慣れない道で迷子になってしまった。
家に向かって走っているつもりだったが、窓を流れる景色から民家が少なくなって行っている。車はどんどん山へ分け入っていた。道幅が狭くなり、気が付くと二車線あった道路からセンターラインが無くなっていた。
森田は一旦、車を停めると周囲の様子を伺った。対向車も後続車もない。道路は山肌を削って造られたようで、進行方向の右手は山が押し寄せて来ており、左手側は切り立った崖になっていた。
山の緑が道路に覆い被さってきており、昼間なのに辺りは薄暗かった。
「こりゃあ、道を間違えたな・・・」
認めたくなかったが、迷子になったようだ。




