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血塗られた大楽刀自  作者: 西季幽司
プロローグ
2/19

ジュリエットの死②

 大楽家は大楽塾の敷地内にあった。

 広々とした大楽塾の敷地には、職員用の団地に小山まである。周囲を壁に囲まれており、その一角に大楽家があった。大楽家は本館と別館に分かれており、母屋には春毅の妻、麻里子、春毅の弟、(なお)()、その妻、(みず)()、二人の次男、(ゆう)が住んでいる。それに、家政婦の長沼(ながぬま)明子(あきこ)がいて、洒落た洋風の本館は常に清潔に保たれていた。

 長沼は近所に住む主婦で、大楽家に家政婦として雇われてから、十年以上が経つ。四十過ぎの物静かな女性だ。未だに独身で、気難しいところのあった弘毅の妻、奈津子(なつこ)のお気に入りだった。長沼以外、大楽家の家政婦としてこれだけ長く勤めた人間はいない。麻里子にも可愛がられており、「明子ちゃんに良いお婿さんを」と言うのが口癖になっていた。

 広々とした日本庭園があったのだが、それを潰して建てた別館には、孝毅とその妻、(れい)、そして二人の子、香美の三人が住んでいる。こちらも小振りだが、洒落た洋館だ。孝毅と玲の結婚を機に建て増しされたもので、母屋に併設する形で建てられている。玄関は別になっていて、母屋からは孤立しており、完全な二世帯住宅だ。

 孝毅の妻、玲は旧姓を村田と言い、実家は山口市内に古くからある旧家のひとつだ。代々「村田医院」という私立病院を経営している。

 村田家は明治維新の立役者の一人、大村益次郎の末裔を称している。

 大村益次郎は周防国鋳銭司村字大村の村医の子として生まれ、旧姓を村田蔵六と言った。家業を継いで医師となるために、大阪に出て、緒方洪庵の主催する適塾で蘭学を学んだ。

 蘭学者としての知識を買われ、伊予宇和島藩で西洋兵学、蘭学の講義と翻訳を手がけ、蒸気式の国産軍艦を製造して世間を驚かせた。後に故郷、長州藩に招かれ、藩校「明倫館」にて西洋兵学の講義を受け持ち、藩の軍政改革を一任された。

 この頃、大村益次郎と名前を改めている。姓の大村は故郷の字から取ったもののようだ。

 慶応二年(一八六六年)、第二次長州征伐が始まると、長州藩の実権を握った桂小五郎は、大村に石州口、今の島根県側の藩境の実戦の指揮を大村に任せた。大村は西洋式の戦術と最新兵器を駆使して、旧態依然とした幕府側を散々に打ち破っただけではなく、幕府方の根城、浜田藩へと侵攻して浜田城を陥落させている。

 そのあまりに見事な指揮振りに、その後の戊辰戦争で大村は政府軍、全軍の指揮を任されることになった。

 村田家は大村益次郎が起こした大村家ではなく、大村益次郎の実家、村田家で村医を継いだ村田康庵という人物の末裔のようだ。大村益次郎の直系ではない。

 代々、医師を生業とし、大村益次郎の系譜に連なることを宣伝することで、村田医院は発展して来た。今では私立病院とは言え、市内に六階建ての医院を構え、内科、外科、その他複数の診療科を持つ総合病院として市民の信頼を集めている。

 玲は村田家の一人娘で、良くも悪くも両親の愛情を溢れるほどに受けて育った。

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