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血塗られた大楽刀自  作者: 西季幽司
事件関係者人物ファイル
16/32

六.大楽怜①

 職員用アパートの住人から、玲は孝毅の浮気の話を聞かされた。

 実家の村田家へと出かける途中、ばったり顔を合わせたアパートの主婦から、「奥様も大変ですね」と意味深な言葉を投げかけられた。

 確か井上という名で、夫が大楽塾の経理部に勤務していたはずだ。塾の職員の家族など、玲にとって、「下々の者たち」であり、親しく言葉を交わす価値などないと思っていた。会えば挨拶を交わす程度だ。井上の言葉を無視して通り過ぎようとしたが、纏わりつかれた。

「旦那さんのお相手の方、塾の事務をなさっている人で、しかも、妊娠なさっているんですって?」

 質問の形をとっているが、明らかに玲に聞かせることが目的だ。塾で噂になっている話なのだろう。日頃、見下したような態度を取る怜に、ちょっとでも仕返しをしてやりたい。怜の傷づいた顔が見たい。そんな思いが、顔ににじみ出ていた。

 怜は一瞬で言葉の意味を理解した。井上の目的はともかく、孝毅の浮気の話は寝耳に水だった。

「さあ、わたくしは、何も存じません!」

 玲は冷たく言い捨てると、井上を振り切った。

――孝毅が浮気ですって!

 井上の言葉は、怜の心を深く傷つけた――訳ではなかった。正直、浮気の兆候などいくらでもあった。どうせ余所で浮気でもしているに違いないと常々、思っていた。だが、現実になってみると、やはりショックだった。しかも、浮気相手が塾の事務員だったことは、玲にとって、屈辱以外の何物でもなかった。

 玲は実家に戻った。

 香美を大楽家に残して来たが、気にしなかった。どうせ麻里子や家政婦の長沼が、香美の面倒を見てくれるはずだ。とにかく、自分に恥をかかせた孝毅の顔は見たくなかった。

 玲が大楽家を離れて直ぐに、大楽家の大黒柱であった春毅が亡くなった。玲は義父の葬儀に戻らなかった。立て続けに奈津子も身罷ったが、玲は村田家から動かなかった。

 そんなある日、「大楽家のごくつぶしなんぞと結婚するからだ」と口癖のように言っていた父親の憲和(のりかず)が、「おい、玲!」と血相を変えて玲の部屋に飛び込んできた。そして、病院で患者から聞いたという噂を話して聞かせた。

「孝毅君の浮気相手が、うちの産婦人科に通って来ている。堕胎には頑として同意しないようだ。しかも妊娠している子が、男の子だと伝え聞いた大楽家は、『跡取り息子ができた』と大喜びしているそうだ。このまま、お前を家から追い出して、浮気相手と再婚させようとしているみたいだぞ」

「えっ!」憲和の話に玲は驚いた。

 孝毅の浮気相手は藤田真衣という女で、村田医院に通って来てた。

 孝毅に腹を立てていたが、大楽家の正妻はあくまでも自分であり、所詮は浮気だとたかをくくっていた。玲の側に落ち度はない。それなのに、大楽家を追い出されると言うのは、理不尽だと思った。

――子供をほったらかしにして、義父や義祖母の葬儀に戻って来ないような嫁は、嫁ぎ先から追い出されても仕方がない。

 と言う考えには思い至らなかった。

「あんな家は出て、うちに戻ってこい。孝毅君と別れたら、わしが良い婿を探してやる」と憲和は言うが、玲にも意地があった。

 翌日、玲は大楽家に戻った。

 香美は単純に母親の帰宅を喜んだが、麻里子は「あら、まあ。戻ってらっしゃったの?」と大仰に驚いて見せた。そして、「実家がお医者さんだと良いわね。具合が悪いと、直ぐに診てもらえるでしょうから。私なんて、年のせいで、体中、あっちこっち痛くて。それでも、じっと我慢するしかありませんからね。一応、親戚なのに――」と嫌味を言われた。

「あら、お義母様。どこか具合がよろしくないのでしたら、私に言って頂ければ、実家で病室を手配いたします」

 玲は麻里子の嫌味を聞き流して、孝毅の帰宅を待ち構えた。

 やがて塾での仕事を終えて孝毅が帰宅すると、「先に着替えだけでも」と渋る孝毅を寝室に連れ込み、ストレスを爆発させた。泣き喚き、頬に平手打ちを見舞い、玲は狂ったように孝毅の浮気を責め続けた。

 何とかなだめようとした孝毅だったが、一向に落ち着く気配を見せない玲に手を焼いた。

「悪かったと言っているだろう!」と開き直るしかなかった。

 結局、今度は孝毅が大楽家から追い出される形になった。

 孝毅は着の身着のまま、大楽家から放り出された。

 玲にとって好都合だったのは、孝毅を大楽家から追い出すと、麻里子が「孝毅を追い出すなんて筋違いだ!」と立腹して、別館に顔を出さなくなったことだ。

 誤算だったのは、麻里子が長沼を寄こさなくなったことだ。家事が得意ではない玲には、屋敷内を清潔に保つことなどできなかった。実家の援助を仰ごうにも、大楽家に村田家の家政婦を入れることに、憲和は躊躇した。

「掃除くらいできるだろう。自分でやりなさい」

 憲和は甘やかせて育てた娘に、親としての威厳を示した。

 屋敷が荒れ放題になると、居たたまれなくなり、結局、実家に戻る時間が多くなってしまった。玲がいないと、香美の為だろう、麻里子は長沼を屋敷に寄こした。憲和は呆れながらも黙って娘を見守っていた。

 やがて孝毅の子供を身ごもっていた藤田は無事に出産を終えた。

 生まれた子供は(たか)(とし)と名付けられた。そして、孝毅は孝敏を自分の子供として認知した。

 孝毅は玲に家を追い出され、藤田と暮らし始めるのかと思いきや、騒動の後、藤田にも嫌気がさしてしまったようだった。結局、藤田との仲は破局してしまった。真衣が大楽家の正妻に収まろうと、野心を丸出しにしたことが、孝毅の気持ちを萎えさせたのだ。

 真衣は大楽塾を辞めた。

 藤田親子には毎月、孝毅より十分な額の養育費が支払われている。真衣は定職に就かず、この先も孝敏をネタに、大楽家に寄生して生きて行こうと決心したようだ。

 孝毅は市内にマンションを借りて、悠々自適の独身生活を謳歌していた。最近は新しく雇った人気講師の若い女に入れあげているという噂が塾内で流れていた。

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