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血塗られた大楽刀自  作者: 西季幽司
事件関係者人物ファイル
15/19

五.大楽孝毅

 大楽孝毅は大楽邸に向かいかけて、足を停めた。

「やっぱり、止めておくか」

 孝毅の帰宅を妨げる障害は無くなった。だが、忌まわしい殺人事件が起きた現場に戻りたくなかった。

 二人は大恋愛の末に結ばれたロミオとジュリエットであったはずだ。だが、事実上、結婚生活は結婚後、すぐに破綻してしまった。結婚までが劇的であった分、地味で単調な結婚生活が、物足りなく感じてしまったのかもしれない。

 玲は結婚後、大楽家で暮らすことを求められた。だが、玲は姑である麻里子との同居を拒んだ。当時、まだ孝毅の祖母、奈津子が健在だった。姑に大姑まで抱えては、結婚生活が気苦労の多いものになるであろうことは、簡単に想像できた。

 大楽家の家長である春毅が元気な内は、若い二人に理解があった。市内にマンションを借りて、生まれたばかりの香美と三人で暮らす生活を許してくれていた。ところが春毅が病に倒れてしまうと状況が一変した。

 由緒ある大楽家では、家長は塾長として塾を宰領し、妻は「刀自」として大楽家の家事一切を切り盛りすることが家訓となっている。刀自とは男性が女性のもとを訪れる妻問婚が一般的であった古代において、家事全般を取り仕切る一家の主婦を差し示した言葉だ。

 病床の春毅は孝毅に大楽塾を継がせようとした。そして、奈津子と麻里子は、孝毅夫婦が実家に戻ることを、塾を継ぐ為の条件として要求した。そして、二人の為に、庭の日本庭園を潰して、別館まで建てたのだ。

 家のことは大楽家の刀自である麻里子に任せていた。麻里子が決めるべきことだ。春毅も病床から孝毅に家に戻るように伝えた。

 孝毅夫婦が実家に戻れば、刀自の座は必然的に玲が受け継ぐことになる。そして、大楽家の刀自であった麻里子は奈津子と共に大刀自となり、大楽家の奥深くに隠棲するつもりだった。

「嫌だわ。刀自だなんて、辛気臭い!」

 玲は刀自と呼ばれることを嫌った。

 そして、今まで通り市内のマンションで、三人で気楽に暮らすことを希望した。市内のマンションには玲の実家が雇った家政婦が通ってきており、香美の面倒や家事一切をこなしてくれていた。玲は実家にいる時と同じように、自堕落に過ごすことが出来ていた。

「それがダメなんだ。実家に戻らないと、塾は直毅叔父さんのものになってしまうかもしれない。叔父さん、虎視眈々と塾長の座を狙っているからね。そうなると俺は塾から放り出されてしまう」

 孝毅が次期塾長の座を蹴れば、必然的に叔父の直毅が塾長の座につくことは火を見るよりも明らかだった。孝毅にも野心があった。直毅のもとで、大楽塾で働くなんて願い下げだった。それに直毅が塾長になると、邪魔な孝毅を追い出しにかかるだろう。塾を追い出されると、玲の実家、村田家に頼るしかなくなってしまう。

 嫁の実家に縋って生きるなんて、真っ平ごめんだった。

 孝毅には、父の春毅のように塾長として辣腕を振るってみたいという野望がった。そして自分には、十分に塾長としての才覚があると信じ込んでいた。

 孝毅に泣きつかれ、玲はいやいや大楽家での生活に応じた。だが、やはり長くは続かなかった。玲は孝毅が塾に出勤すると、家を空けて実家に戻ることが多くなった。

――大楽家の刀自としての責任を何と心得ているのか!

 麻里子は烈火の如く怒った。

 もともと村田家の人間を大楽家に入れることに反対だった。必然、玲を見る目は厳しいものになった。

 更に玲の実家通いを加速させる出来事が起きてしまう。

 嫁姑の争いで板挟みになったことが原因ではないだろうが、孝毅の浮気が発覚したのだ。大楽塾に勤務する藤田(ふじた)()()という名の女性事務員と深い仲になってしまった。二人の関係は巧妙に隠蔽されていたが、とある出来事がきっかけで、孝毅の浮気が明るみに出てしまう。

 藤田が孝毅の子供を妊娠したのだ。

 妊娠を機に藤田は二人の関係を公にし、孝毅に対し玲と別れ、自分と一緒になることを求めた。藤田は塾長夫人の座を夢見たようだった。

 これには孝毅も参った。

 玲と違って、藤田は万事、控えめで家庭的なところが気に入っていた。それが妊娠を機に、人替わりしたようにヒステリックで高圧的な女に変わってしまった。

 孝毅が玲との離婚に応じないと分かると、驚いたことに、藤田は病床の春毅を訪ねて直談判を行った。春毅に孝毅の子供を妊娠したことを訴えた上で、過去の悪行の数々をばらしたのだ。特に塾の女生徒に手を出したことがあるという話は春毅を激怒させた。

「事務員ならまだしも、生徒にまで手を出すとは見下げ果てた奴だ! こんなことが噂になると塾の経営に影響してしまう」

 春毅は孝毅を病室に呼びつけると怒鳴りつけた。

 孝毅は春毅の前で小さくなることしか出来なかった。

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