四.大楽香美・その一①
大楽玲が殺されてから、別館が綺麗になった。
そう言えば、小学校の同級生、竹部博美からの「お家に遊びに行っても良い?」と言われていた。ずっと、「今日はママがいないからダメ」と冷たく断っていたが、今なら、何時、遊びに来てくれても良いくらいだ。
玲が亡くなってから、毎日のように長沼が掃除にやって来てくれる。
だが、父親の孝毅は帰って来ない。母が殺された広い屋敷に、香美は一人切りだった。
「昔ね。あの子が人形の首をぐるぐる回して、ねじ切っているのを見たことがあるのよ。あの女の子供ね。一人で放っておいても大丈夫。長沼がちゃんと面倒を見ているから」と麻里子は言っているらしい。それで、孝毅は帰って来ないのだ。
孝毅が家を出て、十か月が過ぎようとしていた。父親が家を出た理由について、香美は知らない。
「何故、パパは家にいないの?」と母に聞くと、「あの人は悪いことをしたからよ。悪いことをしたから、外で反省しているの。香美も悪いことをしたら、パパみたいに、外で反省してもらうのよ」と言われた。
だったら、ママだって――と思ったが、黙っていた。
玲はお嬢様育ちとあって、家事が苦手だった。ゴミ屋敷とまでは行かないが、洒落た洋館は一歩、中に入れば、雑然としていた。香美が片付けないと、何時まで経ってもそのままになっている。母だって、悪いことをしているのだ。
屋敷の汚さに悲鳴を上げて、玲が夫の職場に怒鳴りこむと、家政婦の長沼がやって来て屋敷を磨き上げてくれる。だが、翌日にはもう姿を現さなくなる。数日経てば、元の木阿弥だった。
母親の実家から祖母が来て、掃除をしてくれたことがあった。だが、屋敷の広さに、「私のような年寄りには無理」と一度で根を上げてしまった。
別館の荒れ具合は、母屋の麻理子も聞き知っているはずだ。たが、こちらは長沼を寄こすだけで、決して自ら手伝ってくれようとはしなかった。
「刀自とは家事をつかさどるものを言うのよ」と麻里子は言うが、彼女自身、家事が苦手なようだった。
香美の部屋は二階の庭に面した、見晴しの良い場所にある。香美の部屋だけは綺麗に片付けがしてある。もう小学二年生なので、自分で部屋の片づけくらいできる年齢だ。
母親を亡くし、皆が同情の眼で香美を見てくれる。「いいのよ。暫く、学校を休んで――」と言われていたが、学校に通っていた。一人で屋敷にいるくらいなら、学校に行きたかった。
この屋敷で、毎日、部屋に閉じ込もっているなんて耐えられなかった。
大楽家は広大で、別館は庭を潰して建てられたものだが、それでも周りに庭が残っている。
窓から外を見る。小山が見えた。大楽邸は大楽塾の敷地内にあるが、レンガ塀と鉄柵で仕切られている。塾に通う生徒が、勝手に邸内に入って来ないようになっている。塾やアパートに面した壁はレンガ塀になっているが、小山との間は鉄格子になっている。窓から小山の奥まで見渡せた。
庭に河村真一の姿があった。
真一は大楽塾の運営部に勤める河村信次郎の一人息子だ。大楽塾に勤める職員用のアパートに住んでいる。
真一は小学校の同級生で、同じクラスではないが顔馴染みだ。香美が住む別館が荒れ放題になっていることを知っている唯一の同級生といえた。だが、真一が学校で香美の家のことを言って回る心配など無かった。
真一は学校で浮いた存在だった。
虐めの対象と言うより、誰からも無視された存在だった。口をへの字に結び、終始むっつりと押し黙り、軽口を叩こうものなら、殴りかからんばかりの憎悪の籠った視線を投げつけてくる。同級生たちは、気味悪がって、誰も真一に近寄ろうとはしなかった。
学校で友人のいない真一が、香美の秘密を曝露する心配など無かった。ましてや香美は、真一の唯一と言って良い友人なのだ。
真一は誰に対しても喧嘩腰で態度が悪かったが、香美には一度も反抗的な態度を見せたことが無かった。それは父親が塾で働いているからではない。恐らく、真一は香美に憧れを抱いているのだ。幼い真一はそれが恋愛感情だとは気づいていないようだ。だが、香美は気づいていた。真一から憧れの眼差しを向けられることは、悪い気がしなかった。
真一と香美は、しばしばアパートの公園で一緒に遊んだ。
真一には「誰にも言っちゃあダメよ」と言って、別館に通じる通用門のドアの暗証番号を教えてあった。真一は学校から戻ると、毎日のように庭にやって来ては、香美の部屋を見上げている。香美が真一に気が付いて、庭に降りて行けば、「一緒に遊んであげる」という合図だった。
気が乗らない時は、そのまま放っておけばよい。日が暮れると、真一はあきらめてアパートに戻って行く。
アパートの公園には、滑り台やブランコなどの遊具があった。まだまだ遊具が楽しい年だ。香美と真一は公園の遊具で遊んだり、小山に登ったりして遊んだ。小山は樹木の生い茂った鬱蒼とした林になっており、夏になると虫取り網を手に、珍しい昆虫を求めて林の中を駆け回った。
とは言え、香美は女の子だ。真一を無視することも多かった。無口な真一と遊んでいても面白くないし、遊具で遊んだり、山を駆け回ってばかりではつまらない。
どうしようと香美は迷った。
母親を亡くしたばかりだ。真一を遊んでいる場合ではなかったが、退屈していた。




