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さいごのえふつー ~Side B。 // 2098年1月中旬 AM10:20

 その三菱・F-2Bは、控えめに言っても、少しばかり(・・・・・)特別な「機体」だった。


 三菱・F-2は総数で約100機が製造された。


 全生産数約100機の中でも、一位、二位を争うほどにユニークな"キャラ"を背負っている(・・)機体だった。


 尾翼に描かれている機体番号は「63-8102」だ。


 この機体番号から読み解ける事実はたった一つ。


 2030年代の時点で防衛省から民間へと払い去られているに関わらず、その後も変わらず、しかも半世紀以上の長きに渡り、一貫して国防の最前線に在り続けたと言う戦歴だ。


 いや、防衛省が機体番号は「63-8102」を所有していた期間は、実戦へ投入されたことはなかった。むしろ、民間が所有してから、具体的には二人目のパイロットが操縦桿を握って以後、日本から東南アジアまでつながる空の一角で繰り広げられた実戦へと投入されていた。


 しかも、飛び続け、戦い抜いた戦場は、相当にクリティカルな戦況ばかりであった。しかし、機体番号は「63-8102」は、すべての戦場から生還し、生還を繰り返すことで、実に特異な戦歴の更新を果たし続けた。


 機体番号「63-8102」が経験した戦場が、どの程度に特異な戦歴だったかと問われれば、約100機に上る全てのF-2シリーズ、いや、母体となったあらゆるF-16シリーズの中でも、「最も酷使された機体である」ことだろう。面白いことに、この評価は意外と、今でも変わらず、国内よりも国外の専門家達や戦史家達や市民(・・)達によって支持されている。


 それらの左右・上下のあらゆる方向から発せられて、幾重にも積まれる証言は、不思議な事に全方位からの(・・・・・・)公式な戦史がしっかりと強く支持されていた。


 この極地的にデリケートな歴史的評価は事実として、民主主義国家にとって"真面(まとも)な価値観を擁する人"々の間だけでなく、真面(まとも)とは言いがたい人々の間でも、もし議題に上れば「満場一致」で受け入れられていた。いや、積極的に承認されていた(※1)。


 全方位(・・・)、それは政治的に右から左まで、経済的に富裕から貧困と言う広大な価値観空間を通じた共通概念となっていることを意味する。


 もちろん、後者、"真面(まとも)とは言いがたい人々"であれば「臍を噛みながら」それを承認であったろう。しか し、何故? 彼等が好む「ペンは剣よりも強し」と言う屁理屈に乗っ取って、実際には「負けた戦い」でも、後から「勝った戦い」だったと書き換え(恥の上塗りをし)なかったのだろうか?


 実際、彼等による、多くの歴史的な事実とされる記録は、独裁を好む彼等の手によって大幅に書き換えられている。そして、大声で繰り返し叫び続けるので、意外と印象操作の方も成功していたりする。


 しかし、驚くべき事に、彼等はこの件に関しては書き換え(恥の上塗りをし)なかった。


 何故? 答えは簡単だ。自分達を滅ぼした「労働者(プロレタリアート)の敵」が搭乗した機体番号は「63-8102」をして、実に「大したものでなかった」と評価してしまうと、同時に「労働者(プロレタリアート)」そのものも「大したものでなかった」、あるいは「大したものでないものに滅ぼされた」と評価せざるを得なくなるからだ。


 ーーー自らの無謬性を訴える彼等に、それは教理(ドグマ)的に難しい。


 彼等はそれほどに圧倒的な敗北を喫したのだ。どうにも、取り繕う余地もないほどに、根本的に駆逐されたのだ。


 だから、敵が「どれほどに強大だったのか」をアピールする事で、それと敵対して退かなかった彼等も「敵と同様に勇ましかった」と強調する為に歴史を書き換えなかったのだ。この手段を取ると、敵を褒めれば褒めるほど、彼等自身を高める効果が見込める。もちろん、逆説的且つ主観的にだが。


 自慰にはそう言う手段もありえるのだ。健全な精神の持ち主にとっては、こう言う屁理屈は意外かも知れない。しかし、こういう心情の暗黒面へ落ちる人々と言うのは、世界史では珍しくはない。


 とは言え、負けた彼等もまた、相対的に強大であったと言う評価することは、特別な三菱・F-2に対して高く評価する事は二律背反しない。決して矛盾はないのだ。


 極めて複雑な、上級者向けのレトリックである。


 ただし、極右、右翼、中道、左翼、極左に渡る、多種多様な歴史観を横断してなお、全方位(・・・)で統一した見解が保たれる。誰もが異を唱えないと言う例は少しばかり珍しいかも知れない。そう言う意味で、機体番号「63-8102」のへ与えられた評価はちょっとした歴史的特異点的となり得た。


 もちろん、違いはある。極右、右翼、中道の価値観の持ち主は強大な「守り手」として畏怖の念を以て機体番号「63-8102」の偉業を承認した。一方で、左翼、極左の価値観の持ち主は強大な「労働者(プロレタリアート)の敵」あるいは「最悪の反革命主義者」として怨の念こ込めて、承認せざるを得なかった。


 だから、両派の関係に分断(凝り)は確かに残っていた。だが、その種の分断(腫瘤)は敢えて埋める(摘出す)べきではない。放置して然るべきである。何故ならば、この分断(腫瘍)を無理矢理に解消(摘出)すると言うことは、折角ぼんやりさせている「勝敗」の評価が、「事実上の勝敗」から彼等の面子を完全に潰す「形式的の勝敗」へと移行してしまうからだ。


 ーーー敗者から実利に止まらず、「建前」までをも強奪する行為は人道に反する。


 名を取って実を捨ててざる得なかった(・・・・・)人々への配慮を怠ると、解決する問題も解決しなくなってしまう。


 少なくとも「事実上の勝者」は、その様な無配慮な行為を「人道に対する罪にも劣る」と捉えていた。


 実は、この特別な三菱・F-2は、約一年六ヶ月もの期間に渡って三菱重工の作業台上へ滞在していた。


 これは『定期整備(IRAN)』の期間としては長過ぎる。


定期整備(IRAN)』とは、飛行機械群にとっては不可欠な儀式の様なもの。自動車の車検に相当する。自動車も飛行機も(鉄道車両であっても)検査で問題が発見されれば念入りに修理・補修を行い、公道での使用基準を再び満たしたと再検査で証明させる。


 しかし、真面な価値観の持ち主が考えれば、この話は少しばかり奇妙だ。


 そもそも、何故、既に航空自衛軍や民間警備会社(田原航空警備保障)の運用から外れて久しい三菱・F-2Bを、高い費用を注ぎ込んで『定期整備(IRAN)』を受けさせるのか。させるべき(・・)なのか。


 しかも、民間機であるのだがから、防衛省の予算で費用がまかなわれることはない。だったら、いったい、『定期整備(IRAN)』の費用は一体どこから捻り出されてくるのだろうか? いや、そもそも、資金工面の問題の前に、三菱・F-2Bに『定期整備(IRAN)』を受けさせる価値なのあるのだろうか?


 確かにそう問われても仕方のない。こんな旧式機が現代戦で役に立つとも思えない。


 また、その真面な価値観の持ち主が、次に繋げそうな台詞は「その予算で『定期整備(IRAN)』を受けさせるべき機体は他にある」とか、「その予算があればもっと良質な中古機体が購入出来る」のあたりだろう。


 確かに、既に100年に近く軍事作戦に従事している=100年前の需要を念頭に企画・開発された古い戦闘/攻撃機(戦闘機)である、そんなロートルが、次の更なる数年の酷使に備えて『定期整備(IRAN)』を受けるなど、国防を行うことを目的にしているのならば実に非効率である。


 ーーー自動車レースの世界でも、10年前の高級車が最新型の普及車と互角に戦えると言う話は聞いたことがない。


 近いレベルのドライバー同士がハンドルを握って競えば、旧車は現役車両に絶対に勝てない。戦闘機の世界でも同じ筈である。


 実際、この特別な機体以外の全てのF-2は、全機がもれなく飛行寿命がとっくに尽きている。当然、退役済みだ。だから、もし、三菱・F-2を実戦へ投入するにしても、群れとしてではなく単体で投入することになる。


 それでは投入するだけ無駄である。同型機をある程度まとめて投入できなければ、効果的な戦力はもたらしてくれない。また、仮に一定数集めて、群れとして投入出来たとして、三菱・F-2の仕様では現代戦において十分に対応出来ない。だから、費用対効果を鑑みれば、この手の旧型機は廃棄処分こそがもっとも相応しい選択だと言う話である(悲しくはあるが)。


 実際、22世紀の空戦に三菱・F-2が有用かと問われれば、無用だろう。第二世代機は、第五世代機にとっては単なる標的にしかならない。だから、第四世代機が熟成期に入って久しい第六世代機と真面にやり合える筈もない。


 2080年代末に、無理矢理に三菱・F-2の使い道を探してみる。せいぜい、基地間の連絡機やパイロット養成課程の教練機くらいにしか使い道が見いだせないだろう。だから、機体番号「63-8102」が『定期整備(IRAN)』が終わるのを心待ちにしている実戦部隊や司令官や政治家はただの一人もいない。


 だから、「古いものはさっさと廃棄して、新しい戦闘/攻撃機(戦闘機)を購入する方がよっぽど安上がりである」と真面な価値観の持ち主の良識が訴えたくなる気持ちはわかる。


 こんなものに大金を掛けるならば、戦闘機の増備は無理でも、弾薬の備蓄、訓練中の食事の改善、基地内におけるトイレットペーパーの使用制限の撤廃など、もっと役に立つ使い道はいろいろあるのだ(もちろん、防衛費を使って『定期整備(IRAN)』を行っている分けないので、金の使い道について口を挟まれる筋合いなどないのだが)。


 実際、整備費用何回分かを積み立てれば、戦闘機の増備は無理でも、他国で使い古されて、挙げ句の果てにヤレているかも知れないが、それもF-2よりは明らかに役に立ちそうな比較的若い(・・)中古機体の方が求められている。


 いや、安価な現代的な軽攻撃/練習機の方が、『定期整備(IRAN)』が終わって完調を取り戻した三菱・F-2よりも遙かに求められている。しかも、若い軽攻撃/練習機の方が、性能や効率がF-2よりも圧倒的に高い。だから、現役の国防担当者達からすれば、F-2を厚遇する選択をするのはとても理不尽で、不効率、不道徳である。眉間に筋が永遠に刻まれてしまうほどに、許されない、金の無駄遣いでもある。


 三菱・F-2は、本来であれば、もう20年以上も前に完全引退して、空軍基地前でゲートキーパーとして余生を送るか、博物館へ送られて展示されるか、解体してスクラップ屋へ売却されているべき機体だ。少なくとも、現役の戦闘機として、理想的な飛行能力を金に糸目を付けずに維持し続けると言う選択だけ絶対にはありえない。


 戦史好きであれば、戦略爆撃機のボーイング・B-52など、一世紀を超えて一流の空軍に運用され続ける長寿な軍用飛行機は確かに存在すると反論するかも知れない。確かに、冗談抜きで、祖父、父、自分、子と言う四代に渡ってパイロットを担当する一族が存在したりもする(※2)。


 しかし、長寿な軍用飛行機は例外なく戦闘機動を前提とした小型の飛行機でなく、どちらかと言えばゆったりと、主翼構造に大きな負担を掛けずに空を飛ぶ大型の飛行機だけだ。主構造へのダメージが蓄積され難く、クラッシャブル・ゾーン的な比較的小さなパーツの定期交換、あるいはエンジンなどの技術的コア・パーツを新世代物へと換装を繰り返す事で、驚く程に長い期間の延命を可能としている。


 また、新型機を開発するまでもなく、大型ヘリコプターのボーイング・CH-47「チヌーク」の様に、退役した機体を同型(改良済)の再生産機へと置き換えたりもするので、長寿な軍用飛行機と思っていたら、意外と若年の機体が混じっている事もある。


 また、その特別な三菱・F-2Bは、数々の戦闘行為を経験した事で、「最も酷使された機体」である。これだけで廃棄対象のリストの筆頭へ書かれても仕方のない。


 一般的な話であるが、軽量化を極限まで施されたメインフレームへと容赦なく蓄積されるダメージで、速攻で機体寿命を使い尽くしてしまうのが常だ。サブ・フレームの接合部分どころか、メイン・フレームの主要部の各所に見えない細かいヒビが入ったり、シワが寄ったり、素材そのものが想定された寿命を超えて強度を保証出来なくなっている筈だ。


 また、その特別な三菱・F-2BはF-2群の中でも若年機ではない。それどころか、F-2群でも最古の部類へと数えられる機体だ。この複座機は、当初は「XF-2B」と呼ばれていた。それは、20世紀末にすべてのF-2の中で最も初期に生産され、総数で約100機近くまで増える事になる「F-2類」の開発作業を全般を支えた。つまり、最古とされるたった4機しかない試作機の中の一機であったのだ。


 機体番号「63-8102」。F-2複座型の試作機。その二号機。


 そして、機体番号「63-8102」はすべてのF-2の中で、特殊技術の開発目的、最初に民間へと払い下げされた機体である。払い下げ先では、特殊技術の開発における民間協力者であった、すべての擬体保持者の精神文化的な「母」とされる「朝霧和紗」との強い(えにし)を築いた(双子の姉妹機である機体番号「63-8101」の方は、一足先に引退。エンジンを下ろされた状態で、航空博物館の屋内スペースで長い余生を送っている)。


 しかし、現在では、2030年代までは繰り返し時の人としてメディアにも繰り返し取り上げられた、最初の擬体保持者(完全サイボーグ)「朝霧和紗」の存在は忘れ去られようとしている。その一方で、没後に所有者、及び専従パイロットとなった「英雄」が機体番号「63-8102」を取り囲む物語の中心に現れる。


 それが、航空自衛軍の航空士官「朝間ナヲミ(最終階級は三佐)」である。また、退役後も同機を所有し続けてる。


 機体番号「63-8102」は、個人所有する機体でありながら、希に、主翼に「日の丸」を刻んで公務に復帰していたと、一部(・・)業界では周知の事実とされていた。もちろん、「皮肉」の意味も込められてだ。


 歴史として、人民共和国から発生した有象無象、自称国家や軍閥や武装組織の幹部達は、三菱・F-2を心底から嫌った。例えば、払い下げられた同機を運用していた民間警備会社(田原航空警備保障)所属のF-2が、パトロールやスクランブルなどの委託業務で東シナ海上を飛行すると、毎度の様にヒステリーを爆発させた。


 飛行していた機体がF-2であるだけ。体番号「63-8102」に該当しない「朝間ナヲミ」とは何の関係もない何の変哲も無い旧式機に過ぎないF-2であるに関わらず、常に過剰反応を示して見せた。


 ーーー卑劣な日本鬼子が懲りずに攻めて戻る。


 事実として、機体番号「63-8102」が当時の人民共和国の領土や人民に向けた攻撃を行ったと言う事実はない。M-61バルカン砲の弾丸一発たりとも発射してはいない。


 だが、過去のトラウマに悩む人々は、F-2の青い機体を想像しただけで彼等が誇る「民族の鋭気」が激しく「刺激」されて正気を失らしい。どうやら、存在しもしない脅威を自ら表層意識上に作り出して、強力な妄想が思考能力をネガティブ方向へ束縛してしまうらしい。


(こんな人々と、海の国境線上で常に膝をつき合わせなければならな人々は、本当に大変であろう。)


 そう。彼等は、機体番号「63-8102」を抱える三菱・F-2B。その特別な存在を意識すると、いろいろなトラウマを思い出してしてしまう。そうすると電熱器入りポットの水の様に沸騰してしまう。


 海の向こうでは、即座に腸が煮えくり返って捻転すると言う、可哀想(・・・)なご老人達がまだまだご存命なのだ(もちろん、日本国内にもそう言う方々はいらっしゃる。その種の思想にとりつかれた方々は、何故かほぼ全員が憲法25条で保証された「健康で文化的な最低限度の生活」を営んでいらっしゃる。この不思議な相関関係は、我が国では22世紀になっても、以前と変わらず、個人の思想の自由が、権利がしっかりと保証されている事の証明でもある)。


 それが原因で、民間警備会社(田原航空警備保障)が、東シナ海への三菱・F-2配備部隊の展開を一時的に自粛していた時期もあった。


 とは言え、既に生産後100年に迫りそうなロートル機である三菱・F-2Bのコンディションを、生産当時と同様の、作戦参加可能な状態で維持し続ける事は極めて困難だ。


「有志」が主体となって行われて来たクリティカルなミッションは、既に退役している多数の姉妹達の犠牲の上に成り立っていた。


 ーーーカニバリゼーション。共食い整備と言うやつだ。


 航空自衛軍が保有していたF-2は退役後、飛行可能機だけでなく、スクラップまでまるごとすべてが、日本国内の民間警備会社(田原航空警備保障)へと払い下げされた。それらの機体のヤレ(・・)が進み、群体としての戦力を維持できなくなった時点で、朝霧和紗財団と言う民間組織によって文字通りビス一本まで含めて全て買い取られた。それらはまとめて三菱重工関連の倉庫会社へと送られて、スボール保存され続けた。


 そして現在に至る。機体番号「63-8102」は、姉妹達を構成していたパーツの再生品よって、完調状態=戦闘機動が維持されていた。また、噂では、どうしても交換が必要なパーツが見当たらない時は、密かに新造(既存品の改造含む)されてもいたらしい。


 しかし、何故に「朝間ナヲミ」が搭乗する機体番号「63-8102」は、これほどに、異常な程に熱い待遇を受けるに至ったのだろう。


 それは、「朝間ナヲミ」が背負う「キャラ」にこそ理由や事情を求める事が出来た。


 ーーー神性(特別)


「朝間ナヲミ」は、一部の事情通の間では、神性(特別)の同異義語だった。神懸かりの巫女として、不可能と可能として来たと言う経歴を誇っていた。元は、ただの、難民上がりの少女であった。だが、気が付けば「朝霧和紗」の後継者として、文字通り時代の刃先の上で舞を続ける事が求められていた。


 ーーーその役目は、決して本人が望んだわけではなかったが。


 だが、多数の自然発生した信奉者達にとっては、そんな事は些事に過ぎない。神性(特別)であることを認め、これからもそうであり続けることを求め続けた。


「朝間ナヲミ」と機体番号「63-8102」の活躍に関する情報。例え、その一端にであっても触れる幸運に恵まれた極一部の日本国民にとって、「朝間ナヲミ」は御神体としか理解出来ない。そして、特別な三菱・F-2である機体番号「63-8102」は、御神の乗り物(属性を示す神機)であった。


 そして、信望者達が獲得した認識は、芽生えてから何十年が経過しても変化(風化)しなかった。それどころか、月日が過ぎるほどにより強化されて行った。


 そんな事情で、機体番号「63-8102」は、無茶を承知で戦闘機動が可能な状態で保全されていた。


 帰依する神の神機であるのだから、それも当然である。ネパール・ヒマラヤの高地、例えば、カクベニなどで、到達するさえ困難な山の頂や尾根などに、小振りながらも立派な社が建てられているのを頻繁に見かける。それは、建立することと、それを維持することを信仰の証として達成されている。


 こういうことは、実現と実施が困難な方が信仰心が燃える(滾る)のだ。つまり、機体番号「63-8102」の維持が困難であれば困難である方が、信仰の証としてより素晴らしい=ウエルカムなのだ。


 きっと、「推しのアイドルをセンターに」や「推しのアイドルを武道館に」と言う活動に例えれば共感が可能かも知れない(これ以外に用いる事が可能な例えは全く思い付かない)。


 日本国の主権がが国外勢力に脅かされそうになる度に、「朝間ナヲミ」と機体番号「63-8102」は必ず現れた。そして、必ず時勢をひっくり返して、その後はどこかへを消えて行った。


 21世紀に日本国が体験した武力紛争のいくつかは、何も「朝間ナヲミ」と機体番号「63-8102」が全て解決したなどをは主張したいのではない。ただ、「朝間ナヲミ」と機体番号「63-8102」が示してくれた解決への糸筋を有効に利用して、日本国の政府や軍部はそれなりに大きな犠牲を支払うことで、繰り返される特大級の火の粉を振り払う事に成功して来ただけどのことだ。


 もっとも、「朝間ナヲミ」本人は、自身へ無理矢理に押しつけられた「神性」など、心の底から「くそ食らえ」であると考えていた。しかしながら、賢くも本音を口から漏らすことだけは強く自制し続けている。


 彼女は知っていたのだ。信望者と言う生き物は、信望の対象の意思をガン無視し続けるものである。この現象は、国家や民族のイデオロギーを超えて、古今東西共通の事象である。


 ーーー諦めの境地(それと少しばかりの同情)。


 だから、「朝間ナヲミ」は一方的に押しつけられる理不尽に対して、気が向いた時にくらいは「はいはい」と言う脱力気味のサービス精神で応じていた。


 実際、2080年代末には、既に引退を果たして久しい為、今更国防の最前線へ赴いて、「英雄」としてのロールプレイを担当する能力も意思も「朝間ナヲミ」は持ち合わせいない。また、政府も軍も、その様な要望を思い付きもしない。だから、「神性」とやらを発揮する機会は今後も見込まれていない。


 それでも「朝間ナヲミ」と機体番号「63-8102」が健在でありさえすれば、日本国の安全と安定が保証され続けると盲信する人々が未だに存在しているのだ。


 本人の意思の有無など関係なく、こんな風に考えられている。


 ーーーもし、日本国の神聖な領土を侵す不届き者が現れた時は、彼等が信望する神が飛び立ち再び罰を下さなければならない。ーーー


 どういう訳か、彼等の信望する神は新型の三菱・F-3や川崎・F-4への搭乗を激怒を持って拒んだ。だから、何が何でも三菱・F-2をフライアブルにキープしておく必要があったのだ。もちろん、信望者である彼等的にだが。


 とは言え、「朝間ナヲミ」と機体番号「63-8102」が現役として活躍していた「頃」を実際に知る人々も、ほとんどが鬼籍へと入ってしまった。皆、後身や後輩に国家へ安全と安定を導く作業を委ねて、寿命が尽きて、次から次へと居なくなっている真っ最中である。


 ーーーこれならば、そう遠くない未来に、信望者の総数=影響力が無視しても差し支えないレベルまで減少する。


 であろうと見込まれていた。だから、日本国としても、この古い文化潮流を放置していた。邪魔もしないし、手助けもしない。自然消滅が確実な問題に、何を好き好んで鑑賞する馬鹿がいるだろうか。対処すべき脅威はまだ他にたくさんあるので、そんな優先順位の低い活動など放置しておくのが最も確実な対処方法であった。


 そう。日本国が事態の成り行きを見守るに徹する=放置しておいたからこそ、三菱・F-2Bの『定期整備(IRAN)環境の維持限界を迎えてしまったのだ。


 倉庫群に積んであった大量の交換用のパーツのストックも、とうとう使い尽くしてしまった。元々生産数が少ない専用設計の「見た目だけなんちゃって"F-16類似"の機体」であったせいで、世界中で未だに飛行中の中古F-16用パーツからそのまま流用出来るのは、せいぜいエンジン・ユニットくらいしかなかった。


 また、『定期整備(IRAN)環境構築の障害はパーツ不足と言うハード的なものだけではなかった。人材不足と言うソフト的なものまで重なっていたのだ。残念なことであるが、三菱・F-2Bを繰り返し生き返らせる点検・整備技術の、世代を超えたこれ以上の継承が不可能となっていたせいもある。


 ーーー金なら集まった。だが、人材までは集まらなかったのだ。


 旧世代の(・・・・)戦闘機を運用する技術人材の枯渇である。


 人気や需要を失っていない伝統芸能が、後継者不足で途絶えるのと同じ事情で、「朝間ナヲミ☆ファンクラブ」の小悦は確実となっていた。


 この『定期整備(IRAN)』を支える者達は、少なくとも有志達、コア・メンバーはもれなく老い先短い者達であった。「朝間ナヲミ」最後の「聖戦」とされたラオス航空戦で戦った「朝間ナヲミ」の作戦行動を前線の真後ろ支えていた者達の生き残りであったり、その後継者達しかいなかった。その後に事業継続の能力を持つ若者は育たず、とうとう、『定期整備(IRAN)』を技術的に支えられる人材が尽きてしまったのだ。


 戦艦「大和」の三連主砲は、まるごと、当時と同じ構造で再生産する事は絶対に適わない。それとまったく同じ理屈で、特別な『定期整備(IRAN)』の継続も適わなくなったのだ。


 力仕事は専門家達の管理下で金で雇った若い技術者に託せる。それらの作業を通じて技術が継承される事を願っていた。だが、後身や後輩が「棟梁」的な熟練度を獲得する事は決してなかった。


 それも仕方がないと言えば仕方がないことのだ。


 ーーーたった一機しか残っていない、こんな古い戦闘機の整備技術など獲得しても、食ってはいけない。


 職業としては絶対に成り立たない。だから、非凡な(・・・)優秀さを持つ若者が寄って来ないのだ。


 ーーー人は賢ければ賢いほど、情熱だけでは生きていけないと知っているつもり(・・・)のだ。


 この社会的(不都合)な心理は『定期整備(IRAN)』に、自身の意思で没頭する老人達も、支払われる賃金が目的でビジネスとして従事する若者達も、共有出来ている事実だった。


 実は、機体番号「63-8102」の所有者である元航空士官「朝間ナヲミ(最終階級は三佐)」は、だいぶ前に有志による『定期整備(IRAN)』の終了を申し出ていた。


 それも当然である。この作業には、数年に一度、少なく見積もって一億円の費用が繰り返しつぎ込まれる。所有者には、それらの金策を行う事は困難であった。しかし、「有志達」はそれらの問題が経済的である限りは解決してしまっていた。金はどこからともなく降って来た。権田家などの極めて太い(・・)資産家一族だけでなく富裕層の多くが、「朝間ナヲミ」と機体番号「63-8102」が日本国の主権(利権ではない)の維持に大きく貢献していた事を承知していたからである。陰に日向に、援助の手を差し伸べていてくれたおかげである。


 日本国は、「朝間ナヲミ」を骨の髄までしゃぶり尽くした後で、不要となった途端にすんなりと見捨てた。具体的には次世代発展機だった三菱・F-3Eを最後の最後まで酷使した後で、あっさりと見切りを付けて、川崎・F-4を次世代の主力戦闘機として採用して見せた。


 その様な不義理を働いた政府と軍部と工業会による浅ましい振る舞いを知って、心苦しく思ってくれる良心的な日本国民も極少数であったが存在し続けてくれたのだ。


 ーーー世の中、捨てたものではない。


 しかし、そんな人々の強い支持を受けながらも、『定期整備(IRAN)』の実施は今回を以て終了となってしまう。やる気はあるのだが、それでも実行力が失われてしまう。経済的な問題であれば精神力の無限投入によって解決出来たかも知れない。しかし、物理・技術的に解決不能な問題となると根性だけでは解決不能だ。


 ーーーもう、横車を押しようがないところまで来てしまったのだ。


 だからだろう。機体番号「63-8102」の今回の整備は、本当に新造(あるいは完全な組み直し)に相当するほどに念入りに行われた。それだけでなく、『定期整備(IRAN)』後にも、より長期の使用に耐える様にと機体の仕様を大いに変更してしまった。本来は複数任務をこなすべき多目的戦闘機としての能力を大胆に狭めて、"最低限"の戦闘しか行えない"限定仕様"へと戻された。


 主な変更点は下記の通り。


  F110-GE-129ターボファンエンジン(IHI製)のコア・パーツを、最高出力などのスペック低下と引き換えに民間仕様(ハネウェル社製TFE731/F124/F125の関係風の改造品)へと変更した。


 ーーー先々に(供給が既に止まっている)仕様になかった交換部品が完全に枯渇してしまっても、商業品質の汎用パーツの流用で無理なく運用が継続出来る様にという配慮である。


 J/AAQ-2などから始まった外装型ポッドへ対応する、拡張端子が取り除かれた。


 ーーーEODASを使えなくなったが、F-2は本来は有視界操作(・・)を前提として作られているので問題はない。


 J/APG-2戦闘用レーダーなどの整備の難しい装備は全て下ろされて、より簡素なもので代替してしまった。


 ーーーそれでも最新の民生用気象レーダーはかなり優秀。


 LINK16などのすべての戦術データ・リンクが取り外された。


 ーーーこれで全知全能に近い認知能力は失われた。だが、それは今となっては不要な機能である。


 何より、ドルフィン・スキン、電子的空気抵抗操作技術の特殊塗装が完全に剥ぎ取られた。


 ーーーこれで航空力学を無視した機動力や異常な高高度飛行能力も失われた。だが、それは今となっては不要な機能である。


 これらの作業を通じて、機体番号「63-8102」は日本国で生産されて以来初めて、航空優勢下の対地攻撃作戦にしか従事出来ないほどに貧弱な機体構成を獲得した。


 この変化を「成り下がった」と感じる人々は多かった。特に、「有志達」の全員がその様な想い捕らわれて気落ちしていた。


 しかし、所有者である「朝間ナヲミ」は、逆に実に「喜ばしいことだ」と言う感謝で応えた。


「朝間ナヲミ」に言わせれば、「自分の様な"老頭児(ロートル)"が、否応なく、二度と戦場へ呼び戻される恐れのない近年の退屈な状況の到来」はもっとも歓迎するべき変化であった。実際、彼女が武装した飛行機に乗り始めた理由はたった一つ。生徒(・・)結婚した配偶者と始める新生活を支える諸費用を稼ぎ出す為であった。もし、他の手段で確実に糊口を凌げたと言うならば、わざわざ戦場を飛ぶと言う選択などは最初からあり得なかったのだから。


 ただし、機体番号「63-8102」へ搭載されている古典的な人工知能、正確には極めて旧式の「統合マネージング・システム」だけは引き続き搭載され続けた。これは本来はドルフィン・スキン操作用の演算器(+上位の統合マネージング・システムの端末)だった。しかし、何時の頃からは自由意志に近い行動原理を獲得し、パイロットなしで戦闘機動までを代行出来る様になっていた。


「有志達」の誰もが薄々感づいていた。それは現状でも「人工知能」ではなく既に「人工知性」であると。


 だから、将来的に、「朝間ナヲミ」と言う最も重要なパーツが欠損した時には、その「統合マネージング・システム」が機体番号「63-8102」を引き継ぐ(Inherite)のだろうと悟っていた。


 とは言え、そんな未来に起こるだろう「変化」は、「有志達」の誰もがどうでも良いことと考えていた。それは、そんな来るべき未来には、自分達はおろか、自分達が愛してやまない「朝間ナヲミ」でさえも在りはしないに違いないからだ。


 ーーーそこからは、若い人たち同士にお任せします。


 まるで、見合いの席で事の進展を当事者二人にすべてを委ねて、自分たちは事の成り行きには干渉しない。みたいな、人事を尽くして天命を待つみたいな潔さに身を委ねていたのだ。


 誰もが、老い先短い者達。だったら、このままおとなしく時代から去って逝こう。無言。それこそが、次の世代へ送れる最高の祝辞である筈なのだから。


 意図せずに、世界を継承する者達が取れる選択の幅を狭めたくない。世界から去りゆく者達は、両足で貧乏揺すりをしながら、見た目だけでも潔く、「人事を尽くして天命を待つ」と強がるべきだのだ。

※1= むしろ、機体番号「63-8102」を憎む人たちの方が、その評価を強く支持した。何故なら、「そんなに大した事もないものに、自分達は敗北したと」と認めたくなかったからだ。敵が特別に強力だったから敗北した。つまり、不可抗力=不運の結果の敗北であり、自分達が不正義=間違っていたから敗北したのではない。悪に正義が負けただけである。この謎の心持ちを、ある界隈では「精神的勝利」と呼ぶ。まあ、それを「そうだね。たいへんだったね」と認めてあげれば、後は勝手に静かに生きてくれるらしい。



※2= もちろん、21世紀後半になってもパイロットと言う職業は世襲制ではない

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