みつせがわのだくりゅう。 -02- // 2126年10月18日 AM3:50
森 葉子に全身擬体の行動を強制停止させられて、休眠モードへ入った朝間ナヲミ。
正確には、彼女の生態脳と意識が宿っている人工物置換身体=擬体は、航空自衛軍百里基地を経由して宮城県の私立松島大学へと緊急輸送された。
配偶者であり、朝間ナヲミに関する全て法的決定権を本人と共有する森 葉子医学博士は、緊急処置の受け入れ先へ到着するまでの間のほぼ全ての時間を爆睡に費やした。
途中、百里基地でヘリコプターから航空軍の連絡機へ乗り換えた。その際も、ノンレム睡眠によるゾンビ状態の足取りで座席間を移動した。
これは朝間ナヲミとその全身擬体の状態を十分に把握出来る医療環境への移動を終えるまでは、どんな努力を払おうとも根本的に無駄であることを嫌になるほどに深く理解しているからだ。
いくら駄々をこねても事態は改善しない。努力とは正しく積み重ねなければ、効果が無いどころか諸悪の根源にも成りかねない。
ならば、本格的な治療を行える医療環境下への移動中は出来るだけ精神と身体を休めて、事態が改善する瞬間に備えるべきと言う合理性に基づく判断に従うべき。
端から見ればとても冷淡な態度に見えるかも知れない。しかし、森 葉子は他人からどう思われようと構わない。何故なら、自分が自力で説き落とした"恋女房"の命を、今、救えるのは世界で自分一人であると確信しているからだ。
ーーーだいたい、見栄や世間体を気にして、健気に気を張り続けて見せて、実際に朝間ナヲミを救う作業をする本番に眠気に襲われては後悔のしようがない。
誰一人、「どうしたら良いですか?」と尋ねられる相手、頼れる相手も今やいないくなっている。この分野では自身が第一人者であることの弊害。
全てを、何もかも、自分一人で問題解決しなければならないと言うプレッシャー。同時に、自分に出来なければ誰にも出来ないと言う強い確信=自負がある。
おそらく、初期治療だけでも、相当な長丁場となるだろう。しかも、気の抜けない一発勝負となるだろうことは明白だ。それでいて、常に、何時如何なる時に高度な判断を連続的に要求されるかも分かったものではない。
外野がつべこべと喚く雑音、戯言に耳を傾ける余裕など1mmもないのだ。
実際、森 葉子はこの、望まぬ日の到来をはるか昔に覚悟していて、以後何十年物長い期間を掛けて備えて来た。2030年代には、長命を求めることが難しかった全身擬態保持者。
そんな過酷な運命にあったで朝間ナヲミと恋をした。だから、やるしかなかった。
共に生きる時間を、可能な限り長くしたいが為に、学習成果は平均よりちょっと下だったどこにでもいる普通の女子高生が、最短期間で擬体専門医の資格を取得した。更に、有機物を用いた置換治療の第一人者だった「宇留島博士」から直接に師事し、擬体医療分野の第一人者へと一度は上り詰めて見せた。
運良く、今の今まで、森 葉子による周到な準備は、万が一への備えは無用の長物であり続けていた。しかし、これからは、その転ばぬ先の杖が朝間ナヲミの運命を左右する鍵となるのだ。
ビジネスジェット機を転用した航空自衛軍の連絡機は、未明の中に航空自衛軍松島基地の滑走路へタッチダウン。直ちに軍側のエプロンへ滑り込み停機。待機していた救急車が、航空管制の指示を受けて横付け位置へと移動する。
朝間ナヲミは担架で地上へ降ろされ、ストレッチャーへ移動させてから救急車へと積み替えられる。森 葉子はゾンビ状態で、救急車の左右にあるベンチシートの一番奥へと移動して収まる。
宮城県の私立松島大学の医学部付属の、サイバネティックス課の外来病棟ではなく、研究施設の方に、二人を乗せた救急車が横付けされた。
救急隊員達が朝間ナヲミを安全に運び出すスペースを確保する為に、森 葉子が一番最初に車外へ出る。朝間ナヲミの擬体から外した四肢を収納してある、場違いなズタ袋を重そうに背負って地上へ降り立つ。
すると、そこには若くはない、しかし一見するだけに優秀そうな、白衣を纏った医療スタッフが一列に並んで出迎えていた。
一番前に歩み出た者が両腕を差し出す。森 葉子は、とても自然な流れでスタ袋を手渡す。
「森教授。現状で私も含めて10人ほど集めました。日が昇れば更に追加で7人ほどが駆けつける予定です」
「ありがとう」
森 葉子は、10人の、染めていなければ間違いなく髪に間違いなく白い物が混じっているだろう年齢の10人医療スタッフに向けて礼を伝えた。
これらの10人は全員が森 葉子の教え子達だった。全てが医学博士資格を持ち、更に私立松島大学関連の研究施設や医療施設で、現代サイバネティックス医療を支える「柱」として活躍中の人材だった。
ーーー世界的に広く引用される人気論文の執筆者揃いであった。
全員を代表しているのは、唯一、森 葉子だけでなく、故人となって久しい宇留島博士の最後の弟子であった黄 紀子だ。ナノマシンによる有機細胞の操作に関しては、世界屈指の研究者である。
完全に擬体の操作機能を強制停止されている朝間ナヲミのストレッチャーが、地面に伸ばした足を着ける。
10人が全員、見覚えのある朝間ナヲミの姿を捉える。
「私はこの人を絶対に失いたくない。貴方たちの助力に深く感謝します」
簡潔に謝辞を済ませる。10人が全員頷くだけ。もう、既に次に来る指示を待っている。
「患者を私の研究室へ移動」
ーーーはい。
救急隊員と共にスタ袋を背負った元教え子の一人が、朝間ナヲミを研究等の中へと素早く移動させる。
「擬体用の動力炉とインバーターは?」
ーーー起動済みです。今すぐ定格出力を出せます。
「水溶冷媒プラントは?」
ーーー準備済みです。患者向けの成分調整プログラムを入力するだけで使える状態にあります。
森 葉子は、自宅でまとめた患者のバイタルサインのデータを、紙媒体で黄 紀子へ手渡す。黄 紀子は、それに一通り目を通し、すぐに次の仲間へと手渡す。それの繰り返し。
情報伝達と共有の全ては、全員が急ぎ足で移動しながら行われた。
BT:Temperature High.
BP:Blood Pressure High.
CPR:Cyber Pulse High.
SpO2:Saturation of percutaneous oxygen High.
LOC:Level Of Consciousness 300.
更に、擬体特有のサイバーサイン項目が続く。
10人全員が顔をしかめる。相当にヤバイ。擬体側が機械的+ホルモン系制御で血流を維持していなければ、心不全まっしぐらと言う状況だ。この場合、生きた心臓を持ち合わせていないおかげで、朝間ナヲミの生体脳は辛うじて酸欠状態に陥らずに済んでいた。
そして、森 葉子による対処が、極めて有り触れた効果は確実だが、効率的は今ひとつ。毒にも薬にもならない"トラネキサム酸"の投与に留めていることに驚いた。
ーーー何もしないよりマシ。しかし、副反応も最小レベルに抑えられる。
そして、その後の治療方針を狭める心配のない。
おそらく、普通の医者であれば、自分の家族がこの状態へと陥れば、強力な効果が認められる薬剤(化学物質)や、抗炎症属や血小板属のナノマシンなど、見境なく投与してしまうのが当然だ。それが人間の情という業だ。
ーーー脳血栓や腫瘍血管の破裂など致命的な病状の予防は、擬体と生体能ユニット側が常の監視・対策を行っていると言う大前提を理解しているのだ。
だが、敢えて、自制心を効かせて、意味の薄い自己満足的な薬剤投与を行わず、ありきたりな抗炎症材(剤)の投与に留めている。突然にドアを突き破って侵入して来た圧倒的な不幸に、1mmたりとも流されずに立ち向かい続けると言う胆力を保持している。
朝間ナヲミの命を救うために集まった、日本を代表するサイバー治療研究者達が、全員10人が揃って、それぞれの表現力で、若い外観についつい騙されがちだが、
ーーー自分達の年齢を遙かに超えている筈の恩師が、ーーー
まだまだ常人を凌駕する知力を見せつけていると舌を巻いた。
現場を離れて久しいながらも、未だに第一線の研究者であることを証明して見せた。
そして、今回の治療の全てを、一人前になっていたつもりでも、初戦はヒヨコでしかなかった自分達を、手取り足取り「達人」の領域へと導いてくれた恩のある恩師の指導に全面的に従うと言う方針で良いと確信した。
ここに集まった者達は、森 葉子が若い頃に自分達が憧れた、必死で背中を追い続けた、21世紀を代表する巨人の一人であっただけではなく、今でも変わらずに「そうある」と再確認させられたのだ。




