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げかいのけんそう。 -01- // 2126年10月17日 PM14:30

 朝間ナヲミは、(もり) 葉子(はこ)に手を引かれて、受動的に下界へ降りることにした。


 物理的にではなく、精神的にだ。


 これは朝間ナヲミと(もり) 葉子(はこ)の行動様式の違いの話。


 主夫役の朝間ナヲミが、お買い物に行こうと主婦役の(もり) 葉子(はこ)から強く『即された』のだ。


 誘われたのではなく。


 朝間ナヲミの行動原理は、近年でゃ(もり) 葉子(はこ)からの欲求に頼るところが大きくなっていた。


 ーーー今日は週に一度の買い出し日だった。


 正確には、朝間ナヲミの運転で、初々しいという表現からはほど遠いこの婦々(二人)は、連れ立って麓の街を目指していた。


 二人だけで暮らす、麓の住人達が"お山"と呼ぶ住処から地元の業者から買った中古の軽自動車で私道を下り、漸く深沢岩瀬線へと合流する。


 合流点の丁字路を左折すると、丘と呼びたくなる、山脈と呼ぶにはあまり小振りな山岳地帯から抜け出る。平地へとつながる、最初の小さな山間部へと出る。


 その辺りの視界は狭く、構成する風景は極めて単純だ。一本道の道路の左右に小振りな山が盛り上がっている。それだけだ。


 しかし、何回か自動車道が蛇行すると、右手にまだ確かめたことはないが、どうやら山中に城塞跡があるらしい小山が現れる。


 その直後に、突然に、それまで左右に迫り立っていた壁が消える。視界が完全に開ける。


 そこで深沢岩瀬線は終点だ。西小塙真岡線(剣道257号線)へと合流する。


 朝間ナヲミは、取り回しが楽なことこそが最大の特徴と言うダイハツ製の軽自動車(キャンバス)を「よっこらせ」と右折させる。


 消防団の倉庫の前で減速。運転席側の窓を開けて、倉庫の裏手にある駐車場へと車の鼻を向ける。軽自動車のナンバーを読み取ったのでなく、車に設置してある非接触式回線によるクレジットカード決済ではなく、今では珍しいチケット発券機の前で停車する。


 朝間ナヲミは、短い義手を"規格"の限界まで伸ばして、二本の義指の先でチケットを何とかむしり取る。駐車場の入り口のバーが唐突に、「ガッコン」と上がる。手に入れたチケットをハンドルの上にあるサンバイザーと屋根の間に挟んでから、軽自動車を駐車場へ入る。


 朝間ナヲミがいつもの、お気に入りの「何となく止めやすい」駐車スペースが空いていることを確認する。一度奥に軽自動車の頭を突っ込んでから、バック進行で駐車をしている間に、助手席の(もり) 葉子(はこ)は財布の有無と、更にその中身の具合を確認している。


 ーーー"お山"の上で暮らしていると、現金を使う(世俗との接触の)機会がほとんどない。


 経済の根幹に関わる原則を、ついつい失念してしまうからだ。


 助手席のドアがゆっくりと慎重に開く。車内から車外へ向けて、チェックのスカートと一緒に一組の脚部が放り出される。最近ではネット通販でも品薄気味の女性用ローファー(革靴)が脚の先端部を覆っている。


 脱ぎやすく履きやすいデザインなので、半世紀くらい前までの、置換身体の動きがまだ綱なかった頃の、女性の全身擬体保持者は好んでローファー(革靴)を履いた。


 一方、男性の全身擬体保持者は好んでトレッキング用のシューズを履いた。


 かつては、懐かしい昔々では、擬体そのものの特性の違いではなく、擬体へに宿る生体脳ユニットの特性の違いが、二次的な"アクセサリー"選びに強く影響したものである。


 きっとそんなことを思えている人間は、おそらくここで連れそう二人だけかも知れない。


 ーーー大切な思い出の一つであるからして・・・。


 何時の頃からは、擬体の性能が向上したせいか、それとも宿る生体脳ユニットが出力する(・・・・)特性の、俗に言われるユニセックス化が進んだせいか、男女間の性質(特質)の違い=価値観の差というものはかつてほど顕著ではなくなりつつあった(一部の識者は「なくなってしまった」と言う文末で表現している)。


 そんな女性用ローファー(革靴)の、まだ削れの少ない、新品に近いソールがアルファルト表面と接触する。


 (もり) 葉子(はこ)が軽自動車を背にして立ち上がる。両腕を上に上げて、右手で左手の肘を掴んで伸びをする。上半身は紺色のブレザーに腕を通している。


 どうやら、遙か昔、大人に成り切れていなかった頃、高校生だった頃の制服を身に着けている様だ。


 昔取った杵柄(きねづか)で、今になっても若さと可愛さを見せ付けたいのだ。


 振り撒きたいのではない。連れたった一人だけに、見せ付けたいのだ。


 ーーー女の心意気として。


 (もり) 葉子(はこ)は、いくつになっても、女を止めたり、捨てる気はないのだ。


 ただし、両足は生足ではなく、ジャージっぽいズボンをスカートの下に身につけている。


 俗に言う、「埴輪」、或いは「ハニワ」と呼ばれるスタイルだ。きっと、初冬の寒空の下、生足を曝して街を闊歩する程の根性はないのだろう。


 ーーー「女子高生を気取るなら、雪国であっても生足」と言う本物への拘りまでは持ち合わせていない。


 運転席側から朝間ナヲミも軽自動車を降りる。こちらも長年連れ添った「嫁(※1)」と全く同じ装い。(もり) 葉子(はこ)と初めて出会ったその場で纏っていた、思い出深い高校時代の制服だ。


 ただし、(もり) 葉子(はこ)の心意気に対して、共感を示すと言うより、キッチリと義理を果たしていると言う、やや消極的な態度であることが何となく分かる。


 実のところ、朝間ナヲミの本音は(もり) 葉子(はこ)へも伝播sてしまっていることだろう。しかし、自分の気持ちを無視ではなく、キチンと配慮してもらえていると言う一事を以て、(もり) 葉子(はこ)は満足していた。


「まあ、許してあげよう」と鷹揚に構える余裕を持てたのだ。


 彼女達の出身高校では、卒業から半世紀以上が経過し、長い運営機関を通して二回ほど制服デザインの更新を行っている。時代の要求に合わせて校風なども積極的に変えている。実に、、フレキシブルである。硬直なんてどこ吹く風である。


 昭和時代、特に学園ドラマ「スクール☆ウォーズ」をリアル・タイムで見た故人の群れの価値観へ照らし合わせば、ドリフターズ張りの、頭上から大きなタライが落ちて来るズッコケ寸劇を演じずにはいられないくらいに、現在の学校組織と言うものは進歩的に成り果てて(・・・)いる(※2)。


 ドリフターズと言うと、廃棄品とかのアレを指していない。昭和の時代に希望を与えた、金曜の夜に日本中の体育館を巡回して全世代の視聴者にコントを披露していた、略称で「ドリフ」と呼ばれたミュージシャン(芸人団体ではなかったらしい)の方を指している(子供に悪影響を与えると、鑑賞を禁止していた小学校もあったそうで)。


 ともかく、現在では、全ての日本国民に二人のコスプレ姿を曝されたとしても、彼女たちの母校名を言い当てられる筈もない。


 コスプレと言うより、ちょっと古風な少女趣味のファッションと言う程度。21世紀初頭の価値観であれば、ゴスロリ趣味のファッション的な、ちょっと目立つ服装の二人組に相応するに違いない。


 実は、朝間ナヲミと(もり) 葉子(はこ)の二人は、月に一度は必ず昔の制服を引っ張り出して腕を通していた。


 (もり) 葉子(はこ)曰く、「何歳になっても制服デートって良いじゃない?」である。


 外野の誰にもその装いが制服(半世紀以上前の)であると分からなくても、本人達がそれを分かってさえ(・・)いれば、それは間違いなく「制服デート」である。主観の問題なのである。心が盛り上がりさえすれば、細かい話に気を取られてしまう本末転倒な女性など、どの世紀であっても、普遍的に日本には存在していないのだ。


 先にもさらっと述べたが、朝間ナヲミの心中ではとうに脱ぎ捨てて久しい思い出の制服を着込むデートに対して、そこまでのこだわりはなかった。


 ーーー重要なのは長年連れ添った(Yome)、制服の中身である(もり) 葉子(はこ)そのものなのだ。


 外装(パッケージ)が何であるかなど、実のところ大した問題ではない。仮に、それが1千,000円の値札が付いた特売品のジャージの上下であっても何の問題もない。


 朝間ナヲミは本質だけ(・・)を重視していた。だが、(Yome)にまで自分の価値観の共有や服従を求めるつもりはなかった。むしろ、そんな素振りすら絶対に見せない様に、そうだと誤解されない様にと努力していたくらいだ。


 だが、最愛の(Yome)が制服デートの前日に、真っ最中に、帰宅後に、本当に嬉しそうに生きている(・・・・・)姿を眺めるのは、本当に心地が良かった。だから、(もり) 葉子(はこ)からの無言の圧を、不愉快そうに横へ追いやったりせずに、笑顔で求めに応じ続けているのである。


 過去に、「人民の敵」の蔑称を贈られ、巨大国家レベルの恨みさえも捧げられていた元・航空英雄は、率先して二人だけが分かる制服イベントに、徹底的にお付き合いしていた。


 昨日も、今日も、明日も、明明後日も、その後も引き続くのである。


 もし、現在の朝間ナヲミの私生活を、地獄だか天国へと移民済みである恨みの根源達が知ったならば、「なんたる為体(てたらく)!!」と怒りは頂点に達して、天井を突き破り、終いには卒倒せずにはいられないだろう。


 そう意味で、彼等があの世へ退場済みであることは、現実世界の世情を知る筈もないことは、彼等の極めてデリケートな精神健康の、平常心の維持には多大に貢献したに違いない。


 それは仮定の話だ。どちらかと言えばフィクション。しかし、朝間ナヲミや(もり) 葉子(はこ)は、そんな他人の葛藤のことなど知る事もない(興味もないし)。


 (もり) 葉子(はこ)は。ただ、他人の都合に左右されることなく、苦心の果てに手に入れた「(Yome)」である朝間ナヲミの左腕に自分の右腕を擦り入れ、絡ませて、寄り添って歩きたかった。


 だが、二人は身体の外観を入れ替えているので、(もり) 葉子(はこ)の方が朝間ナヲミよりも圧倒的に背が高い。約20cmの差があるので、それに挑戦してしまうと、結果はものすごく残念な感じになってしまう。


 ーーーこういう時だけは、互いの身体の外観を交換してることを残念に思う。


 本来の身体同士であれば、小柄な(もり) 葉子(はこ)は、いくらでも背の高いモデル体型の朝間ナヲミに纏わり付いても不自然はないのだ。


 しかし、実生活の中では、常に大好きな朝間ナヲミに完全に包まれている=護られている感がある。これをどうしても止めたくないので、今まで、そして最後までこのままで在り続けたいと願っている。


 ーーーこうしていれば、家に一人で残されていても、それでも一人ではないと心の底から信じられるからだ。


 以前の朝間ナヲミは、公務(お仕事)の関係で家を長期間留守に開けている事が多かった。


 そうなると、(もり) 葉子(はこ)は彼女なりに、朝間ナヲミの方も彼女の方なりに、この不都合を違う形で解消する必要があった。


 長い話し合いと繰り返した実証実験の果てに、二人は最適解を手に入れた。


 (もり) 葉子(はこ)は、朝間ナヲミに対して左手を差し出す。朝間ナヲミは、差し出された右手を左手で受け取ると、そのまま半歩前を、(もり) 葉子(はこ)を引いて歩き出す。


 (もり) 葉子(はこ)は、先頭へ行かされた朝間ナヲミのリードに素直に従って歩き出す。駐車場を離れる。


 これは、まるで、妹が姉を引っ張って進んでいる様な絵柄である。だが、それはそれで、周囲の目にもとても微笑ましく写った。


 これから二人が立ち入る移民街は、21世紀末には珍しい、明朗な現金会計が中心の経済圏である。おそらく、法定通貨(日本銀行券)以外に、移民達の出身国の通貨(外貨)も平行して市場経済で流通しているからだろう。


 もちろん、この周辺にある移民達が経営する店舗でだけである。近くにある都市、例えば宇都宮のスーパーマーケットで外貨が使える訳ではない。


 順法精神の面から見れば、悲鳴を上げたくなる様な軽犯罪である。外貨から邦貨への両替サービスが前提であれば合法と言い訳出来るかも知れない。しかし、彼等による商工会議所的な何かが本日の交換レート的な何かを発表し、それを参考に各通貨の価値を売買担当者が決定しているので、濃いグレーどころかブラックな事案である。


 しかし、地元警察もそれ以外の政府組織も、必要悪と言う高等な政治用語を理解していた。結果、そのあたりは「なあなあ」を貫き、犯罪に類する問題が起こらない限りは、外貨の市場流通の事実を見て見ぬ振りをしていた。


 また、外国人が経営する店舗の方でも最低限の儀礼(礼儀ではない)を貫いていた。野菜でも自動車でも、すべて、値札の表記は日本円のみだった。少なくとも、ドルやルピーやバーツなどで表記する阿呆はいなかった(いたならば、即時に有言の圧力→無言の私刑が実行された)。


 それを許してしまうと自国通貨の権威が著しく損なってしまう。アジア通貨危機中の東南アジア諸国や最近でもインド以外の南アジア諸国での、航空券価格などは外貨(合衆国ドル)で表記される。もちろん、国家は強烈な指導をもって自国通貨での値札の表示を求める(それでもダメだった。結果、ネパールやラオスでは自国民による外貨の換金手段を厳しく規制する様になった)。


 割を喰らうのは税務署だけだった。だが、インヴォイス登録済みのも商売人達の集金手段を、方的に都合の良い電子会計へと強制的に移行させる法的根拠はまだ見いだせていない。とは言え、そんなものなどなくとも、マイナンバーカード情報による金銭の電子的な動きの完全把握は可能であるので、「正義の実行」は21世紀初頭よりは相対的に簡単になっていた。


 駐車場に軽自動車を突っ込み終えた後の二人は、今度は南へ向かって歩き始める。朝間ナヲミはエナメル生地(PUコート)のバックを背負っているので両手フリー。(もり) 葉子(はこ)は右肩にトートバックを掛けている。だから、朝間ナヲミは右手で(もり) 葉子(はこ)の手を、やや強引に、それでいてぶっきらぼうでなく、とても自然に、そう、一目で微笑ましく見える感じ握って、半歩前を歩き続ける。


 慣れたものである。手が伸び過ぎたり、互いの脚がぶつかり合ったりすることはない。もう何十年もこれをやっているのだから、当然だ。連れ添って歩くベテランであるからして。手を引く方も心を()かれる方も、双方が素人ではないのだ。


 駐車場から離れれば離れるほど、周辺の風景が日本離れする。まず、商業看板の文字がクサビ文字の様にも見えるチベット文字へと変わる。スペルを読んでみると、ゾンカ語で書かれていることが分かる。中には商業フォント(イクチェン)でなく、手書きの、イクスーによる(とても達筆な)キューイー(筆字)(おぼ)しき達筆な文字の羅列も混じっている。


 サンスクリット文字の商業フォントと比べても、更に、もう一層、異国情緒たっぷりの印象だ。朝間ナヲミは、ヒンズーやネパリーなどのサンスクリット文字ならば、ある程度慣れている。しかし、ドゥクパ王国やチベット地方(レプチャ含む)などで使われているチベット文字だけは慣れる気がしない。右から書き始めるアラビア文字と同じくらい、別世界感を拭うことが出来ない。


 そんなことを考えていると、周辺の建物がドゥクパ王国文化風へと変わった。それに混じって、ネパールっぽいとか、タイっぽい建築物が増える。


 すれ違う人たちの服装も変わる。時折、ヒマラヤ地方の民族服を着込んでいる人達とすれ違う。エスキゾチックな装いの人々の密度が急上昇する。


 チュバコートをラフに羽織って突っ立ているオッサン。


 色鮮やかにチュパに身を包んで行き交う若い女性。


 なお、チュパの上に"チベットパンデン"を掛けている、以前は(つい最近まで)若かった女性。


 どれもコスプレでなく、本物。日常的にそれらを身に纏い、酷使して生地をすり減らすのだ。


 そう。「チュパ」は普段使いの日常服、田舎のヤンキーの制服である"ジャージ"の上下セットに様なものなのでかなり使い込まれている。


 なお。祭りや儀式へ参加する日であれば、最高級のシルクに錦織(ブロケード)などの豪華なものへ着替えるのだろう。


 冬季である事から、特に襟に相当する部分には、「プル(チベットウール)」が厚く編み込まれいる。色が人それぞれ。シルク地は赤色や緑色に光沢を持っている。チュパの下層には厚めの綿素材だけが使われている。


 一般的な日本人には、小振りだなカラフルなエプロンとしか見えない「パンデン」は、間違いなくヤク毛のウール製だ。


 チュパのデザインは、胸元がやや開放気味なので、部外者から見ればやや寒そうと言う印象を当たられるかもしれない。しかし、実際の着心地は保温性に優れているので、全年代の女性に好評だ(だから、幾世代を超えてなお伝統服として現代まで需要を保ち続けている)。服内の暖まった空気を外へは逃さない。そうでなければ、ヒマラヤ地方でこのデザインが何百年も支持され続けている筈もない。


 服飾に限らず、長く続く文化と言うものは、社会環境や気候環境に十分にマッチしていない筈がない。


 チュパと違って、コスプレと言われても仕方がない、何十年も前に通っていた高校の制服を着た二人組は、異国文化に包まれる街中へと取り込まれている日本の古墳跡へと近付く。


 言われなければ古墳跡とは気付かないだろう。仁徳天皇陵の前方後円墳の様な壮大なイメージではない。こんもりと、周辺と比べてちょっとだけ盛り上がってるだけの、小振りな古墳だ。日本国内には、至る所にそう言う遺跡がたくさんたくさん散らばっている。


 古墳跡周辺は、その古墳をまるで、取り巻くように、或いは遠慮して避ける様に市場が広がっている。


 他の文化の縄張りに、敢えて土足で踏み入る様な者は、ガイジンの中でも実に希な存在と言うことだ。そう言う文化的なアウトサイダーが増えていないと言うことは、日本国の移民政策は現状では及第点を下回ってはいないことの証明なのだろう。


 二人は迷う事なく、半分日本風、半分ヒマラヤ地方と言う不思議な市場へと迷うことなく足を踏み入れ、目的の店を目指して進み続けている。


 タライでナマズを売る露天商の横には赤い郵便ポストが立ち、コンビニエンスストアの横では包丁研ぎは自転車を改造した研ぎ機で火花を周辺に散らしている。


 そんなカオスな風景にびびることもなく、ここでは文化的なマイノリティーかも知れない二人はどんどん進んで行く。


 この辺りまで来ると、日本語以外の言語はたくさん耳へと入って来る。それはら、ゾンカ語やチベット語が多い。時よりネパール語やタイ語も聞こえる。言語の異なる人々同士はなまりの強い英語、またはネパール語で会話をしている。


「ヨーヤハコマチャ? (この魚どこの?)」


「ヨシカワマキネコ (仕入れはヨシカワだよ)」


「ティンタ、カチヲ? (3尾でいくら?)」


「ティンハザール・ティラ (3000くらいかな)」


「イエンホ? (円で)」


「ハジュー。タパイライ・・・エクダムサストプライスホ (そうです。貴方だけの激安価格です)」


「アリカティ・ミラウラサキンツァー? (ちょっとまけてくれない?)」


 チベット、或いはシェルパ系(いや、ライ系?)なオバサンが、ベンガル系っぽいオジサンが立つ店先で買い物の交渉を続けている。その横を、周辺地域に住んでいると思しき日本人の一団が通過して行く。


 そんな、異国風の景色を横目にしながら、手をつないで歩く朝間ナヲミと(もり) 葉子(はこ)は、屋外に詰まれた赤く小さなジャガイモやタマネギの山の前を通過する。


 高校生用制服の二人組は、付き合いの長かった(・・・)ネパール系インド人の親友がいたことを思い出す。彼女、アーシュミラのお陰で、ジャンクなネパール語ならば多少は分かる。二人の人生の節目節目に存在感を示してくれたあの親友も、21世紀末の現在では既に鬼籍入りして久しい。そんな彼女が残した"自慢の息子"も、母の死後から約30年後に事故でこの世を去った。今では、アーシュミラ系の第三世代=孫達と多少の縁が残ってる程度だ。


 ーーー袖が触れ合うのも縁。とは言いがたい時代になって久しい。


 そんな異国人達を眺めている。この周辺は、特に、多文化がカオス状に鏤められている。しかし、あえて調和せずに、互いが勝手に存在している。


 寺院、神社、古墳跡、などなどと上手に調和する様に、国外からやって来た宗教インフラが多数建てられている。


 それらをこの地に新たに建てた彼等にしてみれば、多文化圏との共存に対する理想など全くない。同時に、見慣れないものが建っていても「あっそう」くらいにしか感じない。無関心と言う訳でなく、見慣れないものが建っていても当然くらいに感じているのだ。


 また、それぞれのそれぞれの文化グループに言わせれば、それらは決して宗教的などではなく、単に、ごく普通の、世界に不可欠な、社会の一部に過ぎないくらいにしか考えていない。


 ーーー寺院も仏塔も、マニ車の壁も、セブンレイブン(コンビニ)も、吉野家も、郵便局も、いずれも特別な何かではありえない、等しく日常生活に不可欠なインフラの一様に過ぎない。


 極めて自然体だ。そして、決して一貫しない態度を取るというのに、相対的見るとなかなかブレのない、納得感のある上手な付き合いが成立する。予定調和などくそ食らえなくせに、後々になって振り返ると結局は旨く行ってるのだ。


 他民族社会が当然である文化で育ったガイジンが抱く多文化に対する意識、価値観が我々とはかなり違う。だから、ガイジン同士でも常識が非常識として誤解が生じるし、日本人とガイジン、ガイジンと日本人でもすれ違いが度々生じるのだ。


 お互いがお互いを「変なヤツ」くらいに思ってるのがちょうど良い。それがそのうち「変だけど良いヤツ」へと昇華すれば最高に良い。もちろん、それには時間が必要だ。政治とか政党の手による国家計画とか何年計画で実現を定めて、意図した通りに実現する筈がない。


 筆者の主観に過ぎないが、ユーラシア大陸の「東側」では、多数の文化が適当に折り合いを付けて共存する社会が普遍的に存在している気がする。「西側」は来る支配者は、自分達の文化を東側へ押しつける傾向がある様な気がする。


 例えば、インドは東側だ。だが、彼等の社会には歴史的に強く歪められた形跡が認められる。欧州の植民地主義が到達する遙か前にインドへアレクサンダー大王と同じルートで北西から侵入して、巨大なムガール帝国を建国した他民族がいなければ、おそらく、現在のインド社会の様に、宗教的な非寛容が局地的に強く発揮されることも無かっただろう。多神教のエリアに一神教が迷い込んだ弊害ではないかと言う仮説を立てている。だいたい、そうでもなければ、あのエリアに一神教がそれなりにメジャーな宗派として数えられることもなかっただろう(自然発生してもせいぜい二世代で消える小規模な崇拝者集団に止まり、幾世代を超えて巨大な帰依団体を維持出来るとは思えないと言う意味)。


 まあ、それでも、ムガール帝国がインドで行った文化侵略は、西欧がその後に文明開化の名の下に行ったほどに凄惨でもなく、悲惨な結果はもたらされることはなかった様だ(比較する相手が悪過ぎる気もする)。


 朝間ナヲミと(もり) 葉子(はこ)が住む、終の棲家として決めた小山の周辺でも、多くの文化圏がやかましくはあるが、重なり合いながらも、時に拡大し、時に収縮し、その場その場で適当に折り合いを付けて、心中でどう思っているのかは想像も出来ないが、共栄していた。共存だけでなく、それぞれビジネスが互いをカバーし合う形でバランスを取り合えていた。


 ここでは、文化的な違いを積極的に突くような精神が捻くれた人物がいても、それに同調するほどに暇な人々はいなかった。


 婚姻関係まではまだムリそうだったが、交際活動レベルでなら、文化・社会と言う価値観の横断が全方向から、時に苦虫を噛み潰す様な表情をしながらも、何だかんだで見て見ぬ振りしてもらえる程度には進歩的且ついい加減(テキトー)だった。


※1= 「嫁」は誤用であり、正しい日本語では「妻」と使わなければならない、と主張する古風の方々もいらっしゃることは承知。しかし、Wife=Wai-fu=Yomeと表現するガイジンの存在を忘れてはいけない。おそらく、彼等は膨大な数に上る。世界総数では、間違いなく、日本国民総人口1億2千万を軽く超えているだろう。つまり、「嫁」と日本語の使用を好む=正しいと認識している人々の方が、「妻」と使用するべきと目くじらを立てる人々よりも圧倒的に多数派である。多分、ね。ガイジンは言う。ニホンジンハサンカゲツニイチドヨメヲカエル。この認識は多分正しい。



※2= あの時代は、未成年への人権が認められない程度では済まないのが常識。ドラマ「ヤヌスの鏡」も参照。パワハラ、セクハラ、スメハラ、ロジハラ、ハラハラが当然な時代だった。社会的な(・・・)チカラこそ正義であった。社会的な(・・・)と言うのがミソ。どう考えても、昨日どんな嫌なことがあったんだよ的な態度のヤバイ教師が多数混じっていた。そんな彼等は既に定年退職で逃げ切り、後継者である、何の悪さもまだしていない若い教師達がその責任を追及されてる? 同情しますよ。でも、前任者(前の世代)が酷過ぎたんですよ。恨むならそいつらを恨むべき。ごめんね。

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