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寄せ鍋、そして粗忽な私

作者: zeke

ショートショートです

随筆に片足突っ込んでる気もしますがフィクションです

 食料が尽きたことをすっかり忘れていた私は、自らの粗忽さを嘆きながら玄関の鍵を閉める。

 コートの隙間から忍び込む、冷蔵庫の中と変わらない冷気。西に傾いた頼りない太陽の力では、二月の寒さを追い払うなど到底叶うはずもなく。せめてもの抵抗に襟を立てて、スニーカーに突っ込んだ足を前へと動かし始めた。

 カラッと青い冬晴れの空に、ぽつぽつと白い雲が浮く。澄んだ空気は吸い込むとひんやり清涼感があり、吐き出す息はふんわりと温かさを持って白い。絵に描いたような青空を電線越しに眺めながら、ポケットに手を突っ込んで、車通りのない狭い道を無警戒に歩いていく。

 さて、今日の夕飯はどうしようか。

 こうも寒いのだから、是非身体が温まるものを食べたい。そうなると鍋か、シチューか、はたまた辛いものにするか。

 本格中華の回鍋肉を飽きるほど食ったのがこの間のことであるから、なるべく辛いものは遠慮したい。少なくとも唐辛子の効いたものはしばらく勘弁だ。

 となると、鍋にするか、シチューやカレーの類にするか。これは結構な迷いどころである。

 和食らしい出汁と醤油の味付けに生姜を効かせた寄せ鍋などは、この時期には大変温まることであろう。味付けの穏やかさと生姜の効能で胃腸にも良い。肉に魚に野菜にキノコに、具材を選ばない手軽さもある。具の味が染み出た出汁をシメの雑炊にすれば、これはもう言うことなしだ。

 しかし温まるというなら、シチューやカレーも捨てがたい。とろみのあるルウはしっかりと温かさを保ってくれるし、腹持ちも良い。油脂分も多いから冬場に必要なカロリーも取りやすいだろう。作り置きもきいてその点も便利である。

 立ち並ぶ一軒家の間をテクテクと歩きながら、さてどちらにするかと考えていると、どこぞの家から台所の香りがぷうんと漂ってきた。

 まだ空の青いうちから食事の支度とは、これは料理に拘りのある家であろう。夕飯選びの参考になればと鼻をひくつかせると、漂っているのは出汁の香りである。種類まではわからないが、何とも旨味のぎゅっと詰まっていそうな香りだ。さぞ上品で美味なのだろうと、つい味わいまで想像してしまった。

 思わずぐうと腹が鳴り、口の中いっぱいに唾液が溢れる。まるで身体の方も今晩は寄せ鍋が良いと言いたいようである。ここは一つ、自分の好みに拘った鍋にしてやろうなどと考えながら、細道を抜けて大通りへと足を踏み入れた。


 片側だけで三車線を擁するこの通りは、地域全体を東西に貫く、この一帯でも一番の主要道路である。車社会らしくやたらと整備された道沿いには大きなロードサイド店舗がぽつぽつと立ち並び、住民に必要な食料や日用品のほとんど全てが供給の対象。住民にとっては生活そのものと言ってもいい道路であり、今も、大量の自動車が列をなして東に西に、各々の日常のために走っている最中である。

 途切れることなく通行車が走る車道とは対照的に、幅広な歩道を行く人影はまばら。皆それぞれにダウンやらコートやらを着こみ、寒いお外は嫌だと言いたげにせかせかと通り過ぎていく。私もまたそんな人影の一人となって、行き交う車を横目に歩みを進めた。

 遮るものの少ない大通りでは、吹き付ける寒風が幅を利かせて通り抜けていく。乾いた空っ風と排ガスの組み合わせが喉を乾燥させるおかげで、体感では一段と気温が下がったような気分。やむなく口を襟元に埋め、さっさと目的地につこうと早歩きに切り替えた。

 どこか間の抜けた伸び方をする自分の影を眺めながら、さてどんな鍋にするか考える。

 下味はどうするか。自分の舌は出汁と醤油という日本人の味を求めているのであるから、これは考える必要はない。出汁の種類に気付けるほど繊細な味覚はしておらぬから、普段使いの粉末だしにいつもの醤油で構わんだろう。パック詰めの鍋つゆに旨そうなものがあればそちらにしても良い。

 問題は具材である。

 まず肉や魚をどうするか。出汁の味に合うのは断然魚のほうである。この時期ならばまだ出回っているはずの旬の鱈は、さっと火を通せば実に魅力的なぷりぷりとした食感になる。寒ブリもまた、独特の旨味が鍋つゆと引きたてあって良い。

 だが肉の脂が持つ旨味は、切り捨てるには余りにも惜しい。豚バラであれば白菜と合わせるだけでも十分だし、これが鶏モモ肉あたりになれば大抵の具材とは喧嘩せずに肉の味を楽しめる。値段次第では、少々奮発して牛肉というのも良いもの。

 次に野菜をどうするか。

 言わずもがな、白菜は絶対に必要である。他の具材の旨味をたっぷりと吸い、煮られてくたくたになった白菜はある意味で鍋の主役と言ってよいもの。これがなくては鍋たり得ない。

 キノコもまた、鍋には欠かせない。シイタケでもシメジでも、キノコの出汁は鍋の味に深みを与えてくれる。キノコが入っていれば、出汁に頓着せずとも美味い鍋つゆになるのだ。

 定番のもので言えば、他は長ネギや春菊あたりか。人参や大根も結構。特に人参は色映えが良い。飾り切りしてやれば目で見ても楽しめるというもの。

 野菜以外なら豆腐やしらたき等々も、鍋の一員としては日常的である。出汁の旨味ををたっぷりと吸った豆腐をはふはふと頬張る楽しみは、寒い冬だからこそのものである。海老やホタテを使って海鮮系というのもよろしい。

 次から次へと、あれはどうだ、いやこれだ、と候補が出て、考えれば考えるほど頭の中が騒がしくなる。議論百出、意見がまとまらぬものだから私も一度は匙を投げかけたが、しかしそこは拘りの強い私のこと。今日の鍋の具材を何とか決めることが出来た。

 まず、肉。豚バラの薄切りがあれば良いが、無ければ鶏モモ肉にする。魚は切り身の良いのがあれば買うが、無ければ無いで構わない。

 そして野菜。白菜は後々も使うからまとめて半玉。キノコはシイタケにしよう。主張は強いが、その分しっかりとした味になる。長ネギと人参は使いでがあるから買うとして、春菊は……止めておこう。

 あとは豆腐と、あれば貝も何か買っていこう。どの貝が旬かはわからないが、尋ねればなんとかなるだろう。

 何より忘れてはいけないのが生姜だ。生姜の効いた鍋が食べたいのだから、これだけは買い忘れるわけにはいかない。いかな粗忽な我が身と言えど、一番欲しいものを忘れるわけにはいかないのだ。

 家にある調味料と買うつもりの食材を突き合わせ、完成図を想像する。足りぬものはないか、余計なものはないか、一通り確認して、問題はないと納得できた。

 うん、よし。

 これならば、きっと美味い鍋になることだろう。寒い冬の晩に相応しい、温かく美味しい寄せ鍋。思わず食指が動くというものだ。

 頭の中の理想の寄せ鍋にご満悦な私を、真横をすり抜けていった自転車のベルが現実に引き戻す。我に帰った私の視界に、何枚もののぼりをはためかせている店が見えた。目的地の食料品店に辿り着いたのだ。

 等間隔に並べられたのぼりのデザインは全て同じで、派手な色の布に毛筆体で店名か何かがでかでかと書いてある。空っ風がびょうびょうと吹きつけるものだからのぼりもバタバタと喧しく、何と書いてあるのかは読めやしない。読めずとも、ここが目的地なのだから私は困らないのだが。

 車がまばらに止まっているだだっ広い駐車場を横切り、でんと据えられた大型店舗の入り口へ。一際強い風が私の頬を冷たく撫でていくが、理想の鍋が私を待っているのだから寒くはない。貼りだされたチラシで今日のセール品を確認してから、買い物用の赤いかごを片手に握りしめる。

 さあ、美味しい鍋のために、気合を入れて食材を選んでいこう。


 粗忽な私が財布を家に忘れたことに気が付いたのは、買い込んだ食材をレジに持って行ってからのことである。

 慌てて家へと走って帰る羽目になったのだが、つまらぬ恥をことさらに書くのも憚られることであるから割愛させていただきたい。

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