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08.憧憬の影で道化は笑う

何だか視点がコロコロ変わります。

 御鏡市、夕凪の郊外にはサッカーグラウンドが四つは入りそうな広大な土地がある。戦時中に建設された大規模紡績工場の名残だ。

 単純な費用の問題から、これといった区画整備も成されていない。一時期、大手百貨店が土地を買い取り、大型ショッピングモールを建設する計画もあったらしいが、不況の煽りを受けてか、それも唐突に頓挫してしまったという。

 時折、不良や暴走族の溜まり場となる他は、これといった役割もない。そんな、御鏡市で最も寂れた土地に、御神楽惣介は立っていた。

 彼の目の前にあるのは、工場の建物の内部へ続く、背丈の二倍もありそうな大きな扉。金属製のそれは、長年風雨に晒されていたためか、赤茶色に変色している。

 いかにも重量がありそうな扉の威容を眺めて、惣介はパチリと指を鳴らした。途端、死んだ貝のように入り口を閉ざしていた扉が、ギィーと耳障りな音と共に見えざる手によって開け放たれた。

 屋内の暗がりに、昼時の太陽の光が差し込む。その光の届かぬ先に、誰かの気配があった。

 惣介は気軽な足取りで工場の中に踏み込むと、気配の方へ軽く会釈する。


「すまない。待たせてしまったようだね」


「いえいえ、構いませんよ。私達にとって、時間などあってないようなものですからねぇ」


 キーの高い、粘つくような声で言いながら、気配の主は滑るように日差しの届く範囲に移動してくる。それは、ひどく奇怪な姿をしていた。

 赤い丸鼻に、白粉を厚く重ねたような顔に施された奇抜なメイク。頭に乗せたシルクハットや、赤地に白い水玉の全身タイツのような服装。

 しかし、その体躯は通常の人間からかけ離れている。ひょろりとした、二メートルの長身に対し、手足が異常に長いのだ。脚部は身長の半分を占め、腕に至っては指先が地面に触れるほど長い。

 そして何より、纏う空気が人間のそれとはあまりに異質だった。

 暗く、禍々しく、忌まわしい、負の思念を凝縮したような寒気を覚える雰囲気。

 それは魔術師が魔物と呼ぶ存在であることの証。


「それにしても、また随分と陰気な場所を指定したものですねぇ。ネズミや虫けら以外、命の匂いがいたしません」


 キョロキョロと辺りを見回す仕草と共に、道化がおどけた口調で言う。惣介は苦笑しながら、それに答えた。


「ちょっかいを出す相手がいないんじゃ、君達には不満かもしれないね。でも、密談はこういう場所でするものだって相場が決まっているんだよ」


 魔物は遍く命の対極の存在として、この世界に生れ落ちる。その本能は命を害することであり、それ故彼らは己の獲物たる人を求めるのだ。


「ふーむ、様式美、という奴ですかねぇ? 人の思考は私達には不可解極まりないですねぇ」


「まあね。といっても、僕もやっていることは君達と似たようなものだけど」


 軽い調子でそう告げてから、惣介は再度指を鳴らす。すると、開いた扉が不可視の力に引かれて閉ざされ、代わりに屋内の暗がりを照らす青白い炎が二人の頭上に灯った。

 下らない会話は終わり。ここから、本題に移ると告げるように、惣介は瞳から笑みを消し、鋭い双眸で道化を射抜いた。


「それじゃあ、手短に済ませようか。君を呼んだのはね、ちょっと遊んであげて欲しい相手がいるからなんだ」


「ほほう、遊び……ですか?」


 道化の瞳がギラリと貪欲な光を放つ。口元は三日月型に裂け、残酷な笑みを描いた。それは暗がりを照らす焔の青白い光を受けて、コミカルな顔を不気味に引き立てている。

 普通の人間が見たなら、怖気のあまりその場から動くことすらできないだろう。しかし、この場唯一の人間である惣介に、それは滑稽なものとしか映らなかった。

 この程度の魔物、百体集まっても彼には遠く及ばない。

 内心の嘲りを面には一切出さず、惣介は言葉を続ける。


「相手は駆け出しの魔術師。イギリスで修行していたらしいんだけど、つい昨日帰ってきたみたいでね。帰国のお祝い代わりに、もてなしてあげてくれないかい?」


 もてなす。

 勿論、それは言葉通りの意味ではない。


「楽しめる相手なので?」


「多分ね。少なくとも、昔僕が相手をしてあげた時はかなり楽しめたよ」


 二年前、初めて彼を目の前にした時の出来事を思い出し、惣介は我知らず笑みを浮かべていた。人間のものとは思えない、酷く冷たく、忌まわしく、禍々しい笑みを。

 惣介の答えに満足したのか、道化もまた笑みと共に尋ねた。


「遊び相手のお名前は?」


「上谷宗太」


 答えだけを述べ、惣介は懐から取り出した写真と、夕凪町内のとある住宅の住所が記された紙を指で道化の方へ弾いた。道化は受けとったそれを一瞥し、そして惣介に視線を戻した。


「報酬もそれなりのものを用意させてもらうよ、受けてもらえるかな?」


 穏やかな、しかし何処か底の見えない何かを湛えた声で、惣介は問う。

 道化はその声に一瞬沈黙すると、恭しく頭を下げた。


「クスクスクス、私の同類に貴方の頼みを袖にできる者などそうはおりますまい。お受け致しましょう、《堕天の園》首領、御神楽惣介殿」


「ああ、よろしく頼んだよ、《道化のフラウ》」


 短く告げてから、惣介は従属の姿勢を続ける道化に背を向け悠々と歩き出した。再び彼が指を鳴らすと、薄闇を照らしていた炎が消え、扉が開く。

 廃工場を立ち去る直前、彼は一度だけ道化を振り返った。


「そうそう、遊び方は任せるけどね、油断だけは禁物だよ」


 魔物にすら寒気を覚えさせる笑みと共に。


「曲がりなりにも、《魔神》の才を持っている子だからね」






 朝の内の穏やかな陽気は、昼を過ぎるに連れて灰色の薄雲に覆われた曇り空へと転じていた。

 季節外れの空模様を少し疎ましく思いながらも、宗太は鉄柵に囲まれた敷地内の建物を見上げる。そして、そこから聞こえてくる微かな喧騒に、小さな溜息を零した。


「ここ……か」


 宗太の目の前には黒い門扉。その両脇に設置された石柱の片方には《私立白嶺高校》という文字が刻まれていた。

 あれから、明日香との昼食を終え、宗太は筆記用具と受験票だけが入った鞄を手にこの場にやってきた。目の前の高校の編入試験を受けるためである。

 到着したのはつい三十秒前のこと。校門を前にした宗太は、校内に入るでもなくただ校舎を見上げていた。

 二年間、学校という場所と無縁であっただけに、少しばかりの緊張と、違和感を覚える。もしかしたら、自分がこの学校に通うのかもしれないと思うと、ひどく妙な気分だ。

 何となく、特に理由があるわけでもないけど、入り辛い。

 理由の分からない居心地の悪さに首を傾げつつ、宗太は右腕の腕時計に視線を落とした。試験開始に指定された時刻まで、あと三十分ほど。


「……行くか」


 軽く覚悟を決めてから、宗太は校内の敷地へと足を踏み入れる。そして、正面玄関に続くタイルで舗装された道を真っ直ぐに突き進む。

 途中、擦れ違った制服姿の生徒達が不審そうな視線を送ってくるせいか、やはり居心地が悪い。アウェーな空気をひしひしと感じつつ、早足で玄関前の来客用窓口に早足で向かった。


「あの、すいません」


 窓口に座る中年の女性事務員に声をかける。人の良さそうな顔をしたその女性は、柔らかい笑みで対応してくる。


「あ、はいはい。ご用件は?」


「あー、えっと、編入試験を受けに来た上谷です」


「ああ、君がね。分かった、ちょっと待っててね「」


 宗太の来訪をしっかり把握していたらしい事務員は、傍らの電話から受話器を取り上げた。そして、三桁の短い番号を入力して、それを耳に当てる。どうやら、内線専用の電話らしい。


「あ、花ちゃんかい? 今、編入試験の子が来たんだけど……ええ、分かったわ。それじゃ」


 短い会話を終え、受話器を置くと、事務員の女性は宗太に向き直る。


「すぐに案内の先生が来るからね」


「あ、はい」


 頷いてから、宗太は窓口脇にある校内の案内板に視線を向けた。校舎は第一から第三までの計三つ、更に二つある体育館と、大きなグラウンドや中庭、食堂などの所在地が記されたそれを見るに、かなり大きな学校であることが窺える。

 俗に言う、マンモス校という奴か。そんなことをボンヤリと考えていた時、パタパタと廊下を駆け足で進むような足音が聞こえ、そして若い女性の声が宗太に投げられた。


「あなたが上谷君?」


「あ、え、はい」


 振り向くと、そこにはグレーのタイトなスーツに身を包んだ、二十台後半くらいの女性が立っていた。

 その姿を見た途端、宗太はまず『面倒見の良さそうな人』という印象を抱いた。

 それほど華やかな美人というわけではないが、垂れ目気味の瞳は穏やかな光を湛え、小柄な体躯と相俟って、親しみ易い雰囲気を放っている。

 つらつらとそんな寸評を脳内で作成する宗太に、女性は友好的な笑みと共にスッと手を差し出してきた。


「この学校で数学を教えてる、及川花おいかわはなっていいます。今日はあなたの試験官をすることになってるから、よろしくね」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 お決まりの挨拶と共に、宗太は差し出された手を握って握手に応じる。及川は笑みを深めると、握った手を解いてから宗太の応対に当たった事務員を振り返った。


「それじゃあ、彼の案内に行きますから、理事長に連絡取っておいてもらえますか?」


「はいよ。しっかりね、花ちゃん」


 事務員は笑顔で頷き、及川へヒラヒラと手を振った。


「それじゃあ、行きましょう。ついて来てね」


 再び宗太へ視線を向けた及川はそう言って歩き始める。宗太は来客用のスリッパに履き返ると、ゆったりとした足取りで進む彼女についていく。

 校内は宗太が予想したとおり、かなりの広さを誇っていた。自然、試験会場だという教室への道のりも遠くなる。

 時折、にこやかに話を振ってくる及川に愛想笑いで応じながら歩いていた宗太だが、階段から三階の廊下に出た時、窓からグラウンドが見下ろせることに気付いた。

 外周が五百メートルはありそうな面積は、地方の学校の特権だろう。それを存分に享受するかの如く、運動部のメンバーと思しき生徒達がそれぞれの活動に興じている。


「あ、うちの学校は、結構部活にも力を入れているのよ」


 宗太の視線が向かう先に気がついたのか、及川もグランドを見下ろしながら言った。


「結構、設備が充実してるから、野球部とか、サッカー部とかは全国大会に行くことも多いの。上谷君は何かスポーツは?」


「あー、いえ。特に何にも」


 魔術の修行のために日夜命懸けの闘いを、とは間違っても言えないので、宗太は曖昧に否定する。すると、及川は例の人懐っこい笑みを浮かべた。


「なら、ウチに来れたら、新しく何か始めてみるのもいいかもしれないわね。運動が嫌いなら、演劇部とか美術部とかもあるけれど」


「そう……ですね。考えときます」


 多分、無理だけど。

 心の中でそう言い添える。

 やらなければならないことがある。だから、魔術師になった。少なくとも、それを果たすまでは、学校生活だの部活動だのに熱を入れている暇はない。

 そもそも、この場に来ていること自体、無駄に思えているくらいなのだから。


「ここだけの話、上谷君が合格したら、私が副担任やってるクラスに編入することになるの。だから、部活のことでも何でもいいから、相談があったら遠慮なく言ってね」


 宗太の内心を知る由もない及川が優しい口調で言った。

 笑顔の仮面を貼り付けて、宗太は応じた。


「あー、はい。じゃあまずは合格しないとですね」


「そうね。頑張って」


 話している間に、グラウンドの見える窓から遠ざかっていく。宗太は最後に一度だけ、グラウンドの方を振り返った。

 去来する苦しいような、切ないような感情。

 それは憧憬などではないと、自分に言い聞かせながら。






「絶っっっっっ対、変なの、宗太の奴」


 時刻は三時を過ぎた頃。宮代家のリビングに、不満を乗せた明日香の愚痴が響き渡る。

 明日香がオヤツのドーナツを齧る向かいの席で、母、宮代棗みやしろなつめがうんざりした様子で、コーヒーを啜っている。


「そりゃ、二年も会ってなけりゃ、ちょっとくらいぎこちなくもなるでしょうよ。事情が事情だから、宗太君だって気まずいだろうし」


「だってぇ……」


 プクっと頬を膨らませながら、明日香は不満の声を上げる。棗は鬱陶しそうに呆れているばかりだ。

 もうちょっと、真剣に聞いてくれてもいいのに。

 そんな不満を抱きつつ、明日香は鬱憤を晴らすべく、ガツガツとドーナツを口に詰め込む。

 母と娘、こんな状態になってから、既に二時間が経過している。

 当初は、宗太との掃除についての、お茶をしながらの会話。それは何時の間にか、明日香による宗太に関する愚痴へと変貌を遂げていた。


「大体さ、変に遠慮してばっかりだし、やっとマトモに話せたと思ったらすぐに余所余所しくするし、ホントに変なんだもん……」


「だ・か・ら、今はまだしょうがないって言ってるでしょ。時間が経たなきゃどうしようもないわよ、そういうのは」


「でも……」


 棗が言うことももっともだというのは分かっている。しかし、納得ができない。

 宗太が帰ってきて、仲直りして、後は昔のような関係に戻って。どうしても、そんな展開を期待してしまうのだ。

 なのに、宗太との関係はぎこちない。表面上は昔のようでも、宗太が何処か自分に対して臆しているのが、明日香にはありありと感じとれた。

 単純に気後れしているのか、それとも引け目を感じているのか。理由は分からないが、現状は不満だらけだ。

 それに、何よりも――


「……私は大丈夫だと思うけどね、あんた達なら。昔は見てるこっちが恥ずかしくなるくらいラブラブだったわけだし」


 俯きかけた明日香に、棗が軽い調子で言った。


「まぁ、そんなに気になるなら、あんたの方から歩み寄ってみればいいんじゃないの? あの子はあの子で優柔不断だから、そっちのが手っ取り早いわよ」


 そう言って、棗はマグカップの中のコーヒーを飲み切り、立ち上がった。そして、夕飯の買い物に行くと告げて、リビングを出て行ってしまう。いい加減、愚痴の相手にも疲れていたのだろう。

 ポツンと一人取り残されたリビングで、明日香は小さく溜息を吐いた。

 こちらから歩み寄ってみる。確かに効果的な手段に思える。単に宗太が気後れしているだけだとすれば、その内ぎこちなさも消えてなくなるだろう。

 だが、明日香には宗太が抱いているものが、そんなに単純なものだとは思えなかった。

 それは二年の間に空いた溝のせいか。

 二回だけ垣間見た、自分の知らない宗太の姿のためか。

 或いは。


 宗太が本当のことを話してくれていないせいか。



「…………どうすればいいのかな、私」


 いなくなった理由、何をしていたのか、何故帰ってきたのか。全部全部、嘘。十四年も一緒にいたのだ。それくらい分かる。

 でも、どうして嘘を吐くのかが分からなかった。幾ら考えてみても、それらしい理由は浮かんでこない。

 今日も、本当はそのことについて、彼に聞こうと思っていた。けれど、怖気ついてしまって何も言えなかった。

 ボンヤリと天井を見詰めながら、明日香はしばらく考え込んでいた。そして、一つの結論を紡ぎ出す。

 きっと、話してくれるから。

 だから、今は、待っていよう。

 二年も待っていたのだから、あと少しくらいどうってことない。

 そう決めたら、不思議と気が軽くなる。自分の答えに満足して、明日香は再びドーナツを齧った。

 待っていればいい。宗太を信じて。そう思いながら。


 この時はまだ、気付いていなかった。

 結局、自分は逃げているだけだ、ということに。






 試験を終えて白嶺高校を出た頃には、日が沈みかけていた。

 人の少ない裏通りを選んで、駅に向かいながら、宗太は首を回す。ずっと試験問題に向かっていたせいか、肩が凝っていた。

 試験自体は、概ねうまくいったと言って良い。

 日常的に英語を話す環境に居れば、高校入試レベルの英語など問題にもならない。

 数学はリゼリアのスパルタ教育で、大学卒業レベルの学力を会得している。

 国語の、特に漢字の書き取りは手間取ったものの、他の二科目で充分にカバーできる。

 英語と数学の解答用紙を回収した時の及川の驚愕の表情は印象的だった。恐らく、合格は揺るがないだろう。

 といっても、いまいち達成感は得られない。寧ろ、魔術師のくせに何やってるんだ、俺、という虚しさが込み上げてくる。


「ホントに何やってんだろ……」


 内心を口に出しながら、アスファルトに転がっていた小石を蹴飛ばす。カツン、カツンと路面を転がる音が、虚しさを助長した。

 はぁ、と深い溜息。それから、沈んだ気分を払拭しようと、思考を夕飯のメニューに切り替える。

 ファミレスか何処かで気晴らしにパーッと好きな物食べよう。と、そこで昼間に食べた棗の弁当の味を思い出して、余計虚しくなった。たかが全国チェーンのファミリーレストランにあれ以上の味が出せるわけがない。

 最近、溜息の回数が増えてる気がする。そんなことを頭の片隅で考えながら、宗太は俯いた。駅へ向かう足取りも重いものになる。

 そうして、下を向いて歩いていたのが悪かった。狭い道の反対側から、一人の男性が歩いてきたことに気付かず、宗太とその男性は軽く肩をぶつけ合ってしまう。


「っと、すいません」


 顔を上げて謝罪する。だが、男性は何を言うでもなく、宗太から顔を背けると、歩き去っていこうとする。

 少しだけ、宗太はムッとした。前を見ていなかったこちらも悪いが、向こうだってこちらを見ていなかったのは同じなのだ。そうでなければぶつかる筈はない。

 とはいえ、それで一々目くじらを立てるのも馬鹿らしく、宗太はその男性の背中を睨みつけるだけで、再び歩き出した。

 そして、その瞬間だった。

 背後で、ザッと地面を強く蹴った音。

 振り向く。最初に目に映ったのは、沈みかけた日の光を反射する、尖った何か。次いで、先ほどの男性が人間離れした速度で突進してくる姿を捉える。

 咄嗟のことに動揺するも、宗太はすぐに冷静さを取り戻し、男性が掲げる『何か』の正体を看破する。

 それは、刃渡り二十センチ程の、出刃包丁。


「っ……!」


 思わず舌打ちした時には、男性は宗太を己の射程に捕らえていた。包丁を持つ右手を素早く振り下ろしてくる。素人とは思えない身のこなし。

 だが、宗太の方が上手だった。

 振り下ろされた右腕の手首を左の裏拳で弾き、更に体勢を崩した男性の無防備な顎へ、右の掌底を叩き込む。

 単純な腕力だけではなく、脚力や腰の動きを連動させることで勢いを増した掌打は男性の体を易々と吹き飛ばし、中空へ浮かせた。一拍遅れて、男性の体が地面へ落ちる鈍い音。

 大の字に転がる男性が気絶していることを確認すると、宗太は小さく息を吐いた。

 リゼリアに教え込まれたのは勉学と魔術、そして戦い方。一対一で、相手が一般人なら、魔術なしでもまず負けはない。とはいえ、怖いものは怖いので、刃物とか本当にやめて欲しい。

 とりあえず、警察に連絡しようと、宗太は辺りを見回して公衆電話を探す。イギリス帰りなので、携帯なんて便利な物は持っていないのだ。

 しかし、近年その数が減り続けているという公衆電話はさっぱり見当たらず、宗太は顔を顰めた。しばらく代替案を考えて、仕方なく倒れている男性を背負うことにした。

 これ、このまま交番まで持ってこう。後は知らん。

 そんな投げやりな決意と共に、男性を背負うべくその傍らにしゃがんだ時だった。宗太は男性の首筋に、何かがキラリと光るのを見た。

 さっきの包丁と同じ。金属が光を反射するような――


「ふーむ、とりあえず、並みの人間よりは戦えるようですねぇ」


 その光の正体を見定めようとしたとき、粘つくようなキーの高い声が宗太の鼓膜を不快に震わせた。

 同時に背筋を駆け抜ける寒気。ハッとして、宗太は振り返る。


「はじめまして、《魔神》殿。私の名はフラウ。道化のフラウ」


 そこには異常に手足が長いピエロの姿。


「命を喰らいて悦楽を得る、しがない魔物の一人にございます」


次回、本格的な戦闘シーンに入ります。

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