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05.嘘吐き

プロットを整理していたら、キーワードで「ややハーレム」を謳っているにも関わらず、二人目以降のヒロイン登場まで、あと二十話くらいかかることに気がつきました。

個人的にかなり気に入っているキャラが、まだ相当な数残っているので、なるべく早く登場させてあげたいです。

「あす……か?」


 辛うじて聞き取れるかどうかの、酷く掠れた声。それを奏でるのは、ずっと、ずっと、ずっと、片時も忘れることのなかった少年だった。

 男の子にしては線が細く、少女めいた陰影の見える顔立ち。真っ黒な髪には少しだけ癖があり、どこか黒猫めいた印象の――そして、最後の記憶より、幾分か背も伸びて、大人びた雰囲気を纏う、幼馴染。

 彼を、宗太を見上げる瞳が切ない熱を帯びるのが分かった。視界が濡れて、滲んでしまう。それでも、零れそうになる感情を必死に抑え付けて、明日香は立ち上がった。そして、驚愕に彩られた、宗太の双眸を真っ直ぐに射抜く。


「宗太……だよね?」


 絞り出すように発した声は、情けないほど震えていた。

 それを受けた宗太は、まだ驚愕が抜け切らないのか、声を出さずに小さく頷いた。そして、明日香の視線から逃れようとするように、目を伏せた。

 途端、歓喜と怒りの入り混じった、グチャグチャの感情が堰を切ったように溢れ出す。熱のような衝動が込み上げてきて、耐え切れない。

 気付けば、明日香は無意識の内に、倒れこむように宗太の背に手を回していた。伏せられた顔の口元が、驚きを示すように小さく開かれても、関係ない。

 強く、強く、離さないように、男の子にしては線の細い体を抱きしめる。顔を埋めた彼の胸元から、懐かしい匂いが香っているような気がした。


「何処行ってたのよ……ばかぁ」


 二年の間に積もり重なったものを全てぶつけるように、明日香は宗太を怨じる声を上げた。

 涙が、宗太が身に纏う黒い薄手のパーカーを濡らす。直に感じる彼の鼓動が戸惑うように揺れているのが感じ取れた。


「急に……何にも……言わないで……」


 嗚咽に邪魔されて、言いたいことが言葉にならない。途切れ途切れの自分の言葉がもどかしくて、明日香は宗太を抱きしめる腕により一層力を込めた。

 意外に引き締まっているのか、思っていたよりも固い体に、明日香の細腕が締め付けるように食い込む。

 少し痛いかも知れない。けれど、かまうものかと明日香は思った。二年待たされた自分はもっと痛かった、苦しかった。思い知らせてやる。


「ずっと、待ってたのに……全然、帰ってこなくて……」


それ以上、言葉を発することはできなかった。言葉を発すれば発するほど、何処か空虚な日々が思い出されて堪らない。だから、代わりに、思いっきり声を上げて泣いてやった。

こんなに泣いているのはお前のせいだ、と叩きつけるように。

こんなに泣くほど、会いたかったんだ、と縋り付くように。

零れる思いが苦しくて、泣き声は際限なく高まる。

どれほどの間、そうやって泣き喚いていただろうか。やがて、張り上げた声が掠れて、涙が尽きてくると、しゃくり上げるような嗚咽だけが残る。

すると、どんなに喚き散らしても、抱きしめても、泣きついても、何も言わなかった宗太が、耳にスッと染みこむような静かな声で、言った。


「……ごめん」


 それは、あまりに多くの感情が込められていて。


「色々……色々、あったんだ」


 ともすれば、明日香以上の思いと、重さと、翳りを覗かせて。


「それで、話せなくて……」


 いなくなるまでの十四年間を、ずっと一緒に過ごしてきたのに、明日香は宗太のこんな声を聞いたことがなかった。

 すぅっと、熱が引いていくのを感じた。

 怒りも、怨嗟も、喜びも、自分で戸惑うほど呆気なく、精彩を失っていく。

 それは、自分の知らない宗太が目の前にいたからかも知れない。不自然な冷静さを取り戻した頭の隅で、そんな風に思った。

 宗太が優しく、自らの背中に回された明日香の手を解く。そして、硝子球のような澄んだ――無機質にすら思えるほど、透明な瞳で明日香の濡れた双眸を見下ろした。


「時間、大丈夫なら、上がって行ってくれ。ちゃんと、話すから」






 リビングに続く扉を開くと、室内を漂う埃が窓から差す日差しを白く反射していた。

 寝ていないで、せめてこの部屋だけでも掃除しておけばよかったと、宗太は少し後悔する。だが、今更そんなことを考えても仕方がなく、申し訳ない思いで背後の明日香を振り返った。


「埃臭くて、ごめん。さっき帰ってきたばっかりだからさ」


「あ、ううん。気にしないで……」


 謝罪に応じる明日香の瞳は、涙のせいか僅かに赤くなっている。白磁のような滑らかな頬にも、涙が伝った跡が残っていた。

 自分が、泣かせてしまった。自責の念に押し潰されるように、息苦しい感覚が鎌首を擡げる。だが同時に、それとは全く趣の異なる場違いな感情が顔を出すのを、宗太は自覚した。


――綺麗になったな、と。心の底からそう思った。


「ん、顔拭いとけよ」


 ドキリ、と鼓動が大きくなったことを誤魔化すように、宗太はポケットから取り出したハンカチを明日香に手渡した。

 二年前まではハンカチを持ち歩く習慣などなかったが、リゼリアの下で修行をするようになってからは、彼女に言われてバンダナサイズの大振りのものをポケットに忍ばせておくようになった。

 曰く、傷の止血などに使えて何かと便利だから、とか。心の中で、こっそりとリゼリアに感謝を述べておく。


「あ、ありがと」


 おずおずとハンカチを受け取ると、明日香は女性らしい丁寧な所作で目元を拭う。その仕草に、宗太の胸の鼓動のリズムが更に早くなる。

 やっぱり、綺麗になった。元々、可愛いというよりは綺麗と表現する方が相応しい、整った顔立ちをしていたが、昔より女らしさがグッと増しているような気がする。

 少々お節介が過ぎるところもあるが、性格も優しいから、男連中にはさぞモテているのだろう。そう考えた途端、モヤモヤと気持ちの良くない感覚が胸を過ぎる。

 だが、宗太は意識的に顔を顰めると、無理矢理にその感情を思考の奥へと押し込める。少なからぬ自己嫌悪を覚えたからだ。

 二年も放りっぱなしにしておいて、今更何を考えているのか。そんな風に思ったから。


「適当に座っててくれ」


 努めて明日香の方を見ないようにしながら、宗太は告げる。彼女がリビングの中央に置かれているテーブルの一席についた気配を感じつつ、入り口脇にある電灯のスイッチを入れた。

 チカチカと、二年ぶりの仕事に戸惑うかのように瞬くと、電灯は室内を明るく照らす。リゼリアが、宗太の出国が決まった日の内に手を回してくれたらしく、電気やガス、水道は問題なく通っているのだ。

 お茶でも淹れるべきか、と一瞬考えたが、それはすぐに却下した。戸棚を漁れば茶葉くらいは見つかるかもしれないが、二年も放置されていた葉でお茶を淹れる勇気はなかった。

 できれば、明日香と向き合うのをなるべく先延ばしにしたい自分がいる。だが、ここに至っての抵抗など無意味でもある。


「……ふぅ」


 明日香には聞こえない程度の、小さな懊悩の吐息を零す。

 正直に言えば、まだ明日香とは会いたくなかった。家が隣同士なのだから、そう遠くない内に顔を合わせなければならないのは分かっていたが、さすがに早すぎる。心の準備ができていない。

 泣かれても、動じないように。

 怨嗟を受け止められるように。

 きちんと、嘘をつけるように。

 そういう、覚悟を決める時間が欲しかった。


「あの……宗太?」


「ん、ああ。悪い」


 何時の間にか、物思いに耽っていた宗太に明日香が遠慮がちに声をかける。思考を瞬時に切り替えて、微苦笑で受け答えると、彼女とテーブルを挟んだ対面の席につく。

贅沢を言っていられる立場ではないのだ。腹を括ろう。そう覚悟を決めてから、宗太は戸惑いの覗く明日香の瞳を見詰めた。

一瞬の間。気持ちを落ち着けるために、大きく息を吐いてから、宗太は最初の一言を口にした。


「イギリスに……さ、行ってたんだ。父さんの仕事の都合で」


 嘘。

 上っ面では穏やかな表情を偽りながら、内心ではばれやしないかとドキドキしていた。

 元々、日本に戻った時に備えて練っておいた作り話である。周囲の人に『ちょっと魔術学びに行ってたんですよー』などと言って回るわけにもいかないから、当然の備えだ。

 明日香なら、真剣に説明すれば分かってくれるんじゃないか、という思いもある。しかし、事実を晒す気は微塵もない。巻き込むつもりはなかった。

 宗太の視線に交わる明日香の瞳は、疑念を示すように揺れていた。明日香は軽く唇を噛むと、言い辛そうに、でもはっきりと口を開いた。


「なら、どうして……話してくれなかったの?」


「言い出し難くてさ。俺から話すからって、母さんにも黙っててもらってたんだけど、明日香の顔見ちゃうと真正面からは言えなかった」


 間髪入れずに応じると、明日香は納得していなさそうな顔をしているものの、小さく頷いてくれた。ここで食い下がられても話が進まないから、助かる。


「向こうでも、手紙とか電話とかで連絡しようとは思ってたんだけど……何にも言わなかったから、思い切れなくてな」


 言いながら、卓上に視線を落とすようにして頭を下げる。


「本当に、ごめん。謝って許されることじゃないと思うけど……ごめん」


 謝罪の意は紛れもない本心だった。だが、頭を下げたのは、これ以上明日香の目を直視したまま嘘をつき通す自身がなかったからでもある。

 明日香がひどく戸惑っているような気配が伝わってくる。十四年も一緒にいたが、こんな状況は初めてなのだ。仕方がないだろう。

 やがて、ポツリ、ポツリと疑問の声が明日香の口から発せられる。


「……おじさんや、おばさんは?」


「まだ、向こうにいる。高校と大学はこっちで通いたかったから、俺だけ帰ってきたんだ」


 顔を伏せたまま、また嘘を口にする。


「……泉さんは?」


「思いの外、向こうが肌に合ってたみたいでさ。大学出るまでは、父さん達の所にいる」


 姉のことに話が及び、微かに動揺するが、淀みなく言い切ることができた。明日香はそっか、と呟くと、それ以上何も言わずに黙り込んだ。

 頭を下げた体勢を継続しながら、宗太は居心地の悪い沈黙に耐える。明日香が何を思っているのかと考えると、それだけで首を冷たい手に締め付けられるような錯覚を覚えた。

 そうして、たっぷり一分も経っただろうか。口火を切ったのは、明日香の方だった。


「顔、上げて」


 潜む感情を覗かせない、固い声だった。

 それは不思議な強制力を持っていて、宗太は言われるがままに明日香へと顔を向ける。すうると、明日香は唇をきつく結びながら、おもむろに立ち上がる。そして、右の掌を軽く挙げ。

 その手で、宗太の頬を打った。


「っ……」


 パシンと、鋭い音。同時に、顔面を貫くような衝撃が走った。

 叩かれたらしい。顔に紅葉マークつけられたかも、と華奢な割に意外と重い平手を受けて場違いなことを考えてしまう。

 痺れのような痛みが頬を苛む。リゼリアの下で修行をしていた頃には、この程度の痛みは幾らだって味わっていたはずなのに、ひどく耐え難く感じた。

 冷静でいられたのは、これが予想していた明日香の行動の内の一つだったからだ。二年のブランクがあっても、幼馴染の心情くらいは理解しているつもりだ。


 怒るよな、そりゃ。


 そう思ったからこそ、明日香が浮かべていた表情は、宗太にとってあまりに意外なものだった。


「とりあえず――」


 振りぬいた掌をゆったりと体の横に垂らし、明日香の桜色の唇から柔らかな声が紡がれる。

 目を見開く。明日香は笑っていた。


「とりあえず、これで許してあげる」


「あ……え……?」


 意味不明なうめきが喉から漏れる。明日香の言葉の意味が本気で理解できなかった。

 状況について行けず、酸欠の金魚のように口をパクパクと開閉させる宗太を見て、明日香がクスクスとおかしそうな笑い声をあげる。


「もう、変な顔。許してあげるんだから、もっと嬉しそうにすれば?」


「え、おま、だって……え、えぇ?」


 もう狼狽えるしかない。

 どんな恨み言も、罵倒も、甘んじて受け入れる覚悟で臨んだのだ。それをビンタ一発でさらっと流されては拍子抜けにもほどがある。

 もしかして、自分に都合の良い夢を見てるんじゃないかと、宗太が自らの頬を抓りかけた時、明日香が本当に嬉しそうな表情で言った。


「ホントはね、もっと色々言いたいことがあったんだけど」


 照れ臭そうに笑いながら。


「こうやって、面と向かい合って、帰ってきてくれたんだなって実感したら、結構どうでもよくなっちゃって」


 自分はどうしようもない嘘つきなのに。明日香は笑顔を向けてくれる。

 純水の泉のように、どこまでも澄み切った歓喜は宗太の胸に楔のように突き刺さった。


「だから、今ので許してあげる」


 その代わり、と悪戯っぽい笑みと共に明日香の伸ばした指先が宗太の頬を突付いた。


「二年分、しっかり振り回してあげるから覚悟してね?」


 最上級の、綺麗で、可憐で、睡蓮の蕾が綻ぶような幼馴染の笑顔。

 それに安心している自分がいる。

 それに歓喜している自分がいる。

 同時に、それに苦しんでいる自分がいた。

 彼女の笑顔を素直に受け取るには、自分はあまりに変わってしまった。それでも、彼女を想う自分は、確かに残っていて。


「……ああ、分かった。覚悟しとくよ」


 だから、ぎこちなく微笑んで、頷くしかなかった。

 戻りたい自分と、進むことを決めた自分の間で、身を引き裂かれそうな葛藤に震えながら。



心情描写って難しい……シリアスな雰囲気も苦手です。

次回はもっとコミカルな話にするつもりなので、お付き合いいただければ幸いです。

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