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01.始動

 イギリスの片田舎に鬱蒼と茂る森林を、淡い月明かりが照らしていた。

 魔術師見習い、上谷宗太かみやそうたは僅かな光を頼りに、雑然と居並ぶ木々の間を縫うように駆け抜けていた。

 温い風が頬を撫で、木々の枝葉を揺らす。その音に紛れて、荒々しく地面を蹴り、落ち葉を踏み砕く音が後方から宗太の耳に届いた。

 一体のものではない。複数……恐らくは五体前後。足音の主の数に見当をつけながらも、宗太は全力で足を動かし続ける。時折、頬を擦る枝葉も気にしてはいられない。

 やがて、木々の開けたちょっとした広場に踊り出ると、宗太は初めて足を止めた。そして、羽織っている黒のパーカーのポケットから、数枚のタロットカードを取り出しながら振り返った。


「うわ、また面倒臭そうなのを……」


 顔をしかめて、宗太は呟く。視線の先にいるのは、数秒遅れて広場に現れた、複数の影だ。

 全体のフォルムは大きな犬か狼に近い。だが、その体は黒光りする金属で構成されていた。そこだけ紅く光る瞳が、薄闇の中にあって堪らなく不気味だった。

 それが、五体。

 油断なく金属の狼達に視線を走らせながら、宗太は観念したように溜息をついた。


「ま、しょーがないか……」


 ポリポリと頭を掻くと、狼の中でも一際大きな一匹が耳の痛くなるような咆哮で大気を揺らす。そいつがボス格なのだろう。追従するように他の四匹も唸り出した。

頭の中を乱暴に揺すぶるような声を不快に思いながら、宗太は手元のタロットカードの中から、三本の剣が描かれた一枚を宙に放る。小アルカナの一枚、風のエレメントを有するカード、剣の三番。

 宗太は朗々と、そのカードの名を読み上げる。


「《Three of Swords》」


 轟ッ、と狼達の唸りに対抗するような轟音と共に、宙を舞うタロットカードから烈風が吹き出す。辺りの木々が悲鳴をあげるほどのそれは、落ち葉や小石を巻き込みながら収束していく。

 そして、唐突に風が止んだ時、宗太の眼前には三振りの剣が浮かんでいた。

 柄に華美な装飾が成された、刃渡り九十センチ程度の両刃の剣である。カードの有する風と剣の属性を、魔力を媒介に具現化させた魔剣。

それは風を纏い、圧倒的な速度と切れ味を以ってあらゆる障害を切り伏せる。

 宗太がオーケストラの指揮者のように、軽く腕を振るった。それに呼応し、浮遊する魔剣が切っ先を狼達へ向ける。

 口元に笑みを浮かべて、宗太は呟いた。


「来いよ、犬っころ」


 挑発に乗ったわけでもないだろう。だが、宗太の言葉に触発されたかのように、狼達は動いた。

 まず、ボス格の一匹を残し、四匹の狼が宗太に突進してくる。正面からは二体、弧を描くように左右から一体ずつが突っ込んでくる形だ。

 意外に統率のとれた動きに感心しながら、宗太は腕を振るい、左右から迫る狼と、正面からの一体へ向けて剣を飛ばす。

 ヒュオン、と空気を裂く音を立てながら、矢のような速度で、三本の剣は狼達の下へ飛翔する。そこからは一瞬だった。

 右から来る狼は、避ける間もなく喉を貫かれる。

 左から迫る狼は、大きく開いた顎で剣を噛み砕こうとするが、剣はいとも簡単にそれを回避する。そして、無防備な背中に突き刺さった。

 正面からの狼は、怯んだ。足を止め、咄嗟に剣から距離をとろうとする。だが、風の加護を受けた剣に速度で敵うはずもない。呆気なく首を撥ねられ、絶命した。

 そして、それぞれの標的を葬った三本の魔剣は、仲間の死に足を止めた一体に殺到。断末魔を響かせる余裕も与えず、冷たい鋼の体躯をバラバラに切り裂いた。

 この間、僅か二秒。絶命から一拍遅れて、狼達の骸はバタバタと地面に崩れ落ちる。それらは一瞬、青白く発光したと見えるや、まるで風化するかのようにボロボロに崩れ、消え失せた。

 その様子を横目で確認すると、宗太は三本の魔剣を自身の傍らに呼び戻し、油断なくボス格の巨狼に視線を向ける。今の戦闘ともいえないような一方的な闘いを見て、獲物が油断の出来ない相手だと悟ったのだろう。巨狼はこちらの隙を探るように、臨戦態勢で身構えていた。

 しばし、睨み合いの硬直状態が続く。場の緊張感が劇的に高まり、まるで空気が固く圧縮されたかのような感覚が走る。

 十秒、二十秒。たっぷりと間を置き、先制したのは宗太だった。

 浮遊する三本の魔剣の内の一本を手に取った。強力な切れ味を持ちながら、通常の剣より遥かに軽く、扱い易い魔剣を強く握り、巨狼に向けて疾駆。残る二本の魔剣も、左右から巨狼に向かう。先の意趣返しだ。

 対する巨狼は、左右から迫る剣を意に介さず、宗太の方へ前進する形で回避する。その対応にやや驚きながらも、宗太は更に加速。そして、お互いの距離が一メートル程度まで縮まった時、巨狼の眉間目掛けて、全力で剣を振り下ろした。

 ガキィーンッ、と金属同士の耳障りな衝突音が静かな森に木霊する。その音に驚いたのか、辺りの木々から眠っていた鳥たちが一斉に飛び立ち、空を埋めた。

 両腕に走った痺れに顔をしかめながら、宗太は狼の頭を――深さにして五ミリもないであろう創傷を舌打ちしながら見やった。何処からどう見ても、致命傷には値しない。


「かってーな、おい」


 さすがにボス格といったところか。他の狼達に比べ、体が圧倒的に頑丈だ。ダメージがないわけではないようだが、急所であるはずの眉間に刃を受けながらも、剣を押し返すように力を込めてくる。

 ギシギシと、魔剣の白銀の刀身が悲鳴をあげる。巨狼の膂力は宗太を圧倒的に上回り、やがてキィーンと澄んだ音と共に、魔剣を宗太の手から弾いた。そして、ナイフのような牙の並ぶ顎を大きく開き、宗太の喉笛に喰らいつこうとする。

 宗太は先程避けられた二本の剣を咄嗟に手元に呼び戻し、ギリギリのところで牙を受け止める。だが、二本の剣にかかる圧力に押され、靴底で地面を削りながら、三メートルも後方へ押しやられた。


「っ!」


「ガァアアっ!」


 追撃してくる巨狼。バックステップで距離を取りながら、宗太は手近な気の太い枝を掴み、懸垂の要領でその上に飛び乗った。さすがに木登りは不得手なのか、巨狼は追撃の手を止め、地面から悔しげな視線を向けてくる。


「結構強いな……」


 乱れた呼吸を整えながら、宗太は手元の二本の剣を放り捨てた。それは地面に衝突する寸前で風に解け、消え失せる。巨狼の動きを見逃さないよう注視しながら、攻略法を思案する。

 体が固すぎて、魔剣は相性が悪い。斬鉄剣でも使えれば話は別だろうが、生憎そこまでの剣椀はない。

 舌打ちしながら、宗太は新たに二枚のタロットカードを取り出し、言霊を唱えた。


「《Ace of Wands》」


 小アルカナ、棒の一番の名と共に、手元で爆ぜる、紅蓮の炎。それはやがて、一本の杖の形に安定し、宗太の手に収まる。全長百二十センチほどの杖の先端には、球状の頑丈な握りが付いている。焔と打撃の特性を備えた魔杖である。

 続けて、もう一枚のタロットの言霊。


「《Strength》」


 八番目の大アルカナ『力』のカードを顕現させる。カードが紅く発光すると同時に、宗太の四肢に不可視の力が流れ込んだ。『力』のカードの持つ意味の一つは、剛力。地を砕くほどの圧倒的な怪力が宗太の体を満たした証である。

 杖を二、三度強く握り、調子を確かめると、宗太は乗っている枝を強く蹴った。

 バキリと折れ、地面に落下する枝。それが地に付くよりも先に、宗太は巨狼の眼前に降り立っていた。


「オラァッ!」


 巨狼が一瞬遅れて、視線を木の上から目の前に移すが、あまりに遅い。宗太が怪力と共に振るった杖は、その握りの部分を巨狼の横面に食い込ませ、巨体を大きく薙ぎ払っていた。

 吹き飛ばされ、地面に横倒しになった巨狼がクォオオンと苦痛の声を漏らす。その巨狼との距離を一足飛びで詰めると、宗太は倒れ伏す巨狼へ杖を振り下ろす。

 爆発としか言いようがない。それほどの大音量と、破壊的な衝撃が地面に叩きつけられていた。巨狼は着弾地点から僅かに数十センチほど離れている。どうにか咄嗟に飛び退いたのだろう。

 視線に殺気を乗せて、無様に伏せる巨狼を見下ろす。その姿からは、彼我の力量差を知ったが故に、戦意が消え失せていた。弱々しい光が宿る瞳は、いっそ憐れですらある。

 普段なら、ここで見逃してやるのだが。

 宗太は小さく嘆息した。


「悪いな。今回は逃がしてやれないよ」


 杖を両手で構え直しながら、静かに告げる。意図を敏感に悟ったのか、巨狼はビクリと身を震わせると、驚くほどの機敏さで立ち上がり、脱兎の如く駆け出した。元が獣である上に、生命の危機が体の限界を振り切らせていることもあって、その速度はかなりのものだ。

 追いかける手段がないでもないが……面倒臭い。手っ取り早く済ませることにして、宗太は左手を杖から離すと、新たなタロットカードを手に取った。

 大アルカナ二十番目のカード、審判。司る意味は火の元素エレメント


「《Judgement》」


 莫大な熱量を伴った業火が、宗太の言霊に応じて顕現する。地獄で罪人を苛む焦熱にも似た紅蓮の火は、宗太の意思に従って、逃げ惑う巨狼に追い縋り、包み込んだ。

 空気の爆ぜる音。それに混じる苦痛の断末魔。聞いていて、気分の良いものではない。宗太は吐き気を堪えながら、眉間に皺を寄せる。

 やがて、断末魔の咆哮が聞こえなくなると、宗太は軽く腕を振った。すると、この世の全てを焼き尽くす業火は、驚くほど呆気なく消えた。

 後に残るのは焦げ付いた大地だけ。


「気持ちの良いもんじゃないよな、やっぱり……」


 吐き捨てるように呟くと、宗太は右手の杖を地面に突き立て、体重を預けた。鉛のような重い疲労感が、体を縛り付けている。

 ともあれ、目的は達成した。少し休んでから森を出ようと考えながら、息をつき。

 そして、宗太はパチパチという妙な音を聞いた。


「んぁ?」


何気なく音源に視線を向けて、宗太は目を見開いた。視界の中で、看過し得ない恐ろしい事態が発生していた。

居並ぶ木々が数本、キャンプファイヤーよろしく燃え上がっている。

あー、審判の火が燃え移ったんだなぁと何処か他人事のように考えてから、落ち着いている

場合じゃないと宗太は姿勢を正した。


「み、水っ! 水系統の術式っ!」


 あんな勢いの火が回りに燃え移ったら、大規模な森林火災に発展してしまう。森の近くには少ないながらも民家も存在するのだ。それだけは避けねばならない。

 半狂乱で空いている左手でパーカーのポケットを探るが、慌てているせいで手元が狂ってしまった。タロットカードの束が、丸ごと地面にぶちまけられる。胸中で自分を叱責しながらもタロットカードを拾い集めるが、その間にも火は勢いを増している。


「あー、だー、くそっ!」


 探せど目的のタロットが見つからず、炎も宗太の手に余る域まで巨大化している。パニックの余り、タロットカードを投げ捨ててしまいたい衝動にかられた――丁度その時だった。

 耳心地の良いアルトボイスが宗太の鼓膜を振るわせた。


「《King of Cups》」


 聖水を湛えた十四の杯が、燃え盛る木々の周囲に現れ、次々と鎮火していく。宗太はその光景を呆気に取られながら眺め、そして声の方へと視線を向けた。

 そこには、呆れた表情で立つ赤髪の女性。宗太の師であるリゼリア・ガーラントの姿があった。


「ったく、派手な大技がアンタの持ち味ではあるけどさ。しっかり周りは見なさいよね」


「し、師匠ぉ……」


 安堵のあまり座り込みたくなる衝動を堪えて、宗太はリゼリアの元へ歩み寄る。その僅か数歩の間に、火は完全に消え、焦げた木々が煙を上げていた


「ホンットに助かりました。ありがとうございます」


「ま、いいわよ。弟子の尻拭いは師匠の義務だしね」


 何でもないように言いながら、リゼリアはヒラヒラと掌を振る。その姿は女性なのに、頼もしく、男らしい。だが、同時に成熟した女性としての美しさも備えた、二律背反の調和を見せている。

 宗太にとっては見慣れた姿だから、さすがに見惚れるようなことはない。だが、初見の男性なら間違いなくその虜になるだろう。

 ボンヤリとそんなことを考えていると、リゼリアは厳しい表情を作りながら、告げる。


「にしても、あそこで《審判》はないでしょうが。まぁ、さすがに《世界》を使うのはやり過ぎだろうけど、《愚者》の札なら問題なく倒せたはずよ」


「あー、その、何というか……つい」


「つい、で森を燃やしかけるな馬鹿弟子」


 リゼリアの拳が宗太の額に振り下ろされ、ゴツン、鈍い音をあげる。頭の中身が弾けたような痛みに、宗太の目尻に涙が浮かんだ。


「っつ……なんで、ただの拳骨がこんなに効くんですかね?」


「師匠の愛よ」


 サラリと答えながら、リゼリアが痛みに屈みこむ宗太を呆れ気味に見下ろす。しばし、脳みそを攪拌されたような激痛に悶えていた宗太だが、やがて痛みが収まると、ふらつきながらも立ち上がり、リゼリアに気まずい思いで尋ねた。


「あのー……やっぱり、今回も不合格だったりします?」


「んー、そうねぇ……」


 腕を組みながら、リゼリアは思案する。宗太が心臓の鼓動を痛いほどに高めながら、その様子を注視していると、彼女は言葉を吟味しながら、答えた。


「……術式構成はまぁ、そこそこだったし、基礎攻撃力も前より上がってたわね。ま、今度はもっと周りを見なさいってことで……いいわ、合格で」


「よっしゃあっ!」


 グッと杖を持っていない左の拳を握り、会心の笑みを漏らす宗太。

 試験というのが、今回の戦闘の趣旨であった。リゼリアが魔術で作った使い魔を相手にどう戦うか。その結果次第で、修行を中断しての一時的な帰郷を許すというのが、その内容だ。

 宗太がリゼリアの下で魔術――正確には、彼女が独自に作り上げた術式タロット・スペルを学んで、今年で二年になる。まだ、リゼリアから言わせれば一人前には程遠いらしいが、魔術師を志すきっかけとなった願いを叶えるためにも、そろそろ帰国したいというのが宗太の本音であった。

 そして今日、それが叶った。胸の奥深くから喜びの感情が間欠泉のように湧きあがる。どちらかといえば、そう直情的な性格ではないが、この時に限っては素直に体で歓喜を表現した。

 はしゃぐ宗太に、リゼリアは苦笑気味に言葉をかけた。


「ところで、怪我はない? 途中でちょっと際どいところがあったみたいだけど?」


「え? あ、ああ。大丈夫……だけど」


 宗太の返答に、リゼリアは優しげな笑みで頷くと、クルリと背を向けて言った。


「じゃ、行くわよ。ちょっと、遅いけど、帰って夕食にしましょ」


「はい」


 威勢良く返事をし、宗太は先を行くリゼリアの後を小走りで追う。


 そして、その無防備な背中に、未だ手の中に残っていた杖を思いっきり叩きつけた。


「えっ?」


 苦痛の声よりも先に、疑問の声と表情でリゼリアの体が宙を舞う。その様子を半眼で眺めながら、宗太は呆れ声で告げた。


「師匠、悪ふざけは止めてください」


 吹き飛んだリゼリアが地面に叩きつけられることはなかった。その姿は空中で霞のように薄れ、消えていく。

 そして、宗太の声に応じるように、森の奥から悪戯っぽい笑みを浮かべたリゼリアが現れた。


「あっちゃあ、うまく騙せたと思ったんだけどなぁ……なんで分かった?」


 五感に干渉し、殴った痛みすら際限する、限りなくリアルな幻覚。先ほどまで宗太が会話をしていたのは、大アルカナ十八番の札《月》を用いてリゼリアが作り出した、彼女自身の虚像だ。

 杖を放り投げ、炎に解いて消しながら宗太は答える。


「師匠が優しく「怪我はない?」なんて尋ねてくるわけないでしょ。寧ろ、傷付いたいたいけな弟子に向かって「あの程度で怪我なんかするんじゃない!」って叱り飛ばしてきますからね、師匠の場合。幻覚だからって、自分を美化し過ぎです」


 肉体と精神を極限まで苛め抜く修行の日々に思いを馳せ、宗太は遠い目をする。すると、リゼリアは眉間に皺を寄せて、口を開いた。


「……アンタはあたしを何だと思ってるのよ?」


 そんなの、言うまでもない。


「人でなし、鬼、或いは悪魔の親玉」


「温厚なあたしでも、終いにゃぶちぎれるわよ?」


 凄まじい笑顔で口の端をピクピクと痙攣させるリゼリアに、宗太は冗談ですよと微笑む。ちなみに、冗談だというのが冗談だ。

 そんな愛想笑いの裏にあるものを見抜いたか、リゼリアは噴火直前の活火山を彷彿とさせる表情で、尋ねてくる。


「ところでさぁ、偽者とはいえあたしの姿をした幻覚に、また随分と遠慮のない一撃を叩き込んでくれたわね」


「日頃の鬱憤を込めましたって痛い! 師匠! その関節はそっちに曲げちゃ駄目ですってば!」


 思わずポロっと漏れてしまった本音に対し、リゼリアは物凄い笑顔と共に、得体の知れない関節技で答える。折れそうで折れない、つまりは一番相手に苦痛を与えられる力加減が絶妙だ。宗太の視界が涙でぼやけてくる。


「すいませんでした師匠! 調子乗ってました! どうか愚かでお馬鹿な弟子にお慈悲を!」


「ったく、調子がいいわね」


 自分でもちょっと本気で情けなくなってくるくらいの低姿勢で謝罪すると、リゼリアはやや不満顔ながらも技を解いてくれる。

 涙目で各関節の安否を確認しつつも、宗太は一番の懸案に関して言及する。


「ところで師匠。もしかしてさっきの合格っていうのもフェイクだったりします?」


「……そうだって言ったらどうする?」


「師匠の枕元で毎晩般若心経を唱えます」


「微妙な復讐ね。夢見は悪くなりそうだけど」


 ぽりぽりと頬を掻きながら、リゼリアが複雑な表情を作る。実際に唱えられている状況を想像したのかも知れない。その両眼を真っ直ぐに見詰めていると、リゼリアはやがて、呆れたように溜息をついた。


「ま、あれに関しては嘘はないわよ。幻覚もちゃんと見抜いたし、ギリギリ合格点ね」


 告げられた言葉に、宗太はホッと安堵の息を漏らした。


「なら、一週間後くらいに向こうに戻ります。やらなきゃならないこと、色々あるんで」


「それは構わないけど……用事が済んだら戻ってきなさいよ? その辺の魔術師なら余裕であしらえるくらいにはなっているけど、修行は終わってないんだから」


 タロット・スペルは熟練度に応じて扱えるカードの枚数が増えていく。リゼリアは当然のように大アルカナ二十二枚、小アルカナ五十六枚、計七十八枚のカードを自在に扱えるが、宗太はその半分にも満たない。小アルカナは《Wand》が一から九まで、《Sword》が一から十まで、《Cup》が一から三まで、《Pentacle》が一から二までしか扱えない。大アルカナに至ってはたったの五枚が扱える程度だ。

 唯一宗太にしか扱えない切り札も存在するが、使い勝手が悪過ぎる術で簡単には使用できない。

 自分はまだ弱い。それを忘れぬよう胸に刻みつけてから、宗太は頷いた。


「分かってます。でも……時間がないから」


「……ま、分かってるなら良しとしましょう」


 軽い調子で頷くと、リゼリアは森の出口へと足を向けた。早足で歩きながら、宗太に告げる。


「さ、帰って合格祝いしましょう。今日は飲むわよー」


「……自重してくださいね。お願いですから」


 数ヶ月前、酔った挙句に魔術で家を半壊させたリゼリアの暴挙を思い出し、鳥肌を立てながら宗太は後に続く。

 やがて、近くの村に出ると、宗太はそっと森の方へ視線を向けた。背筋が寒くなるような暗闇が、木々の間隙を満たしている。

 それを見詰めながら、宗太は小さく呟いた。


「もう少しだから……」


 強く、強く、血が滲むほど拳を握り締めて。


「待ってて、姉さん」







「これで、《魔神》が動き出した」


 宗太達が去った後。彼が焦がした大地に立つ人影が一つ。

 それは謡うように呟く。


「《創造》と《終焉》、《神の素体》はとっくにボードの上」


 愉悦の笑みを顔に貼り付けて。


「あとは《変化》だけだけど、それももうじき……」


 影は空を仰ぐ。あらゆる光を飲み込む黒の夜空を掴もうとするように、手を翳しながら。


「あと少しで、あの方の大願が叶う」


 月明かりは頼りなく、夜の闇は全てを呑み込んでしまう。

 少年の悲愴な決意も、影の悪意も。


 魔術師見習いの帰郷が決まったこの日より。

 物語は静かに動き出す。



いきなりの戦闘シーンでした。戦闘描写に自信がなく、長ったらしい文章になってしまいました……

次回、主人公が帰国します。ヒロインも登場するのでよろしくお願いします。

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