13.清濁/コントラスト
更新のペースは七~十日に一度になります。
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編入生が来る。
入学三日目の朝。白領高校一年A組の教室はそんな話題で持ち切りだった。
曰く、編入生はイギリス帰りの帰国子女だとか。
英語ペラペラの理知的な美少年だとか。
いやいや、儚げな雰囲気の美少女だとか。
誰が何処から仕入れた情報かは分からないが、様々な噂が教室のそこかしこで囁かれている。虚実の織り交ざったそれらは明日香には微笑ましく思えた。
イギリス帰り。まったくもってその通り。
理知的な美少年。うーん、ちょっと褒め過ぎかな?
儚げな美少女。まあ、否定しきれない。
一人だけ、彼のことを知っている。そのことが心地良い優越感となって、口元に笑みを浮かべさせる。窓際最前列の自席に注ぐ日差しがひどく暖かく感じられた。
「にしても、編入生が来るには変な時期だよねー」
明日香の席のすぐ横で、わざわざH組の教室からやってきた恵那が眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。その隣では千秋が同意するように首を傾げていた。
「……帰国子女らしいし、何か事情があるとか……かな?」
「まー、アタシ的にはその辺はどーでもいーんだけどねー。格好いい男の子なら言うことなしだなー」
二人が意見を交換し合う様子を明日香はニコニコしながら眺めていた。
宗太が教壇の前に現れたら、千秋はどんな顔をするだろか。それを聞いた恵那はどれほど驚くだろうか。それを想像するだけで気持ちが弾む。
明日香にとって、宗太がこのクラスに編入するという話は思わぬ幸運であった。
編入試験合格。その朗報は昨日、夕方頃にこちらからかけた電話で宗太から聞いていた。嬉しかったことは言うまでもなく、受話器を握ったままその場で飛び上がってしまったほどだ。
その後、合格祝いにと夕食に誘ったにも関わらず、忙しいからと素気無く断られてションボリしてしまったりしたエピソードもあるが、それは置いておこう。
まあ、よく考えてみれば簡単に予想できた話でもあるのだが。このA組だけ、他のクラスより生徒数が一名少ないのだから。
ともあれ、また宗太と同じクラスになれる。その事実は明日香にとって、ここ一年間で一番の幸福といっても過言でないほどの喜びだった。
同じクラスなら、休み時間の度におしゃべりができる。
昼休みだって、一緒に昼食が摂れる。まあ、違うクラスだったとしても、押しかけて行く覚悟だったけれど。
それに、目に見える範囲にいてもらった方が何かと安心だ。悪い虫がつかないか、きっちり見張っていられる。
少女めいた顔立ちと積極性に乏しい性格のせいか、宗太は小学校、中学校と女子からの人気が高い方ではなかった。
しかし、浮いた話が一つも無かったか、と言われれば肯定はできない。普段は面倒臭がりやなくせに、ここぞの時に見せる優しい行動が女の子の心を射止めることもあったのだ。
彼の良さに気付いてくれるだけなら大歓迎だが、その先はご遠慮願いたい。こちとら、宗太が別の女性を選んだ日には、一生立ち直れず惨めな人生を送る自信満々なのだ。
だから、そういう時は幼馴染のアドバンテージを最大限活用し、年季の差を見せ付けることで諦めていただいたりしてきた。罪悪感がないとは言わないが、恋は闘いなのだ。甘いことばかりでは太刀打ちできない。
また頑張らないと、と小さな拳をムンと握り締めて、気合を込める。その時、横合いから恵那の声がかかった。
「明日香はどっちだと思う?」
「ふぇ? な、何が?」
握った拳を背中に隠しながら慌てて応じると、恵那はその様子がおかしかったのか、苦笑を見せる。
「ったくもー、何だか知んないけどしっかりしてよ。編入生の話だってば。美少年か美少女か、それが問題です」
「私は可愛い女の子かなって……恵那ちゃんは格好いい男の子だって言うんだけど」
付け加えるような千秋の言葉に、明日香は思わず吹き出してしまった。
残念というべきか、それとも幸運というべきか。二人とも、希望は半分外れ、半分叶っている。
そのことが妙におかしくて、だから怪訝そうな顔をする二人に明日香は悪戯心たっぷりの表情で言った。
「じゃあ私は間を取って可愛い男の子、ってことで」
え? と頭の上に疑問符を浮かべる恵那と千秋。すると、その時チャイムの音が校舎内に響いた。
時計を見ると、時刻は八時半。朝のホームルームが始まる時間帯だ。恵那が慌てたような様子を見せる。
「やばっ、戻んないと!」
担任教師は口煩い中年のおばさん。そんな風に零していたのを、なんとなく思い出す。
A組の担任は初老の朗らかな男性で、副担任は気さくで若々しく、可愛らしい女性だ。概ね当たりを引いたと言っていいだろう。特に、副担任の先生は校内でも男女共に人気の高い人らしい。
恵那が駆け足でA組を去り、千秋が自分の席に戻ると、丁度教室前方の扉が開いた。
「ほら皆、着席して。ホームルーム始めるよー」
「あれ?」
入室してきたのは副担任である及川花。灰色のスーツとタイトスカートを纏い、出席簿を片手に呼びかける姿に、明日香は首を傾げた。ホームルームは基本的に、担任教師が担当するのが慣わしなのだ。
クラスメートが三々五々、自分の席へ戻っていく。すると、及川は教壇まで歩いてから、明日香の疑問に答えるように口を開いた。
「今日は橘先生が遅れていらっしゃるので、私がホームルームをします」
そう言って、ふわりと柔らかく微笑むと、男子の数名が見惚れている姿が見てとれる。彼らにとっても、及川が副担任だったというのは色々な意味で幸運なのだろう。
華やかな美人とは言えないものの、可愛らしく素朴な雰囲気が見る者を安心させる。なんとなく、保母さんをイメージさせる人だった。
「それじゃあ、出席を取ります」
出席番号順に及川が優しい声でクラスメートの名を呼んでいく。そんな中でも、教室の雰囲気は何処かソワソワした落ち着かないものだった。
この後紹介されるだろう編入生のことを意識している。この中途半端な時期の編入というのは、増してそれが帰国子女ともなれば関心の高さも納得ではある。
これじゃ、緊張しちゃうだろうな、宗太。
好奇の視線を前に居心地悪そうにしている彼が容易に想像できて、明日香は一人苦笑してしまう。人の前に立つのは不得手だったはず。
そして、出欠確認に続いて、諸連絡を終えると及川は茶目っ気のある笑みを浮かべた。そして、皆が待ち望んだ言葉を放った。
「皆もう知ってるかな? 今日は最後に素敵なお知らせがあります」
教室内にざわめきが走る。いよいよか、とでも言うように喧騒が興奮と好奇を帯びている。
事情を一から十まで知っていて、他の人より少なからず冷静でいられている明日香から見れば、思わず身を竦ませてしまうほどの騒がしさだ。
それが一度収まるの待ってから、及川が続ける。
「今日から、このクラスに編入生の子が入ってきます。ちょっと変な時期だけどね」
またざわめき。三つ隣のクラスまで響いているんじゃないかと思うような大音響。
その中で、一人の女生徒が興味津々といった表情で挙手をした。
「花チャンせんせー。編入生、帰国子女ってホント?」
「ホントよ。編入試験の時なんて凄かったんだから。英語、百点満点」
おお、と感嘆の声が響く。その様に気を良くしたのか、及川は笑みを深めてから、扉の方へと視線を向けた。
「それじゃあ、入ってきて」
呼びかけに応じるように、引き戸が開いた。そして、今朝からこのクラスの話題を纏めて攫っていった張本人が姿を見せた。
級友全ての視線が彼に突き刺さる。その中で明日香は思わず感嘆の吐息を吐いてしまった。
集中する視線に微かに動揺した様子を見せる宗太。彼はその身にこの学校の制服である紺色のブレザーだった。
ナイーブで儚げな顔立ちに、深い色が良く似合う。幼馴染としての贔屓目もあるだろうが、制服姿の宗太はなかなかいい男だった。
もっとも、ズボンをスカートに入れ替えてやれば、それも途端に『いい女』へと変貌を遂げることになるのだろうが。
僅かな緊張を見せた宗太だったが、瞬時にそれを収めると及川の導きに従って、教壇の前まで歩んできた。そして、予想外に平然とした表情で明日香達新たな級友の方を見据える。
「えっと、今日から編入してきた、上谷宗太っていいます。よろしくお願いします」
短くそれだけ言ってから、ペコリと頭を下げる。すると、横から及川が言い添えた。
「さっきも言ったけど、彼は帰国子女で、ちょっと前まではイギリスで暮らしていたの。色々と不便なこともあるだろうから、皆手を貸して上げてね」
パラパラと拍手が響く。好奇の視線が幾つも宗太に突き刺さった。それに、どこか作ったような愛想笑いを浮かべて応じている。
その様子に明日香は微かな違和を覚えた。どうにも、彼らしくない。
決して不器用ではないけれど、人の前に立つのは得意ではない。少なくとも、あんなイミテーションの笑みを浮かべられるような計算高さは持ち合わせていない。
少なくとも、二年前まではそうだったはずだ。
「成長したってこと……かな?」
周りには聞こえないくらいの小さな声で呟く。すると偶然、宗太と視線がぶつかった。
笑顔から一転、驚いたようにを見開く表情の宗太。一瞬前の愛想笑いとの落差がおかしくて、小さく笑ってしまう。
やっぱり取り澄ましていても宗太は宗太だ。そういう風に思える。
そうすると、ふと小さな悪戯心まで湧き上がってきて、軽く手を振ってみた。途端に、宗太の表情があからさまに動揺した形になる。
すると、宗太に向けられていた視線の幾つかが明日香の方へと移るのが感じ取れる。ふと同じクラスの親友の反応が気になって、チラリと視線を斜め後方に向けてみた。千秋は期待通りの驚いた表情で、宗太と明日香の間に視線を幾度も巡らせていた。
また、驚いたような反応を見せるのは、宗太の横に立つ及川も同じであった。
「宮代さん、彼とお知り合い?」
首を傾げて、及川が尋ねてくる。級友の視線の全てがこちらに移る気配がする。明日香は首肯しながら、小さく笑んで、そして誇らしく答えを口にした。
「幼馴染、です」
誰かがピュー、と口笛を吹く。いいなぁ、とか、羨ましい、とか、そんな呟きもあちらこちらから聞こえてきた。
イギリス帰りの編入生と、たまたま同じクラスにいた幼馴染の女の子。クラスメートは各々、頭の中で壮大なストーリーを組み上げているのだろう。明日香自身、今の自分達の状況が少女漫画かドラマめいていると思うくらいだから。
明日香の言葉を受けた及川は納得したように頷くと、考え込むように顎の辺りに手を添えた。そして、数秒の間を空けて唐突に頷くと、宗太へ笑顔を向ける。
「なら、宮代さんと席が近い方がいいかしら。そうね……じゃあ、悪いけど三島さんから後ろの席の人、一つ後ろにずれてくれる?」
現在のこの教室の席順は縦五列、横七列に男女混成の出席番号順で並ぶ形だ。このクラスは三十四人編成だったので、窓際最後列が空白となる。
そこに割り込む形で宗太を明日香の後ろに配置するというのだ。指示を受けた生徒達は皆、何処か楽しそうに返事をしてから、席一つ分ずつ後退していく。
そうして空いた自身を迎える席を見て、宗太は余計なことを、とでも言いたげに顔を歪めている。だが、からかうような視線を受けて諦念したように溜息を零すと、重い足取りで空席へと向かい、崩れるように着席した。
先の澄ました作り笑いは見る影もなく、何処か疲労が見える幼馴染の顔に、明日香は振り向いて微笑みかけた。
「よろしくね、ご近所さん」
「ん……ああ」
元気のない返事。ここ数日で思いのほか疲れていたのかもしれない。よく見れば顔色もあまり良くなかった。
これは色々、面倒見てあげなくちゃ、と。
この時はそんな風に思った。
連盟日本支部第二百七十七地区詰所。
御鏡市のお隣、鬼頭寺市のオフィス街の一角に構える雑居ビルで、神代慶介は専用のデスクに向かっていた。
五階建ての雑居ビルの中で、神代が班長を務めるロ班に割り振られた専用のオフィス。現在、部下の殆どは早めの昼休みで出払っていた。
神代は班長として、単身仕事中――というわけでは、勿論全くない。
雑多に物が散らばるデスクの上には電源のついたパソコン。そこにはやたらと目がでかく、カラフルな頭髪を備えた少女達のイラストが表示されていた。
所謂、大きなお友達向けのサイトである。現在、業務用パソコンの私的使用の真っ最中であった。
この後、恋愛シュミレーションゲームの攻略サイトをチェックするのが普段のお決まりのコースである。といっても、丸っきりサボタージュの真っ最中というわけでもない。
『ですから、行方不明者の殆どは御鏡市か相生市の住人ですね。多分、相手もその辺りに潜んでるんじゃないっすか?』
耳に当てた携帯電話から聞こえてくるのは、最も信頼する部下の一人であり、そうであるが故に昼休みをお預けにされている大学生魔術師、西条明久の報告である。
「その辺りとなると、やっぱり御鏡市の廃工場地帯ですかねぇ? それとも、相生の海岸か。どちらにしろ無駄に広いですから、調べるとなると骨が折れますねぇ」
『骨を折るのはどうせ、俺か東海林さんでしょうが』
「適材適所ですよ。天子さんや相馬さんは探索向きの術者ではありませんし」
『神代先輩だって、その辺の心得はあるでしょ?』
「司令塔は後ろの方で偉そうにドーンと構えておくものだと、何かの少年漫画で言っていましたよ。私も実に同感です」
サボりたいだけじゃないっすか、それ! と、呆れ混じりの怒声が飛んでくる。カラカラと笑ってそれを受け流すと、電話の向こうで諦念したような溜息が聞こえてくる。
洒脱と粋人が神代の信条だ。こうして、面倒はスマートに受け流すのがライフスタイル。
付き合いの長い部下としてそれをよく知っている明久も、切り替えは早い。多分に呆れ混じりの声音ながら、すぐに事務的な話に持っていく。
『東海林さんともさっき連絡を取りましたけど、そっちの意見も神代先輩と似たようなもんです。ただ、どっちかと言えば廃工場地帯の方が有力だと思ってるらしいっす』
「ほほう、理由は?」
『数値的な根拠があるわけじゃないけど、相手の性格を考えたら、近くから標的を観察してる可能性が高いって言ってました。遠見の術を使うにしても、精々街一つを監視するのが限界でしょうし』
「なるほど。流石は我等が副班長。鋭い読みですね。では、捜査方針もそれでいきましょう」
頷きながら、神代はパソコンの電源を落とすと、重い腰を上げた。
要らぬ手間は省く。しかし、必要な時は躊躇いなく動く。それもまた神代の信条である。
すると、電話口で西条が尋ねてきた。
『にしても、いいんすか? 魔神の子には全権を預けるって言ったんですよね』
神代の命で彼が探しているもの。それは宗太が目下捜索中のフラウの行方であった。
確かに、神代は全権を宗太に預けると告げた。そこは明久の言う通りである。だがしかし、そこには本人には告げていない、神代自身の思惑があった。
「まあ、直接手を下さなければ問題ないでしょう。彼は探索系の魔術には明るくないようですから、いざという時に提供する情報は必要ですしね」
『だったら、そもそも委託なんかしないで、俺達でけりを付けた方が早いんじゃないっすか?』
至極当然の疑問が返ってくる。相手は危険度B+のそこそこ上等な魔物とはいえ、その程度ならロ班の戦力で充分対応できる。勿論、民間人の人質を取られないという前提条件が付くが。
にも拘らず、宗太に全権を委ねると言ったのは見定めたいものがあったからだ。
「確かに、今回のことだけ考えるならそちらの方が効率的でしょうね。ですが、御神楽率いる《堕天の園》の来襲の可能性を考えますと、確認しておかなければならないことがありまして」
『というと?』
「覚悟の程、というわけでもありませんが、彼がどの程度、御神楽の関係する事件に入れ込むか、というのを見てみたかったんですよ」
言いながら、椅子の背もたれにかけていたスーツの上着を羽織る。後は五階にある霊装の保管庫から、愛用の武具を持ち出せば準備は万端だ。
「お姉さんのことがあり、特異な才を持つとはいえ、彼自身は普通の学生です。平穏への憧れも、普通の学生生活への未練もあるでしょう。或いは本人の無自覚なままに」
オフィスのドアを開き、階段を昇りながら、今朝方白領高校を訪れたことで確信を得た事実を口にする。
「言い方は悪いかもしれませんが、彼は釣でいうところの疑似餌のような役割です。臆しや迷いがあれば、当然御神楽はそこを突いてくる。憂慮の芽はなるべく摘んでおきたいんですよ」
『……やっぱり気分悪いっすね、こういうやり方は』
普段よりも大分暗い声で明久が呟く。
神代は思わず苦笑してしまう。何だかんだで性根の真っ直ぐな青年である。こういう姦計じみた真似は道徳心に反するのだろう。
若いな、と思うが同時に好ましい。自分のような人間に対して、彼のような存在がある方が組織のあり方としては健全だ。
「確かに、私としても気持ちの良いやり方ではありませんが、一応彼との利害も一致していますから。それに、きちんといざという時の備えもしましたし」
『備え?』
「まあ、とりあえず私に任せておいて下さい。彼にとっても私達にとっても、悪いようにはしませんよ」
『そこまで言うならまあ、俺は構いませんけど……』
それきり、電話の向こうからの追及は止んだ。とりあえず、信用してくれるということだろう。
しっかり指示通りに動き、肝心要のところでは自分を信頼してくれる。なんとも、上司冥利につきる優秀な部下であることか。
「それでは、これから私も捜索に移りますので、これで。明久さんも適当なところで切り上げて昼休みに入って構いませんよ」
『了解しました。それじゃあ』
その会話を最後に通話が終わった。携帯電話を懐にしまうと、丁度保管庫の前に到着する。
扉を開き、薄暗く黴臭い室内に入ると、自身を鼓舞するように呟く。
「それでは、小ずるくコソコソと動き回るとしましょうか」
……展開、進まないなぁ
この章、あと五回くらいで終わらせるよう、努力いたします。