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12.役目

試験で投稿が大幅に遅れてしまいました。申し訳ありません!



 けたたましいアラーム音が朝を告げる。

 まだ半分眠ったようなおぼろげな意識で枕元を探り、何度か空振りを繰り返してから、宗太は目覚ましを乱暴に叩いた。

 途端に室内は水を打ったように静まり返る。そこにベッドの心地良い柔らかさが相俟って、すぐに再びの夢の世界へ落ちそうになる。両頬を数度引っ叩いて意識を無理矢理現実に引き戻すと、ベッドから起き上がった。

 そこで一つ、大きな異変に気付く。

 ベッドと洗面台、そして最低限の照明器具が据えられているだけの狭い室内。寝惚け眼でそれらを見回すと、この場所が自分の部屋でないことに気付く。


「……あれ?」


 何処だ、ここ?


 首を傾げた時、不意にカタンカタンと耳障りな雑音が何処からともなく響いた。何気なくベッド横の窓を見やれば、高架線を電車が走り抜けている光景が目に映った。

 それをぼんやりと眺めながら、宗太は漸く、ここか白領高校の最寄り駅、武倉たけくら駅前のビジネスホテルだということに思い至った。


「ああ、そっか……」


 髪をグシャグシャと掻き毟り、寝惚け気味の頭に喝を入れる。そうして、昨日の午後の出来事を思い出した。


「何にも、見つけられなかったんだよな……」


 昨日、リゼリアとの電話を終えて、連盟へ連絡を取った後、宗太は昼食を摂る暇すら惜しんで、フラウとの遭遇の場でもあるこの町、武倉へ捜索に乗り出していた。

 肉体強化をかけた体で町中を走り回って手がかりを探し、聞き込みを重ね、その上不得手なタロットカードでの占術まで駆使した捜索も結果は芳しくなかった。

 夕方頃に一旦帰宅し、今日のための着替えや荷物を取りに行った以外は、午後の殆どを捜索に消費したものの、明確な手がかりの一つも見つけられなかった。

 結局、夜中の二時になってから捜索を一時中断。警察の補導を警戒しつつ、拠点としてチェックインしておいたこのビジネスホテルにスゴスゴ退散するという情けない結果に終わった。

 そこまで思い出すと、鉛のような疲労感と無力感が重く体に圧し掛かった。

 連盟よりも先にフラウを見つけ、御神楽の情報を吐かせた後に討伐。それが宗太の今回の最終目標だ。

 だが、逸る気持ちを逆撫でするかのように、現状は最悪と言っても過言ではなかった。

 相手は半世紀以上も連盟から逃げ果せている狡猾な魔物。対して、宗太の魔術はその殆どが戦闘向きで、索敵や探知には不向き。

 その分、気合と根性でカバーしてやる! と、鼻息荒くしてみたものの、結果はついてこない。無力な自分が心底情けなかった。

 嘆息を一つ零す。そして、家から持参してきた目覚し時計に目を向けると、そろそろ出掛けなければならない時刻だと気付いた。


「……行くか」


 立ち止まっても意味は無い。今はただ、進むのみ。

 パン、と再度両の頬を叩く。独りきりの部屋に、乾いた音がひどく空虚に響き渡った。






 朝食代わりの菓子パンを齧りながら向かった先はまだ登校した生徒も殆どいない、静かな白領高校だった。


『明日の七時半に、理事長室までお越しください』


 昨日掛かってきた編入試験合格を告げる電話を受けた際、受話器の向こうからそんなことを言われた。

 何でも、今日からいきなり、普通の生徒達と同じように授業を受けることになっているらしい。朝早い時間を指定したのは、その前に理事長が宗太と会いたがっているからとのこと。

 正直、面倒なことこの上なかったが、流石にすっぽかすわけにもいかない。

 そういうわけで訪れた白領高校。現在、宗太は事務員に案内されて辿り着いた理事長室の前で、長い逡巡に陥っていた。


「…………帰りたい」


 内心が思わず言葉に出てしまう。

 何せ、目の前の扉の向こうにいるのはリゼリアをもってして『変人』と言わしめ、更には変人揃いだと専ら噂の魔術師の学会を放逐されたという変人の中の変人なのだ。

 ただでさえ、ここ二年で常識という言葉の意味を知らない変人の知り合いが増えているというのに、故郷に帰ってまでその記録を更新したくはなかった。

 もう、本気で会いたくない。今すぐダッシュで帰りたい、のだが。


「……そういうわけにもいかないか」


 一応、相手はこの中途半端な時期に態々編入試験をセッティングしてくれた恩人なのだ。顔を合わせないというのは、不義理が過ぎる。

 溜息一つで諦めて、宗太は仕方なく決意を固めた。死地に赴く騎士にも似た覚悟を以って、強く目の前の扉をノックする。

 どうぞ、と扉の向こうから若々しい男性の声が聞こえると、ゴクリと唾を飲み込んでから、そっと扉を開いた。


「失礼しま……す……?」


 扉の向こうは異世界だった。

 そんなファンタジー小説のキャッチコピーみたいな一文が入室した宗太の脳裏を過ぎった。

 原因は二つ。一つ目は天井からぶら下がるシャンデリアや、壁に嵌めこまれたステンドグラスといった、まるで豪邸のダンスホールのような絢爛っぷりを見せ付ける内装。

 そして、二つ目は壁際やアンティーク調の飾り棚などに据えられた珍妙な品々達の存在だ。例を挙げるなら、八本脚の馬を模した鋼の彫刻、ヘリのローターにも似た金属製の巨大竹とんぼ、ビールジョッキほどもあるビーカーの中で燃え盛る紫色の炎、等等。

 貴族の邸宅に混沌カオスを持ち込みました、と言われれば納得してしまうような珍妙な内装に、宗太はあんぐりと口は開いて呆気に取られる。

 そこに、宗太を部屋へ招きいれたのと同じ声が響いてきた。


「やあ、こんな朝早くから呼び出してすまないね。歓迎するよ、上谷宗太君」


 若々しく、それでいて知性を感じさせる深みを備えた、男性の声。

 見れば、ステンドグラスの前に置かれたロッキングチェアからスーツ姿の人影が立ち上がるところだった。

 ステンドグラスから差す朝日の逆光で顔立ちは判然としない。だが、シルエットを見る限り、かなり小柄な人物がスーツを纏っているようであった。身長は百六十センチにも満たないだろう。

 人影は優美な足取りで宗太へ歩み寄りながら、言葉を続ける。


「僕がこの学校の理事長、川野花道かわのはなみちだ。今後ともよろしく。ああ、そうそう、こんな名前をしているがね、別にバスケットボールには興味はないよ。寧ろ、恥ずかしながら体力は人並み以下でね。大の運動嫌いなんだよ」


 冗談混じりの自己紹介は実に友好的かつ紳士的な雰囲気を醸し出していた。だが、しかし、理事長を名乗る人影が、己の三メートル圏内まで近づいてきた時点で、宗太はその自己紹介に耳を傾ける冷静さを失っていた。

 何故なら、室内に差し込む朝日の届く範囲から彼が出た瞬間、その顔を直視してしまったからだ。

 といっても、別に息を呑むほど秀麗な容姿だったわけでもなければ、言葉を失うほど醜悪な顔立ちをしていたわけではない。

そもそも、美しいとか醜いとか、そういう言葉で分類できる顔立ちではなかった。そういう評価を下すべき対象が存在しないのだから。

 先ほど以上の驚愕に任せるまま、宗太は目の前の人物を表すに一番相応しい単語を、半ば無意識の内に叫んでいた。


「の、のっぺらぼう!?」


「おお、期待に違わぬ反応だね。うん、こちらとしても、そこまで驚いてもらえると嬉しいよ」


 笑い声の混じる声音で言いながら、しかし理事長の顔はまったく笑っていなかった。それ以前に、表情が存在しない。

 男性にしてはやや長い前髪が掛かる顔面には目も鼻も口も眉も存在しなかった。ただ丁寧にやすりをかけた木材のような、のっぺりとした滑らかな肌があるだけだ。

 その姿はまさに妖怪、のっぺらぼう。

 どんな変人と対面しても絶対に取り乱さないぞ、と身構えてはきたものの、これはいくらなんでも変化球過ぎる。というか、せめて人間に出てきて欲しかった。結構な数の変人と知り合ってはいるが、皆一応変『人』ではあったのだから。

 といった具合に、宗太が自己紹介に対して挨拶を返すことも忘れて呆然としていると、理事長はのっぺりとしたその顔面に右手を添えた。


「とはいっても、さすがにこのまま話し込むのも失礼だね。数秒、待ってくれたまえ」


 そして、ボールを強く握るかのように、本来なら鼻のある辺りに当てた掌でグッと顔面を握り込んだ。

 すると、途端に何の凹凸もなかった顔が波打つように隆起し、やがて人間の目鼻の形へと安定していく。

 まるで、幼稚園児の粘土遊びのような不気味な光景に宗太が目を見開いている間に、のっぺらぼうだった理事長の顔は知的な雰囲気の美青年へと変貌を遂げた。


「これも本当の顔ではないんだがね。色々と事情があって、素顔を晒すわけにはいかないんだ。仮面を被って対話する無礼、許してもらえるとありがたいな」


 言いながら、理事長はまるで女性のように華奢で、シミ一つない手を差し出してくる。


「それでは改めて。この学校の理事長を務めている、川野花道だ。我が校の生徒として、君を歓迎しよう」


「上谷宗太です。編入試験のこととか、本当にありがとうございました。こちらこそ、よろしくお願いします。あと、その……さっきは取り乱してしまって、すいません」


 差し出された手を握りながら、感謝と謝罪を口にする。すると、理事長は鷹揚に首を横に振った。


「いや、構わないよ。大いに取り乱してもらうために、あんな顔で迎えさせてもらったんだからね」


 大人びた茶目っ気のある、それでいて子供のような無邪気さを備えた笑みを見せる理事長。その表情は先ほどまでのっぺらぼうだったとは思えないほど、豊かな精彩が覘いていた。

 その落差に違和感を覚えつつも、宗太は頭一つ分ほど小さな理事長を見下ろして、オズオズと尋ねた。


「あー、あの、もしかしてさっきの顔って魔術で?」


「まあ、そのようなものだね。リズから、私が元錬金術師だったと聞いていないかい?」


 リズというのはリゼリアの愛称だ。彼の言葉に記憶を手繰ってみると、確かに昨日の電話でそんな話を聞いた覚えがあった。

 頷くと、さも楽しそうな表情を見せて、理事長は己の顔を指差した。


「これは《麗しの鉄仮面》という、私が作った霊装でね。装着者の思い描いた通りに顔立ちを変化させることができるんだよ。まあ、魔力を込めなければ、さっきのような、ただののっぺらぼうのお面だがね」


 言いながら、彼は壁際や飾り棚に据えられた珍妙な品々へ視線を向けた。


「これらも私が現役時代に作ったものだよ。まあ、役立たずの烙印を押されて、日の目を見ていないものが殆どだがね」


 そこだけ僅かな翳りを乗せた声音で呟いてから、理事長は廊下に面しているのとは違う、重厚な作りの扉を手で示した。


「さあ、色々と話したいこともあるし、隣の応接室へ行こうか。君にお客様もいることだしね」


「お客様?」


 いぶかしむ宗太に、来れば分かるよ、と告げて理事長は扉の方へ向かう。

 首を傾げながらも、その後ろについた。そして、理事長が扉を開くと、彼に続いて応接室へと入室した。

 理事長室よりは控え目ながらも、テーブルやソファといった調度品が高級感を感じさせる室内。そこで、見覚えのある顔がソファに座りながらティーカップを傾けていた。

 その人物は宗太の姿を見つけるや、立ち上がり、にこやかに挨拶の言葉をかけてきた。


「上谷さん、お久しぶりですね。先日は早速お電話を頂きましたようで」


「こ、神代さん?」


 キッチリと折り目のついた、仕立ての良さそうなグレーのスーツに身を包む理事長とは対照的に、くたびれた安物のスーツを纏って立っているのは連盟の魔術師、神代慶介だった。

 何故、こんな所にいるのか。『実は学生なんですよね、私』なんてオチは流石にないだろう。

 説明を求めて理事長に視線を向けると、彼は苦笑気味に答えた。


「君の来る五分ほど前に突然いらっしゃってね。本当ならお引取り願うんだけど、君に大事な話があるというから、特別にお通ししたんだ」


「昨日、一度自宅まで伺わせていただいたんですがねぇ。御留守でしたので、今日はこちらまで来させてもらいました」


「は、はあ……わざわざすいません」


「いえいえ、何のアポも取らずに伺ったのはこちらの方ですから」


 宗太の謝罪に鷹揚な態度で神代が応じる。相変わらず、胡散臭い笑い方をする人だなぁ、と失礼なことを考えつつも、宗太は続けて尋ねた。


「それで、大事な話っていうのは?」


「ええ、あなたの町の平和に関するひじょーに重要なお話なのですが」


 そこで一旦言葉を切って、神代は宗太の斜め前に立つ理事長へ視線を向けた。


「イレギュラーは私の方ですし、こっちの話はお二人のお話が終わってからで結構ですよ」


「すまないね、気を遣ってもらって」


 神代の言葉に理事長は笑顔で応じる。

本来の目的が理事長との対談だというのに、礼を失した態度だったかもしれないと、宗太は僅かばかりの気まずさを覚えた。

 理事長の方はそれを特に気にした素振りも見せず、神代とテーブルを挟んだ対面にあるソファを手で示した。


「とりあえず座りたまえ。色々と準備するものがあるからね、紅茶でも飲んで待っているといい」


「あー、はい」


 促されるまま着席すると、理事長が優美な所作で指を鳴らした。すると、応接室の隅に置かれていた棚の戸が勝手に開き、中からティーポットらしきものがテーブルの上まで飛んできた。

 ティーポットと素直に言い切ることが出来ないのは、その物体がティーポットにあるまじき特徴をいくつか備えていたからだ。

 まず、羽が生えている。天使の羽を可愛らしくデフォルメしたような、純白の羽だ。

 そして、手も生えていた。針金の先に手袋を引っ掛けたような、やたらとアンバランスな腕がポットの左右から生えており、そこにティーカップと茶葉が入っていると思しき缶を持っている。

 何だこれ、と疑問の目で宗太が見下ろすと、ポットらしきそれはいそいそと紅茶を淹れ始めた。

 自分の頭の上にある蓋をひょいっと開けると、中には予め沸かしておいたと思しき湯が入っている。そこにパッパと缶の中の茶葉を投入すると、三分ほどジッと動きを止めてから、ティーカップの中へ琥珀色の紅茶を注ぐ。そうして、一連の動作を終了すると、宗太へペコリとお辞儀して、元の棚の中へ戻っていく。


 え、いや、だから何、あれ?


 流されるまま、ぼんやりとポットらしき物体の作業を眺めていた宗太だが、彼(?)が淹れていったお茶を眺めて、頭上に疑問符を浮かべる。


「あれは人工付喪神つくもがみポットン三号といってね。アンティークのポットを私が人工的に付喪神化させた品だよ」


 付喪神とは主に日本で見られる妖怪の一種だ。

 九十九神と書く場合もあり、器物が年月を経て魂を経た存在だ。唐傘に脚やら口やらが生えた唐傘お化けや、提灯から舌が生えた提灯お化けなどが有名所で、鳥山石燕の百鬼夜行図にも登場する日本で最もメジャーな妖怪である。

 物を粗末にする人間に復讐する魔物とも、逆に自身を大切に扱ってくれた持ち主に礼を述べに来る精霊とも言われ、西洋にも幾つか似たような存在が確認されている。

 可愛いだろう、と自慢げに胸を張る理事長に、宗太はリゼリアから言い含められたある言葉を思い出した。

『変なもんばっかり作ってて』

 確かに、日々魔物や違法魔術師に対抗すべく、様々な霊装を研究、開発している学会にこんな物を提出しようものなら、お偉いさんはぶちぎれるだろう。まあ、便利といえば便利だけど。

 それと、一号と二号の行方が微妙に気になる。


「さあ、飲んでみたまえ。本場イギリスの味にも劣らないはずだよ」


「は、はあ……」


 急かされるまま、ティーカップを口元に運ぶ。すると、独特のメントールの香りが鼻腔をついた。

 数秒その香りを楽しんでから、カップを傾け、まずは一口。途端、宗太は戦慄する。


………………やるな、ポットン。


「ウバですよね、これ。すごく美味しいです」


「気に入ってもらえたなら良かったよ。それじゃあ、私は荷物を取ってくるので、少し待っていてくれ。お代わりが欲しければ、ポットンに言ってくれればいいよ」


 そう告げて、理事長は理事長室へと消える。

しばし、ポットンの淹れてくれた紅茶を楽しんでいた宗太だったが、ふと向かいに座る神代のティーカップの中身が殆ど減っていないのを見て、何気なく尋ねた。


「神代さんは紅茶飲まないんですか?」


「ええ。正直言いますと、こういう繊細なものは味の違いが分からないものでして。日本茶ならまだマシなんですがねぇ。上谷さんの方は?」

「あー、俺は向こうに居た頃、よく師匠が修行終わりにミルクティーとか淹れてくれたんで、そこそこ……淹れ方教わってからは、自分で淹れたりもしてますけど」


 そんな取りとめもない雑談を交わしていると、やがて隣の部屋から段ボール箱を抱えた理事長が現れた。小柄な分、両手で持ち上げている段ボールがやたらと大きく見える。

 それをテーブルの上に置くと、理事長は宗太に向き直って、言った。


「まず、これが制服や教科書なんかの学校生活に必要な物品だよ。リズから、君の服のサイズについては聞いておいたから、多分大きさも問題ないだろう」


「何から何まで、すいません。ありがとうございます」


 礼儀上、立ち上がって深く頭を下げると、理事長は気にしなくていい、とばかりにひらひらと掌を振る。動作の一つ一つがいちいち優雅な人である。


「とりあえず、後で今日必要な物だけ箱から抜いておいてくれたまえ。残りは自宅に郵送させてもらおう」


 それから、理事長は段ボールの上に重ねてあった数枚の書類を宗太に手渡した。


「これは環境調査書や保険調査表なんかの必要書類だよ。本来なら、保護者の方の印鑑が必要だけど、君は自分で押してくれればいい。それと、写真が必要なものも何枚かあるから、暇な時にでも撮影に行って欲しい。なんなら、安く撮ってくれる場所を紹介するけれど?」


「あー、いえ、大丈夫です。武倉の駅前で写真屋、見かけたんで」


 昨日、捜索の際に見て回った光景を思い出しながら答えると、理事長は頷いてから神代へと視線を転じた。


「まあ、僕の方の必要な用事はこのくらいかな。本当は君のイギリス時代の話を色々と聞きたかったんだが、後がつかえているしまたの機会にしよう」


「すいませんねぇ、お邪魔してしまって」


 少なからず皮肉めいた理事長の言葉をサラリと受け流し、神代はその胡散臭い笑みを宗太の方へ向けた。


「さて、それではちょっとばかり堅苦しい話を始めましょうか」


 言いながら、神代は足下に置いてあったブリーフケースから、十枚ほどの書類を取り出して、座りなおした宗太へ渡した。


「昨日、お電話をいただいた時に聞いた話では『道化のフラウ』は御神楽の命令であなたを狙っている、ということでしたね?」


「はい。フラウが自分で言ってたことなんで、完全に信用できるとは言い切れませんけど、多分」


 確認するような神代の問いに答えながら、宗太は書類に目を通す。

 先ほど理事長に渡されたものと似たようなそれは、一番上に『治安維持活動民間委託書』と表記されている。


「我々の見解としましても、恐らくフラウを差し向けたのが御神楽だというのは事実だろうと思っています。というのも、最近になって……」


 そこで一旦言葉を切り、神代は宗太の顔色を探るような目を向けてくる。

 そして、ふぅ、と似合わない物憂げな溜息をついてから続けた。


「最近になって、また御神楽がそこら中で悪事を働くようになりまして。また再び、あなたを狙う可能性も決して低くはないんです」


「…………俺を、ですか?」


「ええ。二年前、御神楽があなたを襲ったことと、あなたの才能とが無関係とは思えないわけです。イギリスにいた頃はリゼリア氏の保護下にあるあなたに、簡単に手出しは出来なかったのでしょうが、単身で日本に帰ってきたとなると、奴には絶好の機会ですから。狙いが何なのかは読めませんが」


 そこでまた、神代の視線が宗太を探るようなものに変わる。その視線の理由はなんとなく理解できた。

 見極めようとしているのだろう、覚悟があるのかどうか。

 だから、宗太はそのまま、胸の内に荒れ狂うものを素直に表に出した。


「なら、好都合ですね」


 自分でも驚くほど、底冷えのする平坦な声で。


「向こうから来てくれるなら、殺しやすいですから」


 数秒、応接室を重い沈黙が満たした。

 正面の神代は内心の読めない表情で何かを思案しており、傍らに立つ理事長は何かを堪えるような表情で、唇を噛み締めている。

 そして、神代が再び胡散臭い笑みを浮かべたことで、沈黙は破られた。


「それは頼もしいですね。そこで、上谷さんにお願いしたいことがあるんですよ」


 そう言って、先ほど手渡した書類を指差した。


「連盟の任務には各地域の魔術的治安維持が含まれます。しかし、連盟に所属する魔術師の数に対して、世界はあまりに広い」


 そこで、と神代は胡散臭い笑みを一層深くする。


「民間の優秀な魔術師に、その治安維持活動を委託するシステムが連盟には存在します。今回、こうして私が訪れたのも、上谷さんにそのシステムを利用して、御鏡市、特に夕凪や武倉の周辺の治安維持をお願いしたかったからなんです」


「え、ってことは……」


「ええ。今回のフラウの一件も、当然上谷さんに全権を預けます。生憎と人材不足でこちらから人を提供することはできませんが、情報などに関しては上谷さんを全面的にバックアップする所存です。どうでしょう、お願いできますか?」


 願ってもない、都合の良すぎる話に宗太はポカンと間抜けに口を開け放って、神代の言葉を吟味する。そして、その意味するところを悟り、頷こうとしたその時だった。


「横から口出しすることではないだろうけど、気に入らないね。教育者としては」


「え?」


 厳しい声をあげたのは今まで沈黙を守っていた理事長だった。

 偽者の顔に明らかな敵意を乗せて神代を睨んでいる。当の神代といえば「あらあら」とでも言いたげな表情をしていた。

 一人、事態を把握しきれていない宗太を一瞥してから、理事長は言葉を続ける。


「要は彼を餌に使おうということだろう。彼が戦っている間に御神楽が関わっている証拠を見つければ、連盟に増援を要請できる。それが狙いかな?」


「……まあ、否定する気はありませんよ」


 緊迫した空気を発する二人の会話から、宗太は遅れて神代の狙いを察した。

 御神楽が宗太を狙ってくる可能性は極めて高い。それは神代自身が言っていた通りのことだ。そして、それが現実となった場合、御神楽の尻尾を掴むチャンスが巡ってくる可能性が高い。

 連盟としても、御神楽の存在は都合のいいものではないだろう。確実に御神楽が関わっている証拠さえ掴めば、リゼリアと同等レベルの手練を増援に送ってくるに違いない。

 まさに、宗太はそのための餌だった。


「彼は友人から預かった大切な生徒だ。そんなことに彼を利用する気なら私も、そしてリズも黙ってはいない」


「おお、それは恐ろしい。ですが、結局決定権は彼自身にあります。どうしますか、上谷さん?」


 流石に元魔術師といったところか、凄まじいまでの怒気を発する理事長。だが、神代は柳のようにそれを受け流すと、深い笑みを宗太へ向けてきた。

 数日前、宗太を連盟に勧誘した時と同じ、悪魔のような笑みを。

 二人が言い争う間に熟考し、出した答え。チラリと複雑そうな表情をする理事長へ申し訳ない思いで視線を向けてから、宗太はそれをはっきりと口にした。


「お受けします。御神楽を殺せるなら利用されるくらい、構いません」


「そうですか、いやぁ、助かりました。これで私達の仕事も――」


「ただし」


 一気に弛緩した様子で口を開いた御神楽に対し、宗太は鋭い声でそれを遮る。

 そして。


「あなた達の、連盟の思惑通りに動く駒だとは思わないでください。御神楽を見つけたその時は、俺はあなた達がどんな命令を送ってきたとしても、奴を殺します。刺し違えてでも」


 それだけは譲れない。

 魔術師、そして魔神、上谷宗太としての矜持の全てを以って、はっきりと告げた。

 応じる神代はその言葉に僅かに目を見開き、理事長は悲しげに宗太を見詰めていた。


「……それは、それは。おっかないですねぇ」


 おどけたように、しかし視線だけは鋭く、神代が宗太を射抜いた。


「ですが、共闘の相手としては、それくらいが丁度いい。いいでしょう、よろしくお願いしますよ上谷さん。川野さんも構いませんね?」


「……彼が決めた以上、第三者の私には口出しできないさ」


 理事長が渋々といった体で頷くと、神代は満足そうに笑みを浮かべた。そして、その表情をいつもの胡散臭い笑みに変えてから、一転しておどけた声で、宗太を見やった。


「それでは、晴れて同志となりました宗太さんに、二つほどプレゼントをお送りしましょう。受けとってください」


 そう言って取り出したのは黒い折畳式の携帯電話と、トランプくらいの大きさの一枚のカードだった。

 受け取ってカードの方を見やると、それは免許証だった。どこで撮ったものなのか、宗太の顔写真がプリントされており、生年月日の部分は今年で二十歳になるような虚偽の数字が記されている。


「あの、これは?」


「携帯の方は分かると思いますが、連盟との連絡用のものです。料金はこちらが持ちますし、多少なら私用しても構いません。それと、免許証の方ですが」


 そこで、ニヤリと悪人じみた笑みを浮かべる神代。


「未成年では入り難い場所や、出歩けない時間帯があるでしょう? そういった場合にうまく活用してください。あ、レンタルショップでHなビデオを借りるのに使っても結構ですよ」


「いや、借りませんけど」


 下らないボケに突っ込みを入れつつも、宗太は偽造免許証を見下ろした。

 確かに、これがあれば昨晩のように警察の目を気にして捜索するような不便な真似をしなくても済むだろう。まあ、犯罪臭がプンプンするけど、いざという時は連盟のせいにしておけばいいだろう。


「まあ、私の話はこんなものですかね」


「そうかい。なら、早くお帰り願いたいものだね」


 一気に神代への好感度ががた落ちしたらしき理事長が辛辣な言葉を漏らす。そして、宗太へと視線を向けると、一転、爽やかな笑みを浮かべた。


「上谷君、退屈な話も終わったようだし、ちょっと校舎を回ってみてはどうだい? この学校は広いからね、施設を色々と見ておいた方がいいだろう」


「あー、はい。じゃあ失礼します」


「ああ。八時十五分くらいまでに、一度ここまで戻ってきてくれればいいよ」


 理事長の提案に素直に頷くと、宗太は立ち上がり応接室を後にした。

 丁度いいと言えば、丁度いいタイミングではあった。とにかく、一人になりたかったのだ。

 神代との会話で蘇ってきた、憎悪の炎を消すために、一人になりたかった。






 宗太が去った後の応接室。未だソファの上で図々しくくつろいでいる御神楽を見下ろして、理事長は冷たい視線を寄越した。


「まったく、私の生徒に嫌な役回りを任せてくれたものだね。これだから、連盟の連中は嫌いなんだ」


「まあ、そう仰らないでください。私としましては、川野さんとも仲良くしたいのですから」


 昼行灯のような態度で笑う神代の態度が堪らなく不愉快だ。とはいえ、今の理事長の立場でできることがあるわけでもなく、溜息一つで怒りを飲み込む。

 この男と同じ部屋にいることすら不快で、理事長室に戻ろうとした。その時、踵を返した背中に声がかかった。


「ところで川野さん。彼のことどう思われますか?」


「……どうも何も、素直そうな良い子じゃないか。リズから聞いていた通りの子だったよ」


 それは彼が求める答えではないと知りながら、答える。


「そういう意味ではありませんよ。理事長ではなく、元魔術師としてのあなたに聞いているんです」


「……それを答えて、何か意味でも?」


「彼のため、と言えば答えていただけますか?」


 腹の内で何を考えているのか分からない、おどけた声。

 それに苛立ちを覚えながらも、理事長は小さく嘆息してから応じた。


「過ぎた力を背負わされた普通の子供。そういう風にしか見えなかったよ、私には」


「……やはり、そうですか」


 背後で神代が頷く気配がした。

 やはり。その単語に怒りが噴出すような感覚を覚えて、理事長は神代を睨む。


「分かっていて、彼にあんな役目を負わせたのか?」


「ええ。まあ、だからこそ、私も私の責任をきっちりと果たさせて頂きますがね。そこで、一つ川野さんに教えていただきたいことがあるんですよ」


 物憂げな、酷薄な、悲しげな、楽しげな。

 色々な感情が混ざった声で、神代は言った。


「リゼリア氏の――――」


今のところ、作者のお気に入りキャラベスト3は

一位、ポットン三号

二位、甘粕天子

三位、神代慶介

となっております。主人公やヒロイン、かすりもしていません。

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