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00.酒宴

趣味で書き始めたファンタジー小説です。割と滅茶苦茶な設定ですが、お楽しみ頂ければ幸いです。

 厚手のカットグラスを琥珀色の洋酒と氷が満たしていた。悩ましげに頬を染めた、燃えるような赤髪の女性が、勢い良くそれを呷り、飲み干した。

 甘ったるいアルコールの香りに、女性自身の肉感的な美貌が相俟って、室内の雰囲気は湿っぽく、妖艶な色を醸している。

だが、部屋の主である魔術師、ジャック・パレットの心中を占めるのは、女性の生々しい色気への興奮でも恍惚でもなく、ただ僅かな怒りを伴った呆れの感情だった。


「リズ、せめてもう少し味わって飲め。そんな飲み方では酒に申し訳ないだろう」


 普段は几帳面に整理整頓されている客間は、空の酒瓶が散らばり、場末の酒場じみた乱雑さを示していた。持久走をこなした後の水分補給並の勢いで飲酒する人間がいてこその惨状である。

 後片付けのことを憂いながら、ジャックはテーブルを挟んだ向かいの席に座る元凶を睨む。すると彼女、リゼリア・ガーラントは据わった目でジャックを射抜いた。


「っさいわねぇ。男のくせにみみっちいこと言ってんじゃないわよ」


 酔うと始末に終えないタイプの人間というのは、案外多い。その最たる例は、気の弱い子供なら聞いただけで泣き出すだろうと思えるような不機嫌な声と共に、アルコールで濡れた口元を袖で拭った。粗暴な仕草であるのに、それはどうしてか絵になる。

 美人は得だな。頭の隅で、半ば現実逃避のようにそんなことを考えつつ、ジャックは諦念の溜息をついた。そして、無駄と知りつつも、言葉を重ねる。


「いいや、今日こそ言わせてもらうぞ。君に付き合わされるこっちの身にも――」


「ヒック。ねぇ、これ空なんだけど。もっとない?」


 グラスの上で空の酒瓶を振りながら、リゼリアが尋ねてくる。酔いで濁った瞳に、ジャックの言葉に耳を傾けようとする意思は欠片も見当たらなかった。

 キレるな相手は酔っ払い。血の上りかけた頭の中で、何度もそう繰り返しながら、ジャックは平静を繕う。


「それで最後だ。我が家のアルコールは全部君の胃の中に消えた」


「はぁ? ったく、使えないわねぇ」


 消毒用のアルコールを顔面にぶちまけてやろうか。ジャックは一瞬、本気でそう思った。


「ち、丁度いいだろう。いくらなんでも飲み過ぎだったことだし、今夜はそのくらいにしておけ」


 口の端がピクピクと痙攣するのを自覚しながら言うと、リゼリアは不満げに唇を尖らせた。


「やーよ、飲み足りないし」


 言いながら、リゼリアはおもむろに自分のズボンのポケットに手を突っ込んだ。そして、クシャクシャに皺んだ細長いカードのようなものを取り出す。

 チェック柄の面に対し、表側だと思われる面には車輪のような絵が描かれている。それを人差し指と中指の間に挟むと、リゼリアは口の中で何かを呟いた。

 途端に、彼女の手の中のカードが青白く発光し、風化するように崩れて形を失っていく。そして、カードが完全に消え失せ、光が収まった時、リゼリアの手の中にはウィスキーの大きなボトルが握られていた。

 魔術。人間が神の域に手を伸ばさんと編み出した神秘の法にして、傲慢なる邪法。その一連の現象に、ジャックは呆れと共に口を開いた。


「空間跳躍系の術式か」


「せーかい。あたしん家からちょちょいっとね」


 度数の高そうなウィスキーをグラスに注ぎながら、リゼリアはこともなげに答える。その淡々とした態度に、ジャックの呆れは更に深まる。

 彼女の行使した空間跳躍とは、物理的に離れた距離にある物体を、時間と距離の概念を無視して手元に呼び寄せる術である。

 空間そのものを歪曲させる方式。対象を一度粒子まで分解してから電波のように飛ばし、再構成する方式。幻界やアストラル界といった異世界を経由させる方式など、様々な方式が提唱されているが、いずれの方法も緻密な術式構成と膨大な魔力を必要とするため、そう気軽に使用される魔術ではなく、当然ながらちょちょいっと行使できる魔術でもない。

 本来は複雑な魔法陣を描いた儀式場で、魔術師数人がかりで行使するレベルの魔術である。その超高等魔術にて、リゼリアは数キロ離れた自宅から酒を転移させたのだ。


「才能の無駄遣いだな。英国のプロメティウスの名が泣くぞ」


「泣かせとけばいいのよ、そんなこっ恥ずかしい二つ名は」


 何が面白いのか、酔っ払い特有の不可解なテンションでリゼリアはケラケラと笑う。そして、グラスに注いだウィスキーを舐めた。

 英国のプロメティウス。それは若干二十歳にして独自の魔術理論を確立し、その後現在に至るまでの五年間で魔術の世界にて多大なる功績を積み上げてきた大魔術師、リゼリア・ガーラントを指し示す勇名である。

 日頃は性格破綻気味なアルコール中毒者として近隣の酒屋に悪名を轟かせている彼女だが、ヨーロッパの魔術師にとって、彼女の名は畏怖と尊敬の対象なのだ。


「まったく。また酔い潰れた君を背負って、家まで送っていくような真似は勘弁だぞ」


 半ば諦観を抱きつつも、ジャックは一応釘を刺しておく。すると、リゼリアは心配無用とばかりに、大袈裟に手を振った。


「だいじょーぶよ。帰りはソータに迎えに来てもらうから」


「ソータ?」


 聞かない名だった。響きからして東洋人だろうか?

 首を傾げながら、ジャックは尋ねる。


「恋人か? 君に男がいるというのは初耳だが」


「ちっがうわよ、弟子よ。でーしー」


「弟子? 君が弟子を取ったのか!?」


 驚愕に任せるままに、ジャックは立ち上がってリゼリアの方へと身を乗り出した。酔った頭に声高の質問が不快なのか、リゼリアはグラスを傾けながらも眉間に皺をよせた。


「なによー。あたしが弟子取っちゃいけないの?」


「いや、そうは言わないが……驚いてな」


 取り乱したことを胸中で反省しつつ、ジャックは椅子に座りなおす。そして、気を落ち着けるために、先ほどから全く手を付けていなかった自分のグラスを呷った。氷が溶けて薄くなったバーボンが頭を冷やしてくれるが、それでも驚愕は消えていない。

 一定の水準を越えた有能な魔術師が弟子を取り、己の技術を教授するというのは魔術の世界ではそう珍しいことではない。だが、リゼリアはどれだけ多くの魔術師に平伏され、弟子入りを志願されても、一度とて首を縦に振ったことはなかった。

 人を育てるのには向いてないから、というのが彼女の談だが、ジャックは酒を飲む時間を弟子の育成に取られるのが嫌なだけだろうと確信している。

 そんなリゼリアが弟子を取ったというのだ。これは魔術の世界にとっても大ニュースである。

 一体、どんな心境の変化があったのか。思案に暮れるジャックの表情にその意図を悟ったのか、リゼリアは尋ねるまでもなく答えた。


「先月、観光がてら日本に行った時に見つけた子なんだけどさ。結構な才能があったのと、色々と訳有りみたいだったから、面倒見ることにしたのよ」


 説明するリゼリアの表情は何処か浮かない。

 訳有りという言葉が気になりはしたが、リゼリアが明言を避ける以上、おいそれと吹聴して良い内容でもないのだろう。話を逸らす意味も含めて、ジャックは適当な質問をぶつけた。


「歳はいくつだ? 随分若いような口ぶりだが?」


「今年で十四。あんたの所の《聖母》のお嬢ちゃんと同い年よ」


「そうか。まぁ、若者に学ぶ機会が与えられるのは良いことだ。しっかり育ててやるようにな」


「分かってるわよ。言われなくても」


 鬱陶しそうに頷くリゼリア。まるで、不真面目な学生が口煩い教師に説教されているかのような表情だ。

微苦笑でお茶を濁して、ジャックはまたバーボンを呷った。リゼリアに付き合える程度には酒に強いジャックにとって、薄まったバーボンはやや物足りなかったが、それでも喉を潤すには充分だった。

 そんなジャックをぼんやりと見詰めていたリゼリアが唐突に口を開いた。


「そういえばさぁ、あんたこの前、《聖母》のお嬢ちゃん連れてイタリアの方行ってたわよね?」


「ん、ああ。仕事でな」


 リゼリアの指摘する出来事を思い出して、ジャックは顔を顰める。あまり、思い出して愉快になるような話ではなかった。


「上から直々に指名されてな。金持ちの変態共に子供を売りつけていた魔術結社の連中を叩き潰しただけだ」


 強大な力である魔術を悪用する魔術師は決して少ないとはいえない。先月、ジャックが相手取った魔術師連中は、その中でも底辺に値する屑だった。

 紛争地帯で親を亡くした孤児や、ストリートチルドレンを暴力的な手段で『仕入れ』て、高額で売り飛ばす市場。痩せこけた年端もいかぬ子供達が暗く、湿った牢獄のような部屋に押し込められている様は憤りを通り越して、殺意を覚える光景だった。

 思い出すだけで、烈火のような怒りが腹の底から吹き上がる。無意識の内に強く握っていたグラスがピシリと悲鳴を上げた。

 そんなジャックの内心を知ってか、それとも暗い空気に流されることを嫌ってか、リゼリアが気の抜けた声を上げる。


「あーらら、大変ねぇ、正義の味方も」


「別にそうでもないさ。強行軍で出張ったおかげで、出荷直前だった子供達は救えたしな」


 ただ。

 胸に圧し掛かる重圧に吐き気すら覚えながら、ジャックは続く言葉を紡ぐ。


「あの子には、嫌なものを見せてしまったよ。ティーンエイジャーの女の子に見せていい光景じゃなかった」


 鬱屈としたものを吐き出すように言い切ると、残っていたバーボンを一気に喉に流し込む。叩きつけるように卓上に置いたグラスに、リゼリアが暗い面持ちで手元のウィスキーを注いでくれた。


「どうかしてるわよね、この世界は」


「ああ、どうしようもなく、な」


 頷きながら、グラスに口を付ける。仄かに甘い香りが漂うそれは、高価な酒なのだろうが、妙に水っぽく、味気なく感じられた。

 愚痴が肴では、美味しく酒を飲むこともできない。

 しばし、沈黙が場を支配する。二人は言葉なく、半ば機械的に不味い酒を呷り続ける。

 やがて、酔いが限界に達したのだろう。リゼリアの瞳から段々と活力が消えていく。そして、崩れるように卓上に頬を付け、弱々しく呟いた。


「あと四、五年もしてさ、あの子達とお酒が飲めるようになる頃になったら……」


 寝言のような、ささやかな声で。


「笑いながら、もっと美味しいお酒が飲めたらいいのにね」


 そうだな、とジャックが頷くよりも早く、寝息が聞こえてきた。

 ジャックは立ち上がると、パチリと指を鳴らす。すると、寝室の方から薄手の毛布が一枚、風に吹かれたかのように飛んできた。

 静かに上下する背中にそれをかけてやると、座り直し、再びウィスキーを舐める。


「不味い……」


 咽るようなアルコールの香りと共に、夜は更けていく。


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