渾濁(の悪) part.1
私達の街に巨大な樹と檻の結界が現れた日から蔓延し出した陳腐な奇跡、それに悪意を以て触れた者達の首魁が市役所の隅の小部屋に監禁していると情報が入りその被害者である女学生を連れて赴いた。
その扉にはプレートを剥がした後がありこの閉鎖的な空間に何の役割を与えられていたか私は知らない。
「だからその、アジテイト・・扇動役の人達の行動は本当に知らないんです、本当にそれ以上の事は言えないです、ごめんなさい・・」
扉の先は刑事ドラマの取り調べのシーンでよく見る殺風景だった。市役所の職員らしい服装をした三十代位の女性が鉄パイプの椅子に座らされて申し訳なさそうにしている、対面には金髪スーツ女(元男)のキララが大股を開けながら腰で座っている、威圧的だし腰に悪いので直すべきだろう。
「キララさん、連れて来ました例の女学生を」
一つ束の黒長髪を弄ぶ白衣の女(元男)のナグは結界内で人殺しを楽しむ集団、アジテイトの被害者でありながら同胞と疑われる少女に前へ立つ様に手招いた。
「君、随分とのこのことやって来たように見えるが大丈夫か?人殺しの仲間と疑われてる様だぞ」
「なんかライファって人があまり気にしなくて良いって言ってた、灯台下暗しだってさ」
「そう・・・・ところで君は偽名を考えて来たかい?まだならこんな感じにおじ・・おば、お姉さんが勝手に決めてしまうが」
平手が示す先は女性職員の名札、中の紙がマジックペンで修正され『サクラ』と書かれている。娘の好きなアニメか?
「シュイシュで良いです・・で、この女の人は誰?まさかこの普通の人生送ってそうな人がアジテイトのリーダー?そんなわけない」
「普通って何です?私には今日もがんばって働く夫と千葉の実家で遊んでるお利口さんの息子と娘がいますが?」
怒る所がそこなのかとツッコミはともかくキララの緊張感の無さからしてこの人がアジテイトの首謀者じゃないのは明確だろう。
「アジテイト?はともかく扇動役の責任者は防災安全課主任である私の命でした、結界がケンゲン?した時に市長からの指示で市民全員を市役所に集め暫く留まらせる様にと、課長と共に最初期から避難していた人達に有志を募って扇動役として各方角に向かわせました」
「しかしそこから音信不通になってしまい、私も消えた男性職員の穴埋めの為に留まるように指示されて今日に至ります・・」
嘘を吐いてる感じは無さそうだ、人柄も良性だし何も知らない計画に片足突っ込まされただけの一般職員Sだろう。
「へぇ、ずっと市役所に居たと・・じゃあ『ギフト』も知らない感じ?」
次の瞬間、シュイシュの顔が透明な液体に化けた。
「へ・・顔が水に!水が顔の形に?!」
そのまま身体を動かして液状の頭をしならせ振り回し始めた、とても長い髪の持ち主なので歌舞伎の毛振りを連想してると体勢を崩し液状の頭がサクラに直撃してしまった。
「ぎょえええ冷たい?!頭が無くなった?!」
勢い良くぶつかった為に液状の頭が破裂して身体はその流れのまま地面に突っ伏した、散らばった水は壁や床を濡らしたかと思えば倒れた身体の頸に集まって元の顔立ちを取り戻した。
「私のギフトはこんな感じ、貴方は?」
問い掛けへの返事は無い、目も口も開けたまま何も言わずに天を向いて脱力している。
「気絶してる・・」
聞きたい事がまだあるのに、と残念そうにシュイシュは呟く。するべきなのは反省だろう。
「一応、君たちが来るまでの間に情報は揃えておいた、顔写真・・遺体とバレない様に加工したやつを見せたところ、残りの扇動員はあと3人だろうと」
机上の筆箱から文房具を多数取り出すと机の真ん中に2Bの鉛筆を立てた、これが天檻樹。
続いて赤青鉛筆の赤い方が北を示す様に置いた後、市役所や彼等が巡って来た学校の概ねの位置を消しゴムやそのカバー、マジックペンのキャップで置き示した。
「私達が行ってないのはここら辺で、彼女もこっち方面に行った人の顔写真が無いと言っていた」
キララが指を指し示したのは市役所とは天檻樹を挟んで対面の所で、四隅が擦り減り鉛筆に充てられて黒く煤けた紙の栞が置かれていた。描かれている花模様が台無しである。
ハナバチ区、市役所から見て天檻樹の背後にある区。電車経由で徒歩で10分位だが結界内に電車は無いので市役所から樹を迂回するルートを取って車を走らせないといけない。
シュイシュは長い髪をベレーに触られているのを気に留めず外の景色を見ているが私には見知った街を車窓から眺めるのは飽きがくるもので、此方の窓からずっと見える巨大樹に対する話題を出す事にした。
「そう言えばキララさん達は天檻樹の破壊を目標にしてましたけど、それは進展してますか?全然話題に上がらないですけど・・」
「えっ貴方達あれ壊そうとしてるの?」
「まだ公にしてないが自警団の目標はアレの破壊だ」
割って入りキララが呟く。
「仮にあれが壊すとして何か手立てはあるの?ガソリンで引火させるとか?」
「それだと結界内の酸素がなくなる方が先だろうし何より天檻樹の破壊はギフトによるものじゃないといけない、ノコギリやら斧やら・・物理的に破壊出来る手段は試したがどれも歯が立たなかった」
「じゃあ簡単にあの樹を壊すギフトを願えば良いのでは?」
「科学的根拠を無視したギフトは生命負荷・・肉体に掛かる代償が凄まじいんだ、せめて破片一つ手に入れば『解析』も楽に出来るのだがな」
シュイシュの身体に関しては術者に負荷が飛ぶものと仮定すれば理に適う、と注釈を入れた。これに彼女はあまり腑に落ちない様子だったが、ギフトって案外不便・・と呟いてまた外を眺めてこの話はこれ以上発展しなかった。なので私の肩を枕にするベレーを目で愛でていたが信号待ちも速度規制も機能していない今の道路環境では目的地まで然程時間が掛からなかったようで。
「取り敢えずハナバチ区の道路看板は超えました、人が居そうな公共施設を目指しますよ」
15分足らずで例の地区に到着した様だ、言われた通りに人が集まりそうな場所を車窓から探していると
「あそこ火事の跡・・大きなグラウンドにあの遊具の配置から、元は小学校と体育館と言ったところかな?」
偶々走った道路の隣が全焼していた、シュイシュの予想通り確かあそこは第三小学校があった場所だ、この市に引っ越した際に旦那と二人でドライブして回ったからなんとなく憶えている。
「しれっと言ったが普通では無いな、今時の学校クラスの建物が黒焦げて跡形が無くなる程の火災なんて『ギフト』以外ではあり得ないだろう」
キララの言う通りこれは『ギフト』によるものだろう、そしてこれは明らかに人の悪意を孕んでいると察した、此処を皮切りに次々と全焼した建物の跡地を目の当たりにしてゆくからだ。
炎の魔の手は無差別に何やら何まで燃やし尽くしていた。
「これもアジテイトの仕業か、触れたものを発火させるギフトを持つ奴はすでに殺したはずだが・・・む、あそこのスーパーは燃えてない、が、駐車場で人が襲われている、二人組の女だ、アジテイトの残り人数と一致している」
軽薄な格好をした二人組が尻餅を突いて命乞いをする黒いビジネススーツの女性を見下している・・なんか私の視界にスーツ着た女性(元男性含む)が現れる割合高くない?
それはそうとスーツの女は走る車の音に、私達の存在に気付くと其方に向かって走っていった。
「向かおう!貴重な生き残りだ!」
「了解!?」
駐車場に荒々しく侵入、タイヤとコンクリートの悲鳴が響く車内でシュイシュは眼を見開いたまま先の景色を見ていた。ブレーキの衝撃も収まった矢先にシュイシュは誰より早く車から飛び出したかと思うと真っ先に彼女等へ右手を差し出した、拳銃に見立てている様だ。
軽薄な二人組の内、グラビアを飾れる程の肉体美をあられもない装いで見せつける女はニタりと不敵に口角を上げながら両手を挙げた。
もう一人、龍があしらわれたスカジャンにサルエルパンツ、右の一房だけ胸辺りまで伸ばした特殊な髪型をした背の低い黒マスクを付ける女は片膝付いたかと思えば右手首に吊るした布巾着の口に黒い手袋を嵌めた左手を突っ込んだ。
「そこの二人、それ以上動くな!」
頭に血が昇って思わず飛び出したシュイシュをキララは特に静止するでも無く隣に並び立った、ナグは車から降りず、ベレーも眉を寄せながら二人を真っ直ぐ見つめていた、私は死にたくないし乗ったままでいよう。
「た、助けてーー!殺されるーー!」
恰幅の良さでスーツをいじめている中年の女性は名前通りのタイトスカートの捲れようも気にせず此方へ走り出した。
「彼奴はたしか、自警団幹部の一人・・」
「そんなお偉いさんはいつも市役所の上の階で無駄な会議してるってキララさん言ってなかったっけ?」
「さぁ、行動派なんじゃね?」
恰幅の良い女性が助けを求めてなりふり構わず此方に走ってくる、あと数十歩の所でキララは彼女の顔を思い出した様で動揺し出した。
「さはr・・スズラン?!お前なのか!」
「ええそうよ!私を助けてええぇえああ?!!」
キララ達に向かって走っていたスズランと呼ばれた女は脚のもつれか走行フォームの脆弱さからか私達の方へ、車の方へ突っ込んでボンネットへ乗り掛かった。贅肉が豊富の顔をフロントガラスにへばり付かせて呼吸でガラスを曇らせながら・・笑っていた。
「皆車から離れろ!何かおかしい!」
キララの言葉の最中、私の身体は既にベレーを抱えて車から抜け出そうとしていた、願うだけで力を得る世界で得体も所以も知れない狂気ほど恐ろしいものなどないのだから。
「…いつ……一気……満」
ベレーの焦る声やシュイシュの動揺する声、それらを掻き消すスズランと言う女の絶叫、今この場で一番ささやかな呟きに気付いた時、絶叫だけがピタリと止んだ。
「あ・・あ・・・あーあ」
うわ言にも等しい掠れ音を口から発するスズランの背にいつの間にか潜り込んでいた背の低い女はその身より高く重いであろう肉体を黒い薄手袋を嵌めた小さな片手で軽々しくボンネットから引き剥がした。
地面へと力無く倒れたスズランの身体は次の瞬間、赤い炎に包まれた。衣服や肉体を瞬く間に黒く蝕んだかと思えばあっと言う間に鎮まってしまった、たった一行足らずの描写の中で燃焼の過程を終えてしまった。
「炎がそんなに激しく燃えるものかよ・・」
「そこの・・龍のスカジャンの子、今の炎はお前の仕業か?」
キララから問い掛けられたスカジャン女は狐の様に鋭くメイクされた眼で此方の一行を見回して黒い布のマスクを顎まで下げて小さな鼻と艶のある唇を露出させると
「・・・・・・」
口を開いた、開いただけで声は出ていなかった。バツの悪い表情をしながら振り向いて仲間であろう薄着の女に此方に来る様にジェスチャーをした、薄着の女はどこか面倒そうな態度で歩き出した。
「コイツとアタシの異能はそんなもんじゃねぇよ」
スカジャン女は強く頷いて此方一行の方を見た、さっきと同じ鋭い目付きだが数秒前より威圧感が和らいだ気がする。
「アタシ等はここら一帯の火事を消しながら元凶の女を始末したんだ、此奴が燃えたのはおおかた今際の際に異能が暴走して自分に還った結果だろ」
破れた衣類の布端を摘みながら黒焦げの死骸を恨めしく睨んだ薄着の女、伊達でこんな装いをしてる訳じゃないのか。
「お前等アジテイトじゃないのか?」
それ日本語で扇動だよな、薄着の女はスカジャン女が首を縦に振るのを待ってから口を開いた。
「アジテイトかもな、アタシ等大地震の時に車で真っ先に市役所に避難したら職員から勝手に避難扇動役のボランティアに任命されてな、後の奇々的状況の焦りに流されるまま避難勧告っぽいのをしたんだ、それで留まる人がいるのは想定内だったがアタシ等とその仲間が魔女だの殺人鬼だのって噂が出回り始めてよ、車で逃げ回ってたら火の手が上がり始めてて・・・それから時計の短針が二周して今に至る」
成程と一言吐いたキララは手を口に当てながら背後のナグと小声で話し始めた、シュイシュは銃に見立てた手の人差し指を下に降ろすが懐疑的な視線は外さなかった。
「人は殺してないの?」
「そこの焦げダルマが1人目だな、私達で殺した・・でも、現場を目撃してなくても他の扇動役が人を殺したって噂はどうにも信じれてしまうな」
「じゃあ他の奴等との繋がりは本当に何も無いの?」
「さっき言った通りだよ、そもそも生きてる世界が違うっての、大義名分をうそぶけば平気で人を殺してしまいそうな無気力な人間から⬛︎⬛︎みたいな声で独りでに叫ぶ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎まで・・・手帳は持ってそうだったかな」
徐に薄着女のボロ衣上着の首元を掴み引っ張ったのは目を見開いたスカジャン女、拳を握っておりそれを彼女に目掛けていた。
「待てってロンロン!アタシが悪かった!私の言葉遣いが悪かった!だからその拳を降ろして、な、互いのためだろう?」
彼女等が一悶着してる内にキララのナグの話し合いは既に終わっていて、キララは彼女等に耳を傾ける様促した。
「君達が流されるまま加入した避難扇動役は君達以外の者達が市民を殺して回っていた、いずれの者も尋問する前に殺害してしまったが・・市の職員に尋問したところ君達を除いて後1人残っている、君達には後1人の捕縛に協力して貰いたい」
「もし断るとどうなるのさ?」
ポケットから取り出したスマホ画面を見せ付け手招きするキララ、それは現場検証の際に遺体達を写した画像である。
眉を顰め見つめ合う2人、横から覗き見たナグすら同じ表情になった、多分私も。
「まぁ、他に道は無さそうだ、愛車は爆発したしその車に相乗りさせてもらうよ、良いよなロンロン」
スカジャン女、ロンロンは静かに首を縦に振った。薄着女は自らをリンドウと名乗ると足早に車へ向かった。
「あ、君達はハッチバッグ、荷室の方に向かってね、席無いから・・あとリンドウさんこれ羽織ってて」
ナグは自らのスーツを剥ぐとリンドウへ手渡しに行った。感謝の言葉を述べそれを羽織って車の背後に向かう際に
「無動の70、黒⬛︎首・・」
とリンドウが呟くのを聞き逃さなかった事がとても嫌なので忘れる事にした。
あとがき
避難扇動役アジテイトに関する考察
天檻樹の日の大地震発生から数日に掛けて市役所への避難扇動を目的として結界内に出没した者達。彼女等は2名を除いて数時間後狂ったかの様にギフトを行使し殺人を始めた。
彼女等の経歴は大学教授から市の職員、就労継続支援の受給者等と大きなばらつきがある。
これは地震後直ぐに市役所に避難した者に対して市の職員が有志を募ったからとされている。
何故凶行に走ったかは当時の証拠が少なく不明瞭であるが後に『調罪師』と呼ばれる正体不明の敵性ノルンによる洗脳と自警団は公表している。
避難扇動役は殺人を行わなかった2名を除いて遺体となって発見されておりこれはギフトを覚えた市民による報復とされている。
生き残った2名は同士討ちから逃げるのに必死だったと証言しておりその後自警団に入団している。
なお、アジテイトという呼び方は内輪間での呼称とも単純に英訳しただけとも言われている。
「市役所の近くの会社員やら飲食店の人やらが扇動役に選ばれてないの、不思議だね?」
「そもそも女性しか選ばれてない時点で察しと言うべきか・・・」