ブラン(ク)
黒い画面の向こうから聞こえるのはこれから始まる物語の主人公の独白。
興味本位で君の影を暴こうと、その背に纏わる影より暗い闇に触れた事を少なくとも私は後悔するだろう。
あの日は夏の湿気った雨曇りで、部屋干しをした後に日課のストレッチをしようとヨガマットに寝そべってワイドショーを見ていた。
たった今お腹の中を蹴った我が子の想像に胸を膨らませていた時、家が大きく揺れた。
その時はまだ大きいだけの地震だと思っていた、直ぐに停電が起きたのも水道が止まったのも副次的な物と思っていたが携帯が貴方に繋がらないどころか電波表示が圏外になり非常用のラジオが何も受信出来なかった所で不安になって玄関の扉を開けて外を覗いた。
自宅の周りは同じような家が連なっており、その中で私と同じ思考に陥った人達が集まって井戸端会議を始めていた。
そこまでなら大きな地震と不可解な現象で終わる事が出来ただろう。
近所の人達とは挨拶以上の交流が無かったので合流を躊躇っていた時、何処かで悲鳴が聞こえた。
右か左か、向かいの家の向こうか背後か、そうこう思考している内に悲鳴は何処からでも聴こえるようになった。
自分が何を呟いているかも分からない程の大音声に恐怖し急いで扉を閉じた、多少悲鳴は収まり安堵するも内股から生暖かい感触がジワジワと下へと伝って足裏まで浸透したのを感じ思わず床に視線を遣った。
オーバーオールの内股から血の泥の様な液体が今もなお溢れていた事に気が付いた。
痛みは全く無い、けれど此処から出ているものは此処にいるはずの・・お腹を触ると膨らみは無くなっており急激に萎んだ所為で弛んだ皮を強く掴むだけだった。
ーーお前から見て2時の方向、生体反応あり。
「了解、確認する」
ーー銃はなるべく撃つなよ、素材不足だからな。
「・・じゃあ娘に“桜”なんて持たせないでよ、自分で行ってよ」
私達が住む地域に突如現れた巨大な樹の不思議な結界に閉じ込められてから数日も経たない内に治安維持を目的に結成された自警団。
彼等は人員不足解消の為に入団希望者を仲介した者に好待遇を約束した、まんまと釣られた父は年端も行かない娘・・つまり私に行方不明者救出を騙った人攫いをさせている、なんてとばっちりな状況だろうか。
「すみませーん、どなたか居ませんかー?」
インターホンによる呼び鈴にも大声にも反応は無い。人命の危機の可能性、と言う曖昧な大義名分を得てしまった私はしぶしぶ防塵用マスクと手袋を装着すると、事情の分からない一軒家の玄関扉をギフトとやらで造られた丸鋸で容易く両断した、この丸鋸はとても鋭利かつ私が片手で持てる程軽い、これがギフトが生み出した良い物であるなら定期的に脳に直接呟かれる父の声は悪い物だろう。
では、この家の玄関土間いっぱいを満たす赤色がギフトによって生み出されたとしたら、これはどうなのだろうか。
「土間に多量に血が滲みて固まっている、此処から始まったと思われる血痕が家の中に続いてる」
交番からくすねた“桜”の安全装置を解き、両手で構えると大股で土間を避けて他人の家に土足で侵入した。
廊下から階段へ血痕は続いており二階建ての家である事、血痕この先に何かしらがある事を示唆している。
「父さん、生存者を見つけた・・しかも子連れかもしれない」
ーー本当か?確証はあるのか?
「背後しか見えてないけど何かを抱えている様に見える」
ーーなるほど・・何方にせよ生存者に変わりは無い、出来るだけ生かして帰れよ。
適当に相槌を囁いた後、“桜”を片手に持ち直すと寝室の二人用ベッドの向こう側に座る女にそっと近づき声を掛けた。
「おい、大丈・・」
顔を見よう、そんな軽い気持ちで覗いたのは血塗れのティッシュで作った赤ちゃんを抱き抱える母親になれなかった女の虚ろな顔つき。
彼女から漂う血の臭いと廊下の血を拭いた跡、そして抱き抱えるのはタオルに包まれた血塗れの塵紙。彼女に訪れた悲劇がどの様なものか知った時、不快感が身体を走った、子供が欲しいと思った事は一度も無いが女である以上他人事とは思えなかった。
「あ・・」
女は私を見つめる、血と死の臭いに怖気付いて何も出来ない私をただ静かに。
私は女を前にして指一本動かせなかった、何を湛えているか解らない瞳に虜にされてしまったのだろうか。
思念を飛ばしても反応の無い私の為に父と上司が来るまでの間、気の遠くなる時間を二人きりで過ごしたが、この時の私はあの瞳の意味を理解できなかった。
清潔的な他所の匂い、瞼越しの白熱灯の灯り、なんとも言えない寝心地のベッドからして病院の一部屋かと思ったが上体を起こして辺りを見渡せば学校の保健室という感じだった、でも格好は患者みたいだ。
奥の方で座っている白衣に一つ束の長髪はベッドの軋みで私が起きた事に気付いたらしく回転椅子で此方を振り向いた。
「起きたね、No.9094」
コートの白衣を羽織る眼鏡を掛けた若干男寄りの顔立ちの女性が私を見るなり携帯を操作し、それが終わると4つ足に車輪がある椅子を座ったまま動かして此方に近づいてくる。
「本名を言うのは訳あって厳禁でね、代わりにこう言った番号、渾名、コードネームを使って互いを呼び合うことになっているんだ」
「僕の名前はナグ、こう見えて元男だけど黙秘で頼む、そして、これから話す事は君にとって大事だけど落ち着いて聴いてられる覚悟はあるかな?」
きっと私のお腹の子についての話だろう、起きてから今まで何度も右手が腹の余分な皮を握り探している。
「大丈夫です、別れはあの家で済ませました、淡い願いを潰すためにも、お願いします」
私の言葉を目を閉じて噛み締めた後、ナグは口を開いた。
「残念ながらお腹の子は溶けて亡くなりました、子宮に炎症は見られないけど念の為、経過観察は行います」
「はい・・ありがとうございます、それでその・・夫の安否を知りたいのですが、ナハナ ケントと言う名前をご存知ですか?」
布団を濡らす涙をそのままに私は貴方の安否を聴こうとした、貴方さえいれば私はまた立ち上がれる気がしたから。
「・・その方の、勤務先はサカキ市内でしょうか?」
「いいえ、あの人は二つ隣の高校で教師をしていますが・・」
「なら良かった、まだ希望がありますよ」
その意味を問う言葉を遮る様に新たな二人が訪れた。
一人は黒い短髪の少女、ボーイッシュな顔立ちと動きやすそうな服装、そしてアーミーベレーが特徴のベレーを名乗る彼女は
「あ、起きてる・・その、ご愁傷様」
どうやら此方の事情を知っているらしい、その幼いアルトがデジャヴを起こす理由も知らずにもう一人、金髪の団子髪が特徴のパンツスーツの女が割って入った。
「感傷に浸ってるところ悪いが、これから今の現状と今後について話させてもらうよ」
話の腰を折るなり金髪の女は持参の車椅子に私を乗せて共に屋外、駐車場へ赴いた。
外の景色からして此処は家から一番近い中学校だろう、空はあの時と変わらずくぐもっており時計は8時を指していた。
「あれ父さん、今って8時?それとも20時?」
「21時14分、あれだいぶズレてるぞ・・ああ言うのを忘れてた、僕はコイツの父親なんだ」
そう言ったナグは肘でベレーをノリで小突こうとするが裏拳で返された、肘の外側・・とても痛い所に命中したか父は情けない声を上げながら悶え始めた。
「はっ、こんなオカマ野郎・・言っとくけど私はアレとキララさんとは違ってちゃんと女だかんな」
反抗期気味な娘は父親と金髪女を指差した、背後を振り返ると車椅子を押す彼女?は軽く微笑みながら右人差し指を上向きで口に充てた。
恐らくこの漫才はこれで一区切り、今私が質問しても挟まる形にはならないだろう。
「あの、さっきナグさんが仰った今が21時ってどう言う意味ですか?」
ベレーもナグもその答えに対してそっぽを向いた、そんな禁忌肢でも無いはずと思ったがその通りだった。
「アレを見ろ」
キララが指差したのはグラウンド側、保健室からはカーテンが掛かって見えなかったが彼等の視線の先には都内の高層ビルに匹敵し得る巨躯の霊樹が佇んでいた。
「一週間前、突然アイツ・・天檻樹が僕達の街に顕れて主にサカキ市を取り囲む様に結界を張った、結界の壁と天井はその一瞬を保存し保ち続けている、これが変わらない空の正体」
「そしてその結界が張られた瞬間、何故か男性だけが次々と溶解していった、僕とキララは彼の咄嗟の起点で・・男性器を切除する事でなんとか生き残ったけどね」
男性のみが融解する術、あの樹が私の胎からあの子を奪った仇?
「理解の範疇を超えるのは仕方ないけどこれが事実らしいんだ、僕も理解出来てない」
ナグの説明が一通り終わったらしいが私にはそびえ立つ霊樹の存在すら理解出来ない、そもそもお腹の弛みが無ければ一連の全てをドッキリだと一蹴していただろう。
「この結界内には有志の者により自警団が結成されている、その名の通り治安維持を理念としているが同時に天檻樹ないしは結界の破壊を目論んでいる、しかしどちらも全く歯が立たない状況だ」
「君には私達と共に閉鎖空間からの脱出を目指してもらう・・そう言えば偽名がまだだった、何か案はあるか?」
キララの見た目より硬い口調に違和感を覚えつつ案を練り始める。
偽名か、本名がダメな理由は後々聞くとしてゲームで主人公の名前を決める時なら10分は悩むけど自分に関わるとなるとあまり考える気が起きない、好きな色で良いか。
「・・ブラン、フランス語で白、白色が好きだからブランでお願いします」
正直、あの樹が私の子の仇なんて信じ難い。
けれどこの人達は此処からの脱出を目標にしている、一刻も早く貴方に会いたい私には乗らない手は無かった。
あとがき
主観的人物解析 その2、その3
・キノエ
173cm 『秘匿』kg
黒いレザーコートにガスマスク、肌を徹底的に隠した装いが特徴。
過去にギフトによる襲撃により肌と声帯が爛れてしまったらしくガスマスクに付けた音声出力装置で自身の掠れ声を矯正している。
怪しい風貌とは裏腹に真面目で優しい性格をしている、更に家事全般に精通しており図書館に引き篭もる私の凡ゆる面倒を一心に背負うその姿はまさに母親、生きていてくれてありがとう。
所有ギフトは『掃除』
「汚れ」を解析し、除去への最善手を導き出す能力。
この「汚れ」の判定が広大である事からノルンとして認定され、掃除や暗殺に適している事から‘清掃’の名を充てられている。
ガスマスクを付ける前はエックスと名乗ろうとしていたらしい。
・ネムレス
151cm 41kg
この人物紹介を書いてる張本人。
住んでた家が燃えた為、自警団本部から離れた図書館に無許可で住み付き代理司書と呼ばれるまでになった。
服装は半袖のワイシャツに中学の制服のスカート、その中に体操服を着て適当な靴下と運動靴、衣類は二着ずつしか無いので必死に使い回しているが下着は一着ずつなのでノーブラ、ノーパンの日が殆どである。
所有ギフトは『文字起』。
対象の執筆、DVDかBDを媒介に対象者の記憶をドラマ仕立てで映像化させる。
①対象者がペン、鉛筆で手書きした文字を右人差し指でなぞり右腕に吸収する。
②DVD、BDを右手で強く叩く。
この手順を踏む事で対象が文字に込めた記憶を映像として保存出来る。
DVD等の容量を超えて取り込め、データの追加も可能だが二人以上の記憶を取り込もうとすると②の手順時に叩いたディスクは破損してしまう。
この能力を生み出した当時はビデオテープやフロッピーディスクの事は考えてなかった、それ以外の媒体は今も考えていない。