ベレー帽と拳銃 前編
半年前、私達は神から試練を賜った。
それは突如として顕現した天檻樹を通して神様から贈られし力を熟知し、世界を導く事。
私達が種の限界を超えた存在として次の世界に辿り着く時は近い。
・・・噛み砕いて言うとそんな感じの内容の界内放送が耳を劈く、自室のベッド上。
「寝かせてくれ・・頼む」
磨り硝子の様な結界が暈してしまった一日を伝えるデジタル時計を意味も無く眺める0時0分、空は永久に雨が降らない曇り空だ。
「コンコンコン、失礼しまーす」
扉を叩く擬音を発しながら誰の許可も無しにあの女が扉を開けた。
丈に合わない白衣を纏っている女が間延びした声で私に話し掛ける。
「ベレーちゃん、寝付けないならホットココア淹れようか?」
「あぁ、『父さんに会いたい』」
私達は今日の安寧を保つべく、互いに形骸化した一言を呟いた。
「そっか、家族だもんねー」
そう言ってノワールは私の部屋を後にした。
「あと4時間しかない・・」
[銃聖の精神状況は未だ不安定、ギフトの行使は厳しいです]
上司への定時連絡をさっさと終えて好きな俳優が主演のドラマのDVDジャケットを取ろうとしたノワールの手を止めたのは他でもない上司からの電話だった。
「もしもし」
〈貴方、我々自警団の指名を分かっていますか?この試練を1日も早く成し遂げる為にノルンの保護、研究、或いは粛清を・・〉
説明しておくと、世界樹が張った結界を打破する為にギフトのLv.が10を超えても人の姿を保つ存在“ノルン”を調査するのが自警団の使命のひとつ。
ギフトは世界樹から贈られた特殊能力、一人一人が思うままに能力を設定、獲得出来る。
「しかし、ベレーはまだあの日以降からの心的疲労が抜けておりません、心の問題というのは実に繊細でして・・それにあのノルン化は不安定な事情が重なってまして」
〈それを何とかするのが貴方の役目なのです、良いですか、ギフトに不可能はありません・・〉
確かにギフトに不可能は無い、しかし高度なギフトを生み出すと肉体が崩壊、或いは変貌してしまう。
だが生物の複雑な思考を“心”以上の視点で捉えた事の無い通話先の相手は少なくとも己が実行すれば死ぬ様な事を平気で宣い続けた。
〈なんだかんだ言いましたが、早めの吉報を期待していますよ〉
通話が切れた後ノワールは悪寒した、この上司の説教はこんな短時間で中途半端な幕切れになる事象では無い、私への説教より他に優先すべき事ができたと考えられる、と。
[ガーデン12番区にてノルンによる殺人が発生したと思われる。調査の為、応援求む]
そして、それはノワール自身も深く関わらなければならない事象なのであった。
「・・・ケータイ、バナー非通知にしようかな」
現場は遺された二つの駅の内、自警団本部から離れている方の周辺、大通りから住宅街に続く小道、普段は人通りの無い所だが一人の死体の為に中数のギャラリーが押し寄せている。
「被害者の偽名はクローチェ、『検索』によると双子の妹で同名の姉と周辺の牧場を営んでいた様です」
「死因は体の至る所から突き出て絡まっている南瓜の様な実を持つ植物の根から血液を奪われた事による失血性ショック・・・特殊な植物を創るギフトによる殺害、同一植物による殺人はコレで9人です」
「この被害者を含めた4名は食肉の生産加工に携わっており、他5名も形は異なれど通を自称する程の食肉好きでした」
事件現場の壁から広範囲に絡まる植物に磔にされた女性の亡骸の情報を団長秘書から共有して頂いた、本来は捜査課の仕事だが以前自警団への報復が起きた際にそこに属する者は皆葬られたので最近はインテリメガネちゃんな彼女と生活安全課の私が臨時で行っている。
「こうなってくるとヴィーガンを自称する人を片っ端から調べてみた方が早い気がしてくるね」
「可能性は捨て切れませんがそれだと今更感が漂います、ギフトがあれば何事も成せるのに何故半年も待ったのでしょうか」
「なんだろう、執行猶予とか?」
「執行猶予・・それだと再犯即ち食肉ないしは食事を行った時点で刑罰を下すべき、ならば集計を行っていたのか、否、そんな事にギフトを用いたならノルンといえどLv.は限界を迎える、それでこんな一人一人を狙う計画的な・・・」
情報共有が終わると時間合わせの井戸端会議が始まる、死体を前にして緊張感の無い人間だと思うが此処に居るのは人員不足の所為で死体を見慣れているだけの一般人に過ぎないのだからしょうがないと思う。
目の前の死に慣れてしまえば、任務が終わってしまえば此処は普通の小道なのだから。
「あの、この方の今後についてもう指示は出たの?」
「南瓜のツタの様なものに触ると身体に根を張られる可能性がある為、前回といつも通りこの場で燃やして処理します、事前に遺族の許可も『掃除』の申請も済ませています」
数秒後、『転移』された肌の見えない黒い服装を纏うガスマスクの不審者は持参したポリタンクから灯油の様な液体を亡き骸や周辺の壁に絡まる植物に向けて撒き散らすと火のついたライターを投げ捨てた。
亡骸を磔にしている植物は燃え尽き、死体地面に落ちたが鉄製パイプで突っつかれ道路の真ん中に寄せられた後、追い灯油を掛けられ轟々と燃えた。
「あの、遺族の方は?」
「言ったはずです、遺族の許可は降りたと」
血も涙も無い発言に手際良く追悼の欠片も無い遺族すら立ち会わないゴミ処理以下の葬式、時折自分の価値観が狂いそうになる。
これは一般的な火葬よりも早い段階で切り上げるが長時間掛かる為、私達は一足先に失礼する事となった、とは言ってもこの場を離れられる訳では無い。
「あの、アプティ様・・今回の殺人は天檻樹の怒りの顕れなのでしょうか?」
「現在調査中ですが、天檻樹が私達に直接危害を加えると言う事は先ず無いと言い切れます、ご安心下さい」
自警団本拠地周辺に住む一般市民達が事件を嗅ぎつけ態々不安になりに此処まで来ているのだ。
こういった野次馬の対処の役割に人員を割けないので私達2人で対処する他無い。
「でしたらお願い致します!一刻も早く殉教者への粛清を!」
「御安心下さい、我等自警団が必ずや殉教者を粛清致します、ですのでどうか」
「そう言ってもう何人も同じ手口で殺されている!あの日の災禍から自警団は日に日に臆病に脆弱になっているのよ!!」
1人の図々しそうな中年の女が叫ぶと周りの数人も疎ら同調し始めた。ぐうの音も返せない、貴方達が代わりに粛清して欲しいと言うのは私が禁止したから。
「災禍、とは自警団への報復事件でしょうか、でしたら其れに終止符を打ったのも自警団である事をどうか思い出して下さい」
秘書アプティはそう言い切ると私に予定に無い業務が迫っている事を伝え共に本拠地まで戻る様に促した。
業務妨害は執行対象、半ば暴徒になりかけた野次馬が思い出したかの様に鎮まり帰り道を開けた。
振り返ると肉が焼ける臭いを漂わせる業火が烈しく眼に残る、当分肉を食べれてない事を思い出しながらその場を後にした。
身支度を終えたので上から告げられた集合場所、時刻にギリギリ間に合う所までリビングで過ごそうと思った矢先、ソファを独占するノワールから今日の仕事の愚痴を聞かされた、文字に起こすまでもない他愛無い会話だったので程々に切り上げ、私の今後に関わるであろう話を問う事にした。
「そういえば、植物殺人の犯人どうすんの?」
「え、・・あ、うん、犯人は恐らく植物の種子に自分の感情を付与して独自の生態を創造した、その分野を専攻した教授でも無い限りLv.10を超えているから遭遇した場合は敵性ノルンとして拘束、監禁、最悪その場で殺す事になるかも、まぁ自分の命優先でね」
「あくまでも殺人罪で逮捕、死刑ってわけじゃないんだな」
「強過ぎる奴に取っ掛かると返り討ちにされるからねぇ、もう人手が足りないから」
飄々とした言ったように聞こえたが表情に喜楽は映っておらず、その目に過去の惨劇が映っているのか、手の甲で眼を覆っている。
またか、と思いつつ横たわる彼女をゆっくりと抱きしめた。
「ああ・・ごめんね、ありがとう、仕事までの時間割いてまで付き合ってくれて、頑張ってね」
「何でも望めば叶う世界で精神を病む人間が目の前に居てたまるかよ」
捨て台詞を吐いてその場を離れた私の心情を見透かした様な笑顔で、いってらっしゃいと手を振るノワールに背を向ける、玄関の収納棚の上で干されている黒い布マスクに香水を三滴垂らして着けた。
辺りを飾る小物類が醸す愛らしい雰囲気に似合わない命を奪う道具を手に取ると、深呼吸をして扉を開いた。
用語解説
ノルン
Lv.を10以上消費していながら"人の形"を心身共に保っている個体の事。
この境地に至り人間に対して危害を加える存在は敵性ノルンとして処理する事が義務付けられている。
今までノルンと化した者の内、9割が先天的、或いは後天的に敵性が確認され例外無く処分されている。
そして残り1割の中でも『銃聖』のベレーはLv.が基準値以下である事が既に確認されている為ノルンの称号を剥奪すべきである存在であると提言する。