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サンスポット【完結】  作者: 中畑道
第一章 サイレント・マドンナ
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第七話 恐怖

 

 病院に着くと直ぐに手術室へ向い、そこで漸く左肘の10センチ程下に突き刺さったナイフが外された。


 脱脂綿で消毒液を広範囲に塗られ傷口を押さえながら注射針を刺されると、出血のせいか、それとも麻酔のせいか、意識が薄れてきた。朦朧とした意識の中、手術が始まりあっと言う間に終わる。

 細い果物ナイフが幸いし、数針縫うだけで傷口は塞がったようだ。分厚いガーゼをあてがわれ、その上から硬い金属のような物を被せ包帯をぐるぐると巻かれると、医者に「もういいよ」と軽く言われて、退室を促される。


 一礼してドアを開けると、俺を病院まで搬送してくれた警官が立っていた。



「怪我をしているところ申し訳ないが事情聴取だ。署までご同行願う」


 俺は黙って首肯する。

 人気のない廊下を警官と二人で歩く。会話はない。


 出入り口に近づくと待合室に、項垂れて頭を抱える女性の姿があった。


「姉さん・・・」


 俺に気付くと慌てて駆け寄ってくる。


「息吹―」


 姉さんは俺の前では笑顔を絶やさない。

 今も必死で口角を上げようとしているが、今日はいつも程上手く笑えていない。


「ごめん、姉さん。心配かけて」


 警官は空気を読んで少し離れた場所で待ってくれている。


「怪我は大したことないから、もう大丈夫。これから事情聴取に行ってくるよ」


「私も行く」


 それを聞いた警官が俺たちに近づいてくる。


「ご家族の方ですね。署まで来るのは構いませんが、貴女をパトカーに同乗させることは出来ません。ご自分でお越し下さい」


「分かりました。お手数をお掛けして申し訳ありません」


 丁寧に頭を下げる姉さんを尻目に、俺と警官は出入り口に向かう。建物を出る際振り返ると姉さんはまだ深々と頭を下げたままだった。

 出入り口近くに停車していたパトカーの後部座席に乗ると、俺に付き添っていた警官が隣に座った。


「出してくれ」


「はっ」


 運転席に座る警官が快活な受け答えをして車を出す。病院を出てすぐ隣に座る警官が前を向いたまま話し始めた。


「彼女は君の姉だったか。病院に来たときは随分と取り乱していたぞ」


「・・・・・・・」


 言葉を返すことが出来ない。

 待合室で項垂れる姉さんの姿から何となく想像は出来る。


 病院に向かっていた時と違いパトカーはサイレンを鳴らしていない。

 あの音は嫌いだ。頭の中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる感覚を覚える。


 だから、あの音は嫌いだ。


「北条志摩子が今迄のことを全て話してくれた。君は簡単な事情聴取で解放されるだろう」


 今迄のこと・・今日のことではなく・・・警官の言葉に無性に腹が立った。


「今迄のこと・・全てだと・・・北条に何を話させたんだ」


 感情のまま怒気を孕んだ言葉を吐いた。


「彼女は君を守る為に話したんだ。今迄父親が彼女にしてきたこと、君が今日父親から自分を守ってくれたこと、父親がナイフを手にしたこと、彼女は君が父親を殴ったのは正当防衛だと証明してくれた。父親は逮捕されたよ。今は病院で君に潰された鼻の治療中だ」


 攻撃的な俺の言葉にも、警官は前を向いたまま声音を変えず淡々と話す。


 我に返った俺は言葉を失った。今日二度目だ。北条に助けられたのは・・・

 怒りが自制できなかった時、北条の声がなければまったく違った状況でパトカーに乗せられていただろう。


 あの時、彼女の声が無ければ、俺はあの男を再起不能になるまで殴り続けたかも知れない。

 震えが止まらなくなった。

 怖い。自分が・・怒りに身体を制圧される自分が。


「怖いか」


 警官は前を向いたまま、震える俺に問う


「・・・はい」


「何が怖い」


「自分が怖いです。俺は・・あの男を許せなかった。そう思った時から、怒りの感情に肉体が支配されてしまいました。もし北条が居なかったら、俺は止まれなかった」


 会ったばかりの警官に心情を吐露せずに居られない。

 俺は・・・こんなにも弱い人間だったのか。


「大丈夫だ。次は止められる」


 警官が前を向いたまま、そう断言する。


「どうして・・・、そんなことが言えるのですか」


 震える俺の肩に大きな手が置かれる。振り向くと警官が俺の目を見て優しく微笑んだ。


「知ったからさ。今日君は、北条志摩子の為に彼女の父親と戦った。間違いなく彼女は君に救われたんだ。その彼女が君を止めたんだろ」


 警官は俺の目を見つめ、大きな手を置いたまま諭すように話し続ける。


「私達が保護した時も彼女はずっと叫んでいたじゃないか、君の手当てをしてくれと。彼女が怒りを自制できない君を制止し、君の手当てを最優先に望んだ。そして今、君の行いの正当性を説いている。彼女にとって一番辛いのは、恩人である君が傷つくことだ。今日君はそれを知った。助けたいと思った人が悲しむことを、君はしないだろ」


 肩に置かれた大きな手が、俺の震えを吸い取ってくれる。強くて暖かい手が。


「次なんて、無いのが一番だけどな」


 警官は俺の肩をギュッと掴むと背中をパシンと叩いて、ハハハッと大きな声で笑った。




 警察署に着くと、くたびれたスーツ姿の刑事らしき男が待っていた。俺に話をしてくれた警官が敬礼すると、刑事らしき男が頷く。


「刑事課の柿谷だ。少し話を聞かせて欲しい。なぁにすぐに終わるよ。北条志摩子さんに君のことは殆ど聞いているから、確認作業みたいなものだ」


 踵を返す柿谷刑事の後に続き歩き始めると、警官がポンと肩を叩く。肩の力がスッと抜けた。


「君の到着を待っていたのは私だけじゃなくてね、事情聴取の前に其方から済まそう」


 柿谷刑事は歩きながら低い声で呟くように話す。階段を上り終えると、腕組みをして壁に寄り掛かる竹ヶ鼻高校理事長、鍋島成正の姿があった。


「向かいの部屋が取り調べ室だ。話が終わったら来てくれ」


 柿谷刑事はそう言うと、ジジイに一礼して部屋に入った。


「すまなかったな」


 腕を組んだままジジイが俺に謝罪する。


「何故あんたが謝る。俺が自分の意思でしたことだ」


 ジジイが俺に謝罪する理由など無い。学校の評判に関わるような事件を起こした俺の方こそ謝罪すべきだ。


「なあ息吹。今日お前がしたことは間違いなく正義だ。だがな、たとえ両親が離婚しようと、お前がわしの孫であるのに変わりは無い。お前と皐月はわしの宝だ。お前達が傷を負うのがわしは何よりも辛い。それだけは忘れないでくれ」


 知ったことか。あの場で現場に居ない人間の感情を考えるなど不可能だ。


 北条の父親と対峙した時、実力差を把握して北条と俺が最小限のダメージで済むように考えた結果、俺は自分の左腕を盾にすると選択した。犠牲を省みず我武者羅に突進したわけじゃない。


「他に方法があったのなら教えてくれ。それとも北条を見捨てて自分の安全を確保すれば良かったのか。ふざけるなよ、俺は北条が苦しんでいたのを知っていたんだぞ。何も知らない奴が、あの場に居なかった奴が、知ったような口を利くな。あそこで彼女を見捨てるくらいなら、殺されたほうがましだ」


「この、たわけがぁー」


 ジジイは大声で一喝すると俺の右頬を思い切り張った。


「てめぇ、やりやがったな。それが教育に携わる人間のすることか」


「学校なんて関係あるか。今のは馬鹿な孫へ爺からの愛の鞭だ。殺されたほうがましだと、北条志摩子がそんな思いで助けられて喜ぶと思うのか」


 右頬を押さえて俯く。ジジイの言うことは、勿論分かっている。

 北条を助けたとしても、俺に何かがあれば彼女は別の苦悩を背負うことになるだろう。だが、俺は怒りに飲み込まれる前まであの場を冷静に対処出来ていたんだ。あれが俺に出来る最善だ。


「貴様が間違っておったなどと言ってはおらん。今日の出来事を今後に生かせと言っておるのだ。今日学んだこと、世の中には自分が想像するよりも遥かに大きな事件に巻き込まれている者が居ること、犯罪に対しては警察が味方してくれること、それだけでも違った対策が考えられるだろう」


「だったら最初からそう言えよ。回りくどい言い方をしやがって」


 まったく、殴られ損だ。


「わしだって渋く決めたい時もあるんだ。折角、格好良くポーズまで取っておったのに台無しじゃ」


 不満顔で顎鬚を弄り、ブツブツと何か呟きながらジジイは階段に向かったが、その途中で不意に立ち止まると俺の方を振り返る。


「この件は、わしの所で止めておく。お前達の担任にも話さんから安心せい。あと、あれだ、その・・まあ・・・よくやった」


 ジジイは言うなり足早に階段を降りて行った。なんだよ、あれ。



 久しぶりに張られた頬を擦りながら取調室のドアを開ける。待っていた柿谷刑事は不満も言わずにスッと右手で向かいの椅子を指し、座るよう促してくれた。


「すみません、お待たせして」


 軽く頭を下げる俺に柿谷刑事は口角を上げる。


「なぁに、構わんよ。しかし、あのお人も変わらんなぁ」


 柿谷刑事はどこか嬉しげに嘆息した。


「祖父とお知り合いだったのですか」


「ああ、高校時代の恩師だ。まったく、警察署の廊下でこれから事情聴取する人間に手をあげるかねぇ。一歩間違えば逮捕されちゃうよ、相変わらず無茶苦茶な御仁だよ」


 話しながら椅子の脇に置いた紙袋をごそごそと漁る。


「ほれ、これが無いと明日から学校に行けないだろ」


 手渡されたのは丁寧に折り畳まれた俺のブレザーだった。

 丁度、少し肌寒いと思っていたところだ。俺は受け取ると直ぐにブレザーに袖を通す。左腕が袖に擦れて、ズキッと痛みが走った。麻酔が切れ始めたみたいだ。


「北条志摩子さんから大方の話は聞いている。君にしてもらうのは彼女の話の確認作業みたいなものだ。私の質問に正直に答えてくれれば直ぐに終わるよ」


 紙袋をごそごそと漁り、今度はA4サイズの書類が数枚出てきた。


 柿谷刑事の質問は、俺と北条の接点や、北条の変化に気付いた理由、何故彼女の苦悩の原因が父親だと判断したのか、北条宅まで行ったのが何故今日だったのか等、思いの他詳細なものだった。


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