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サンスポット【完結】  作者: 中畑道
第一章 サイレント・マドンナ
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第六話 憤激

 

 見失ってしまった北条の自宅へ先回りする為、学校から徒歩で二十分程度の閑静な住宅街まで全力で駆ける。ジジイから貰った北条宅の住所が俺にも土地勘のある場所で助かった。


 遠目に北条宅を確認し、一先ず斜向かいにある小さな公園のベンチに腰を下ろす。呼吸が苦しい。額から滝のように汗が滴り落ちる。だから長距離走は嫌いだ。

 四月も中旬に差し掛かり気温は大分暖かくなったが日が落ち始めるとまだ肌寒い。街灯に明かりが灯り俺を取り囲む世界が夜の準備を始める。


「間違えたのか・・・」


 思わず独り言が零れた。

 あれ程焦るなと言い聞かせたのに。


 北条を一刻も早く救いたい。一日でも早く元の生活に戻してやりたい。その想いが焦りに繋がったのか。

 取り乱しながら部室を後にした北条の姿が脳裏から離れない。


 北条は二度と部室に顔を出さないだろう。学内で全てを拒絶している彼女に唯一残された場所を俺は奪ってしまったのか。明日から彼女は今迄以上に辛く孤独な学園生活を送らなければならないのか。


 あの様子から父親が原因であるのは間違いない。こんな所で待っていて、北条は父親と暮らす家に帰ってくるのだろうか。


 だが北条の行動範囲を俺は知らない。家に帰ってくるのに賭けるしか方法がない。

 何時まででも待つ。今日決着出来なければ、北条には明日から今迄以上の地獄が待っている。

 だから何時まででも待つ。北条の帰宅後、父親の在宅が確認でき次第、俺は強襲を掛ける決意を固めた。


 何を話せばいいのかなんて想像も付かないが、やらなくてはならない。今日も北条は俺に何度か微笑んでくれた。日を跨げば彼女は間違いなく俺を拒絶する。


 それにしても寂しい公園だ。来た時から誰一人利用者が居ない。俺にとっては好都合であるがつくづく人気の無い場所に縁があるようだ。この公園は北条が幼い頃の遊び場だったのかもしれない。だが、その姿が想像できない。


 夜六時を過ぎ日が完全に落ちきった頃、一階のリビングらしき部屋に明かりが灯る。父親は在宅のようだ。

 完全下校時間まで部室で過ごし、真っ直ぐ家路に着けばそろそろ帰宅する時間だった筈。


 空を見上げるが雲に隠れて星は見えず、下弦の月だけが薄ぼんやりと確認できる。北条が無事家に帰ってくることを祈るような気持ちで待つ。帰ってこなければ、良くて補導、最悪は考えたくない。


 ズ・ズ・ズ・ズ・


 引き摺るような足音が響く。


 北条だ。


 死角に身を隠し、ホッと胸を撫で下ろす。北条は恐ろしく小さな歩幅で足を引き摺るように歩を進め、家の前まで来ると立ち止まった。

 十秒程だろうか、自宅を見つめ佇んでいると、大きく息を吸いゆっくりと吐き出す。それを三度繰り返して家に中に入って行った。

 すぐさま後を追い、北条宅の敷地内に許可無く足を踏み入れる。




「何だ・・・この家は」


 遠目には判らなかったが膝の辺りまで雑草が生い茂り、割れた植木鉢が幾つも転がっている。金属部分が錆びた車輪の無い婦人用自転車が放置され、庭の中央にはどれだけの期間雨風に晒され続けたのか、木製の椅子とテーブルらしき物体が無残に朽ち果てている。

 部屋のカーテンと明かりが、かろうじて空き家でないことを示しているが、普通の家から連想される家族や家庭という言葉がまったく当て嵌まらない。


 あまりの惨状に呆気に取られて立ち尽くす。この家に帰りたいとは思わないだろう。北条が完全下校時刻ぎりぎりまで部室から出ようとしなかったのが頷ける。


「や・て・・・な・て」


 家の中から微かに北条の声が聞こえた。俺は明かりの灯るリビングらしき部屋に近づき、身を屈めて聞き耳を立てる。


「やめて」


「てめぇ、それが親に向かって・・・・」


「何が親よ。貴方のことなんて・・いち・・ない・」


 北条と父親が言い合いをしているようだがよく聞こえない。俺はガラス戸に直に耳をへばり付けて中の様子を伺った。


「誰のお陰で学生なんてやっていられると思ってやがる」


「毎月養育費を振り込んでくれる御祖母様のお蔭よ。貴方ではないわ」


「てめぇ、こっちに来やがれ」


「やめて。髪に触らないで。穢れた手で、髪に触れないで」


 突如、北条の声音が大きくなる。


「穢れているのは、てめえも一緒だろうが」


「お願い。髪・・髪だけは触らないで」


「うるせぇ。大人しくしろ」


 ドスンと音を立て、俺が聞き耳を立てている直ぐ傍に北条が倒れこむ。

 北条が危険だ。これ以上は傍観していられない。俺は玄関に走ったが玄関には鍵がかけられている。


 ドン、ドン


「北条。北条―」


 力いっぱい扉を叩き大声で叫ぶが、興奮状態の二人には届かない。急いで聞き耳を立てていた所まで戻った。


「やめて・・・お願い」


「黙ってろ。ちぇ、相変わらず色気のねえパンツ履きやがって。ちっとは俺を喜ばせろ」


 耳を疑った。

 父親が娘に言う言葉ではない。


 気付いたら俺は持っていた鞄でガラスを叩き割り、土足のまま二人の前に立っていた。


「な・・何だ、てめぇは」


「い・入間川君」


 目の前にはスカートが捲れ上がり上半身が下着だけの北条と、彼女に跨る父親であろう痩身の男の姿があった。


「貴様・・すぐに北条から離れろ――――」


 出せる限り大きな声で叫んだ。


「ど・どうして・・入間川君が・・」


 北条を一瞥もせず、男の胸倉を両腕で絞り上げ彼女から引き剥がすように力ずくで投げ飛ばす。

 着ていたブレザーを北条に投げつけ、立ち上がった男と対峙した。


「てめぇ、志摩子と同じ学校の生徒か」


「・・・・・・・」


 質問には答えず睨みつけた。


「てめぇ、志摩子に惚れてるいのか。だったら仲間に入れてやるぞ。そんな薄汚れたガキでも・・・」


「黙れ。貴様はもう喋るな」


 男の聞くに堪えない言葉を遮る。こんなことは初めてだ。怒を自制できない。


「ガキが調子に乗るんじゃねえ」


 男は近くのテーブルにあった果物ナイフを掴み俺を威嚇する。


「脅しじゃあねえぞ」


 両手で持ったナイフを突き出し、腰を屈め戦闘態勢を取った。



 不思議だ。武器を手にした男を目の前にして、恐怖を微塵も感じない。自制できない怒りがそうさせるのか。


「どうせ俺の人生はもう詰んじまったんだ。刺すぞ。本当に刺すぞ」


 人格が二つあるような感覚だ。怒り狂う俺と、その様子を見ている俺。

 後者の俺は冷静だ。男の心情が手に取るように分かる。あの男は怯えている。出来るならば、俺がナイフに怯えてこの場を去ることを望んでいる。恐怖に苛まれ言葉を発せずには居られず、必死で脅し文句を連ねている。


「手が震えているぞ。あんた殴り合いの喧嘩したこと無いだろ」


 俺に指摘された手の振るえを必死に抑えようと力を入れれば入れる程、意に反して震えが大きくなる。

 ナイフに怯えない俺が、この男にとっては恐怖でしかない。一度感じてしまった恐怖は容易に払拭できない。


「俺はお前を許さない。北条が許しても、俺は絶対に許さない。お前には、そのナイフで俺を殺すか、この場で俺に殺されるか、どちらかの道しかないぞ。こいよ。どうせ詰んじまった人生なんだろ。それとも怖いのか、死ぬのも、殺人犯になるのも」


 男の逃げ道を塞ぐ。

 この場で最悪の状況は、手にしたナイフを北条に向けられること。だが、そうはさせない。


 男の脳内を俺への恐怖心で充満させ、視線を俺から外せなくする。俺を排除しない限り生還は無いと思わせる。


「何が人生詰んでるだ、未練たらたらじゃねぇか」


 ナイフを手に構える男は呼吸が荒くなり瞳孔が開ききっている。


 何をすればどういった行動に出るか手に取るようにわかる。


 棒立ちの俺が戦闘態勢をとった瞬間、男は雄叫びをあげてナイフで俺に襲い掛かってくるだろう。だったら、やってやる。


 俺は半身の体勢で少し腰落とし顎を引いて、ギロリと男を睨みつけた。


「うおおおおおおおおお」


 思った通り男は右手でナイフを振り上げ俺に突進してくる。「ここを狙っていますよ」と丁寧に教えてくれている突進だ。


 躱わすのは簡単だが、その先には北条が居る。俺に躱わすという選択肢は初めからない。

 男が教えてくれている狙いに左腕を差し出すと、ブチりと今迄に感じたことの無い筋肉繊維が裂かれる感覚がした。


「キャァァァァァァァ」


 北条の叫び声が部屋中に響く。

 思わずナイフから手を離す男の顔は戦慄に怯え青褪めている。その鼻先に渾身の右ストレートを叩き込んだ。

 拳にグシャっと鼻の拉げる感触が残る。男は1メートル程吹き飛び、倒れたまま左手で顔面を抑えて、右掌を開き俺に突き出すと「来るな」と言わんばかりに手を振る。


 その時、冷静な人格の俺が、怒りを自制できない俺に飲み込まれた。


 男の制止を無視して馬乗りになる。左腕にナイフは刺さったままだ。


「貴様に俺を止める権利はねぇ。貴様は・・貴様は北条に何をしてきた。あいつの鎖骨と太股には複数の痣があったぞ。貴様は何度、北条の制止を無視した」


 戦意を喪失した男を警察に突き出せば全て終わる。これ以上攻撃を加える必要は無い。


 分かっている。だが、止まれない。精神が肉体を自制できない。俺はもう一度拳を振り上げる。


「駄目ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」


 北条の叫びに、振り下ろそうとした拳が止まった。男は両手で顔を覆って、ただ震えている。


「それ以上は駄目。お願い・・・入間川君が・・入間川君までが穢れてしまう・・・お願い・・」


 怒りを自制できなかった人格は、いつの間にか消えている。

 俺は北条に助けられたのか・・・


 その数秒後、俺の割ったガラス戸が乱雑に開けられ数人の制服を纏った男たちが一斉にリビングに乱入する。



「動くな、警察だぁ。全員その場を動くんじゃないぞ」


 言われた通り動きを止めるが、左腕の傷からポタポタとフローリングに滴り落ちる血は止まらない。

 一人の警官が北条に駆け寄り保護すると、怪我が無いか確認を取った。


「早く、早く入間川君を病院に、早くして」


 俺を指差し警官に訴える。


「早く、彼の治療を、早く、ナイフで刺されたのよ・・お願い」


 警官の両肩を掴み、絶叫する。


「早く、入間川君を助けて下さい。早く、早く、入間川君を、早く、早くして」


 警官は半裸で喚き散らす北条に俺のブレザーを羽織らせ、強引に外に連れ出す。外には数台のパトカーが待機しているだろう。


「私はいいから・・・早く・・入間川君を・・・早く・・・早く・・・お願い・・」


 外に連れ出されても北条は叫び続ける。こんな傷、大したことは無いのに。



 北条を保護する間、俺達は五・六人の警官に周りを囲まれていた。彼女の声が聞こえなくなると、一人の警官が俺の右腕を抱え立ち上がるよう指示する。


「出血が酷いようだが意識ははっきりしているか」


 高圧的な物言いだが仕方ない。警官はここに至った状況を知らない。

 近隣の住民が110番したのだろう。俺がガラスを割った音か、北条の叫び声か、どちらにしろ閑静な住宅街では安全を脅かす材料でしかない。警察に連絡する手間が省けたのは素直に感謝する。


 一人の警官が外から駆けつけ、俺の右腕を抱える警官に何か耳打ちをした。うんうんと頷き「分かった」と一言告げると俺に目を移す。


「君は一先ず病院で怪我の治療をしなさい。事情聴取はその後だ」


 警官の態度が軟化した。北条が俺に助けられたと説明したのだろう。

 俺はナイフが刺さったままの左腕を抱えて病院へ搬送される。血は一向に止まる気配を見せないが、痛みは全く感じ無い。


 パトカーのサイレンが耳朶を刺激する。

 

 嫌な音だ。


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