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サンスポット【完結】  作者: 中畑道
第一章 サイレント・マドンナ
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第三話 部活

 

 北条志摩子は病んでいる。何かに追い詰められていると言ったほうが適切だろうか。彼女に何かが起きている。



 竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部への入部に何故あれ程まで拘ったのか心意を確かめる為、北条を観察する必要があった。


 北条の異常さは注視して一日目で気付き、二日目には確信に至る。俺が知る限り一年生時の彼女は若干の影は孕みながらも、人並みの社交性と同級生を俯瞰する傲慢さに折り合いをつけ、それなりに上手くやっていた。それが今は皆無だ。


 全てを拒絶している。誰とも話さないし、誰も近付けない。注視する前は孤高が故の孤独と感じていたが全くの別物だ。


 クラスメイトが光り輝く青春を謳歌する中、只一人、漆黒の闇に身を置いている。しかし、それは周りを嫌ってというよりは、自分に関わる事で他人を闇に引き摺り込むのを恐れている感じだ。彼女は友人が居ないのではなく、意図的に作らないのだ。


 竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部に入部して三日間、ホームルームが終わり次第部活に参加し、完全下校時間まで部室で過ごす。

 部室では図書室で借りてきた本を読んでいるのだが三日とも違う本だ。初日は「未確認生物UMAの恐怖」二日目は「火の鳥 未来偏」三日目は「ファーブル昆虫記」開いた頁は殆ど進まず、目は本には向いていない。


 同じ部屋で筋トレをする俺には一切興味を示さず、ほぼ居ない者扱いだ。

 焦点の合っていない目で空虚を眺め、時に頭痛に苛まれたような、時に能面のような、時に菩薩のような表情をする。


「尋常ではない」それが素直な俺の感想だ。


 精神が崩壊する直前なのではないだろうか。北条が俺を無視すればする程、俺は彼女から目を離せなくなっていた。




 ノックもせずに理事長室の大仰な扉を開く。


「来たか、久しぶりだな。どうだ、二年生になって・・」


「さっさと用件を言えジジイ。あんたと世間話する気はない」


 今、俺が対峙している鍋島成正はこの学校の理事長であり、離婚した母方の祖父でもある。ホームルーム後、担任に呼び止められた俺は理事長室に行くよう指示された。


「相変わらず詰まらん奴だ。それじゃあ女子生徒に相手にされんだろうに」


 立派に蓄えられた顎鬚を弄りながら革張りのソファーにドスンと腰を下ろす。鋭い眼光を送られ顎をしゃくるように対面のソファーを指し「お前も座れと」と無言で促す。俺は素直に従った。


「それで、わざわざ理事長室にまで呼び出して何の用だ・・・はっ・・まさか、母さんに何かあったのか」


「落ち着け息吹。美月は・・まあ・・・相変わらずだ」


 ジジイは吐き捨てるように言う。


 高校の入学を報告に行って以来、病気療養の為入院中の母さんには会っていない。変わりないことに落胆と安堵が交錯する。


「美月のことは・・また改めて話すとして、今日は別の用件だ」


 母さんの近況は気になるが、今は一刻も早く部室に行かなくてはならない。あの薄暗い部屋で今の北条を長時間一人にするのは拙いと俺の直感が警鐘を鳴らしている。


 相手にされなくても、俺はあの部屋に居なくてはならない。


「申し訳ないが、話しがあるなら早急に頼む。急ぎの用があるんだ」


「北条志摩子か」


「・・・どうしてあんたが」


「ちゃんと部活動をしておったようだな」


 何だ、ちゃんと部活動って。何を言っている、何故ジジイが北条のことを・・・


「訳が分からん、と云った顔だな。皐月は入部して直ぐに気付いたようだぞ」


「何故、姉さんが出てくる。何の話をしているんだ」


「聞いとらんのか。皐月は竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の初代部長だ」


 姉さんが部長・・・あの部屋に姉さんも通っていた・・・あのテンプレートも姉さんが作った物なのか。

 いかん。姉さんの話しは今じゃなくてもいい。最優先事項は北条志摩子だ。


「ジジイ、北条の変貌を聞いているのか。北条に何があったんだ」


「何も聞いてはおらん。知っているのは北条志摩子が竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部に入部した事だけだ」


 ジジイは何が言いたいんだ。何を知っているんだ。


「勘の悪い奴だな。まだ解らんのか、あの部活の意味が」


「部活の意味・・・俺を裏口入学させる為の部活だろうが。まさか姉さんも裏口だったとはな」


「たわけ。わしは私立高校の理事長だぞ。裏口なんて回りくどいことせんでも、身内ぐらい入学させられるに決まっておるだろ。お前達は必要な人材だから特待生としてこの学校に入学させた、人の痛みに敏感なお前達だからな」


「何だよそれ。俺は早く部室に行かなきゃいけないんだよ。急いでいるんだ。今はそんな話をしている暇はない・・・・」


 ちょっと待てよ・・・


 部活動をちゃんとしている・・・あの部活の意味・・・人の痛み…北条志摩子の入部…


「・・・そういう事か」


 だから、あんな場所が部室だったのか。


「やっと気付いたようだな。お前は北条志摩子を放ってはおけんだろう」


 ジジイは満足そうに顎鬚を撫でながら微笑む。


「ああ・・なるほど。そうだったのか」


 ジジイの言うとおりだ。俺は北条志摩子を放ってはおけない。




 念の為、ジジイから北条の自宅住所と電話番号、家族構成が記してあるメモ書きを貰い、部室に早歩きで向かう。北条を一人にしておくのは不安だが、頭の中が整理できていない。考える時間が欲しいが、ゆっくりはしていられない。結果早歩きで折り合いがついた。


 ジジイにはああ言ったが、俺は全てを理解したのだろうか。もう一度理事長室で出した解を確認してみる。


 本来なら独りになるのに学校ほど不適切な場所はない。常に喧騒の中にあり、たとえ人気の少ない場所であってもいつ他の生徒が現れるとも限らない。

 だがこの学校には独りになるのに最適な場所がある。事実俺は一年前からあそこに居座っているが来訪者は北条が初めてだ。あの場所は学校の最果てだ。用も無い旧校舎の一番奥の教室に、しかも放課後、一人で来る事自体既におかしい。


 発想を逆転してみる。救いの無い状態で、独りになれる場所を探しふらふらと彷徨い歩く。辿り着いた先が本当に誰一人居ない場所だったらどうなる・・・考えたくも無い。


 だから独りになれる場所を学校内に作為的に作っておき、その最も寂しい最果ての地に誘導する。最悪の精神状態で辿り着いた誰も居ない筈の場所に、ぽつりと俺が居たなら、その人物はどうするだろう。


 もし、あの教室に俺が居なかったら、北条はどうしただろうか。


 あの今にも消えてしまいそうだった北条なら最悪の選択をしたかも知れない・・

 俺はあの教室に置かれていたのだ。最後の砦として。


 それが竹ヶ鼻商店街歴史文化研究部の正体だ。


 だとするなら、俺がする事は何だ。


 北条志摩子を救う事だ。


 俺に出来るのか。俺は何をすればいい。俺に何が出来る・・・


 駄目だ・・・今はあの部屋に居てやることしか思いつかない。それでは最悪の事態は防ぐ事が出来ても、北条を救えないじゃないか。現状を維持するのは彼女にとって一番辛いことじゃないのか・・・・


 勿論、北条がそこまで思い詰めてあの部屋に来たと断定できる訳じゃない。いや、希望的観測はよそう。最悪を想定して行動するほうが賢明だ。結果何事も無ければ俺の取り越し苦労でいいじゃないか。




 ようやく旧校舎に辿り着き昇降口で備え付けのスリッパに履き替えペタペタと廊下を歩く。そういえば北条が初めて部室に来た時、足音が聞こえなかった・・・もしかして・・


 俺は昇降口に戻りもう一度スニーカーに履き替えると、そのまま土足で廊下を歩いてみた。

 やはり。スニーカーだと足音がしない。あの時、北条は土足で旧校舎に入って来たのだ。よく考えればスリッパでロッカーの形を変えてしまう程の蹴りを繰り出せる筈がない。


 あの時、目の前にあるスリッパにすら気付かない精神状態だったのだろう。やはり北条は危険だ。


 もう一度スリッパに履き替え部室に向かう。パタパタと音をたてながら全力で走った。

 部室は薄暗いながらも明かりが灯っている。北条は今日も部活に来ているようだ。部屋の前で呼吸を整え、いつも通りの気だるい表情で扉を開く。


 目に飛び込んできた光景は、倒れている制服姿の女生徒だった。


「北条―」


 机に突っ伏して倒れている彼女に慌てて駆け寄る。拙い、全身から汗が噴出す。


「北条。大丈夫か」


 彼女の肩を掴んで揺さぶり、大声で叫んだ。


「おい、北条、北条―」


 その時、彼女の目がカッと見開いた。

 掴んだ右手に彼女の震えが伝わる。今迄に見た事の無い恐怖に慄いた表情を見せ、俺の右手を懇親の力で引き剥がす。


「やめて。お願い、やめて」


 自分の体を抱くように腕をクロスして両肩を掴み背中を丸め震えている。

 綺麗な黒髪が首から真っ二つに割れ、白い首筋、それに続く鎖骨が目に入る。両の鎖骨には強く掴んだような痣ができていた。


「落ち着け。俺だ、入間川だ」


「い・・入間川・・・君」


 今にも涙が零れ落ちそうな潤んだ瞳で恐る恐るこちらを伺う。


「い・・入間川君。あ・・貴方、いきなり何をするの」


 俺を確認すると先程までの表情は一変し、怒りを顕に睨みつける。


「ま・・待て。すまん。倒れているのかと思って」


「どうだか、無防備な女性の寝込みを襲うなんて」


「だから、すまん。北条は机で寝るようなタイプじゃないと思っていたから。本当に申し訳ない」


 剣呑な眼差しが痛い。北条が言うのは尤もだ。俺は最悪の事態ばかりを考えて焦りすぎていた。


 だが、これはいい機会だ。この三日間部室では挨拶を交わす程度で殆ど会話をしていない。彼女の力になると決めた以上、どんなに些細な事でも構わないから情報を得なければ救えるものも救えない。


「どうか許して欲しい。北条が倒れていると勘違いして、心配で慌ててしまった。本当にすまない」


 俺は北条に後頭部が見える程、深々と頭を下げた。


「私のこと・・・心配してくれたの・・・」


 北条は上目遣いで呟くように問う。


「そりゃあ心配するだろう」


「でも貴方、私には興味ないって…」


 さらに小さな声音だ。いつもの気の強さは影を潜めている。


「それは・・あれだ、男女の意味で的な・・・」


「それはそれで、何だか腹立たしいのだけれど」


「ち・・違う。北条がどうのではなくて・・・俺が・・恋人が欲しいだとか、恋愛がしたいだとか、今は考えていないから・・・そう、そういう意味だ」


「何だか言い訳しているみたいね」


 そう言ってクスりと笑った。


「それに、あれだ。今は興味あるぞ」


「まさか、私のこと口説こうとしているの」


 言葉には少し棘が有るが表情は明るい。


「そうじゃなくて、俺にとって今迄の北条は同じ学校に通う同級生で、只の一クラスメイトだっただろ」


 北条は首肯しながら楽しげに俺の話を聞いてくれている。


「これだと他にも四十人近く該当者が居る。でも今はそこに部活メイトという関係も加わった」


「部活メイトって・・・面白い言葉ね。そこはクラブメイトじゃないの」


 また、クスりと笑った。


「そこまでの関係となると全世界中で北条しか居ない。学校だけで考えても千八百分の一、約0.056%だ。これはもう特別な関係と言っていいだろう」


「何その、可笑しな考え方」


 大きくなっていく笑顔に、何とも言えない心地よさを感じる。


「要は俺の言いたいのはだな、北条志摩子は俺にとって既に他人じゃないってことだ。勿論、俺が勝手にそう思っているだけで、北条に無理強いするつもりはないから安心してくれ」


「そう。入間川君にとって私は他人じゃないんだ。だったら何なの」


 悪戯っ子のような笑みで、勘繰るように俺の顔を覗き込む。


「うーん、それは・・考えておくよ。今のところ保留だが兎に角、他人じゃない」


 北条が腕時計を見るのと同時に完全下校時刻を知らせる鐘が鳴る。


「入間川君の話、とても楽しかったわ。だから今日のことは水に流してあげる。じゃあ、また明日」


「ああ、また明日。今日は早めに寝ろよ」


 北条は満面の笑みで教室を後にした。


 大した情報は何も得られなかった。


 だが、彼女はまだ、あんな風に笑える。


 彼女を救う方法は未だ解らない。


 だけど守るべきものが何かは、はっきりと解った。


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