2話 捨て場
「殺せっ、殺せ~っ!」
「バラす前にっ、真っ裸で吊してやるぞ!!」
全力で逃げてはいけない。それだと、すぐに限界がきちまう。
見極めが大事なんだ。最大限の成果を得るためにーー、
「ほ~ら、こっちだよ~ん!」
命令に服従。
俺の頭の上で、ぐいっと右側に髪を引っ張る。直前まで俺がいた場所を、手斧が通過していく。
避けていなければ、頭にずぶり。
「天の国」行き確定だった。誤解を解かないままだったら、「地の国」行きも有り得る。
「俺はラルプ! 旅人だ! まだ姿は見ていないが、可愛い妖精さん! 名前を教えてくれ!!」
「名前? そんなのないよ~? でもでも~、プーパとでも呼んどけ~! さぁ、次はこっち~!」
妖精なのかどうなのか、プーパが左側に髪を引っ張ったので、唯々諾々と操縦される。
うわ、今度はでっかい石か。
これは駄目だ。二十人を超える彼らはーードワーフは完全に俺を殺す気満々なようだ。
「どうしたの? どうしたの? ドワーフのお酒に混ぜ物でもしちゃったの~?」
プーパの機嫌を損ねたら、命に直結する。
俺は、罪状を詳らかにする。
「逃がすな! あいつだきゃあ、生かしちゃおけねぇ!!」
「皮を剥いでっ、便所に敷いてやる!」
その前に、プーパが体ごと前に倒れたので、俺も突っ伏す。
「きゃは~?」
ぱしっ。
俺の頭から振り落とされたプーパを、右手でやわらかに捕球ならぬ捕精。
がさっ。ざざっ。
「迷いの森」では俺の食糧源になってくれたし、その内ちゃんと供養しよう。偶然居合わせた、囮になってくれた不幸な猪に感謝する。
「話せば長くはーーならないが、いつもの掘っ立て小屋に入ったらな、ドラッペたちだけじゃなくて、たくさんのドワーフがいたんだ」
「ほむほむ、それでそれで~?」
可愛い妖精だった。
右手の人差し指の感触が不味かったので、プーパを頭の上に戻す。
「最後だから、みんな集まって酒盛りかと思って扉を閉めたらーー」
バレたようだ。
猪の絶命の気配とドワーフの足音。
「いたぞ! ラルプ! お前がそんな奴だったなんてっ、見損なったぞ!!」
「ドンブラ! お前こそっ、賭けに負けたことをなかったことにしようとしているな!?」
「……そ、そんなことないぞ! おとなしく捕まれ! 拷問くらいで済むように、俺がみんなに頼んでやるから、なっ」
なにが、「なっ」だ。
なら、その狂戦士然とした血走った眼を、俺に向けるんじゃない!
「ひっ……」
こっちは問答無用か。
ドッチンの両刃斧が、深々と俺がいた場所の樹木に突き刺さる。
「ぐぬっ!?」
目になにか入ったのか、苦痛の声をあげるドッチン。俺がなにかをしたわけじゃない。プーパの仕業だろうか。
「……ラルプ。万死に値する。あられもない姿を見られた、乙女たちの仇。今、ここで首を取って、娘たちに謝らせる」
「そもそもドワーフ! 男か女か見分けがつかないじゃないか!!」
仕舞った。
うっかり思ったことをそのまま口にしちまった。
困ったことに、こんなときだというのに脳裏に記憶が再生されちまう。
ーー扉を閉めた。ドワーフがいた。着替えていた。髭面だった……。
実は、ちょっとだけだが期待していた。
子供くらいの背丈のドワーフの女性。言わずもがなのことではあるが、俺の魂はフラウズナに捧げている。
ただの、好奇心だ。そこに疚しい気持ちは、微塵も、微塵も……。
「ふんぬっ!!」
寡黙なドッチンは、気配を頼りに無茶苦茶に斧を振り回してくる。
「こっちだよ~ん!」
「騙されるな! そっちは陽動だ!」
離れた場所から聞こえる悪戯妖精の声と、近づいてくるドラッペの低い声。
魔法具はすでに使っている。
樹人の森をこうして踏破できているのが、その証左。
「ねぇねぇ、ラぁ~ルプ! 僕を信じられるかなっ、かな~?」
「信じる!!」
即断する。
こうして逃げ切れているのはプーパのお陰。
ならば、最後まで信じ切るのが男ってもんだ。仮に騙されるとしても、完全に騙され切るのが、妖精との付き合い方だと学んできた。
中途半端が最も不味い。
「うわ~ぉ、いいねいいね! 走ってるときも、あんまり揺れないようにしてくれたし~、ラルプが気に入ったよ! 助けてあげるよ~ん!」
ドッチンも遣り過ごした。
残りは、ドワーフの長であるドラッペ。
ごがっ。どがっ。
竜の歩みのごとく、彼は真っ直ぐに追い掛けてくる。
「すごいっすご~い! ドワーフの後ろに道ができるっ、だね!」
いくらドワーフとトレントが友好を築いているといっても、森林破壊は許してもらえないんじゃないだろうか。
ドワーフの長だけあって、怪力無双。再びプーパの操縦で、逃げ回る鼬ごっこ。
「酔っ払ったあとに、酒じゃなくて水を飲ませていたことを、まだ怒っているのか!?」
「知らんのか! ドワーフは酒に溺れても生きられるが、水を飲みすぎれば酒精が抜けて死ぬんだぞ!!」
殺人未遂か。短い友情だったな。
十周期後くらいに訪れたら、笑って許してくれるだろうか。
「じゃあっ、そ~ろそ~ろいっくよ~ん! 目をつむつむして~、お空の彼方まで突っ走れぇ~!!」
「了承した!!」
プーパの下知のままに、「天の国」まで駆け上がるつもりで全力疾走。
「待てっ、ラルプ!? そっちは駄目だ!!」
警告を発するドラッペ。
十周期後。十分に安全を確保した上で、彼に会いに行くことを心に誓う。
「ーーっ!?」
構うなっ、疾走れ!!
違和感をかなぐり捨て、怯みそうになる心を叱咤する。浮つく、というか、浮き上がるような心地のままに、大はしゃぎのプーパに導かれて走り続ける。
「ひゃっは~っ! 『捨て場』まで行っちゃれぇ~~っ!!」
足が地面を踏んでいない。
不安との戦い。「信じる」という言葉の意味を試されている。
「んぎぎぎぎっ!」
風を踏み締め、前に進む。
五十歩を超えた。ーーまだ続く。
もうやけくそだ! 「双雷竜」に飛び込んでいく勢いで最後の力を振り絞る!
どちゃっ。
「と~っちゃ~くっ!」
たぶん態とだろう。
プーパの合図の時機がずれていた所為で、つんのめって盛大にこける。
ぱしぱしっ。ごつごつっ。
鼻をぶつけて、つ~んとしているが、まずは体を使って地面の感触を確かめる。
「ーープーパ。もう目を開けても良いか?」
「ありゃりゃ、律儀だねぇ~! おりこうさんのラルプには~、祝福の接吻をしてあげよ~!」
「待てっ!? 唇はフラウズナのだっ、永遠な運命だから頬にしないと化けてでるぞ?!」
ちゅっ。
……天の邪竜め。
唇でもなく頬でもない場所に、細やかな感触。
「覚えてやがれ~~っっ!!」
目を開けて振り返ると、ドワーフの負け惜しみの叫びが轟く。
崖の端で、横にずらりと並んでいる様は、なんだかちょっと可愛く見える。
「うがーっ、おっ?」
「なにやってる! 引っ張り上げろ!!」
応えて手を振ると、何人か崖から落ちそうになっていたので、彼らから見えないように藪の後ろに隠れる。
というか限界。魔法具を解除し、空気を貪る。
崖と崖の間は、六十三歩。ドラッペの怪力でも斧はーー、
ずがっ。
……届いたようだ。ずりずりと、腹這いで崖から離れることにする。
「地図には、あんな崖、なかったはずだが」
やっとこ喋れるだけの余裕ができたので、恩人ならぬ恩精に尋ねる。助けてくれたお礼は、完全に呼吸が整ってからだ。
「ん~、そ~だね~。『捨て場』はないことになってるみたいだからね~」
まだ尋ねないほうが良いだろうか。
翅はあっても、翔んでいる姿を見ていない。俺の頭から振り落とされたときも、翅を動かす素振りを見せなかった。
ーー「捨て場」。プーパはそう言った。
想像力が勝手に羽搏く。不穏な言葉の響きから、様々に類推してしまう。
「プーパは、頼みごとをしたそうな顔をしていた」
ただお礼を言うのもなんなので、ちょっと捻ってみた。
起き上がって、右手を平らにする。ぴょんっと俺の頭から飛び下りたプーパは、ぺたんと手のひらの上に座る。
「妖精は老いるのか?」
「んー? 若いのは若いままで~、老けてるのはずっと老けてるままかな~?」
聞き方が不味かった。まだ頭がふわふわしているのか、明瞭さに欠けた。
「んっん~? どしたのどしたの、僕に惚れちゃった~?」
「フラウズナと逢う前だったら危なかったかもしれないな。プーパを見詰めちまった一番の理由は、人種に近い姿をしているからだ」
人種を、そのまま小さくしたような容姿。見た目は子供っぽいが、四肢や成熟具合からしてーー大人未満というところか。
よく見ると、白い貫頭衣が汚れている。
布の余りはある。時間が取れるなら、服を作ってやりたいが。
「これまで二種族の妖精に会った。双方、容姿は整っていたが、一精は肌が緑で、少し虫っぽかった。もう一精は、青というより水の色で、水の属性が強く発現していた」
「ありゃりゃ? ラルプは妖精が怖くない人なのかな~?」
南の二大陸ではどうか知らないが、各種族が犇めき合った「大地」では、妖精との接触は危険を伴う。
ゴブリンもそうだったが、「ラープの地」で生き抜くーー居住地を確保するためには、正に命懸け。だからこそ、軽々に相手の領分を侵したりはしない。
全周囲が敵のような状況。竜のような突出した存在でもなければ、居住地を、勢力を拡大することは、繁栄どころか滅亡に直結する。
それ故に、ドワーフとトレントの友好のような、微妙な関係も生じる。
複雑に絡み合いながら、殺伐としながらも安定しているーー俺が旅を続けていられる「大地」の出来上がりというわけだ。
「対策はした。妖精の住み処の、周辺の種族から情報を得る。それができなければ近づかない、ではなく、後回しにする。俺は旅人だからな、拒絶されないならいつかは会いに行くぞ」
「でっでっ、騙されたの~? 遊ばれたの~?」
ーー他人事だと思って楽しそうだな。
実際に、他人事というのは楽しいものだから、プーパの機嫌を損ねないように口を噤む。
ーー不味いな。
プーパのあどけない顔を、くるくると変わる愛らしい表情を見ていると、なんでも許しそうになっちまう。
「察ちゃん」が反応していないということは、魔力などの干渉を察知、感知していないということ。彼女自身の魅力ということだ。
プーパを頭に乗せると、さっそく操縦開始。
「幸い、人種に害意がある種族じゃなかったから、妖精のみなさんは俺で存分に遊び倒した」
「俺と」じゃなくて「俺で」だ。
生育の良くない、寂れた林を歩いていく。
「途中で逃げたりせずに妖精たちが満足するまで遊ばれて、情報通りに『妖精の贈り物』をもらった。ただ、それは緑妖精のほうで、水妖精のほうは。気づいたら、妖精の住み処の外にいて、体がぐっしょりと濡れていた」
「ほむほむ、濡れてただけ~?」
「たぶんな。その後、なにも起きなかったし、妖精たちを楽しませることに失敗したのか、或いは手順を間違えたのかーー」
亜人種の中でも、一風変わった性格を持つ存在。
稚気に富んでいるかと思えば、どこまでも残酷になれる、虫の羽を毟る幼子のような無邪気さ。人種の常識を持ち込むことの愚かさを骨の髄まで叩き込まれた。
「そろそろお礼を言っておこうか。プーパ、助けてくれて、ありがとう。命の恩精だからな、『結婚してくれ』以外の頼みごとなら、大抵のことはやってやるぞ」
「おっおっ、やっぱりわかっちゃう~? ラルプがいてくれて良かったよ~、もう間に合わないかと思ってたからね~!」
よくわからない生き物と擦れ違った。
俺を見なかったので、俺もゴブリンの出来損ないのような亜人に視線を向けないようにする。これは、どうしようか迷うーー、
「あっはっは~、聞きたそうな顔してるねっ、してるね~!」
という雰囲気を醸したら、乗ってきてくれるプーパ。
ドワーフの追跡から逃れられたことからもわかっていたが、「勘」を超えた「直感」のようなものを具えているようだ。
「プーパが言った、『捨て場』という言葉から想像するに。種族に馴染めなかった者が、やってくる場所なのか?」
「もっともっと~、はっきりしゃっきり言っても大丈夫だよ~!」
「そうか? じゃあ、遠慮なく。罪人、追放、異形、見せしめ、隠匿、口減らし、間引きーー」
「ちょっとちょっと~! 酷いよ酷いよ~、ラルプの人でなし~!」
「プーパはどれに該当するんだ?」
軽い調子で責められたので、俺も気軽に尋ねてみる。
「えっへん!!」
生き物らしい丸っこい死骸が転がっていたので、祈りを捧げる。
「むぅむぅ~、無視するな~! 僕は、『ラープの地』を救うために~、『捨て場』にいるのさ~!!」
頭の上で立ち上がり、踏ん反り返っているようだった。
「真っ直ぐで良いのか?」
「違うよ~! こっちだよ~、こっち~!」
げしげしっ。
右斜めを踏まれたので、林から出て岩場に向かう。
あっさりと「英雄」が見つかってしまったが、さて、どうしたものか。
「実はな、俺は頼まれて『英雄』を捜しているんだ。駄目元で聞くが、ーー俺と一緒に旅をしないか?」
「ふごっ!? やばいよやばいよ~! 『はい! 養ってください!』とか即決しそうになっちゃったよ~! この~、妖精たらしめ~!」
ごっごっ。
何度も跳躍して両足で打撃を与えてくるが、ーー思ったより痛いので、目の保養に移行する。
「ふわわっ?」
額の上に右の手のひらを。頭の後ろからも左の手のひらを。
翔べない、或いは翔ばないプーパは右手に乗ったので、胸の前まで移動させる。
「あそこの洞穴が目的地みたいだが、ーー周囲に生き物の気配がないな」
まだ距離があるので、俺からも頼みごとをしておく。
「見たな~見たな~! 僕の大事なとこを見たな~!」
「ああ、可愛い足の裏だな。それよりも、プーパはドワーフの集落まで行けるのか?」
「おっおっ、見る目があるね~! ぷにぷにの足裏は、僕の自慢のひとつなのさ~!」
「ドワーフに謝罪の手紙を書くから、届けてほしいんだ」
「む~ん? 謝ったくらいじゃ許してくれないと思うけど~? というか~、不可抗力みたいだから、謝らなくてもい~んじゃないかな~!」
「それでも、だ。どう思うかは、種族によって異なる。相手を傷つけたなら、謝る。どうにもならないこともあるが、どうにかなる可能性があるのなら、ちゃんと向き合う」
ぺたっ。
無防備に寝転がる、可愛い妖精さん。
わかってやっているんだろうが、ーー駄目だ、心臓が勝手に脈打つ。
「俺の負けだ。鼻血が出ない内に、動くのをやめてくれ」
「う~んとね~、連れていってほしい子がいるんだよ~?」
転と、うつ伏せになる。両手を組むと、その上に顎を乗せる。
足をパタパタと、上目遣いで見上げてくる。
「ねぇ、世界に果てなんてあるのかな?」
「じゃあ、目を閉じてごらん」
「こう?」
「どうだい? 君の心に果てはあるかな?」
「ううん、ずっと、ずぅ~と広がっているよ」
「『果て』を作ってしまうのはね、いつでも人のほうなのさ」
「それなら、世界に果てはないの?」
「わからない。じゃあ、二人で確かめにいこうか!」
「うん!」
ーーすまんっ、フラウズナ!
「双雷竜」に誓う! これは浮気じゃない! ただ勝手に心が、魂が奏でちまっただけなんだ!!
更に転。パタパタどころかバタバタさせる。
「僕も妖精の端くれだからね~、ど~だいどぉ~だ~い?」
「可愛いな」
「~~~~」
「炎竜になっているぞ?」
「ふみゃ~!? ずっこい! ずっこいぞっ、ラルプぅ~! 僕の一番奥までずっこんばっこん! 初めてなんだから優しくしなさいよ~!!」
人種を、或いは他種族を誘惑したのは初めてのようだ。
妖精だけあって、羞恥を覚える状況は人種と異なっているのだろう。
紳士の俺は、バタバタどころか手足をブンブン、見えてはいけないところまで露わにしちまっている炎妖精から洞穴に視線を移す。
「『連れていってほしい』というのは、俺の旅に同行させる、ということか?」
「それでもいいよ~? そうじゃなくてもいいよ~? それはラルプに任せるよ~?」
相手に委ねる。卑怯な遣り方だ。
そんなところは妖精らしいな。プーパに恩を返すにしても、まずは会ってみなければ始まらない。
「ここの上だよ~、さぁ、登ってこ~!」
瓦礫の上に降りようと跳躍したので、途中でつかんで頭の上に乗せる。
「ちょちょっちょっと~! なにするのさ~!」
「プーパなら大丈夫だろうが、俺には無理だ。ちょっと待ってな」
洞穴まで、まるで誰かが積み上げたかのような、瓦礫の山。
俺が登ったら、一歩目で崩れそうだ。
「おっおっ、もしかして魔法具を使うのかなっ、かな~?」
「魔法具ではあるな。ただ、この『遊ちゃん』は、ときどき遊び回っちまうことがある」
ーー白竜の羽根。
爺さんは冗談めかして言っていたが、このふんわりとした羽根を持つ生き物、魔物を見たことがない。
「魔具の要素も含んでるんだね~。『浮遊』の『遊たん』かな~?」
「幸運妖精さん、幸運妖精さん。どうぞ願いを叶えてくださいな」
リュックから取り出した純白の羽根を、頭上の幸妖精に渡す。
「浮いた~、浮いたよ~!」
渡す前に魔力を籠めておいたので、真っ直ぐ洞穴にーー向かわなかった。
「迷惑妖精さん、迷惑妖精さん。遊びすぎの『遊ちゃん』をとめてくださいな」
こんなことは初めてだ。まったく制御を受けつけない。
「僕はなにもしてないよ~! きっと『遊たん』は鬱憤が発奮だったんだよ~!」
「『遊ちゃん』は、衝突は回避してくれるから、気長に待つとしよう」
ーー間に合わないかと思ってた。
そう言ってプーパは安堵していたが、差し迫ってはいないようだ。
妖精の言葉は馬鹿にならない。魔法具内に残留した魔力で「遊ちゃん」が暴走、というか暴遊しているかもしれないので、プーパと遊覧飛行を楽しむことにする。
「歪な円形。周囲から隔離されているような土地。『双雷竜』の息吹でもぶつけられたようだな」
「そ~ゆ~噂もあるよ~?」
全体的に寂れている。活力がない、と言うべきか。
「おやっおやっ? 『遊たん』は遊び疲れたみたいだね~! ラルプの魔力が枯渇するまで僕が操縦し~てや~るよ~!」
「う、おっ!?」
「遊ちゃん」だと思っていたが「翔ちゃん」でもあったようだ。
「浮遊」の効果だけでなく「飛翔」の能力まで引き出してしまうプーパ。
「頼むっ、プーパ! 振り回されてっ、気持ち悪っ、酔っちまう!」
「い~こと聞いたよ~ん! 『可愛い』とか言って、僕を誑かそうとしたラルプなんて~、げろげ~ろだよ~!」
げろげ~ろ。
やっぱり妖精は信用してはいけない種族だった。
げろげろろ~。
魔力の枯渇。減魔症まで加わって、酷い有様だ。
りぃぃ~~ん。
「お~、響く響くぅ~! 綺麗な鈴の音だね~!」
「プーパに褒められて、『鈴ちゃん』も大喜びだ」
妖精も含め、「鈴ちゃん」の音色を聞くことができたのはプーパが初めてだ。
通常とは異なる、激しい「鈴ちゃん」。洞穴の中にいる存在に反応したようだが。
プーパのはしゃぎ様に鑑み、過度な警戒は控える。
「まさか、洞穴には竜でもいるんじゃないだろうな?」
「ん~? あいつだと思うけど~、竜じゃないよ~」
変わらず陽気なプーパの声。
それでも、不思議とわかっちまう。プーパを気に入って、心を許しちまったから。
酷い臭いだ。
死骸ともまた違う、禁忌に触れるような拒絶。
それでも体は前に進む。惹かれちまう。竜の遺骸だっとしても驚かない。
「俺はラルプ。旅人だ。喋れるんなら、名前を教えてくれ」
目が順応するまで待つ。
なにかに取り縋るような音。嫌な記憶が蘇る。
ーーコボルドの村で、追放されたらしいオーガと戦った。
勝利した。未熟だったが、魔法具に飽かせて、コボルドたちと討ち果たした。だが、誰もそれを「勝利」とは呼ばなかった。
半分以上が死んだ。犠牲者の大半は、戦士じゃなかった。死んだ子を抱きしめる母。戦死した父を起こそうと、揺らし続ける子供たち。
柵も、罠も、十分に機能した。オーガの生命力がそれを上回った。
敗北なのかどうかはわからない。
最後まで遣り切った。あのときの空白と、似た臭いがする。
「あ~も~! あいつはおっ死んだんだから~、好い加減棲み処から出なさいよ~!」
薄暗いが見えなくはない。「光球」の魔法は使わないほうが良いさそうだ。
「遊ちゃん」をほっぽっていったので、リュックに仕舞う。
「……っ」
生物なのかなんなのか、悍ましいものを抱えている。
感情は否定しない。見たままを受け容れる。その上で、その物体が、「優しいもの」のように見えた。
そう思えたのは、少年の姿。
失ってはいけないものを失ってしまった、涙も枯れてしまった抜け殻。一緒に、ついていくことができなかった魂が、暗闇に染まっている。
「食い物の前に、水だが。ーー飲みそうにないな」
プーパには抵抗したが、俺には無反応。
ずっと、なにも口にしていなかったんだろう。だが、餓死とも違う、衰弱具合。
「う~ん、う~ん、う~ご~け~!」
「プーパ。そろそろ説明してくれ」
「鈴ちゃん」が反応したのは、この「成れの果て」だったようだ。死して尚、護り続けているのかもしれない。
「見ての通りだよ~! あいつがおっ死んだから~、ルオを連れてってよ~!」
俺に任せる、と言っていたはずが、あっさりと本音を駄々洩れにする、愛すべき妖精さん。
連れていくだけなら簡単だ。洞穴から引き摺り出せば良い。
「壊れるだろうな」
生きているだけの屍を旅の相方にするつもりはない。
「プーパは、それを『あいつ』と呼んだ。ーー少年。お前さんが教えてくれないのなら、俺も『あいつ』と呼ぶことになるぞ。俺の命が尽きるまで、お前さんの大切な者を、『あいつ』呼ばわりすることになるぞ」
俺が初めて本気で怒ったのは、自分のことじゃなかった。
初めてできた友達を侮辱された。村の所有物だった頃、どれだけ蔑まれても、感情が波打つことはなかった。
叫んでいた。雷竜になったかと思った。
半殺しにされた。頑強だった俺と違い、病弱だった友人は、俺が回復する前に流行り病で「天の国」へと旅立った。
ーーしぬとき、ひとりじゃなくてよかった。
最期に、命の欠片を燃やして笑って逝った。そうだ、強い奴だった。なにより心が。
友人の分まで生きてやると、生き抜いてやると、そんなことしか言ってやれなかった。
「バぁ…ゥラ……」
怒りじゃないだろう。どこまでも透明な想い。
「バゥラっ、バゥラ!!」
嗚咽を背中に、プーパを引っつかんで洞穴を出る。
「プーパの友達のこと、教えれくれ」
「っ!? あいつはっ、あいつは友達なんかじゃないやいっ!」
こっちもか。
上着の袖を引っ張って拡げてやると、隙間に飛び込む涙妖精。
ーー友人の名前。大切な宝物。俺は胸に秘めた。
友人とした最後の約束。それを叶えてから、墓を造ってやる。友人が好きだった空が、遥か彼方まで見渡すことができる「双雷竜」の御座す山頂にーー。
プーパの旅。
もぞもぞもぞもぞ。
袖から奥へ。肘、二の腕、脇ーー肩に向かわず脇腹に。お腹を横断中、下に向かおうとしたので、手で防御。
お臍をぐりぐりぐりぐり。地震が発生。巨人の手が現れる。理想郷を目指し、ひたすら崖を登り続ける。空から竜の襲撃。気力を振り絞って背中に回る。無尽の荒野を駆け抜ける。
ぽんっ。
「痛い痛い、髪を引っ張らんでくれ」
顔を出したプーパが、旅路を振り返る。
頭の上まで登ってくるかと思ったが、左肩に移動して耳を、むぎゅっ、とされる。
「あいつは~、変な奴だったんだよ~。あいつと~、おんなじくらい変な赤子が捨てられたんだよ~。『捨て場』の腹減りだって近づけないのに~、あいつはずっと一緒にいたんだよ~」
「捨てられた。ーーということは、病気かなんかだったのか?」
「魔力異常かな~? そのまま死んじゃうだけの命だったんだけど~、あいつは生命力を注ぎ続けたんだよ~」
「十周期近く、生命力を与え続け、終には限界を迎えた、と?」
「始めは、この洞穴くらいおっきかったんだよ~。でも、あんなにちっさくなっちゃったんだよ~」
それを見続け、とめることは敵わなかった。バゥラの望みを、最期まで見届けた。
「魔力異常は治ったのか?」
「ど~だろ~ね~。ふつ~に生きる分には問題ないと思うけど~、根幹部分は~、属性は変わってないんだよ~」
「答えなくても構わない。バゥラは、命を懸けてまで、どうしてあの子を助けることにしたんだ?」
「それがわかったら苦労しないよ~。あいつ喋れなかったし~」
耳をむぎゅむぎゅしてくる。本当に大変だったらしい。
「永く生きてきたからね~、なにかを残したかったのかもしれないよ~?」
なにかを残すーーか。
短命。長命。ーーむずかしいな。永く、終わりが見えない生命が世界に還るのに、理由が必要だった。
考えた、刹那に否定する。バゥラも、俺と同じで、変な奴だった。なら、答えを勝手に決めちまう。俺だったら、きっとーー。
「やいやいやいやいっ、なにしてるんだよ~!」
「耳の穴に手を突っ込ま……、噛みつくのもやめてくれ……」
リュックから取り出した小説を開き、確認する。
「言葉を教えたのは、プーパ先生だな?」
「ふむっ、大先生が仕込んでやったよ~。でもねでもね~、あいつ以外には心を開かなかったから~、才能の無駄遣いも甚だしいんだよね~!」
少しだけ、陽気さを取り戻す温妖精。
「プーパはやっぱり、にんやり笑っているほうが似合っているな」
「~~~~」
「炎竜の再臨だな。世界に名立たる炎竜も吃驚だ」
「噛むっ! 噛んでやるんだよ~!!」
妖精の照れ隠しは結構痛かった。フラウズナに送る手紙にはそう書いておこう。
「妖精の贈り物」ーー魔布に穴を開け、切れ込みを入れる。下の部分を切り取り、紐にする。
「時間があったら、ちゃんと作り込んでやるから、今はそれを着てくれ」
「わぁ~おっ、きれ~な服だね~」
聞こえない聞こえない。耳の側だからって、衣擦れの音なんて聞こえない。
「この紐はどうするの~?」
「ん? こうして腰の辺りで結んでやれば良い」
「ほむほむ、可愛い結び目だね~!」
妖精のサイズからすると、紐というより、少し大き目のリボン。プーパの可愛さが引き立つ。
「はいっ! 『妖精の贈り物』だよ~!」
……俺にどうしろと?
とはいえ、受け取らないわけにはいかない。プーパの脱ぎ立てのほやほやを、大海原のようなどっしりとした心で、リュックの貴重品袋に入れる。
ーー洞穴に入る。
「俺はラルプ。旅人だ。喋れるんなら、名前を教えてくれ」
「……バゥラのともだち、……ルオ…です」
プーパからすでに名は聞いていたが、構わず尋ねる。
眼に光がある。今なら言葉が届く。
「『死にたいのなら死ね。生きたいのなら生きろ』。バゥラが憐れだな。『お前が生きないのなら、あいつは無駄死にだ。誰でもない、お前があいつを殺すんだ』。ーールオ。プーパの大切な『あいつを殺した奴を、俺は認めない。俺は一人でも旅を続ける』」
最後が少しおかしくなったが、ルオは気づかない。
俺の「言葉」じゃ駄目だ。まだ、足りない。かつて俺を導いてくれた「言葉」を、ルオに差し出す。
「ルオっ! あいつを殺すなんて僕が許さない! ぜんぶぜんぶっ、あいつのなにもかも! 欠片も残さずっ、もらってから行け!!」
バゥラが崩れる。砂のような、灰のような。
布袋を渡そうとしたが、ルオは首を振る。
「……バゥラの、ぜんぶをもらいました。ぼくがバゥラを、……バゥラといっしょに、世界をみにいきます」
言い足りないプーパを宥めながら、先に洞穴を出る。
「俺は、諦めの悪い男なんだ。ーープーパ。俺と一緒に旅をしよう」
「ほぎゃほぎゃほぎゃほぎゃほぎゃほぎゃほぎゃほぎゃっ!!」
「すまん。妖精語は、俺には理解できん」
左耳が千切れないか心配だが、プーパの気の済むまで自由にさせる。
「ルオを~、頼んだよ~」
「旅を始めた頃なら、断っていた。足手纏いなら、見殺しにするのが当然」
「ふっふ~ん? ラルプにも可愛い頃があったんだね~?」
「旅の相方なら、命を預ける。そうじゃなければ、連れて行かない」
見透かされてしまうが、最後まで言い切る。
ーー旅の同行者。
フラウズナと出逢い、リュリケイルと話すまで、考えたことすらなかった。
不思議だった。他者を受け容れるだけのものが、自分にあったことが。
他人の命まで背負えないと、勘違いしていた。対等な関係とは、そういうものではない。
「『永遠の伴侶』ーーフラウズナとの出逢いは運命だった」
一緒に行くと、心変わりしないように、プーパに軽蔑されることにする。
「~~~~」
おかしい。
女の前で、見知らぬ女を絶賛したというのに、軽蔑するどころか好感度が増しちまった。人種と妖精は、根本的なところではわかり合えないのかもしれない。
「ぱにゃぱにゃぱにゃぱにゃぱにゃぱにゃぱにゃぱにゃっ!!」
プーパには、なにか役割があるような気がした。もしかしたら、バゥラから引き継いだのかもしれない。
自意識過剰かもしれないが、そうじゃなければプーパは俺の相棒になってくれたはず。
俺はプーパを気に入ったし、プーパも満更ではないはず。フラウズナとの出逢いから、なにかが動き出したような予感。
「俺の、気持ちの持ちよう、かな?」
宝物も、価値に気づかなければ、ただの物でしかない。見る側、触れる側によって、景色は、世界は色彩を変える。
色彩を失った少年。
「見える景色を変えるぞ。心の準備はできているか?」
「……わかりません。今は、わかりません。でも、前にすすみます」
それで良い。バゥラに誓えたのなら、それで良い。
自分のことが一番わからないものだ。素直にそれを口にしたルオを、俺は気に入った。
色彩は塗り重ねられる。同じ景色であっても、振り返ってみれば、そこは別の場所にーー居場所になっているかもしれない。
旅をしなければいけない理由なんてない。やめたいならやめれば良い。俺は見せるだけだ。横を歩くだけだ。
「プーパ。……これまで、ありがとう」
「なんだよなんだよ~! これまで面倒見てきたのに~、今頃やっと感謝してくるなんて~、あいつが喜んじゃうじゃんかよ~!」
「……プーパには、そこまでめんどうみられていない。これからは、プーパとあそんであげられない。でも、きっとプーパに、ーーともだちに、いつか会いにもどってくる」
ぶっきらぼうなルオ。
プーパに男の子の心情を理解しろと言っても無駄だろうな。
「やることは盛り沢山だな。臭いから、洗って、ボロボロな服も、とりあえず俺の予備を貸して、近場の人種の村に行って、色々揃えないとな。あとはーー」
「あの、ぼくは、お金をもっていません。はたらいて、返します」
「そこは心配するな。プーパから『妖精の贈り物』をもらってある。戻ってきたときに土産話でもしてやれば、友妖精は満足してくれるさ、な?」
がさごぞがさごぞ。
「仕舞った!!」
プーパは妖精だ。失念していたわけじゃないが油断していた。
地面に降りたプーパを捕まえようしたら、俺の肩に手を置き、ルオが跳びあがる。
「っ! 届かな……」
「なんの!」
ルオの尻に肩を、狙いを定める。両手も使い、大空に向かってルオを放り投げる。
「うどわぁ~! 『遊たん』は~、相変わらず『天の邪竜』だよ~!!」
直角に曲がった盗妖精。
腕の外側に、追いにくい方向に逃げたというのに、ーー惜しい。
「掠っただけ、上出来だ。プーパも肝が冷えただろう」
落ちてきたルオを受け留める。
「『遊たん』は~、僕が飼い馴らしておくから~、ラルプが振られたら返してあげるんだよ~!」
「遊ちゃん」はプーパが気に入ったのか、洞穴の向こうにーー追い掛けられないところまで逃妖精を連れて行ってしまう。
「地の国」までだって追い詰めてやろうかと思ったが、それだとプーパの言葉に動揺したのが丸わかりだからーー。
「運命の伴侶」に免じて、今日だけは見逃してやる。
「……ごめんなさい」
「気にするな」
捕まえられなかったことを謝ったのか、友人の手癖の悪さを謝ったのか。
両方だろうな。
ーー不可抗力で、空を見上げちまった。
俺の手に座ったときの感触から、そうじゃないかと思っていたが。
「下着も作ってやれば良かったな」
緑妖精も水妖精も着いていなかったから、妖精とはそういうものなのかもしれない。
次に「捨て場」に来るときは、髪飾りかなにかの、プーパ用の小さな装飾品と、小さな布も含めた着替えを何着か用意してやろう。
「バゥラ。いってくるよ」
俺もきっと、こんな眼差しをしていたのかもしれない。
胸の奥に、温かなものが、熱いものがあることを知り、少年は突き動かされる。
「ルオ、行くぞ。『大地』を巡る、旅の始まりだ」
「ーーはい!」
一つだった影は、ひょんなことから二つに。
ーーそれから、また、俺たちは旅を続ける。