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旅人ラルプ  作者: 風結
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1話  迷いの森

 ーー森の夜は、寂しさが(つの)る。


 「ラープの地」で一番有名な物語の台詞(せりふ)だ。


 魔物がいない森に、焚き火の()ぜる音。


 数少ない、使える魔法で毎回、(たきぎ)から水分を飛ばしているというのに、一向に上達の気配はない。それでも効果はあって、少ない煙が立ち上って夜空へとーー。


 満月には特別な力でもあるのか、見上げていると古い記憶が(よみがえ)る。


 顔も名前も覚えていない、父さん、母さん。


 「天の国」に行ったら、二人に()えるのかなーー。


「ーー、……」


 ……と、冗談が言える程度には余裕があるが、そろそろ決めないといけない。


 引き返すか(いな)か。


「これで、何度目だったか」


 実は、二巡り掛からないと(たか)(くく)っていた。これまでの五周期の旅で経験を積んできたし、「迷いの森」を攻略するための魔法具も二つ持参していた。


 ……甘かった。


 もう、三星巡りも経っちまった。予定していた日数の三倍だ。


 森の規模からして、もうちょいだとは思うんだが、「魔酔い」に()られて森の入り口付近をウロチョロしているんじゃないかとの懸念(けねん)が消えない。


 もしそうだったら、さすがに(へこ)む。


「ーーにしても、これは遣りすぎだろう」


 俺は描き込んだ十枚目の紙をリュックの上の、紙束の上に重ねる。


 三周期前くらいから紙が安価になったから良いものの、そうじゃなかったら泣いているぞ。


 魔法具が二つあってもこれだ。「迷い」だか「魔酔い」だか知らないが、限度というものがある。


 これはもう、外界と完全に接触を()ったと見るほうが正しそうではあるが、それでもここまで過剰なことをするだろうか。


「これは、たぶん、趣味かなんかだな」


 なんというか、同じ「臭い」がする。


 「大地(ラープ)」を旅する、おかしな奴ーーそれが俺だ。


 「竜患い」なんて陰口を叩く奴もいる。亜人種が(ひし)めく「ラープの地」を巡るなど、確かに「変人」と呼ばれても仕方がない。


 精霊魔法なのかなんなのか、「迷いの森」に(ほどこ)した奴も、俺と同じ人種(じんしゅ)だったのだろう。


 執拗(しつよう)というか粘着質というか、或いはこだわりというか、そんなものを感じ取ることができる。


「里に着いたら、エルフは全滅していたとか、そんなのはやめてくれよ」


 ずっと(ひと)りだからか、悪い想像ばかりしちまう。


 これまで他者と接触しなかった最長期間は、二巡りだった。


 洞窟で崩落。泥水を(すす)りながら、ひたすらに掘り続けて、気が狂う寸前に抜け出すことができた。


 「迷いの森」の効果なのか、魔物はいない。(いのしし)と何度か遭遇した程度。


 もちろん重要な食糧源だからな、美味しく頂いた。


 もう、五度目の挑戦だったか。


 危険はないが一星巡りの期間となれば、精神的にきつくなってくる。黙っているのは良くないと、なるべく思ったことを口に出すようにしている。


 一巡り前から肉はなくなった。獣もいなくなった。


 飯はどんどん、味気なくなっていく。


 焚き火の上の、食欲をまったく刺激しない汁物(スープ)。帰りもこれを食わなきゃいけないかと思うと、それだけで気が滅入(めい)ってくる。


 獣がいなくなったのは、里に近づいているからだと自分を奮起(ふんき)させているが、三星巡りの徒労感は半端(はんぱ)ない。


 りーん。


「ーーっ」


 一瞬で(けぶ)っていた精神が活性化した。


 鈴の音。俺にしか聞こえない音。


 身の危険が伴う存在が近づいてきたときに、知らせてくれる魔法具。この「(りん)ちゃん」には何度も助けられている。


 「鈴ちゃん」は猪には反応しなかった。


 となればーー。


 短剣の位置を確かめる。防御のための魔法具を二つ、容器から出して露出させる。


 最重要なのは、生き延びること。だが、それだけじゃ駄目だ。俺の目的は、旅をすることーーなんだが、ただ「大地(ラープ)」を巡るだけじゃ意味がない。


 俺は、知りたいんだ。


 なにが知りたいかって?


 全部だ。全部知りたい。


 どだい無理な話だ。だが、この胸の炎が、欲求が消えることなんてない。


 そのためには、竜の尻尾をつかまなくちゃいけないときだってある。


 かさっ。


「ーーーー」


 ーー言葉を失った。


 警戒心などまるでなく、草木を掻き分けるように、その女は現れた。


 体が動かない。


 相手に敵意があったら、一巻の終わりだ。だのに、視線が、いいや、心なのか魂なのか、()かれちまう。


 こんなの、初めて「双雷竜」を見たとき以来だ。


 女は焚き火の近くにある石に、汚れるのも構わずに座る。


 嫣然(えんぜん)……端然(たんぜん)……ああ、語彙(ごい)の貧しさを呪いたくなる。この女の前では、どんな美辞麗句も陳腐なものになる。


 結わえた黄金(かみ)は、風よりも優しく囁く。切なさを(もよお)淡金(ひとみ)の至宝。


 緑を基調とした服から覗く、細い手足にそぐわぬ、豊かな双丘。金の刺繍(ししゅう)の、法衣のような外衣が神秘を囲って、見る者の心を(ゆる)やかに縛りつける。


 ーー()()を生き物として認識したら駄目だ。意識を無理やり引っ繰り返して、芸術品を眺めるように、女を観覧する。


「どうか、なさいましたか?」

「いいえ、自身の未熟さを思い知っていたところです。貴女(あなた)は美しい。ですが、それが内面を奏でるものであったとしても、囚われてはいけない。それでは、本当の美しさを見逃してしまうのだからーー」


 事前に決めていた通りの、紳士的な振る舞い(ゆうじんのまね)


 火を吐きそうなくらいの恥ずかしい言葉が自分の口から飛び出しているが、ここが踏ん張りどころと、雷竜に触れる覚悟で魂を打擲(ちょうちゃく)する。


汁物(スープ)、ですか。この匂いはーー、エルフの味覚に合わせたものなのでしょうか?」

「肉や乳は入っていません。文献では見ましたが、お口に合うかどうかーー」


 好奇心に揺れる女の瞳。


 魂ごと(えぐ)り取られるような、そんな瞳で見つめられたらーー。


 ああ、駄目だ、これは断れない。


 こんなものをハイエルフに食わせないといけないなんて、もしかしてこの女、俺を(おとし)めるために(わざ)と遣っていたりしないか?


「それでは、こちらによそってください」


 さすがに警戒しているのだろうか、女は腰の袋から取り出した木製の椀を差し出してきた。


 その際、手首の先の肌が見えて、ーー胸を掻き(むし)りたくなった。


 これはもう、毒だ。快楽の先にある、猛毒。


 「魅了」の魔法に掛かったのではないことが不思議なくらいだ。


 心身に異常があれば、魔法具が知らせてくれる。それがないということは、紛う方なくこの女の魅力ということだ。


「はい、どうぞ。お召し上がりください」

「ええ、頂きます。精霊と祖霊と世界と、紡がれる言葉に祝福をーー」


 短く祈りを捧げた女は、物を食べるために作られたとは思えない繊細な口に、汁物をーー、


「なにこれっ、美味(うま)っ!?」


 ばくばくばくばくーー。


「お代わり頂戴!」

「えー」


 竜が逆立ちしたありえないことがおこったみたいな状況だが、唯々諾々と溢れそうなくらいによそって手渡す。


「なによ、その目は。千周期ぶりだったから丁重に迎えようと思ったけど、面倒だから、もういいわ。それに、あなただって演技でしょ? お互いに取り(つくろ)うのはやめましょう」

「はは、やっぱバレてたか。慣れないことはするもんじゃないな」

「そうでもないわ。演技は中々だったわよ。単に、あたしは、あなたの独り言を聞いていただけ」


 うわ、それはちょっと恥ずかしい。


 考えてみれば当然か。侵入者がいれば、まず様子を窺うのは常道。もしかしたら、森に入ったときから見られていたのかもしれない。


「で。なにしに来たの?」


 きっちり二杯目を食べ尽くした女が、正面から尋ねてくる。そんな子供じみた所作さえ魅力的なのだから、本当に始末に負えない。


「俺は旅人だ。身分的には冒険者だが、各地を巡っている。理由は、好奇心や求知心ーーただ知りたいという欲求に突き動かされた、不治の病に冒された、愚か者だ」

「それはーー、運が悪いわね」


 女は自覚していないのだろうが、流し目の効果も酷い。()()()()()()()()、不埒な行いをしていたかもしれない。


 運が悪い、というのは悪くない。拒絶ではなく、遣りようによっては可能性があるのだから。


 亜人種との接触は、危険だけでなく理不尽が伴う。とはいっても、それは人種(ひとしゅ)の価値観に()る。種族が違うのだから、仕来(しきた)りや考え方が違って当然。


「俺は諦めの悪い男なんだ。『運』に左右される程度のことなら、問題ない。可能な範囲なら要求にも応える。エルフの里にーー」

「言い方が悪かったわね。そういうことじゃないのよ」


 三杯目を食べるか迷った女は、俺の言葉を遮って精霊魔法を行使する。


 水ーーではあるが、ただの水ではないようだ。女が手にした椀を、空気から抽出(ちゅうしゅつ)したかのような水塊が覆う。


 軽く手を振ると、霧状になって風に吹かれる。


「そうだった、まだ名乗っていなかったな。俺はラルプだ。物心ついたときには、親がいなかったんで、村の所有物だった。だから、ただのラルプだ」


 自分の名前を知らせ、相手の名前を知っておく。細やかだが、交渉を成功に導くための処方(しょほう)。この五周期で色々と学んできたことの一つだ。


「あたしは、リュリケイル。人種でいうファミリーネームみたいなものもあったけど、今は『ラースハイム』という二つ名で呼ばれているわ」


 二つ名で呼ばれることを、あまり快く思っていないようだ。この女ーーリュリケイルの性格に(かんが)み、もう一歩、踏み込んでみようか。


「リュリケイル、と呼び捨てで良いか? 或いは、リリーという愛称でーー」

「それは駄目。愛称で呼ぶのは構わないけど、『リリー』は駄目。ーーそうね、でも、その感性は褒めてあげるわ」


 光の精霊が遊び回るような、リュリケイルの優しい微笑み。


 「リリー」というのは、特別な相手だけが使える愛称なのだろう。恋人か、或いは伴侶(はんりょ)がいるのかもしれない。


「あなたの料理。レシピの公開と引き換えに、里に入ることはできたでしょうね。千周期ぶりの(まれびと)だから、それも有利に働いた」


 やわらかなリュリケイルの眼差し。


 それ故に、付け入る隙のない、完全な拒絶があった。


「でも、今は立ち入ることは許されない。ーー戦争が始まったから」


 かさっ。がささっ。


 リュリケイルと同じように、警戒心が欠如した歩み。「鈴ちゃん」が鳴らなかったということは、子供のハイエルフなのだろうか?


「リリーちゃ~ん、こっちにいるの~?」


 違和感なく耳に転がり込んでくる、甘やかな声。


 頭の天辺から、足の指の先まで、かつてない予感に震える。まるで「双雷竜」の息吹(ブレス)を浴びたかのような、世界の法則を揺るがす大衝撃。


「……ふぇ?」


 瞳が絡まる。立ち上がった俺。


 どこに隠し持っていたのか、細剣に手を掛けるリュリケイル。


 俺の歩みは止まらない。違う、止められないのだ。魂がそれを(こば)んでいる。


 俺の姿を見て、両手を淡い胸の前で重ねるハイエルフ。


 心掛ける必要もない。俺は自然と微笑み、触れれば壊れる宝物を包むように、その繊細な両手を包み込む。


「俺の名はラルプ。(うるわ)しき佳人(ひと)よ。御名前をお聞かせ願えませんでしょうか」

「は…ふ? ……フラウズナ、メル…ではなくて『エイムハイル』……です」


 逃さない。もう、彼女の瞳を逃さない。


 なにを考える、思うこともなく、俺は言葉を差し出していた。


「『一目惚れ』なんてものは、不誠実だと思っていた」

「……?」

「だって、そうだろ? 相手のことをなにも知らないのに、惚れちまうなんて、不誠実以外のなにものでもない。相手に対して、失礼ですらある。ーーだが、俺は間違っていた」


 一度、目を閉じて、開く。


 ひとときも、同じ瞬間が存在しないことを自覚する。積み重なるごとに色彩(いろ)を増す。


「見た瞬間に、触れた刹那に。これは運命なのだと、疑問なんて差し挟む余地すらなく、俺のすべてで理解(わか)っちまった。この身、無尽に砕けようとも、魂は常に(かたわ)らに。畢生(ひっせい)の、いいや、果てなき(つい)の世界まで共にあるためにーー」


 絆を()べて、奏でていたのは、失ったはずの憧憬(しょうけい)だったから。


「フラウズナ。俺の、ーー『永遠の伴侶』になってくれ」


 蕾が開いた。


 そんな、ほころんだ笑顔(やさしさ)を見せてくれたフラウズナは、永遠を誓う。


「はい……ぃぃいいっ、いやいいやいいやいいやいっ、リリーちゃんっ、いやいよ~っ!」


 リュリケイルの両手が「運命の伴侶」の蟀谷(こめかみ)に。


 ぐりぐりぐりぐりと、容赦なく頭を圧迫する。これは、もしかして嫉妬ーー、


「余計な勘違いをされる前に言っておくけど、あたしはフラウの味方よ。二人の邪魔をするどころか、協力してあげるつもり。そのために、まずはあたしの話を聞きなさい」


 なんて勘違いは雷竜が食べてしまったので、細剣よりも鋭い双眸のリュリケイルから一歩離れる。


「どう? 正気に戻った、フラウ? それじゃあ、ラルプの求愛に自分がなんて答えたのか、思い出してみて」

「……ほへ?」


 夢見るように、俺を見上げてくるフラウズナ。


 応えて、見詰め返す。


 腰まで届く、若草色の髪が風の精霊と戯れている。同色の、生命の芽吹きを感じさせる瞳は、知性の深い輝きに揺れている。


 可憐で、儚く、なによりやわらかな、優しい輪郭。


 生まれ故郷の村の、俺の所有者だった女にはなかった、憧れの、理想の体現。完璧という言葉の具現。


 骨格や体型から、子供ではないことがわかる。(くび)れてはいるが括れすぎていない、子供っぽさを醸す腰。その上の、わずかに服を押し上げている、ほのかな曲線。


 リュリケイルと同じく、金の刺繍の外衣。


 少しサイズが大きく、着せられている感があるが、それが良い。背伸びしているというか一生懸命というか、可愛さあまらず夢いっぱいというか、日向ぼっこの仔猫ですら、彼女には遥かに及ばない。


 ぼっ。


「ひゃうっ!?」


 炎竜を見るより明らか。


 炎竜の色に染まったフラウズナは、見掛けとは違い俊敏(しゅんびん)に、リュリケイルの後ろに隠れる。


 ーー残念。もっと至宝(フラウズナ)の姿を、心に響かせたかったのに。


「さっきの続きよ。まずは座りなさい」

「ああ、これからのフラウズナとの生活のーーっ、いいや、すまん! 『戦争が始まったから』からの続きだな!」


 見えなかった。


 気づいたら、剣先が(のど)にちょっぴり刺さっていた。


 口は笑みの形を作っているのに、目はまるで笑っていない。


 石に腰掛け、さすがに自重するべきだと、欲望(うんめい)に流されすぎたと(かえり)みる。フラウズナの前で無様を曝すことなどできない。切り替えて、頭を強制的に回転させる。


 リュリケイルの肩口から、ちょこちょこっと覗き込んでくるフラウズナが可愛すぎるが、血の涙を流す勢いで理性と悟性を叱咤(しった)する。


「戦争というと、ーーまさかっ、ドワーフとか!」


 ドワーフの集落がある鉱山は、「迷いの森」に隣接している。


 エルフとドワーフの仲の悪さは有名だ。ーーなのだが、ここで一つの事実に思い至る。


「『迷いの森』があるから、千周期、他種族との接触はなかった。となると、それこそまさか、ハイエルフ同士で争っているのか?」


 リュリケイルは首肯(しゅこう)する。


 彼女の醸す軽い雰囲気。危機感の欠如には、なにか理由がありそうだが。


「そうね。順を追って話したほうが良いかしら」


 目線で(うなが)されたので、自分の椀に汁物をよそい、リュリケイルに差し出す。


 ぼっ。


 俺の食器だったから戸惑っていたようだが、二人で沈黙していると、汁物が空中を移動していった。


 照れ隠しなのかどうか、フラウズナは精霊魔法を行使したようだ。


「里には、月の部族と太陽の部族がある。ハイエルフは、その永い寿命のせいか、(おおむ)ねのんびりとした性格なんだけど、矜持(きょうじ)だけはふんだんにあって、誇りを汚す、汚される行為を最も嫌悪しているの」

「戦争ーーと言っているが、どうも聞いていると、深刻そうでもなく、初めてでもないように聞こえるんだが」

「正解。ただ、幾つか問題もあるのよ。人種のラルプにとって大きな問題となるのが、戦争の期間。平均で三百周期。早くても百周期は掛かるわ」

「……すまん。もうちょい、わかり易く言ってくれ」

「わかったわ。じゃあ、フラウとラルプの問題に焦点を絞りましょう」


 椀がふよふよ~と漂ってきたので、残りを全部。


 それから愛情をたんまり注ぎ込む。


「意外に思うかもしれないけど、あたしは里で一番強いのよ。だから、今回の戦争での、月の部族の代表、若しくは裁定者となっているの。そしてフラウは、里で最も精霊に好かれているから、太陽の部族から選出されたーーというわけ」

「ちょっと脱線するが、若い二人が最強というのは、ハイエルフの中では一般的なのか?」

「いえ、例外的といえる事態ね。あたしのことは()いて、フラウは。里で唯一、大精霊を宿しているのよ」


 それは素晴らしい。と素直に賛辞を送れない事情があるようだ。


 リュリケイルの背後から伝わってくる食器が触れ合う音が小さくなる。


「フラウズナしか大精霊を宿せないのは、もしかして、その耳に原因があるのか?」


 俺は、リュリケイルの(とが)っていない、人種と同じ耳に視線を向ける。


「ラルプが思い描いているハイエルフは、南の大陸にいるわ。あちらにいるのは、通常のエルフよりも長い耳を持つ、精霊種のハイエルフ。そしてあたしたちは、分類するなら、『妖精』であり『半神』でもあるハイエルフなのよ」


 ここは余計な質問をするより、リュリケイルの話に耳を傾けたほうが良さそうだ。


 思い詰めた表情の彼女。


 小さく体が揺れたのは、フラウズナが背中に触れたからだろう。


 受け取ったリュリケイルは、極力感情を交えないようにして重い口を開く。


「あたしがフラウとラルプを応援する理由。ーーそれで、ラルプ。フラウは、どう?」

「世界で最も魅力的な女性だ。この世のすべての財宝を積んだとて、フラウズナには及ばない」


 がちゃっ。


 俺が断言すると、食器を落としたらしいフラウズナ。


「フラウが世界で最も可愛いということは、あたしも同意するわ。ーーでもね、里の男どもはそうじゃない。あいつらは、フラウのことを『ドワーフ』と陰口を叩いているのよ」

「それは、褒め言葉ではないよな?」

「当然。これはフラウが、精霊に好かれていることも影響している。(よう)は、あいつらのみみっちぃ矜持が許さないのよ。だからフラウを貶めて、誰も相手にしないことでーー」

「よし。ハイエルフの男どもを滅ぼしてこよう」


 緊急時用の、リュックの横の隙間から手を入れ、今回持ってきた十二個の全魔法具を取り出す。


「あ……、だっ、駄目! 待ってください!」


 リュリケイルの横を通り過ぎようとしたところで、フラウズナが飛び込んでくる。


 哀しい顔をさせてしまっているのは、紛れもなく俺の所為(せい)


 それでも、やらなければいけないことがある。のうのうと戦争ごっこをやっている奴らに、身の程というものを教えてやらなければならないのだ。


「心配ない、フラウズナ。殺しはしない。ただ、切り落とすだけだ。それに、子供たちには手を出さないーー」

「子供というのは残酷よね。あの糞餓鬼(クソガキ)どもは、日常的にフラウを揶揄(からか)っているのよ」

「リリーちゃん!!」

「なるほど。教育が必要なようだな」

「もうっ、二人とも! えいっ!」


 なっ!?


 草が、根っ子が、突然伸びて体に巻きつく。


 魔力で強化されているのだろうか、まるで鎖のように頑丈で、そのまま地面に引き倒される。


「ふ…え?」

「あら、凄いわね」


 さすがに頭が冷えた。


 勝手に動いて哀しむのは、フラウズナなのだ。俺は彼女のことよりも、自分の感情を優先させてしまった。


 初恋とはいえ、衝動のままに行動しては、彼女から呆れられてしまう。溜め息を吐きたいところだが、我慢して石に腰を落ち着ける。


「ひゃふっ!?」


 同時に、残念ながらフラウズナは、俺の脳を(とろ)かせるような声を発しながら、定位置(リュリケイルのうしろ)に戻ってしまう。


「その魔法具。もしかして、魔法を無効化できるのかしら?」

「いいや、そうじゃない。爺さんが言うには、魔力の渦を作り出して、乱す効果があるらしいな。とはいっても、単発でしか発動できないし、魔力の渦も強くないから、限定的な効果しか得られない」

「『永遠の伴侶』に、自分のことを知ってもらう、良い機会じゃない?」


 策士め。だが、否やはないので、魔法具を譲られるに至った、依頼の話をする。


「生まれ育った村から出て、人種の三つ目の村。そこは西と中央の境にあったから、三周期の間、拠点とすることになった。それだけ経てば人付き合いも増えて、村の有力者の一人である爺さんと、馬が合ったのか仲良くなった」


 「大地(ラープ)」の地図をリュックから取り出し、リュリケイルに渡す。地図を見た瞬間、彼女の口元に、好戦的な笑みが浮かぶ。


 里で一番強くなったという、片鱗(へんりん)が垣間見える。地図は彼女を経由してフラウズナに。


 まずは魔法使いが発明したという紙の質に驚き、ほどなくして地図に塗られた三色の色の意味を知り、動揺が伝わってくる。


「爺さんには娘が一人いたんだが、この娘さんは爺さんの面倒をまったく見なかった。それで、死病を(わずら)った爺さんは、『ラルプが依頼を達成したら、わしが生涯を懸けて集めた魔法具の半分を譲ることにする』と、俺と娘さんの前で言い放った」

「あらま。その娘さんとやらは、当然納得しなかったんでしょうね」


 そういう人物に心当たりでもあるのか、この先の展開も予想しているようだ。


 その予想はだいたい当たっている。


 そう、俺が貧乏籤(びんぼうくじ)を、或いは幸運を引き当てたということ。


「娘さんは、十人雇って、俺の邪魔をしてきた。自分じゃなにもしないくせに、『殺してでも阻止しろ』なんて命令を出していた。ここからも、この娘さんの性格が、どうやって育てられてきたのかがわかっちまう」

「それで、魔法具を持っているということは、その娘さんを『ぎゃふん』と言わせたのかしら?」


 もし違っていたら、俺とフラウズナの仲を邪魔してやる。そんな顔でリュリケイルは見てくるが、ご期待に応えられるかどうかはわからない。


「いいや、失敗した。俺は依頼を達成できなかった」

「ーーどういうこと? まさか、腹癒(はらい)せに魔法具を盗んできたの?」


 のんびりとした性格。リュリケイルは、ハイエルフをそう評していたが、彼女自身は当て嵌まらないようだ。


 ただでさえ男を惹きつけてやまないのに、極上の花(ゆたかなひょうじょう)が彼女を匂い立たせる。


「……たぶん、依頼を失敗することが、お爺さんの、本当の依頼だったんじゃないかな」

「さすがフラウズナ。見た目通りに、竜すら平伏すほどの知恵者だったか」

「ふぁ……」

「これはこれで、上手くいっていると言えるのかしらね」


 リュリケイルが生温かい目で見てくるが、「運命の伴侶」であるフラウズナには本心を曝け出すと決めている。


 依頼は二つあって、その一つを失敗したというだけだ。


 フラウズナの言う通り、事前に受けていた「二つ目の依頼を失敗する」という爺さんの依頼は完遂した。


「それだけじゃなかった。娘さんが雇った十人も、爺さんの手駒だった。娘さんは、最初っから最後まで、爺さんの手のひらの上だった」

「んー? よくわからないわね。その爺さまはなにがしたかったわけ?」

「さて、ね。爺さんは、明かさずに逝っちまったから、想像するしかない。親のありがた味というやつを、娘さんに教えてやったんじゃないかな。一人じゃなにもできないことを、無力さを思い知らせてーー」

「もうっ、なんでそんなにも二人は鈍感なの! お爺さんは、娘さんが大好きだったからに決まってるのに」

「ああ、俺が鈍感だった。許してくれ、フラウズナ。未だに爺さんの本心はわからずじまいだが、生涯を懸けて解き明かしてみせるので、幻滅しないでほしい」

「ふぁ…え、えっと、そんなこと……ないですっ! ラルプ様は素敵です!」


 ……「様」?


 (くすぐ)ったい、というより、むず(がゆ)い。だが、フラウズナがそう呼びたいというのなら、耐えて見せるのが男というものだ。


「俺も、『フラウズナ様』や『フラウズナさん』と呼んだほうが良いかな?」

「そ…そこは、今まで通り、呼び捨てで……お願いします」


 (ゆるが)せにできない、重要なこだわりがあるようだ。なら、最大限尊重しないといけない。


「ラルプの地図、面白いわね。『線』じゃなくて『面』で移動してきたのね」

「まあな。『大地(ラープ)』は亜人種が、各勢力が網の目のように居住している。始めは『線』で移動しようとしたが、いきなり(つまず)いた」


 フラウズナは地図を記憶したのだろうか、リュリケイルの手元に戻ってくる。


「山陰にあった、じめっとしたゴブリンの集落を通ろうとしたときだった。ーー数、というのは卑怯だよな。村を出ると決めてから、ずっと鍛えていた。だから、ゴブリン四、五人くらいなら、どうとでもなった。だが、二十人以上で襲ってきた」

「あら、でも生きて帰ることができたのね。それよりも、そこで諦めなかった根性のほうを褒めてあげるわ」

「ありがとさん。ーーあの頃は、なにも知らなかった。ゴブリンは、弱い。なら、どうやって生き抜いているのか。数を(たの)んで攻撃するしかない。繁殖力による数に()かせて、犠牲を(いと)わずに集団で仕留める」


 思い知った。思い知らされた。


 ーー村の祭りの日。その日だけ、潜り込むことができた。


 十歳になったとき、このままじゃ駄目だと、漠然と思った。


 どうすれば良いのか、答えなんてわからなかった。ただ、二つのことを必死でやった。


 強く、そして賢くなるために、全力で生きるようになった。人に見られないように木の棒を振り、他人の言葉を、見掛けた文字を、頭の中で何千、何万と唱えた。


 村長の家に、貴重な本があることは知っていた。見つかれば殺されるが、抑え切れなかった。


 そこで俺は出逢った。


 「ラープの地」で一番有名な、英雄の物語に。


 そうして旅立って、ーー一歩目で、自分が英雄ではないことを骨の髄まで刻みつけられたのだった。


「二人倒したら、纏わりつかれた。三人目に突き刺したら、そのゴブリンは死の間際まで片手剣を放さなかった。その間に、手に噛みつかれた。武器がなくなった。二箇所くらい刺されて、打撃も食らって、ーーあとはただ、死に物狂いで逃げた。真面(まとも)に使えない『治癒』の魔法だが、役に立ってくれた。ぎりぎり生きて村に帰って、偶々(たまたま)村に来ていた、その後に友人となる男の『治癒』で命を拾った。泥塗れ。股が気持ち悪いからなにかと思ったら、()らしていた。ゴブリンから病気をもらって、二巡り、生死の境を彷徨(さまよ)った」


 積み重ねの上に、今の俺がある。だから、情けなかった姿も曝け出す。


「ゴブリンを『匹』じゃなくて『人』で呼ぶのね」

「山陰のゴブリンとは仲良くなれなかったが、沼地のゴブリンを勘違いで助けちまったら、歓迎されるなんて事態になった。今でも沼地のゴブ(あいつら)とは仲良しだ。(しょ)(ぱな)のゴブリンで色んなことを学んだ。それからは、ちゃんと許可を得て、通してもらうことにした。できるなら、居住地に入れてもらって、過ごさせてもらった」

「なるほどね。この地図はーー辿って来た道筋は、ラルプの宝物というわけね。ーーあら? ここ、本当なの? リザードマンが生息する場所が青色ーー友好を結んだことになっているわよ」


 信じられない、というより、疑わしかったのか、地図を俺に見せ、リザードマンの居住地である湿地を指で示してくる。


「そこは、運以外のなにものでもないな。問答無用だった。囲まれた。その頃はもう、なにかあった際に、生き残ることを、逃げ切ることを最優先にしていたから、片手剣から短剣とナイフに替えていた。魔法具も持っていたが、それでもやばかった」

「そうね。奴らに有利な湿地帯なら、あたしでも逃げているでしょうね」

「リザードマンは三周期に一度、重要な儀式を行っているんだが、祖先……なのかどうかはわからないが、なにかに捧げものをしていた。だが、そのための供物(くもつ)が手に入らず、難渋(なんじゅう)していたところに、ひょっこり現れたのが俺だ」

「ぷっ、……くくっ、それで、ちゃっかり供物とやらも持っていたのね」

「ま、そういうわけだ。本当に、命懸けだったんだぞ。リザードマンとの約束だから、その供物がなにかは言えないが、殺してでも奪い取ろうとするリザードマンの前で、供物にナイフを突きつけた。人質ならぬ物質(ものじち)に取って、供物を傷つけるわけにはいかない彼らと交渉した」


 (はた)から見たら、滑稽(こっけい)以外のなにものでもなかっただろうが、俺もリザードマンも命懸けで交渉に当たった。


「でな、交渉の結果。……俺は『名誉神官』になった」

「ぶはっ! もう駄目っ、もう駄目! ラルプっ、あなた面白すぎよっ!!」


 お下品ですよ、リュリケイル。などと口にしたかったが、傑作(おかしなじたい)であることは俺も認めているので、甘んじて称賛(バカわらい)を受け容れることにする。


「リザードマンの居住地には、いつでも立ち入ることができる。それだけでなく、俺が通ると、リザードマンは『名誉神官』の俺に、深々と頭を下げてくるんだ。その特権を得るための条件が、三周期に一度の儀式に参加することーー」


 彼らを観察して知ったのは、「階級」が絶対だということ。隠し事とは違うから、二人には言わないが、俺は狙われていた。


 なにに狙われたのか。それは、(メス)だ。


 高位の「階級」である俺と交われば、地位が上がるのか、或いは名誉なことなのか、何度も何度も尻尾を(こす)りつけられた。


 すべての求愛を袖にし、せっかくの居住地に立ち入る権利だというのに、身の危険(ていそうのきき)があるから儀式のとき以外は立ち寄れなくなっちまった。


 そんな感じで、波乱万丈には、あと五歩くらい足りない愉快な旅を続けている。


「ーーそぅ」


 ととっ、不味い不味い。


 ーーそうやって笑っているほうが、澄ましているときよりも魅力的だな。


 フラウズナの前で、不用意な言葉を吐いてしまうところだった。冗談めかして言っても、リュリケイル相手だと、誤解を招きかねない。


「俺はフラウズナに魂を捧げているから、揺るがないが。リュリケイルは、ハイエルフの男どもに持てるんじゃないか?」


 そろそろ話題を転換しようと、水竜を差し向ける。


「勲章みたいなものよ。あたしを手に入れれば、次期族長の有力な候補になる。あたし込みでの、能力ということになるから。当然、あたしのこの体も、大きな報酬でしょうね」

「そんな投げ遣りな言い方をして、どうした? 俺が所有者だった女に、異性に対する嫌悪を植えつけられたように、正面から『男』を見れなくなっているのか?」

「あたしを見る目に『欲望』が籠もっていないのはそういうことなのね。あたしに(なび)かないで、フラウに惚れたところは、逆に信用できるけど」


 他人の恋愛は茶化すのに、自分のことには触れてほしくないのか、強引に話を逸らす。


「じゃあ、話の続きね。そんな感じで、戦争はほとんど被害を出さないんだけど、それでも、始まってから数周期は警戒が必要。だから今、あたしとフラウが里を長期間()けるわけにはいかない」


 さらに重要なことを、或いは骨子について話そうとしているのか、リュリケイルは足を組み替える。


 粗雑に見えて、臈長(ろうた)けた(さま)に見惚れそうになるが、意識して視線を彼女の目に固定する。


 フラウズナからは見えていないが、彼女は精霊魔法の使い手である。俺の一挙手一投足は、ーーいいや、そうじゃない、もっと自覚しないといけない。


 相手に好きになってもらう努力。だが、同時に、(いつわ)りのない自分を見せることを心掛ける。


 嘘の自分を好いてもらったとて、早晩破綻(はたん)する。そんなのは、俺が望む関係じゃない。


「ハイエルフはね、八百周期くらいから伴侶を求め始め、千周期から千二百周期の期間で想いを確かめ合って結ばれる。これが一般的なの。あたしもフラウも、千周期を超えたところ。とくにフラウは、まだ恋に恋しているような状態なの……よ…っ」


 リュリケイルの所見が気に入らなかったのか、フラウズナは親友の弱点を攻撃したようだ。


 脇腹でちょこちょこ動いているフラウズナの可愛い指をガン見していただけなのに、なぜかリュリケイルに睨みつけられてしまった。


「竜にも角にも、十周期。あたしも協力して、なんとか手がつなげるところまで持っていくわ。ちょっと急ぎすぎだけど、そうしないとラルプが生きている間に、接吻(せっぷん)もできないからね……て、フラウっ! 照れ隠しにあたしの脇腹を触るのはやめなさい!」


 (くるり)と石の上で回ったリュリケイルは、反撃に転じる。


「ん…ぁふ……、ひゃんっ!?」



  ーー風が、宝物の在り処を囁いている。

  でも、宝物に触れてはいけない。

  風の言葉は、きっと君を優しくしてしまうから。

  遥かな空へ飛び立たせて、見送ることだけが、

  君の想いを伝える、ただ一つの願いなのだから。



 ーーすまん。


 どうやら精神だけが「天の国」に旅立っていたようだ。


 ……これ以上、フラウズナの潤いのある声を聞いていたら、自我を失ってしまう懸念があったので、妄想した「双雷竜」に(よこしま)なものをすべて薙ぎ払ってもらう。


「構わない。一生を捧げる覚悟はできている。共に歩むために、その期間が必要だというのなら、運命の瞬間(とき)が来るまで(おのれ)を磨き続けよう」


 血の涙が流れていないのが不思議である。竜も驚く自制心を発揮し、フラウズナに誓いの言葉を捧げる。


 俺を見て、(じゃ)れ合うのをやめる二人。おかしな空気にならないよう、そろそろ頃合いかと、気に掛かっていた事柄を尋ねることにする。


「リュリケイル。俺は、『迷いの森』を抜けてここまで来たが、邪魔をしようと思えばできたんじゃないか?」


 どのような手段を用いて「迷いの森」を成しているかはわからないが、それ以外に俺を排除するような仕掛けはなかった。これだけのものを作り上げておいて、他に陥穽(かんせい)を用意していないなど考え難い。


「ふえっ? でも、リュッケンさんは見取り図を紛失(ふんしつ)したから、ーーあ」

「すでに予想していたことだから、フラウズナを怒るなよ、リュリケイル」


 フラウズナの失言。


 里の内情を俺に明かしてしまったが、聡明な彼女はリュリケイルの過失に思い至り、立場が逆転する。当然、俺はフラウズナの味方だから、彼女に荷担する。


「ご明察。リュッケン爺さんの見取り図を盗んだのはあたしよ」


 精霊魔法を使ったのか、リュリケイルの前に羊皮紙が現れ()でる。


 罪の告白の割には、あっけらかんとしている。その理由も語ってくれるのだろうが、今は目の前の現実に愕然とする。


「……一枚で済んじまうのか」


 リュックの上の、これでもかというほどに描き込まれた十枚の紙。


 魔法具を使って、三星巡り掛けて解いた労作も無駄だらけだったようだ。


「リュッケン爺さんの趣味なのかしらね。複雑なように見えて、実は単純で、十箇所に仕掛けてあるだけなのよ。最後まで、その仕掛けに気づかず、全部正面から解いていったラルプには、『ご愁傷様』としか言い様がないわ」


 確かに、リュッケン爺さんとやらは悪趣味なようだ。


 十枚の紙を見て、気づいた。十枚揃って、初めて解けるようになっているのだ。そして、解いたところで台無しにされる。


 リュリケイルの手にする見取り図を見ればわかる。十個の仕掛けは、組み替えが可能なのだ。


 仕掛けに気づいて、やっとこハイエルフの里に辿り着いたと思った瞬間に、森の入り口まで送り返される。ーーということなのだが、どうもリュリケイルは、見取り図の真価に気づいていないようだ。


 木を見て森を見ず。ハイエルフがそれで良いのか?


 俺の魔法具の効果も見抜いていないようだし、ならば利用させてもらうとしよう。


「なるほどな。リュリケイルが精霊魔法を使えば、俺は仕掛け自体に気づけなかったということか」


 ひょっこりと顔を覗かせたフラウズナは気づいたようなので、リュリケイルには誤解したままでいてもらうことにする。


 秘密の共有、ということでフラウズナとの絆を一つ作ると、彼女は照れ臭そうな顔で親友の背中に戻っていく。


「あたしが見取り図を盗んだ理由は、あとでフラウには教えるけど、まだラルプには秘密にしておこうかしら。ーーラルプがここまで来ることを見逃してあげた理由の一つは、精霊に好かれているから」

「そう、なのか? まったく実感がないが」

「ラルプの左肩にね、いずれ大精霊に至るかもしれない精霊がいるわ。その一精を感じ取ってみて」


 意識したらいけなかったのかもしれない。左肩を見てしまった瞬間に、乱れてしまう。


 諦めるという選択肢はない。フラウズナの前なのだ。


 ーー苦痛の内にあった自分を思い出す。


 崩落した洞窟には、自分以外にはなにもなかった。なにも見えない。自分で音を立てなければ、それだけで呑み込まれそうな孤独。


 どれだけ刺激に(かつ)えたものか。


 ただ掘り続けて、そして、肌を転がった風の吐息。


 外につながっていると、ここから出られると、命懸けで求めた。


「ーーーー」


 目を閉じる。呼吸をとめる。音を殺す。


 最後に。


 あのときと同じように、心音を意識から除外する。世界を切り落とす。


 フラウズナとリュリケイル。二人を見ていればわかる。きっと精霊は温かいのだろう。


 あの冷たい世界で、なにより(こいねが)っていたのはーー。


「ああ、左肩に精霊がーー、……なにも感じられないんだけど」

「それは残念。精霊の声が聞こえたなら、精霊魔法が使えていたかもしれないのに。ただ、もうちょっと、そのまま目を閉じていて。ラルプの肩にいる精霊は、変わっている、いいえ、特別なのよ。それを確かめるから」


 体が熱くなる。足音が聞こえたから。


 自明の理。確かめるのなら、精霊に最も好かれている者が行う。


「ーーっ」


 これは錯覚なのか、匂いが、気配が、存在が、俺を奏でる。


 わかっているつもりだったが、わかっていなかった。


 フラウズナを大切だと思う気持ち。これほどまでに痛切なものだったとーー。


「ーー、……」


 触れていないことが嘘だったと思えるほど簡単に、馴染んでしまった。


 (ひたい)(ひたい)が触れ合った刹那に。


 塗り替えられる。世界が色彩(いろ)を変える。


 予感がして目を開けると。同じように目を開けたフラウズナが。


 ーーあれ、なんだ?


 炎竜になったかのように、全身が熱い。心臓が跳ねすぎて、そのまま()ってしまいそうだ。なにより不味いのは、それが確実にフラウズナに伝わってしまっていて、でも、彼女も俺と同じだということも伝わってきているから。


 お互い、一歩下がる。同時に顔を背ける。


「お似合いの二人ね。でも、どうしてなのかしら、まったく羨ましいと思えないのは」


 ぼんっ。


「っ! リリーちゃんのっ、お胸に大きなホクロ~~っ!!」


 リュリケイルの言葉で許容量を超えたフラウズナは、他人の母親を侮辱する的な捨て台詞を残し、森の中に走り去っていった。


「ごめんなさい、ラルプ。あなたを殺さないといけなくなったわ」


 事実と真実が、がっちりと抱き合って一塊(ひとつ)になったかのような眼差しを向けないでほしい。


「は? なにを言っているんだ、リュリケイル? というか、フライズナはどこに行ったんだ?」


 先ほどから心臓に負荷が掛かりまくっているが、俺は遣り切った。


 きょろきょろと「運命の伴侶」を懸命に捜していると、リュリケイルの殺意が消える。


「ーー十周期前。覚えているかしら?」

「『雷鳴』のことか?」

「里の中では、『双鳴』と呼ばれているわ。ラープセンナ様とラープカイナ様。二竜の雷竜が姿を現すことは珍しくないけど、あのときは『大地(ラープ)』を揺るがすような咆哮(ほうこう)を放った」


 ハイエルフからすれば珍しくないのかもしれないが、人種からすれば稀事(まれごと)に等しい。


 俺が十二歳の頃だ。初めて雷竜を見て、心を、魂を奪われるほどに釘づけになった。


 遥か先の空で、二竜の咆哮が世界に轟いた。


「もちろん、覚えている。二竜の咆哮もそうだったが、その前の、()()()()がーー途轍(とてつ)もない魔力が世界を覆った」

「良かった。魔力波(あれ)に気づいていなかったら、話は終わりーーだったけど。他に気づいた人種はいた?」

「あのとき、村で気づいたのは俺だけだった。その後に、友人の一人も気づいていたと知った」

「あれが始まりだったわね。それから、幾度も世界規模の揺らぎがあった。でも、あの『双鳴』は特別やばかった」

「やばい? なにがだ?」


 南の二大陸でなにかが起こっている。「ラープの地」からでは知る(よし)もないが、只事じゃないのは確かだ。


 だが、俺の能力では、そこが限界。リュリケイル、()いてはハイエルフなら詳細がわかるのだろうか。


「あの『双鳴』はね、世界の魔力のすべてを用いた魔法だったのよ」

「は? ……そんなこと有り得るのか? リュリケイルが嘘を言うとは思えないが、それでも信じられない」

「ええ、わかるわ。あたしだって、フラウの言葉だというのに、始めは疑ってしまったもの。でもね、本当に『やばい』のはそのあとだったのよ」

「おいおい、まだなにかあるのか。そもそも、世界の魔力を使えるということは、世界(ミース)の魔力を掌握しているということじゃないのか? となると、まさか炎竜ミースガルタンシェアリが主導している?」


 「荒唐無稽」と言いたいところだが、実際に世界規模での異変が起きている。そんなことができる存在は限られている。


「ーー魔力を使う。規模が大きすぎるけど、それはまだ理解できるわ。でもね、その後、魔力で世界が満たされたのよ。失った魔力量を、()()()()()()がいるーーそんなこと、理解不能だわ……」

「その言い方からすると、魔力を使った存在と、魔力を戻した存在は別ということか?」

「恐らくね。前者の、魔力波は温かかった。精霊もはしゃいでいたわ。でも、後者は、薄気味悪かった。精霊は隠れてしまった」


 「雷鳴」を思い出したのか、両手で自分を抱き締めるリュリケイル。それから、竜に聞かれるのを恐れるかのように、声を潜めて懸念を語る。


「恐らく、ほぼ同時だったでしょうね。南の大陸から遠い『大地(ラープ)』だったから、二つの差異に、存在に気づくことができた。二大陸にハイエルフがいたとしても、気づけなかったはず。もしかしたら竜すらも、気づいていないのかもね」

「『魔王』でも誕生したのか? そんなの物語の中だけにしてほしいが……」


 軽口を叩いてみたが、「現実」の前にあっさりと屈服(くっぷく)しちまう。


 あんなこと、世界の支配者である竜にだってできないんじゃないか。もしそうなら、それこそ「魔王」すら(かす)むほどの、とんでもない災厄が発生しているのかもしれない。


「だが、『双雷竜』なら感知したんじゃないか? 人種だけじゃなく、ハイエルフだって手に余る、世界規模の異変だ。竜に任せたほうが良いような気もするが」


 俺の甘い認識を、リュリケイルは即座に打ち砕く。


「二大陸のことは二大陸に任せる。竜のことは竜に任せる。ーー先に言っておくわ。もし、『大地(ラープ)』になにかあったとしても、ラープカイナ様もラープセンナ様も、なにもしてくれない。ハイエルフが滅びても、人種が滅びても、気にも掛けない」


 わかっていたことではあるが、あえて言葉にされると、あの日に見上げた二竜の姿が遠のいていってしまう。


 俺の憧憬など、羽搏(はばた)き一つ、どころか、尻尾の先っぽから生じた風にすら(もてあそ)ばれて、「地の国」まで落ちていく。


「……それで、俺になにをさせたいんだ? 理由のすべてではないだろうが、俺を里の手前まで引き入れたのは、目的があったからだろう?」

「心配しなくても、英雄になって『大地(ラープ)』を救え、なんて言わないわ。ラルプは、そういう性質(タチ)じゃないでしょ?」


 英雄になりたい。


 完全無欠に消え失せたわけじゃない。現実を知ったところで、そう簡単に割り切れるほど、人種は上手く作られてはいない。


「ラルプに頼みたいのは、『英雄』を(さが)すほう。いずれこの地に災いが降り掛かるかもしれない。二竜がなにもしてくれないのなら、あたしたちで、『大地(ラープ)』に住む者たちでどうにかしないといけない。そんなことできるとは(つゆ)思っていないけど、この地を纏め上げることができる『英雄』を欲している」


 リュリケイルがどこまで本気なのかはわからないが、俺は依頼を断ることができない。


 俺とフラウズナが魂を結わえるには、リュリケイルの協力が必須。彼女が機嫌を損ねて邪魔をするなんて事態になったら、それこそ千周期の離別が確定。


「心配しなくても大丈夫。『英雄』が見つからなくても二人の邪魔はしないわ。ただ、気に掛けて、捜してくれるだけで良い」

「それは助かるーーが、想像もつかないな。俺が知っている範囲で、『英雄』に最も近いのは、リュリケイルだ。だがーー」

「無理ね。ハイエルフで、しかも女となれば、条件に(かな)わない。力だけがあればいいってわけじゃないし、あたしの魅力(びぼう)は、『英雄』向きじゃないわ」


 彼女の否定で、話はここで終わり。


 紙を一枚、リュックから取り出して書き込んでいく。


「なになに? さっそくフラウに求愛の詩でも書くの?」

「それでも良いんだがな。十周期と決めた以上、ハイエルフの時間に合わせることにした。()()()らないんなら、渡さずに帰るぞ?」


 持ち上げて、紙を(くるり)


 須臾(しゅゆ)。物凄い反射神経で、()手繰(たく)られる。


「これがレシピね。……ねぇ、ちょっと、これ本当なの? ガボンの実って書かれているんだけど」

「疑うのはわかる。あれが食べられるとは思われていなかったからな。だが、適切に乾燥させてやることで、あの味を出すことができる。問題は、乾燥させるまでだ。『汚染』という水準(レベル)で臭気を放つ。ハイエルフの里でやったら、全員窒息死するかもな」


 リュックから帰りの分のガボンの実が入った袋を出して、リュリケイルに手渡す。


 これで帰り道は、「飯」じゃなくて「餌」を食うことに決定。


「これはフラウズナへの贈り物だ。人種は通常、一個か二個使うんだが、ハイエルフは一個を十回から二十回くらいに分けて使ったほうが良いな。ーーちょろまかすなよ?」

「わかってないわね。料理はね、フラウのほうが断然(だんぜん)得意なのよ。貴重な食材だもの、フラウに作ってもらって、ご相伴(しょうばん)(あずか)るわ」


 (たか)るのかよ。と思ったが、早とちり。


 (ひと)りで食う飯は味気ない。親友に料理を振る舞う、フラウズナの優しい笑顔が思い浮かぶようだ。


「あたしも戻るわ。なにか、聞きたいことはある?」


 フラウズナの趣味。フラウズナの好物。フラウズナの、フラウズナの……。


 幾らでも浮かんできたが、急がないと決めたばかり。


「ドワーフ、だな」

「さようなら」

「ちょっと待て! 勘違いするな! 次に向かう場所の話だ!」


 逡巡(しゅんじゅん)せず(きびす)を返したリュリケイルを全力で引き留める。


「俺は旅人だ。ドワーフにも、当然会いにいく。助言するのも嫌だというのなら、聞かないが」

「あたしは結構柔軟な性格をしているけど、それでも感情がささくれ立ってしまうのが、ドワーフという存在。当然、あちらさんも似たようなもの。『エルフに逢った』なんて言わないことね。それと、あいつら鼻も()くから、服だけじゃなく体も、過剰なくらいに洗っていったほうが良いわよ」


 柔軟な性格。その言葉が正しいことを証明して、リュリケイルは去っていった。


 言葉はつんけんしていたが、立ち去る前の、(ほが)らかな笑み。


 心臓が跳ねた。目を奪われてしまった。


 フラウズナという「運命の伴侶」がいなかったら、遣られていたかもしれない。ちょっと迂闊でお馬鹿なところも垣間見えたが、それもまた彼女の魅力なのかもしれない。


 ハイエルフの里には辿り着けなかったが、それ以上のものを得た。


 深つ音に。


 ーーフラウズナの面影が消えないまま、眠りに()く。


 目が覚めれば、宝物が置いてあった。


 俺の名前が刺繍(ししゅう)されたハンカチーフ。


 ……俺は心を竜にして、ハンカチーフを布で包み、魔法具を使って厳重に「封印」する。


 勘違いしないでくれ。フラウズナのハンカチーフを「(ふう)ちゃん」を使って「封印」したのは、俺に変な趣味があるとかじゃないぞ。


 鼻が利くらしいドワーフに嗅ぎ取られないように、泣く泣くそうしただけだ。本当は肌身離さずフラウズナの優しさに触れていたいが、こればかりは仕方がない。


 準備は完竜。


 見上げても空に「双雷竜」はいないが、心は満たされたまま。


 ーーそれから、また、俺は旅を続ける。

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