Painkillerー5
「……こん畜生(Motherfucker)、やりやがったな……殺してやる。殺してやる! 殺してやる!! 殺してやる!!! 」
ついぞ忘れていた動物的で残虐的な何か――逡巡も恐怖も、一切の思考さえも押し殺すような、なにか。生来、人間にインストールされている、最も強靱にして残虐なプログラム。どうして、今まで忘れていたのだろうか。士官候補生の頃、戦闘訓練のたびに俺の身体を突き動かしていた、この感覚を。怒りと憎しみを、殺意という名のかまどに焼べる、この感覚を。他の何にも勝る、最大の原動力――純乎たる殺意の存在を。
うるせぇんだよ(Shut the fuck up)、この野郎。御託を並べて、過去の瑕疵から目を背け続けていたのはどこのどいつだ? 生徒の前で赤っ恥をかくのが怖いだと? ふざんけんな(Kiss-my-ass)! 過去の栄光にいつまでもしがみつきやがって! 殺せ、殺せ、殺せ、殺せ。殺せ、殺せ。お前を嘲う生徒も、友人ヅラしてお前を見下してたカールも、すました顔していながら小心翼々と生きてるお前自身も。全部まとめて、ぶっ殺しちまえ!
俺は肩で息をしながら、自嘲の微笑みを浮かべた。粘っこい脂汗が額をつたって目に滲みる。痺れ始めた左腕の拳をぎゅっと握る。Licは全身をバネのようにしならせて瞬時に起き上がると、アサルトライフルを腰だめにして点射した。ミニタイヤをフル回転させる。無造作に転がったコンテナを避けながら、薄暗い整備室を滑走する。30mmレミントン弾がコンクリートの壁に次々と穴を穿つ。壁面の銃創から陽光が差し込んで、幾筋もの光芒が薄暗い室内を切り裂く。
熱交換ユニットがオーバーヒート寸前に達した時、銃撃が止んだ。俺は入り口に背を向けて、室内後方のLicを見やった。どうやら残弾が底を尽きたらしく、予備弾倉も使い果たしたようだった。Licはアサルトライフルを乱雑に投げ捨てると、再び例のリズムを刻み始めた。トン、トン、トトトン。トン、トン、トトトン――一定の間隔で地面に打ちつけられる、黒々とした巨大な足。心臓の鼓動と、Licの刻むビートが同調する。
いや、待てよ…… このリズムには覚えがある。堅く封をした記憶の彼方に、このリズムはあった。ジューダス・プリーストの名盤『Painkiller』のギターソロ――うねるような高音のギターリフ。俺たちの青春。セピア色にくすんで色褪せた、過去の栄光。
俺は知っている、このメロディーを。
俺は知っている、このグルーヴを。
俺は知っている、このリズムを。
漠とした疑惑が確信へ変わろうとしていた。
「カール……? おい、カール・イグレシアス少佐! お前なのか!?」
漆黒の巨人は、ぴくりとも動かずに沈黙を保っている。落ちくぼんだ巨人の眼窩から、無機質な深紅色のアイカメラが、じっとこちらを見つめている。理性を取り戻した俺は、すぐさま三日前の訃報を思い出した。カールは死んだ。俺の親友にして、最も憎んでいたカールは死んだのだ。ともすれば、今俺の眼前に立っているのは何者なのか。だが、このリズムは紛れもなくカールのものだ。苛立った時に足でリズムを刻むのが、あいつの癖だった。
飛び道具を失ったLicは、左脇の格納ユニットからカーボン・ナノファイバー製のコンバットナイフを取り出した。右手にナイフを構えたLicは、ゆっくりと間合いを詰め始めた。一歩一歩、ゆっくりとこちらに向かってくるそれは、俺が最も直視したくなかった亡霊の姿だった。カールとの思い出が走馬灯のように去来する。
激痛に耐えながらリハビリに取り組む俺に向けられた、安堵に満ちたカールの表情。勲章を授かった時、メディアに流れたカールの晴れがましい微笑。ウエストポイントの卒業生として招待されたセレモニーで、あいつが語った切り口上のスピーチ。決して言葉には出さなかったが、あいつが俺を見るときの目には、侮蔑と汚辱と嘲りと憎悪が渾然一体となって同居していた。
「殺してやる……」
思わず言葉が漏れた。積年、鬱屈していた蟠りが、一挙に押し寄せて炸裂した。俺はふぅっと細くて長い息を吐き出した。整備用の管理者コードを入力して、メインシステムを開く。駆動システムの全項目の優先度を上書きする。すべての動力を左腕と下肢へと注ぐ。おびただしい数の警告とエラー表示が視界を覆い尽くす。
ディスプレイ表示をOFFにして、コクピット・ハッチを開け放つ。ハドソン川から吹きつけた穏やかな午後の風が、優しく頬を撫でる。整備室内に沈黙の帳が降りる。自分の鼓動が聞こえる。カールの吐息を感じる。漆黒の巨人と、褐色の小人――既往の落第生と、過去の優等生が対峙する。室内の中央に据えられたAT用の整備ドッグを挟んで、両者の視線が交錯する。互いが互いの出方を窺いながら、息の根を止めるべくその好機を探っていた。
「殺してやる……お前だけは、絶対に……」
蒼穹をたゆたう分厚い横雲が、昼光を遮った。俺の背後から降り注いでいた光線が、すっと薄まっていく。Licが先に動いた。俺は整備ドッグに向かって駆け出した。Licがドッグの影に隠れる。その刹那、全長六メートルのドッグが急速にこちらへ迫って来た。その場で反時計回りに九十度旋回する。俺のすぐ横をドッグが豪速で通過した。視界の上方から迫り来る気配を感じて、すぐさま後退する。寸刻遅れて、上空からLicが飛来した。着地した時の隙を狙って、俺は再びギアを入れる。か弱いタイヤが床面に摩擦して白煙をあげる。視界にLicのコクピットが迫る。俺はありったけの力を込めて、左ストレートを繰り出した。だが、Licは超人的な反応速度でそれに応じた。俺の拳がLicの装甲にめり込むのと同時に、巨大な刃が俺の左膝を切り裂いた。Licが吹き飛ぶ。左膝の装甲が真一文字に裂ける。俺は頽れそうになるのをすんでのところで持ちこたえると、再びLicに迫って加速した。
昏倒したLicに馬乗りになって、傍らに転がったコンバットナイフを手に取る。断末魔の足掻きを試みるLicのコクピットめがけて、ナイフを振り下ろす。黒々とした装甲板に、刃が深々と突き刺さる。Licはぴたりと動きを止めた。コクピットからは鮮血一滴出てこなかった。俺は、ふぅと短い溜息を漏らして、ナイフの突き刺さったLicの胸郭を殴り始めた。何度も何度も、何度も何度も、ひたすらに殴り続けた。ナイフの柄が潰れた空き缶のようになっても殴り続けた。第八世代型ジュラルミン装甲板に丸い穴が空いて、機体がコンクリートの床面にめり込んでも殴り続けた。
オーバーヒートに達した左腕から白煙が立ち上る。機械の神殿に、錆びついた金属音が響き渡る。それはまるで、機械仕掛けのケダモノが発する悲痛な慟哭のようだった。