Painkillerー3
心臓がはち切れそうになりながら、私は再び整備室に舞い戻った。最も人気のない所、機械仕掛けの神殿に、私は立っていた。人が出払った整備室は、ピラミッドにも似た荘厳な趣があった。整備用トルーパーのデッキスタンドが壁に沿って並んでいて、室内の中央にはATを固定するためのドッグが設置されている。高さ約八メートルの天井からは、無数の鉄鎖が蜘蛛の糸のように垂れ下がっている。灰色の床には機体搬入用のマーカーが無数に刻まれていて、色とりどりの線をたどった先には、整備工具や機体部品の入ったコンテナが無造作に転がっていた。
弾んだ息を整えながら、私はコンテナの方へ近づいていった。その時、コンテナの影で何かが動いた。咄嗟に腰に手を伸ばしたが、ヤード内では拳銃を携帯していなかった。身体に染みこんだ、セピア色に褪せた訓練の成果がそうさせたのだった。
「誰だ!」
候補生を叱咤する時の口調で、私は誰何した。コンテナの影から黒人青年が両手を挙げて現れた。その顔には見覚えがあった。自信に満ちた榛色の目、不敵に微笑む分厚い唇。煌々と室内を照らす蛍光灯の光に現れたのは、いつぞやの優等生、ダニー・ハリスだった。
「こんなところで何してるんだ」
ダニーも私の存在を認めたらしい。目を大きく見開くと両手を下ろし、俊敏な動きで直立姿勢をとった。
「練兵軍曹がお戻りにならないので、待機しておりました」
教科書的な角度で敬礼しながら、ダニーは言った。
「|なんだと《What's a fuck》…… まぁいい。とにかく、ここにいちゃ危険だ」
私は手近なコンテナのレバーを解錠し、ざっと中を検めると、その中へダニーを押し込んだ。
「いいか、絶対に出てくるんじゃないぞ! 何があってもだ! これは命令だ!!」
「承知しました」
私はダニー青年の目をじっと見据えながら、重々しい扉を閉じた。扉が閉まる直前、僅かな隙間からダニーは何か言いたげな素振りを見せたが、私は敢えて気付かなったふりをした。重々しい扉が閉まる鈍い音がして、整備室には不気味な沈黙が訪れた。ダニーの手前、誠実な教官を演じたはいいが、その後のプランは何も考えていなかった。首筋にすっと冷気が走った。心臓の鼓動がはっきりと分かった。私の手には黄泉への扉を開ける鍵が、しっかりと握られていた。
生まれて初めて感じる胃を掴まれたような恐怖に、全身がこわばった。全ての感覚が澄み渡り、身体がふわっと軽くなる。アドレナリンの過剰分泌だろうと一人の自分が透徹な推論を導き出し、もう一人の自分が今すぐこの場を離れろと絶叫している。その時、天井から伸びた機体固定用のチェーンがゆらりと振れた。足裏から振動が伝わって、全身を駆け上った。私は咄嗟にコンテナの影に身を潜めた。振動は次第に強まり、やがて巨人の足音が聞こえてきた。蒼白い蛍光灯の灯りが消えて、整備室は暗闇に満たされた。
私はじっと息を殺して、陽光の差し込む入り口を凝視した。足音が止んだかと思った次の瞬間、唯一の光源である入り口が巨人によって遮られた。灰色の床面に、巨人の影が伸びていく。それは私の足元に達して、ぴたりと止まった。私はコンテナの影に横たわって、ガタガタと歯を震わせた。Licが機械の神殿に足を踏み入れようとしたとき、鈍い金属音が響き渡った。私はひんやりとした床を這って、コンテナの影から入り口の様子を窺った。
黒光りしたLicが凹型パーツの下敷きになって倒れている。刹那、入り口の左側からジープが飛んできた。Licは素早く身を起こすと、引き締まった脚をムチのようにしならせてジープを蹴落とした。ジープの飛んできた方向から、隻腕のMDLが一機、雄叫びを上げながら突進してくる。スピーカー越しに轟いたその声は、マーシャルのものだった。バスケットボールのような頭部は吹き飛び、左膝からは白煙が立ち上っている。いったい何が彼をここまで突き動かすのか、私には分からなかった。
Licは大腿部から筒状の熱交換ユニットを吐き出すと、その場で跳び上がってMDLの突進を躱した。再びLicが地面に降りたった時、MDLの背中にはカーボン・ナノファイバー製の巨大なナイフが突き刺さっていた。トルーパーのコクピット――巨人の胸部――に、それは深々とめり込んでいた。マーシャルが死んだ。私の目の前で、あっけなく。溶岩のように溢れる薄桃色の液体を眺めながら、私は放心していた。
このまま為す術もなく、むざむざ殺されるのだろうか。かつては期待の新人、今は凡俗たる教官。物知り顔で候補生たちに戦争のなんたるかを説いているが、戦争から最も遠い所にいる卑怯者。時折ちらつく自分自身の影に怯えて暮らす、小心翼々とした生き方に甘んじていて良いのだろうか。寝食を共にした盟友たちが、あっけなく死んでいく――これが戦争なのだ。
いいぞ、やってやる……笑われたって構うもんか。私――いや、俺だって、カール・イグレシアスになれることを証明してやる。どうせ死ぬのなら、最期くらい輝いたっていいじゃないか。命の尽きた恒星が、光彩を放って散っていくように。
来いよ、最新兵器の木偶野郎(son of a bitch)