Painkillerー2
整備室を飛び出して、石造りの校舎を横切り、最も手近な第四シェルターへと向かう。灰色の校舎とグラウンドの間に設けられた石碑――第二次大戦で活躍したC大佐の格言が刻まれている――が、シェルターの入り口になっていた。重々しい石碑が横にずれて、地面から僅かな隙間が覗いている。私はほっと胸を撫で下ろし、シェルターに向かって声をかけようとした。その刹那、視界の隅に閃光が広がった。咄嗟に目をつむったのと同時に、私の身体はふわりと浮かびあがった。寸秒遅れて爆音が去来し、焦げ臭い黒煙があたりを覆い隠した。地面に叩きつけられた衝撃で、肺の空気が絞り出される。息ができないことで軽いパニックに陥りながらも、私はほうほうの体で校舎の方へ駆け出した。
心臓は高速でビートを刻み、恐怖で全身が総毛立った。一定の間隔で立ち並ぶ灰色の校舎を駆け抜ける。アドレナリンが全身を駆け巡り、感覚が澄み渡る。六つ並んだ校舎のうち、最も北側の建物が黒煙を上げながら崩壊していく。このとき初めて、私は聴覚が麻痺していることに気が付いた。隣り合う建物の間に置かれたベンチが、小刻みに震えている。立ち止まって様子を窺うと、足裏から振動が駆け上ってきた。振動は次第に大きくなり、私は咄嗟に校舎の影に身を潜めた。
堅牢な石造りの校舎を揺らしながら、機械の巨人が私のすぐ横を通り過ぎた。ずんぐりとした胴体に、ちょこんと乗った丸い頭という出で立ちは、一見すると巨大なクマのように見える。だが、足裏の小さなタイヤで地面を滑走するその姿は、紛れもなく整備用トルーパー:MDL―200だった。もとより整備用として設計されたこの機体は、人目に触れることを想定していなかった。そういうわけで、機体はくすんだ茶褐色に塗りたくられているし、頭部のアイカメラはトンボのような複眼構造になっていて、焦点の定まらない虚ろな目をしていた。いかにも野暮ったい、都会的なミニマリズムに欠けた機体で、正直言って私はこの機体が嫌いだった。
MDLが一機通過した後も、振動はしばらく続いた。ほどなくして、三機のクマが後に続いてやって来た。五本指のマニピュレータには、部品交換用の凹型パーツと、機体修復用のスプレーガンが握られていた。ダビデとゴリアテの戦いよりも分が悪かった。いくら数で勝っているとはいえ、相手が強襲用トルーパーであれば結果は火を見るより明らかだ。振動が収まったのを見計らって、私は再び北を目指して走り出した。北端の校舎の傍には、第六シェルターがあるはずだった。
私の向かう先には、四機のMDLが隊列をなして滑走していた。頭上には太陽が燦然と輝き、機械の巨人たちに光の矢を降り注いでいる。陽光を受けて茶褐色の機体が煌めいた。次の瞬間、崩れた校舎から巨大なナイフが飛び出し、先頭のMDLはあっけなく真横に吹き飛ばされた。黒煙をあげる瓦礫の向こう側から、それは姿を現した。全長約四メートル、スポーツ選手のような引き締まった体躯に、すらりと伸びた手足。第八世代型ジュラルミン(通称:スーパーエイト)の外装を漆黒に染め上げたそれは、ロッキード社製の最新AT、Lic―190に違いなかった。
三機のMDLがLicに襲いかかる。一機がスプレーガンをアスファルトに噴射し、残りの二機が凹型パーツで白兵戦を仕掛ける。Licは素早く身をかがめて、左右から迫り来る凹型パーツを難なくいなすと、腰だめにしたアサルトライフルを乱射した。私は反射的に地面へ伏せて、両腕で頭を覆った。私の後方数メートルにあったベンチが、木っ端みじんに砕け散った。再び顔を上げると、三機のMDLは伐採された樹林のように折り重なって倒れていた。
LicとMDLでは、 使われている人工筋肉や人工関節、メインエンジンに至るまで、すべての格が違いすぎていた。私は生まれて初めて感じる死の気配に囚われて、その場にへなりこんだ。最も恐れていた光景が、現実となった。実践経験のないベテランの戦闘教官が、唐突に戦場へ放り込まれたのだ。胸の内奥にしまい込んだ過去の亡霊が、頭をもたげて嗤っていた。
私が士官候補生だった頃、カールと私の関係が今よりも純粋だった頃、私は次世代のATパイロットを牽引する期待の星だった。基本戦闘訓練では誰よりも成果を上げたし、座学の時間にはできの悪い生徒たちにおかんむりの教官をなだめるのが私の役目だった。つまり、私は優等生だった。そんな私の座を虎視眈々と狙っていたのが、席次二番手のカール・イグレシアスだった。
カールとはバッグ・ドリルの時に知り合った。バッグ・ドリルというのは、山積みにした雑嚢から自分の雑嚢を見つけ出す訓練で、これを通して鼻垂れ候補生たちはチームワークの必要性を学ぶ手はずになっていた。これ以降、カールと私は常に行動を共にした。なんとなく波長の合う人間が人生の節目に現れると言うけれど、カールはまさしくそんな存在だった。多くを語らずとも、互いの思考を汲み取ることができたし、なによりも一緒にいて楽しかったのだ。
だが、今やそのカール・イグレシアスは少佐になった。そして数十年に一人の逸材と謳われた私は、こんな象牙の塔でくすぶっている。気がつけば、私の背後にいたカールは高嶺の花に、先頭をひた走る私は落伍者になっていた。腰椎固定手術が済んだ後、医師が言った言葉は今でも鮮明に覚えている。予後半年はかなり厳しいリハビリが続きますが、頑張りましょうね――ATパイロットの認定試験を半年後に控えた私に向かって、医大を卒業して間もないであろう青年医師はこう言ったのだ。
だが、この青年医師は大事なことを言い忘れていた。腰椎に金属プレートを入れたが最後、リハビリの成果いかんに関わらず、身体を限界まで酷使するATの操縦は極力避けなければならないということを。それはつまり、将来を確約された優等生の梯子を外すのと同義だった。
「ゲイリー教官! こんなところで何してらっしゃるんですか!」
ノイズがかった声が大気を震わせた。地面に尻餅をついたまま振り返ると、約一〇〇メートル後方から三機のMDLが隊列を組んでこちらに向かっていた。ちっぽけなプライドが、放心状態の私を立ち上がらせた。MDLが目前に迫った頃には、私は再び威厳を取り戻していた。かつての優等生というちっぽけな威厳を。白煙を吐き出して、私の正面でMDLが停止する。人工筋肉の塊で構成された機械仕掛けの巨人は、ぴくぴくと不気味な痙攣を引き起こしながら、私を見下ろしていた。
「シェルターが爆破された…… 気をつけろ、相手はLicだ」
巨人を見上げて、私は言った。
「ちぇっ! 分が悪いや。戻ってきたら、ターナーの店で奢ってもらいますからね」
冗談めかしてマーシャルは言った。スピーカー越しに肉声を得たMDLには、奇妙な安心感があった。
「あと何機残ってるんだ?」
「俺たちで最後でさぁ。あとの奴らは全員やられちまいました…… グースも、レオンも、クーパーも……」
いくつもの顔が脳裏に浮かんでは消えていく。つい数時間前までは冗談を言い合っていた友人たちが、糸が切れたみたいに次々と、あっけなく死んでいく。これが戦場というものなのかもしれない。
「気をつけろよ……」
巨人の足元を見つめながら、私は言った。死と対峙した人間にかける適切な言葉は、他に思いつかなかった。
「教官もお達者で」
私は、もと来た道を走り出した。決して後ろは振り返らなかった。ほどなくして、背後から轟音と爆風が押し寄せた。頭に浮かぶマーシャルの顔を振り払って、私は走った。