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叫び  作者: 池田
1/5

日常

「人って案外簡単に死んじゃうんだね」

 埃っぽいシーツの上にうつ伏せになって、足をばたつかせながら携帯をいじっていたマリが、さも今初めて知りましたとでもいう風に呟いた。身に纏った華美な下着のフリルが、痩せた太ももを撫でている。壁に取り付けられた薄型テレビに映し出されているのは代わり映えのないニュース番組で、そこには毎日毎日律儀に更新される悪い話題が次々と切り替わっていく。


『まだ幼い息子を殺害した若い母親は、躾のために殴ると息子はぐったりと息をしなくなったと供述しています』


 子供を殺す親は五万といるのに、親を殺す子供が少ないのはどうしてだろうか。

「マリが母親になったら、すっごい大切にするのになぁ」

 携帯を放ったマリは、ベッドヘッドに寄り掛かって煙草を吸っている俺の方へ四つん這いでやって来て、骨と皮だけの腕で首筋に擦り寄ってくる。金髪に近い派手な髪を大振りに巻いた姿は、いつもどこか間抜けでいて、そのくせ必要以上に余計なものをバランス悪く抱えている。きつい香水が煙草の匂いと混ざって、鼻をつく。

「堂薗さん、今日もほんとにしなくて良いの?」

 スーツのジャケットを脱いだだけで靴さえそのままの俺に、マリは懲りもしない様子で首を傾げた。

「女に興味ない」

「えー、それってほんとなの?」

「ほんとほんと」

「でも堂薗さんもてるでしょ」

 どうして女は、もてることと女に興味があることをイコールで結ぼうとするのか。等価に並ばない物が、イコールで結べるはずもないというのに。

「まあ、マリは楽してお金もらえるし、良いんだけど。でも、したくなったらいつでも言ってね。フェラには自信あるんだー」

「お前も物好きだな」

「んー。だって堂薗さんって、なんか他の人と違うし。威張り散らしたり、女は自分の所有物、みたいな顔しないから好きだよ」

 にこり、人形のように笑うその姿を見ても、特にどうとも思わない。男が女を自分の意のままにしようとするのは、自分の欲求を満たすためと、恐らくその女のことを好きだからだ。俺がこいつにそうしないのは、興味がないからだろう。こいつに限ったことではない、俺にはそういった感情が人一倍欠落している。

「ねぇ。堂薗さんは人って簡単に殺せるなって思う?」

 マリの意識は再び人の死に戻ったらしい。このソープランドがうちの組の息が掛かっていることは、ここで働いている人間には周知の事実になっているらしいが、頭もあそこも緩いこいつまで知っているとなると、少し店長にきつく言って聞かせる必要があるかもしれない。

「集金係が人殺しに関わることなんてないから、分からないな」

「嘘。堂薗さんがただの集金係の訳ないじゃん」

「なんでそう思う?」

「なんでって言われると難しいけど……」

 グロスで濡れた唇を何度か迷ったように動かしてから、

「でも、そう思うの」

 そう言って唇を真一文字に結んでこちらを見上げた瞳は、言葉よりも雄弁に物語っているように見えた。俺から滲み出るなにかを、確かに感じているらしい。

「お前、いま彼氏いるのか」

「え? うん、いるよ」

 きょとんとした表情は厚く塗られた化粧の下の幼い顔を微かに透かしていて、年相応に見える。

「その男のこと好きか」

「うーん。好きだけど、なんか優しすぎて物足りないかなぁ」

 無意識に滲ませる自慢の色を隠さずにそう苦笑したマリは、愚かだが可愛げがある。

「そいつとセックスするだろう。勃起したちんこがお前の目の前に突き出される。お前はいつもみたいに口を開けてそれを咥える。そのまま顎の力いっぱいそいつを噛み千切る。彼氏は出血と痛みによって簡単にショック死だ」

 顔色ひとつ変えずに言い放った俺の言葉に、マリはあからさまに顔をしかめながらも、最後には堪え切れずに噴き出した。

「お前の言う通り、人間なんて案外簡単に殺せるもんだ。手段をきちんと選べばな」

「今度彼氏とするとき、思い出して笑っちゃいそう」

「それは止めてやれ、プライドがズタズタだ」

 すでにマリはなんの話からこの話題になったのかなど忘れたようにベッドの上で笑い転げ、放り出した携帯を手繰り寄せている。

 頭の悪い女は嫌いじゃない。大袈裟な自己主張もしなければ、俺がこうだと言えばそうだと無条件に受け入れる単純な頭のつくりをしている。集金の途中で寄り道に小銭を渡して暇を潰すには丁度良い。

 点けっ放しのニュースでは、この近所で起きた射殺事件の現場が映し出されていた。



 シマの担当区域を順番に廻って、事務所に戻った頃には午後二時を過ぎていた。集金用のセカンドバッグは心許無い重みで、今月も半分の額も払えなかった酒屋のじいさんの顔を思い出す。寒さに赤くなった頬と白く粉を吹いた硬い手で、引き摺るようにビールケースを運ぶ姿。昔なじみのじいさんは組の上層部とも顔見知りで、組でなにか祝い事がある度に酒を注文するような関係だが、ここ最近の不景気と大型店舗の台頭に圧されて、生活するのがやっとのように見える。納める額も目に見えて減っている。さすがに上もそろそろ黙っていないだろう。じいさんのところで一杯振る舞われた甘酒も、とうに醒めてしまった。

 朝出て行った時にはほとんど人のいなかった事務所には、ある程度顔ぶれが揃っていた。毎日毎日飽きもせずに、卓を囲んで麻雀牌を洗う音を響かせるだらしない部下たちの姿に溜息を吐きながら、窓を開ける。煙草の煙で白く淀んでいた空気が、一瞬で外に吐き出されていき、かわりに冷たい北風が滑り込んでくる。事務所の入った雑居ビルと道を挟んだ反対側のビルには無認可の保育所が入っていて、そこからは相変わらず火のついたような赤ん坊の泣き声が漏れ聞こえていた。

「堂薗さん、お疲れ様です」

「おー、お疲れ」

 金庫にセカンドバッグをしまっていると、頭をオレンジ色に染めたまだ幼い顔立ちの新川が駆け寄ってきた。

「すいません、明日は俺も一緒に行きますんで」

「いいよ、俺が好きでやってる仕事だからな」

「だけど……」

「お前の方こそ、仕事には慣れたのか」

 煙草を咥えると咄嗟にライターを差し出そうとした新川を制しながら、そう尋ねる。

「あっ、はい。須藤さんに聞きながら、最近は一人でも夜出たりしてます」

「そうか。まあ、慣れてきた頃が一番危ないから、調子に乗り過ぎないようにな」

「はい、ありがとうございます!」

 忠犬よろしく背筋をピンと張った新川は、嬉しそうに卓を囲んでいる奴らの中に戻っていく。不良崩れで高校を中退してふらふらしていたところを、ヤクの売買で顔なじみだった須藤が拾い、事務所に出入りするようになってひと月ほどになる。根が真面目なのだろう、事務所のトップが集金係をやっているこの現状になかなか慣れないらしく、ことあるごとに尻尾を振ってついてきたがる。恐らくなにかしら聞いているであろう須藤は面白がっているのか、新川にはなにも言っていないらしい。

「堂薗さん」

「おう、須藤。新川のことちゃんと飼い慣らしとけよ、お前の部下だろ」

「気をつけます」

 須藤は自分がしたくないことにはいつも生返事だ。眼鏡の奥の温かみのない瞳をこちらに向けながら、口先だけが動いている。

「堂薗さん、オヤジから連絡来てます。戻ったら本部に来いと」

 思わず漏れそうになった溜息を飲み込み、代わりに車を表に回すよう指示をする。手ぶらのスラックスのポケットから鍵の音を鳴らしながら、須藤は誰にも目もくれずに事務所から出て行った。


「ニュース、見ましたか」

 便利だからという理由でいつも通り助手席に乗り込むと、白い車体はすぐに動き出した。そもそも今日は何曜日だったろうかと携帯を一度取り出すと、メールを知らせるランプが点滅している。

 開くと、今日はシチューだよ、と簡素な文面があった。今朝から一気に冷え込み始めたからいいな、と心の中でだけ返事をする。

「今月で二度目だな」

「ええ。一部の連中は随分と息巻いてるみたいですよ」

「どうせ成瀬のところだろう。あそこは血の気が多い奴らが揃ってる上に、暇を持て余してる」

 今時の暴力団は案外普通の人間が多い。昔のヤクザのような誰彼構わず手に掛けるような馬鹿な連中は時代遅れだ。うちの組も体系的には一般的な会社のようになっていて、シマの担当区域の店の経営なんかをメインにしている。薬を売り捌いたりするご法度行為を担当するのは、警察に連れて行かれても吐くことも無いような下っ端ばかりで、いわゆる暴力団構成員といわれる奴らは基本的には法に触れない、普通のサラリーマンとなんら変わりのない仕事をしていることが多い。まあ、表向きには、だ。

 そんな中でも、成瀬という今時あり得ないベタベタなオールバックに鍛え上げた身体を誇示して歩く奴が頭をしている事務所には、血の気の多い者ばかりが集められている。いざというときの戦闘要員を集めた事務所という訳だが、警察の取り締まりが厳しさを増している今、ヘタにそいつらにお呼びを掛けることはほとんどない。おかげであそこはいつも閑古鳥が鳴いている。

「この間の桜木組の傘下の事務所をやる仕事が自分のところではなく、堂薗さん個人に回ったことが耳に入ったらしいです」

「はあ……ってことは、今日はあいつがいるのか」

「恐らく」

「面倒以外のなんでもないな」

 俺だってオヤジから直々に仕事を言いつけられることを好き好んでいる訳じゃない。あの煩い口を塞げるなら、仕事なんていくらでも回してやるというのに、成瀬はもう随分とこちらを目の敵にしている。俺はシマの集金係で手一杯だというのに。



「おい、ニュース見たか」

 オヤジのその言葉にうんざりした気持ちを隠して薄ら笑いを浮かべていると、待ち切れんと言わんばかりに部屋の出入り口付近に立っていた成瀬が声を荒げた。

「オヤジ、今回は俺にやらせてください」

 絨毯を踏みしめるように俺の隣までやって来た成瀬は、筋肉でだるまの様になった身体を趣味の悪いストライプ柄のスーツに包んでいた。

 本部の三階にある部屋はオヤジのプライベートルームも兼ねており、いくらするのか分からないゲテモノのようなオブジェが部屋を彩っている。仁侠映画に出てくるような額縁の掛けられた部屋は、この桐島組の本部にはひとつも無い。あるのは懇意にしている取引会社の上役を通すための応接室や、一般企業と変わらない会議室のような部屋ばかりだ。どこの暴力団も、今や社会のはみ出し者ではなくなり、多くの企業と取引をする立派な会社だ。

「成瀬、俺は堂薗と話しているんだ」

 そのひとにらみで、成瀬はあっさりと口を噤んだ。オヤジの言うことは絶対だ。特に成瀬のように昔堅気の人間にはそれ以上のものはないだろう。

「拳銃を一丁用意して頂けますか」

「もちろんだ。一丁でいいのか」

 こうしてくすねた拳銃が、うちの事務所の金庫には山のように積まれていることを知っているはずのオヤジが何も言わないのは、俺への信頼か、それともいつでも切り捨てられるという考えからかは分からないままだ。この人がその気になれば、俺一人この世から消し去ることなんて至極簡単なことだろう。

「一人でそう何丁も持って行っても、邪魔なだけですからね」

「そうか。だが、今回はもう一丁くらい持って行け。やってもらうのは桜木組の若頭だ」

 その場にいた組員から、思わずどよめきが湧いた。マリのいるソープで流れていたニュースを見た限りでは、今回射殺されたのはうちの傘下の若い人間一人だったはずだ。その報復に命を取る相手が若頭とは、随分と価値の差が生まれる。今月初めにやった相手は、確か犯行を起こした本人だった。拍子抜けするくらい呆気なく死んでいった。手ごたえもなにもなかった。俺は自分がやったそいつの顔を、翌朝起きたときには忘れていた。

「……」

「桜木のオヤジも随分もうろくして来たらしい。そうしないうちにあのボンクラ息子がトップに変わるだろう。だがあのガキは甘やかされて育ったもんだからな、極道の道理ってもんを知らねえ。そういう組がひとつあると、迷惑するのはその他の組全部だ。早いうちに摘んじまった方がいい」

 煙草と酒で黄色く濁ったオヤジの白目が、ギトギトと光っていた。この世代の組の上層部には、こういう顔をした人間が多い。

 暴力団の組をひとつ潰すとなれば、シマの取り合いでその後の抗争が始まるのが定石だが、オヤジのこの口ぶりからするに、その後の話はもう他の組との間でついているらしい。あとは俺が滞りなく標的を殺してくれば万事上手くいくといったところだ。オヤジのこの行動を信頼ととるには、もう俺はこの世界のことを知り過ぎている。

「分かりました」

「おう、頼んだぞ。チャカ受け取って帰れよ」


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