【電子書籍化】捨て犬♂に侵略されまして
私は2年前、20歳の時に両親を失い、住み慣れていた王都の一軒家を売って、この街で冒険者御用達の定食屋で働きながら小さなアパート暮らしをしている。広めのワンルームにキッチンがついて、シャワーとトイレも別々に完備、そして2階の部屋と思えるような大きな屋根裏がある、お気に入りの家。
私は今日も仕事の疲れを癒そうと、唯一の贅沢である紅茶を楽しんでいた。
するとドンドンと玄関の扉を叩く音が聞こえる。どなたですか?と聞くが誰も反応はなく、鍵穴から覗くが誰もいない。
「みゃー、みゃぁあ!」
「あら、クルル?」
「みゃー」
するとここら辺のご近所仲間で可愛がっている猫のクルルの声が聞こえてきた。クルルは日替わりで各家に上がり込んで夜を過ごすのだが、今夜は私のところに泊まりに来たみたい。きっと誰かがクルルの代わりに扉を叩いていったのだろう。
「いま開けるね…………ひゃ!?」
そしてドアを開けると玄関の外には灰色のクルルと、見知らぬ人間が鞄を抱き締めてドアの前で寝ていた。柔らかそうな亜麻色の髪をした男が転がっており、クルルは素通りして部屋に入っていく。
「あのーどちら様ですかー?」
私は恐る恐る男を確認すると自分より少し年上のような顔立ちで、その顔も赤くてお酒の臭いがするし、どうやら酔っぱらいが家の前で力尽きたようだ。季節はすっかり春になり夜はさほど寒くないが、朝は冷え込む。放置すれば確実に風邪を引きそうだ。
「起きて下さい!帰らないと風邪ひきますよ」
「んー?帰る?俺はどこに帰れば良いのさ……ひくっ」
「………………はぁ」
どうやら自分の家がどこかも分からないほどに酔っているようだ。しかし迷子がいると警備隊を呼ぼうにもこんな夜中外を出歩く方が危ないし、夜も遅くご近所さんに助けを求めて迷惑をかけたくない。でも見捨てることもできない。
「仕方ないですね。起きてくださーい」
「んー?」
「家にどうぞ入ってください」
とりあえず廊下で寝てもらおう。床は堅いけど絨毯と毛布を敷けば温かく、外よりましだと思い男に提案する。私は起こすように体を揺すると男は目を明け、すくっと立ち上がる。女の私では脱力した男など運べないので自ら動いてくれたことに安心したのも束の間……なんと男は私を無視してリビングまで入り、見渡し、目的の場所を見つけたかのようにベッドに一直線に向かってダイブし、寝始めた。
「嘘でしょ?起きてよー!」
「………………ぐぅ」
「あぁ……もう…………はぁ」
深いため息をついても仕方ないだろう。入ってくださいと言ってしまった私の自己責任だ。でも男とふたりで同じ部屋で過ごすのはさすがに怖い。屋根裏部屋で寝ることも考えたが、酔っぱらいに部屋を荒らされては堪らない。私はタオルで男の手足を縛り、武器になりそうな灰かき棒を持って椅子に座って見張ることにした。
でも日中働き倒し、疲れた体は次第に船を漕ぎ、意識は夢の中に沈んでいった。
「みゃー」
「………………」
「みゃー」
「クルル…………っ、きゃ!」
クルルの声に起こされ目を開けると見知らぬ男が私の顔を覗きんこんでいた。縛ってあったはずなのにと彼の手足を見るがやはり自由になっており、タオルはほどけて床に落ちていた。
眉間には深い溝ができ、頭を片手で押さえる不機嫌そうな男が怖くて私は慌てて灰かき棒を構えようとするが、それは既に男の手の中だった。
私が怯えるように固まって男と見つめ合っていると、先に男が口を開いた。
「どういうことか説明してくれませんか?…………っ、すみません。先に水下さい」
男は不機嫌なのではなく、ただ二日酔いが辛いだけだったようだ。保冷庫にあった冷たい水をコップに注ぎ渡すと、男が一気に飲み干したのを確認して昨日のことを伝える。
「あのね、あなたは夜中に突然ドアを叩き、人様の玄関で寝て、起こしたら勝手に部屋に入って、私を無視してベッドで寝て……随分な酔っぱらい様でしたよ」
「…………そんな、大変申し訳ありません。俺はなんて迷惑と失礼なことを……だから縛られてたんですね。なんてお詫びをしたら……」
「本当にね」
昨日のことを詳しく説明すると男は深々と頭を下げる。先ほどまで感じていた恐さは消え、揺れる新緑の瞳はしょんぼりとした子犬のようだった。
反省しているようだし、本人に悪気は無いようだからこれ以上は怒らないでおこう、さてどうしようかな?と時計を見たら出勤の時間が迫っていた。無遅刻無欠席が自慢の私がここで記録を途絶えさせるわけにはいかない!
「ちょっと目をつぶってて!」
「え?」
「仕事に遅刻しそうなの!着替えるから見ないで!ベッドに顔でも沈めてて!」
慌てて命令する私に対して男は素直にベッドに顔を埋めて言いなりになる。パッと着替えて唯一の自慢の金色の髪を縛り、部屋の鍵をテーブルに置く。盗まれるような物はないし、盗まれたらこの男が犯人だ。
「あなた二日酔い辛いんでしょう?顔色が悪いわ。この保冷庫にある紫ジュースでも飲んでなさい。まずくても効くから。で、少し休んだらテーブルに置いてある鍵を使って締めて帰ってね!鍵はそうね……玄関に植木鉢があるから、花で隠れるように土に突き刺しておいて!気を付けて帰るのよ。じゃあね!」
「あ……はい」
そして私は呆然としている男を放って部屋を飛び出て定食屋に走った。定食屋では一応看板娘だというのに化粧もできず素っぴんを人前に晒し、朝御飯は食べ損ねて、ベッドで寝れなかったから体はダルい。今夜こそマイベッドでゆっくり寝ようと決意して夕方帰宅したのだが……
「おかえりなさい!夕食にしますか?お風呂にしますか?それとも……おr」
「言わせないわよ!」
洗濯に持ち帰ったのエプロンを顔に叩きつけて、まるで夫の帰宅を待つ新妻のような男の言動を全力で阻止する。
「なんであなたいるわけ?」
「ご迷惑をおかけしたお詫びに夕飯を作らせていただきました…………が、もしかして食べてきましたか?」
部屋の中は美味しい香りが広がり、疲れていた私のお腹は正直でぐーっと音がなる。すると男は感動したように喜び、小さなキッチンに向かいいそいそと皿に盛っていく。
「さぁ、召し上がってください!材料はきちんと俺が良いものを用意したので、ガツガツいってください」
「用意しちゃってるなら仕方ないよね…………いただきます」
女性に対してガツガツいけというのはどうかと思うが、美味しそうな匂いには逆らえないし、食べ物には罪はない。見知らぬ男が皿の位置を把握するほど勝手に台所を使い、1日入り浸っていることについては後回しにして肉団子のような料理を口に運ぶ。
肉団子を噛むとで肉汁がジュワっと出たあとホロホロと崩れ、口いっぱいに旨味が広がる。何これ……なんて美味しさなの!?すぐに二口、三口と進み、流し込むようにスープも飲むが肉団子の脂をリセットするような爽やかなハーブの香りがデリシャス!
「あぁー良かった。お口に合ったようですね!まだまだありますから!どんどん食べてください」
私は随分と顔に出ていたようで、男がキラキラした瞳でおかわりを勧めてくる。確かに美味しいので素直におかわりをするが男は立ったまま私を見るばかりで、食べづらい。
「ねぇあなたも食べたら?そんなに見られてたら美味しさが半減するわ」
「はい!失礼します」
私が提案しなければ、ずっと食べずに立ったままいるつもりだったのだろうか?男は浮かれたように喜びながら、私の正面に座り食べ始める。
“待 て”されてようやく“よし”された犬のように、なんだかブンブンとふる尻尾の幻覚が見えてくる。
すっかり満腹になり食べ終えると、私にこれまた美味しいお茶を出して男は手慣れた様子で食器を洗い始め、ふきんで拭き棚に戻していく。同じ茶葉とは思えない。
その間、私の不在の間に部屋に異変がないか確認するが、大有りだ。床はピカピカになり、窓ガラスの曇りも消え、ベッドも宿並みにピシッときまってる。この男なんなの?
「どうでしたか?お礼になりましたか?」
「えぇ、すごく。昨夜はなんて人間を拾ってしまったのかと後悔したけれど、人生で一番美味しい料理を食べられたから、拾って正解だったかもね。しかも掃除もしてくれたようで……ありがと」
「また拾っても良いかなくらいには?」
「そうね。人助けなら悪くないとは思うわ」
すると男は急に私に近づいて跪くと手を握り、キラキラした眼差しを向けてくる。私は既に嫌な予感がして、先ほどの発言を取り消したくて堪らない。
「なら、今夜も俺を拾ってください!」
「嫌よ!」
「えぇー!?そこは良いわよって」
「なんでそうなるのよ!」
迷わず突っ込むと男は絶望したような表情になり、しゅんと垂れ下がる耳が見え、振られてた尻尾はたらりと下がる。いや、実際に耳と尻尾は無いんだけど、幻覚を見せてくるほどの落ち込みように何故だか私が悪者になった気分にさせられる。
「はぁ……もうなんなの?仕方ないわね。その代わり屋根裏で寝てくれる?同室はちょっと……けっこうな空きスペースと毛布もあるから自由に使って」
「ありがとうございます!貴女は女神だ」
許可した途端、またブンブンと尻尾を振り回す幻覚が見えてくる。あまりの切り替えの早さに騙されたと感じるが、もうどうにでもなれ。私の長所は切り替えの早さだ。今更だけど聞いておこう。
「あなたの名前って何?」
※
「アメリー、起きて下さい。朝ですよ」
「んー?もう朝なの?……おはよう、シェルト」
「おはようございます。朝御飯作りますね」
「お願い」
拾った男シェルトの優しい声に朝を告げられ、起きてすぐに顔を洗いにいく。既にシェルトは身支度を整え終わっており、エプロンをピシッと着こなして朝御飯を作ってくれている。
この生活を既に1ヶ月。
もう今夜だけだ!というつもりで1泊させたが、仕事から帰宅すると再び美味しい料理を用意され、同じように懇願されて、泊めて…………1週間繰り返した頃には屋根裏部屋はシェルトが支配し、こっそり確認すると着替えも何もかも運び込まれて、普通の部屋になっていた。
2週間もすると食器と調理器具が増えていき、3週間もすると台所はシェルトの聖域になり、今も日々侵略は進んでいる。
私が着替える時やシャワーを浴びている時は、指示しなくてもきちんと屋根裏部屋に待機して呼ばれるまで出てこない。シェルトのシャワーは私の帰宅前に済ましてくれているという忠犬ぶり。
ベッドがリビングにあるためシェルトが朝御飯を作るついでに起こしてもらっているが、夜中に襲ってくる気配もないためから、理由も思い浮かばず追い出せずにいる。
特に朝と晩に本当に美味しいご飯を出してくるからタチが悪い。この見ただけでヨダレが出てしまうビジュアルに、美味しいと訴えてくる香りに逆らえるはずはない。
私がジト目で後ろ姿を見ていると、朝陽でキラキラ度が増したシェルトが振り返り笑顔で聞いてくる。
「アメリーは目玉焼きとオムレツどっちが好き?」
「オムレツ。ふわふわで」
「とびっきり、ふわふわに作りますね」
シェルトの料理の腕前は本当に凄い。この家は水も温かいお湯も勝手に出てくるが、魔石コンロだけは旧式で火加減の調節ができない。調節機能付きは高くて買えなかった。
そんな旧式コンロでは難しいはずのオムレツもシェルトは焦がさずにフライパンで器用に仕上げていく。他の料理に関しても完璧な焼き加減で出してくるから私の舌は肥える一方だ。
「シェルトって絶対に焦がさないよね。火加減が難しくて、私のパンケーキなんか見た目は焦げてて中身は生っぽいのに」
「火の精霊の加護持ちなんで、念じると精霊が火加減を調整してくれるんです」
「──!?あなた加護持ちなの?凄い……定食屋のマスターと一緒ね。まぁ料理の腕前が素晴らしいから美味しく出来るんだろうけど」
「本当にそう思う?俺のご飯は美味しい?」
あんなにキラキラした笑顔で料理を作っていたというのに、急にシェルトは見捨てられるのを怯えるような子犬のように瞳を揺らして、すがるように聞いてくる。
「私の顔を見てもそう思う?」
私がご飯を食べている間シェルトはよく私を見ながら「本当に美味しそうな顔だね」と恥ずかしげもなく言ってくる。私はすっかり胃袋を掴まれており、それを指摘すると思い出したかのようにパァと晴れやかな顔に変わる。
「思わないよ!俺は誰よりも美味しそうに食べるアメリーをずっと見ていたい。君を見ているとき凄い幸せなんだ」
「───なっ!ななななんてこというのよ!」
「本心ですよ。俺を拾ってくれた優しいご主人様 」
「うるさい犬ね!盛り付けて早く食べさせてよ」
「うん、すぐ出すから座って」
恥ずかしくなって誤魔化すように結構酷いことを言ってしまったが、シェルトの表情は陰ることなく益々輝いている。それに比べて私の顔はどうだろうか……言葉にするのも恥ずかしい。
出された朝御飯をしっかりじっくり味わって、出かける準備を整える。そして玄関までの短い廊下に設置した脚立のそばに立ち、天井に向かって呼び掛けると屋根裏部屋に待機していたシェルトが顔を出す。
「シェルト、着替え終わったから降りてきて良いよ。私は仕事に行くね。きちんとお留守番してるのよ?」
「アメリー、待って」
シェルトは慌てるように脚立を降りて、それは心底心配するような寂しい表情で私の手をぎゅっと握りしめる。本当に見本のような忠犬。
「アメリーは隙があるから気を付けてくださいね。人通りの多いところを歩いてくださいね。早く帰ってきてくださいね」
「隙を狙って住み着いてるシェルトに言われたくない……あなたが一番悪用してるわよ。でも、大丈夫だから。いってきます」
「いってらっしゃい」
私はパッと手を振りほどいて玄関を出ていく。最近はどっちが飼い主かわからないほどに、過保護に心配されるけど嫌とは思わない。
今日こそ出ていってね!という言葉はいつから言わなくなったのだろう。
帰宅すると明るい部屋に美味しいご飯、笑顔で“おかえり”と言ってくれるシェルトが出迎えるのが当たり前になり、部屋と同じように私の心も侵略されつつある。
突然転がり込んできて懐いたシェルトは食費は請求せずにいつも美味しいご飯を用意してくれる。買ってきた服装は新品で、揃えている食器類も良いものだとわかる。どこでお金を用意しているのか聞いても「退職金がたんまりあるんです」と言いつつ、資金があっても新しい部屋を借りて出ていく様子は皆無。未だに謎が多いシェルトだけど、私に対するあの瞳は純粋で裏があるようには思えない。
それに、いつも家の事助けてもらってるし、今日はご褒美でも買って帰ろうかしら。そう思えるくらいに私は飼い犬に気を許しつつあった。
※
シェルトがアメリーの家の前で寝てしまったのは本当に偶然だった。貴族の諸事情で突然住み込みで働いていた場所を追い出され、渡された多額の退職金でやけ酒してしまった結果だった。帰る部屋もなく、宿も取り忘れて道端に転がるしかない、まさに捨て犬だった。
そして頭痛に耐えながら起きた目線の先には椅子に座って眠る天使が見え、まだ酔っているかと思った。しかしお礼にと用意した夕食を食べる姿を見てやはりアメリーは天使だ、いや女神だとシェルトは判断し、それからはもう勝手に口と体が動いていた。
言葉はきついものの表情は真逆で優しく、しっかりしていそうなのに無防備で隙だらけ、素直になれないお人好しが可愛く、シェルトはすっかり夢中になっていた。
仕事先へ向かうアメリーの姿が見えなくなるまでを見送ったシェルトはリビングに戻り、すぐにアメリーのベッドに飛び込んだ。
枕を引き寄せて、顔を沈めるように抱き締めて残るアメリーの香りを堪能する。
「あぁ、落ち着く。本当に俺が犬だったら本物のアメリーに飛び付いて、あの可愛い顔にたくさんキスできるのに。でもそのうち必ず……ね?俺のご主人様」
独り言を呟いて名残惜しそうに枕カバーとシーツを取り替えて、洗濯するために風呂場に行く。ここで自分の香りを残して警戒されては今までゆっくり侵略してきた意味がなくなる。
丁寧に洗いながらシェルトは、口から……体の中からもアメリーを侵略するための夕方の献立を考えるのだった。
そうして完全に気を許した瞬間にアメリーは飼い犬に噛まれ、拾ったのは犬ではなく狼だったとようやく知ることとなった。