エルフ舞う! 6
千葉県は富津市。
嵐で荒れた海を鎮めるため身を投げた弟橘姫の衣服が流れ着いた場所。すなわち布流津というのが名前の由来だ。
「まあ、嘘なんだけどな。その伝説は」
甲板に出たウパシノンノが、潮風に金髪をなぶらせながら、すべてを台無しにするような台詞を吐いた。
東京から神奈川に移動し、そこから東京湾フェリーを使って千葉県に上陸する。
えらく迂遠な旅路は、もちろんウパシノンノのリクエストによるものだ。
船に乗りたい、と。
まあ、彼女が住んでいたのは内陸の町なので、海とか船とかにわくわくしちゃうのだろう。
「嘘なの?」
隣に立った悠人が訊ねる。
「この場合の布とは腰巻き、つまり下着を指す。なんだってそんなものが流れ着くのだ?」
「そりゃあ、脱げたか脱がされたかしたんじゃない?」
「水中で服を脱がせるのは、地上でやるよりずっと難しい。水を吸って皮膚に張り付いているからな」
万難を排してまで下着を脱がすとは、なかなかに剛の者である。
「ついでに、弟橘姫は日本武尊の妻で、子供もいるぞ。子持ち主婦の下着を脱がせたがる。変態というほかないな」
東京湾を司る海神に、ひどいレッテルがどんどん貼られてゆく。
波は穏やかだ。
寛大な神は、エルフのタワゴト程度では怒らないっぽい。
「ほんっといい加減にしないと祟られるよ? のんのん」
この世界には神も妖怪も人外もいることを、すでに悠人は知っている。
あがめたてまつるとまではいかなくても、敬意と良識をもって接するべきではないだろうか。
「うむ。実際のところは、人妻なんぞを捧げられて困ってしまった神は、ごく普通に気絶させて浜辺に置いておいたらしい」
「うわぁ」
「まあ困るよな。穢れなき処女ならともかく子持ちの主婦が、自分の身を捧げますから海を鎮めてください。あとついでに、夫の東国征伐を成功させてくださいとか願って飛び込んでくるんだから」
「なんてひどい解説だ! 日本武尊伝説が台無しだよっ!」
けっこう山場のシーンだったはずだ。
愛する夫を守るため、自らを犠牲の差し出す妻の、感動的な名場面のはずなのに。
「海神に戦勝の加護などない。仕方がないので海だけ鎮めて、弟橘姫は海岸まで運び、めんどくさい連中をとっとと先に進ませた、というのが真相だ」
「じゃあ流れ着いた布ってのは……」
「たんに脱ぎ捨てていっただけだろうな。海水に浸かってべちゃべちゃになったから」
「身も蓋もなさすぎる……」
がっくりとうなだれる悠人だった。
伝説とかに思いを馳せたっていいじゃない。
「にんげんだものな。うぱを」
「語呂わるー」
甲板で寄り添い、恋人たちが笑みを交わす。
むしろ海神は、こいつらにこそ神罰を与えるべきだろう。
はじめて見たマスク・ド・ドワーヴンの素顔は、涼やかな目元が特徴的な、短い金髪の青年だった。
年の頃なら二十代の中頃だろうか。
ただ、ドワーフとのことなので外見通りの年齢とは限らない。
ウパシノンノだって十代後半にしか見えないが、じっさいは何千年も生きているのだ。
「悠人です」
「武士だ。よろしくな」
互いに右手を差し出し、がっちりと握手を交わす男たち。
戦場は違えど、同じ敵と戦った二人である。
紐帯の思いは強い。
ついでに、異種族との婚姻という点も共通項だ。
ところは富津市の金谷。
美味しいアジフライを食べさせてくれる店があるというので、わざわざ遠征した。
小洒落たレストランではなく、漁師料理の定食屋である。
初のダブルデートのチョイスとしては、だいぶ渋めだろう。
「じつは、あたいもアジフライを食べたことがないんだ。だからすごい楽しみ」
「そうなのか?」
ティナの言葉に首をかしげるウパシノンノ。
沖縄は、北海道以上に海産物が豊富な気がする。
「一般的なマアジではなく、ロウニンアジやオニヒラアジだな。むこうではガーラと呼ばれている」
「ふむ。灰色の魔女だな」
「おしい。濁点つきだ」
謎の会話で武士とウパシノンノが頷きあっているが、もちろん悠人にもティナにも判らない。
ともあれ、東京などでよく食されるマアジは、あまり多くはないらしい。
で、わざわざ本州から輸入しなくても、魚は近海物で充分にまかなえる。自然、口にする機会も少なくなるという寸法だ。
このあたりの事情は、北海道もほとんど異ならない。
女性の手のひらよりも小さなアジの開きと、大人の顔よりでかいホッケの開きが、だいたい同じくらいの値段である。
どんなに珍しくとも、なかなか前者には手が出ない。
だから、運ばれてきたアジフライを見たとき、ウパシノンノは思わず声をあげていた。
「でかいな」
と。
彼女の認識では、アジフライというのは一口サイズ。
そもそも、こんな大きなアジを見たことがない。
「食べ応えがありそうだ」
「だね! おいしそう!」
さっそくぱくつき始めるおなごども。
色気より食い気。花より団子なのである。
悠人と武士が微笑ましくながめる。
ふたりとも、自分のパートナーのこういう部分が大好きだ。
「けどまあ、肉食エルフののんのんが魚を喜ぶとはねぇ」
「失礼な。私は雑食エルフだ。なんでも食べるぞ」
「呼称がより悪化した気がするよ……」
苦笑しつつ、悠人もアジフライを一口。
うん。おいしい。
グルメリポーターのように、細密に表現できないのが残念だ。
「世の中は広い。私の知らない美味はまだまだあるな」
「うんうん。もっといろんなもの食べてみないと」
頷きあうエルフとドワーフ。
アジフライを頬張りながら。
衣はさくさく、なかはふんわり。
「アジというのが、こんなに美味しい魚だとはな」
「だねー 新発見だよ」
にやりと笑いあう。
「この私を唸らせるとは」
「このあたいを唸らせるとは」
声を揃えて、
『アジな真似を』
言っちゃった!
息ぴったりじゃないですかやだー。
なんともいえないポーズを決める野郎二匹だった。
仲良しなことである。
ともあれ、四人の会食は長時間には及ばなかった。
定食屋である。
だらだらと長居するような場所ではない。
食後の腹ごなしとばかりに十五分ほど歩き、鋸山へと向かう。
徒歩での登山ではない。
ロープウェイが完備されているので、片道四分ほどの空中散歩だ。
目に飛び込むのは、奇跡のような絶景。
さしものウパシノンノすら息を呑む。
標高は三百三十メートルほどと、けっして高くはないが、千葉にきたならぜひ寄っておきたい王道の観光スポットだ。
「しかし、北海道の自然の方が、私は好きだな」
「あたいだって沖縄の方が好きさ」
「なぜ意味もなく対抗しようとするのか……」
「ほっとけ悠人。つっこんだら負けだ」
わいのわいの騒いでいる。
すっかり打ち解けてしまった。
なにしろこいつらは、フェリーターミナルの駐車場にある「恋人の聖地」とやらまで詣でている。
死んで良いよってレベルのダブルデートだ。
ちなみに旅のしめは、東京湾サンセットクルーズである。
しかし、仲良くなってしまうと離れがたく感じるのも事実。
種族的にはいがみ合っているはずのウパシノンノとティナなどは、残されたわずかな時間を惜しむかのように仲良くケンカしている。
「俺たちの進む道は交錯していないからな。今回こそが異例中の異例だった」
「ですね」
女性陣を眺めやり、ぽつりと呟いた武士に、悠人が頷く。
沖縄と東京。地理的な条件だけではない。
マスク・ド・ドワーヴンたちには目的があるだろうし、それは悠人たちと同一ではないのである。
あるいは次会うときは敵同士かもしれないのだ。
陣営を異にしているのだから。
「……元気でな。悠人」
たくさんの言葉を飲み込み、沖縄のヒーローが右手を差し出す。
「武士さんも、ご壮健で」
がっちりと、少年が握りかえした。




