エルフ舞う! 5
面食らったような中年の顔。
とんと少女の背を押す。
車内へと。
「そんな無責任なこと、できるわけがないだろう?」
さらうとか、生活をすべて捨てさせても側におくとか。
どんなわがままプリンスだって話だ。
「ユキさん……」
「だから」
何か言いかける。
ドアが閉まる。
「ユキさん!」
その瞬間、すいと男が身体を滑り込ませた。
「だから、一緒に行って、ちゃんとご両親に挨拶しないとな」
「え? なんで? 切符は?」
混乱の小鳩が、夜虎の頭上で舞い踊る。
「車内で買うさ。独身貴族の経済力をなめんなよ」
にやりと笑ってみせる香上。
「なんで……?」
自分でさらえとか言ったくせに、夜虎には状況が飲み込めない。
どうして香上が一緒に新幹線に乗っている?
両親に挨拶とは?
ぽんと少女の頭に手を置く。
「大人には大人の戦い方がある。きっちりと筋を通すってのも、そのひとつだな」
駆け落ちなどしたところで、誰からも祝福されない。
子供が生まれたことで最終的に両親が折れ、認めることがあったとしても、それはけっして心からの祝福とはいえないだろう。
もちろん本人も、自分勝手に行動したという負い目を、ずっと感じて生きなくてはならない。
「そういう話じゃなくて!」
声を高める少女。
彼は誘いをスルーしてきた。
いままでずっと。
どうして今になってこんな話になるのか。
ふたたびおっさんが微笑する。
「のどかさんからユーワーキーの行動原理をきいていらい、ずっと考えていた。俺はどうするべきかとね」
感情のままに突っ走るには、香上は年齢を重ねている。
多くのものを見て聞いて、経験してきた。
考えるより先に身体が動く、というわけにはいかないのだ。
思いこみで暴走して、すっころんで膝をすりむくのは、大人のやることじゃない。
そう考えていた。
「歳を取ると、怪我の治りもおそくなるからな」
「だったら……なんで……」
「考えて考えて、やっと判った。思い出したっていうべきかな」
いつからだろう。
予防線ばかり張ってしまうようになった。
失敗しないよう。
傷つかないよう。
だが、違うのだ。
本当はそうじゃない。誰にどう見られるかとか、関係ない。
自分の選択に点数をつける審査員は、自分以外には必要ない。
大切なのは、どうしたいのかということ。
震える足で、彼を助けるために戦った少女に、何をもって報いればいいのか。
簡単な理屈だった。
本当に。
難しく考える必要なんか、どこにもなかったのだ。
「簡単な理屈さ。きみを守りたい」
新幹線の車内デッキ。
いにしえの騎士のように跪く。
熟れたトマトみたいに真っ赤っかになった夜虎が、おずおずと右手を差し出した。
うやうやしく、その甲の口づけする香上。
誓約のように。
「なんとまあ、収まるところに収まったじゃないの」
新幹線の去ったホーム。
ベンチに座り、新聞を読んでいた男が呟いた。
黒い髪と黒い瞳。
皮肉げな笑みが口元を彩っている。
「……本当にこれで良いんですかね。薄闇にもうひとり、足を踏み入れてしまいましたが」
男と背中合わせに座って携帯端末をいじっていた若者が言った。
こちらは白いサマーコートを羽織った瀟洒な青年である。
知人同士にはまったくみえないし、声も互いの耳にやっと届く程度だ。
行き交う人々も、とくにふたりに目を留めることはない。
「いまさらさ。あいつは知恵の実を食っちまった。いまさらエデンの園には戻れんよ」
聖書をもじりながらの解説。
あの中年男は、この世界には人間以外の知的生命体がいることも、魔法などが存在することも知った。
何も知らない無垢な時代には戻れない。
踏み込むか、すべて見なかったことにして距離を置くか。
二者択一。
今回のケースは、たまたま前者を選んだにすぎない。
若者の顔に苦笑が浮かぶ。
「鬼のあなたが聖書を例に出しますか。玄真さん」
「なにしろ世界でいちばん発行部数が多いファンタジー小説だからな。目を通したことくらいあるさ。聖」
互いの顔すら見ずに、シニカルなことを言い合う。
「ともあれ。完了報告ですね」
「だな。いったんはこれで終わりだろう。どうせすぐ戻ってくるだろうし、またぞろトラブルを起こすだろうが。それはそれで後日の課題ってことで良いだろうな」
にやりと笑う気配を背中越しに感じる。
どうして鬼というのは、治よりも乱を好むのだろう。
「あきらかに楽しんでますよね」
つっこみはため息とともに。
騒動師しかいない職場である。
わりと本気で転職したい。
「俺は相方みたいに、暇だからって寝て過ごすようなぐーたらじゃないんでね」
「それとこれとは事象も次元もびっくりするくらい違いますよ。あとそのセリフは、ちゃんとお伝えしますね。姫君に」
言い置いてベンチから立ちあがる若者。
すたすたと歩き出す。
「やめてください。しんでしまいます」
やや遅れて、男が続いた。
メイドさんが増えたよ!
妖艶な魅力と竹を割ったような気っぷの良さをもつ店長ののどかに、神秘的な美しさと不思議な言動で客を魅了するウパシノンノ、コケティッシュでありながらも愛くるしい蜜音。
メイドカフェ『ぴゅあにゃん』が誇る人外メイドたちだ。
もちろん客たちは、妖怪や亜人だなんて、知ったこっちゃない。
そこに伽羅が加わった。
神々しいまでのダイナマイトバディと、暴力的なほどの美貌をもった女性である。
後光がさしてないのが不思議なくらいの。
まあ、なにしろ神様なので。
「ちなみに不動明王とかのバックで燃えてる炎は、我が担当してる。演出として」
迦楼羅炎と呼ばれる炎。
仏像とかをみると、けっこういろんな神様についてたりする。
毘沙門天の憤怒の炎とか。
「後ろに炎を背負うと格好いいからな。わりと引っ張りだこだったんだぞ」
「いらないよそんな情報! 神々しさ台無しだよ!」
憤慨する麻奈。
ひとりだけ形容詞を付けての紹介がなかったから怒っているわけではない。
「いやいやまなまな。大事なことなんだ。仏法の守護者が、背景にバラとか背負えないだろ?」
それではだいぶ趣旨が変わってしまう。
銀河とか背負うのもダメだ。
星々が砕ける音が聞こえちゃったら大いにまずい。
「もう何でも良いですわ……」
ぽいっと投げる女子高生。
神界の演出家が、『ぴゅあにゃん』におかしな演出を加えないよう祈るのみだ。
お帰りなさいませご主人様って言ったメイドさんのバックに、ゴゴゴゴって炎が燃えさかっていたら、ギャグにしかならない。
「まなまなが冷たい。我の炎すら消えてしまいそうだ」
寂しそうな伽羅であった。
わりとどうでもいい。
「はいはい。遊んでないで仕事だよ。開店時間だ」
ぱんぱんと手を拍った仙狸がドアプレートをひっくり返しに行く。
戻りしな、メイドたちにVサイン。
待ちが二十人、という意味だ。
「おっと。これはスタートからクライマックスだね」
ぺろりと上唇を舐める麻奈。
『ぴゅあにゃん』はもともと不人気店ではないが、いきなり溢れるくらいの待ちというのは、さすがに珍しい。
「伽羅さん目当てのご主人様が増えましたからね」
蜜音が肩をすくめてみせ、入口ちかくに移動した。
ぞろぞろと続くメイドさんたち。
最初のお客は全員で出迎える。ルールともいえない『ぴゅあにゃん』の決めごとだ。
ゆっくりと、のどかが扉を開く。
彼女らにリビドーと金銭を与えてくれる獲物を招き入れるために。
『おかえりなさいませ! ご主人さま!』
一斉にメイドさんが唱和した。
今宵も、人外たちの宴が始まる。




