エルフ舞う! 4
姉の死を知った蜜音は、子供のように大泣きした。
当たり前である。
肉親を喪ってへらへら笑っていられるものなど、人間だろうと妖怪だろうと存在しない。
それでも彼女が二日という短期間で立ち直ることができたのには、多少の理由があった。
相手は妖怪の特殊能力を得ようとする組織だ。
誘拐されたのだと知れた時点で、予感めいたものはあっただろう。
無事に取り戻せると楽観していたわけではない。
非常に悪い言い方になるが、姉の悲報は「まさか」ではなく「やはり」であった。
もちろん予想していたからといって衝撃がなくなるものではない。
ともすれば崩れそうになる蜜音を支えたのは、竜弥だった。
この二日間、彼は登校もせず、家にも帰らず、ずっと彼女に寄り添い続けた。
普通は大騒ぎになるような行為だが、なんとこの件に関して、悠人の両親が口裏を合わせてくれたのである。
検査入院のため欠席。
というシナリオが用意された。
精神科に検査入院というのは、なかなかに誤解を招きそうではあるが、こればかりは仕方がない。
他のコネクションを使うのは、無意味に関係者を増やすだけだから。
「けどまあ、ちゃんと儀式はすませたようじゃないか。けっこうけっこう」
出勤してきた蜜音を眺めやり、のどかがにやりと笑う。
「ご迷惑をおおかけしました。店長」
ぺこりと頭をさげる篠崎狐に軽く手を振ってみせる。
姉の忌引き休暇が二日というのは一般常識に照らしても、かなり短い方である。もちろん葬儀等があったわけではないが。
戸籍もなく、社会的には存在しない妖怪たちだ。
「べつに迷惑だなんて思っちゃいないよ。わたしは好きでこの店をやってる。あんたは好きで居着いてる。それだけの話さね」
優しいんだか突き放しているんだか判らない仙狸に、蜜音が微笑む。
この距離感が心地良い。
のどかは深入りしない。
それが彼女のスタンス。
だった。
あの騒動エルフがやってくるまで。
「そんなことよりさ。どうだった? 竜気の味は」
唐突に話題を変える。
頬を赤らめる蜜音。
ふだん吸収しているリビドーのことでは、もちろんない。
「もう離れられない、かも、です」
別れの日は、あっさりとやってきた。
蜜音が『ぴゅあにゃん』に復帰した翌日、ウパシノンノはティナからのLINEを受け取った。
報酬の話がしたい、と。
日本正常化委員会の壊滅から四日しか経過していない。
彼女ら自身が語ったように、ここから先はヒーローたちの仕事ではないのだろう。
もちろん、ウパシノンノの仕事でもない。
「とういうわけで悠人。次の日曜日に千葉にいってくる」
いつもの夫婦の時間に、エルフ妻が語りかけた。
夫の方は、目を白黒といった風情だ。
「いろいろ突っ込みたいことは多いんだけどさ。なんで千葉?」
「アジフライを食べるためだな」
「なんてこった……よりツッコミどころが増えちゃったよ……」
マスク・ド・ドワーヴンたちから報酬を得るのは、まあ良しとしよう。
押しかけ援軍ではあるが、彼女とのどかの力添えがなければ、解決はずっとずっと先だったはずだ。
カタチのない感謝で済ませるというわけには、大人の世界はいかない。
「かといって、現金の授受はなまぐさいしな。それをもって今後の取引の顔つなぎとされるのも困る」
解説してくれるウパシノンノ。
今回たまたま共闘したが、べつに彼女はマスク・ド・ドワーヴンたちと同じ陣営に属しているわけではない。
政府に飼われるつもりもないし、正義のために戦うつもりもないのだ。
「だから、一回の食事で手を打った。そなたが話していたアジフライも食べてみたかったしな」
エルフが笑う。
悪の秘密結社を叩きのめし、その首魁を倒した報酬がアジフライ。
やっすい仕事もあったものである。
「なんというか、言葉も出ないね」
「それに、エルフがあまりドワーフたちと仲良くしていては、皆ががっかりしてしまうからな」
「いまさら誰もがっかりしないと思うよ? まあいいや、時刻表調べておくね」
「む? そなたは留守番だぞ?」
「なんで!?」
思わず声を高める悠人。
ツーマンセルのはずだ。
セット販売のはずなのに、ひとりだけ残されるなんて哀しすぎる。
「僕が嫌いになったのかい? のんのん」
うっとうしい泣き真似とかしたりして。
「めんどくさい男だな。そういうことではなく、顔を憶えられるのはまずかろうという話だ」
「あ……」
悠人自身はマスク・ド・ドワーヴンと面識がない。
テレビで報道される活躍やウパシノンノの話で、一方的に知っているだけだ。
ここで、わざわざ名乗りあって関係者を増やす必要は、世界の彼方まで探しても存在しないのである。
「でもさ。のんのんだけで行かせるのは心配だよ。二対一になっちゃうし」
「悠人がいても、べつに戦力にはならないと思うが」
けっこうひどいことをいう奥さんだ。
事実であるだけに、いっそうひどい。
しかし悠人は激昂せず、ふふんと鼻を鳴らした。
「のんのんは甘いな。一般人の僕がいたら、彼らは戦えないじゃないか。正義の味方なんだから」
「こいつは一本取られたな」
ぺしんと自らの額を叩くウパシノンノ。
いわれてみればその通りだ。
マスク・ド・ドワーヴンとその妻ティナはヒーローである。
非道なおこないをしない。
事実として、人間の戦闘員に対しては殺さないよう気を使って戦っていた。
つまり悠人がいるというだけで、彼らはウパシノンノを攻撃できなくなる。少なくとも、巻き込んでしまうような大規模魔法は絶対に使えないだろう。
なんと悠人は、自分が弱いことを逆手にとってみせたのだ。
「そなたもワルよの」
「いえいえ。エルフさまにはかないませんよ」
おかしげなことを言って笑う。
「それにさ。むこうは夫婦じゃない? 幸せオーラに耐えないといけないんだよ? こっちもみせつけてやらないと」
さらに自説を開陳する少年。
リア充に対抗するにはリア充をもってせよ。
非リアがなにをほざいたところで、負け犬の遠吠えなのである。
悠子の兵法だ。
「うむ。それは全然、一本とられない」
呆れたように言ったウパシノンノが右手を伸ばし、少年の額を指先で弾いた。
こんな別れのシーンもあった。
東京駅。
新幹線のホーム。
向かい合って立つ男と女。
別れを惜しむかのようなその様は、かつて流行したシンデレラエクスプレスのようだ。
バブル時代の話である。
遠距離恋愛の恋人たちは、最終便の新幹線ホームで別れを惜しみ、抱きあったりなどしたらしい。
発車のベルが鳴る、その瞬間まで。
もちろん夜虎はそんな昔のことを知らないし、そもそも彼女と香上は恋人というわけでもない。
結局、この中年は夜虎を抱くこともなく、最後まで紳士として振る舞った。
つまらん男である。
「そのくせ、ホームまで見送りにくる。期待させないでよ……」
とは、口には出さぬ少女の思いだ。
優しくされたら、こんなにも優しくされたら、信じてしまう。
叶うはずのない願いが叶うのではないかと、夢をみてしまう。
いっそ突き放してくれたら、変な期待など抱かないのに。
「忘れ物はないか? 夜虎。切符はちゃんと判るところにしまったか?」
少女の内心に気付くことなく、世話を焼くおっさん。
最後の最後まで。
「子供扱いしないで」
むうと睨み返す。
そうしないと、まったく別の表情になってしまいそうだから。
「私はもう子供じゃないんだよ。ユキさん」
「自分を大人だと思っているうちは、立派に子供だと思うぞ」
男の、わずかに老いの見え始めた顔に刻まれる苦笑。
夜虎が俯く。
小さな声が紡がれる。
「ん? なんだって?」
「……子供ならワガママいっても許されるよね」
覗き込む香上の耳に滑り込む声。
その瞬間、ぐいと男の体が引きよせられる。
「バカ。ユキさんのバカ。私をさらってよ。全部捨ててついてこいって言ってよ」
乗車を促す最後のベルが鳴る。




