東京人外魔境 7
襲いくる火焔球を、二転三転と蜻蛉を切って回避する。
意味が判らない。
夜とはいえ、こんな街中で異能を使うとか。
知られて困るのはお互い様ではないのか。
「もしかして、向こうは困んないとか?」
内心で呟く。
それはつまり、完全に隠蔽できる組織なり団体なりが背後にいるということだ。
「ばっちゃが言ってた東京は怖ろしいところだってのは、ホントだったんだなぁ」
逼塞した田舎での暮らしを嫌い、大都会に仕事を求める。
そういう若者は昔からいたし、これからいなくなることもないだろう。
闇に浮かぶ白い顔。
美しいというより、可愛らしいという印象が強い。
彼女もまた、都会に憧れるひとりである。
四国はみかんの国から、就職試験のため東京にやってきた。
そして襲われた。
「うん。我ながら意味が判らないね」
軽快な動きで攻撃を避けながら、ひたすら逃げる。
路地を駆け抜け、壁を蹴って上空を舞い、ビルからビルへと飛び移りながら。
反撃はできない。
「相手の数も判らないし、目的もわかんない。なんなのこの状況?」
そもそも、なんで襲撃されたのか。
縄張り荒らしだと思われた?
「まさかねー」
よそ者を排除するとか、それこそど田舎ではあるまいし。
「ちょっと付き合いきれないかな。やりたくはなかったけど本格的に逃げよう」
言葉と同時に、スーツの背中が大きく裂ける。
ばさりと音を立て広がるのは純白の翼。
天使と見まごう外見だが、残念ながらまったく別の生き物だ。
ユーワーキー。
エルフやドワーフなどと同じ幻想種族である。
チャイニーズデーモンとも呼ばれるそれは、見目麗しく、あたかも人間の味方のように振る舞う。
そして最後の瞬間、ここぞという場面で裏切る。
なかなかに厄介な性質を持つ彼らは、はるかな昔に大陸から渡ってきた。
べつに寿命が長いわけでもなく、空を飛べる以外にたいした特殊能力もない彼らは、四国の山中に住み着き二百代近くに渡って細々と命脈を保ってきたのである。
とはいえ、先述の通り都会への憧れというのは、人間でもユーワーキーでも異ならない。
何代かに一度の割合で、郷を捨てて街に出てしまうものも存在する。
彼女もそんなひとりだった。
名を夜虎。
一族の中でも、跳ねっ返りとして名高い娘であった。
大きく翼を広げ、一気に振り切ろうと加速する。
が、できなかった。
狙ったものか偶然か、放たれた火焔球が右の翼を貫いたから。
「え? うそ!?」
がくんと体勢が崩れる。
飛行機だろうとヘリコプターだろうと、一度くずれたバランスを立て直すのは容易ではない。
多くの場合、そのまま墜落してしまう。
夜虎もまた例外ではなかった。
失速し、みるみる高度が下がってゆく。
「ぅきゃーっ!!!」
珍しいものをみた。
いつも通りに『ぴゅあにゃん』で夕食を済ませ、馴染みの飲み屋で一杯ひっかけてから、自宅のある神保町方面に歩く。
そこそこ距離はあるが、二駅くらいなら食後の運動にはちょうど良い。
四十代に入ってからというもの、けっこう腹回りとかが気になるのだ。
途中にある小さな児童公園。
置き去られたような遊具たちが、寂しげにたたずむ。
近道をしようと足を踏み入れたときだ。
空から女の子が振ってきたのである。
なんかの映画のはじまりみたいな場面だが、残念ながらそんなにゆっくりとした降下ではなかった。
そのスピードで地面に抱きついたら死んじゃうでしょって勢いだ。
「うおいっ!?」
このときの香上の行動は称賛に値するもので、そしておそらく、もう一度やれといわれてもできないようなものだった。
落ちてきた少女を受け止め、柔道の肩車の要領で勢いを殺して足から着地させる。
まあ、完全に殺しきれずに、香上自身が尻餅をついてしまったのは、愛嬌というものだろう。
「あててて……なんなんだ? いったい……」
尻をさすりながら立ちあがる。
一方、女の子の方はなんなんだでは済まない。
地面に叩きつけられる、と、覚悟したのに、なんか良くわかんないうちに普通に立ってました。
「お……おじさん。ありがとう」
目を白黒させながら礼を述べる。
「おじさん……そうだよな……」
海よりも深く沈んでゆく香上。
十七、八の女の子からみたら立派なおじさんである。
二回りも年が違うのだ。
「そうだよな……ウパシノンノさんだってオッサンだとおもってるよな……きっと……」
ぶつぶつ言ってるし。
「え! あ! ごめんなさい! かっこいいお兄さん!」
「いいよ……取って付けたように言い直してくれなくても……」
めんどくさいおっさんである。
そして、なごんでいる場合ではない。
ふたりの周囲に黒装束が舞い降りる。
幾人も。
まるでニンジャのような格好だ。
「なんて日だよ。空から女の子は降ってくるわ、影の軍団みたいなのに囲まれるわ。俺は映画の世界にでも迷い込んでしまったのか?」
軽口を叩きながらも、香上が少女を背後にかばう。
上着を捨て、右手を顔の上あたりに左手を腰の下あたりにおく構えをとった。
天地の構えと呼ばれる空手の型である。
まずい、と、夜虎は思った。
一分の隙もない構えからみて、このおじさんはかなり強いのだろう。もしかしたら有段者かもしれない。
しかし、そういう常識的な強さが通用するような相手ではないのだ。
黒装束どもの手に現れる炎。
青白く、幻想的な。
狐火。
怪奇現象のひとつである。
「いやいや。まてまて。なんだそりゃ」
おもわず香上が声をあげるが、黒装束たちに応えるつもりはないようだった。
一斉に放たれる。
受けるのは危険と悟り、身をかわす男。
しかし回避したはずの火焔球が、不規則な軌道を描きながら追尾してくる。
「意味がわからん!」
「科学的なものではありませんからね」
唐突に聞こえる声は背後から。
いつの間にか、若い男が彼と背中合わせに立っていた。
ぎょっとして振り返る。
整えない黒髪。切れ長の黒い瞳。闇を弾くような純白のサマーコート。
そして右手に提げた長剣。
あまりに現実離れした光景に息を呑む。
と、青年の身体がブレた、ようにみえた。
次の瞬間、宙を舞っていた火焔球がすべて両断され、消滅する。
蹈鞴を踏む黒装束ども。
白のコートが強くなった秋風をはらんで踊る。
その風が、ひゅんと哭いた。
ゆっくりと倒れる黒装束。
またしても見えなかった。
青年の姿がぶれたと思ったら、敵が倒れる。
「なんだそりゃ……」
「理解しないでください。すれば、戻れなくなります」
ささやくような、あるいは自嘲を含んだような声。
黒装束どもが倒れた仲間を抱えて撤退してゆく。
わけのわからない状況に混乱しながら、
「助かった。礼を……」
謝意を示そうとした香上の視界に、もはやサマーコートの青年はいなかった。
「……夢でもみてんのか? 俺は」
「東京はおっかないとこだよぅ」
夢でない証拠が、ジャングルジムの根本で震えていた。
やや慌ただしく自己紹介がおこなわれる。
「ふむ……四国から。それは大変だったな」
自分の上着を夜虎に掛けてやりながら頷く香上。
相変わらず紳士である。
なにしろ彼女のスーツの背中はぱっくりとさけて、健康的な背中が露わになっていたから。
そのままにはできないでしょ!
「しかし、なんで襲われたんだ? むしろなんで空から降ってきたんだ?」
根本的な疑問である。
「ひとつめの質問の答え、私がユーワーキーだから。ふたつめの質問の答え、私がユーワーキーで飛んで逃げてたから」
「ユーワーキーて……ずいぶんマイナーなところを攻めてきたなぁ」
なんとなく抜けたことを言ってしまうおっさんだった。
ファンタジー作品は数あれど、ユーワーキーを扱ったものはほとんどない。
香上だって、T&TというTRPGにちらっと出てきたかな、という知識がある程度だ。
「マイナーいうな。ユーワーキーだって人間なんだよっ」
「人間ではないと思うが……」
「もしかして疑ってる?」
「そういうわけではなく……」
もしかしなくても疑っているのだが、まさか口にも出せない。
「証拠みせちゃる!」
かけてもらった上着を脱ぎ、ばんと翼を広げる夜虎。
「どうよ? このきれいな純白の翼!」
「……焦げてるけどな。片方」
火焔球の攻撃を受けたから。
「うわぁぁぁん!!」
思い出したかのように女の子が泣き出す。
その声と一緒に、常識さんが裸足で逃げてゆく音を、香上は聴覚以外のもので聞いていた。
夜虎さん。
出演許可ありがとうございます!
香上之さん。
ふたたびの出演ありがとうございます!




