東京人外魔境 6
方針を決めたところで、すぐに動けるわけでもない。
一応、ウパシノンノは普通の高校生である。
授業に出席しなくてはならないし、試験だって受けなくてはならない。
「全教科満点なら褒美として有給休暇とかくれれば良心的だと思うのだがな。一週間くらい」
「高校に有給はねえよ。そもそも給料がでねえよ」
むっさい顔で突っ込むのははるかである。
机の上には教科書とノートが乱雑に置かれていた。
かつてはウパシノンノを目の敵にしていた少女だが、現在は追試対策の勉強を見てもらっているありさまだ。
紆余曲折というか、有為転変というか。
「どうしてこうなった……」
とは、はるかでなくとも言いたくなるだろう。
「追試のことか? それはそなたがちゃんと対策を取っていないからだ。そもそもそなたの成績では、私にちょっかいをかけている余裕などなかろうに」
「そっちじゃねぇっ! なんでアンタに勉強を見てもらわないといけないのかってことだよ!」
犬猿の仲だったはずだ。
不倶戴天の敵だったはずだ。
にもかかわらず。
いんすぱいとおぶ。
「それは仕方あるまい。この学校で最も頭が良いのは私だ。担任教師が私に白羽の矢を立てるのも無理はなかろう」
しれっと応えるウパシノンノ。
はるかがげっそりする。
事実であるだけに、逆らう気すらおきない。
「一生のうち、二度とは使わないような公式や四字熟語をおぼえることに、なんの意味があるんだってのよ」
嘆いている。
まあ、世の高校生の八割くらいが抱く思いだろう。
「無知は誰かを傷つけるからさ」
「はぁ?」
胡乱げにウパシノンノを見つめる。
またわけのわかんねーこと言いだしたぞこの金髪女、と、瞳が語っていた。
「ものを知らぬというのは、ただそれだけで他者を傷つける剣となる。あるいは自分自身もな」
「テツガク?」
「そうではない。そなたは私の実力を知らなかったため牙を剥き、手酷い反撃を受けた。最初から私の性格などを知っていれば、あのような仕儀にはならなかっただろう?」
「う……」
恥ずかしい写真を撮られたり、私生活を暴露されたり。
とにかく散々な目にあった。
ウパシノンノがどういう人間か知っていれば、絶対に手を出さなかった。
敬して遠ざけるか、普通に友誼を結ぶか。
敵対だけは間違いなく避けただろう。
「それが無知の罪だよ。はるか。知識を蓄えるほどに、戦うべき相手というのが見えてくる」
「戦うってな……」
「人生とは闘争だ。戦わなければ生き残れない」
「物騒な……」
「むろん暴力を使ったものに限定した話ではないぞ。いまは学生だからな、守ってもらえているが、社会に出たら自らを守る盾などないと知れ」
怖ろしいことを淡々と口にするウパシノンノだった。
ただ、それは事実ではある。
学生というのはけっこう不自由な身分ではあるが、その分保護もされている。
子供のやることだから、と、許される部分も多いのだ。
これが社会人となるとそうもいかない。
犯罪は法をもって裁かれるが、そもそも法というのは社会を効率よく運営するために存在しているのであって、弱者を守るためにあるわけではないのだ。
「ゆえに、チンピラを使って私を襲ったことなどは愚の骨頂といえるな。あの者たちのうち、幾人がそなたに絶対の忠誠を誓っている?」
「…………」
「遊びで済んでいるうちは笑い話だがな。明確な犯罪に手を染めてしまえば、怖ろしくなって裏切るものの一人や二人は出てくるだろう。そうなればそなたの人生も終わる。いまは若く見目も良いゆえ、肉体をもって異性を籠絡することもできようが」
いずれそういうこともできなくなる。
前科もちの女の転落人生だ。
「四十、五十になって、誰からも相手にされず、路上で空き缶を漁る生活。じつに心楽しい未来図だとは思わぬか?」
明確なビジョンをもって、はるかは自分の未来を想像してしまった。
ぞくりと怖気を感じ、自らの肩を抱きしめる。
「……だからウパシノンノはあいつらを叩きのめしたのかい? 私から離れていくように」
「そこまで考えていたわけではない。しかし、びびって逃げていったか。それはそれで重畳だな」
ともあれ、戦うべきではない相手と戦った愚者の末路だ。
「頭があれば、そういうのも減らせるだろうよ」
「それって学校の勉強、関係なくない?」
「そうでもない。学校という社会では成績によって評価される。好成績を収めている者の意見の方が、そうでない者の意見より重く用いられるものだ」
単純に功利的な意味においても、優等生でいた方が効率が良い。
「……なんかなまぐさいね。ウパシノンノ」
「私もナマモノだからな」
「もっとテツガク的な話だとおもってたよ」
勉強が大切というのは、処世術のカテゴリだったでござる。
苦笑しかでない。
「納得できたところで再開しようか。そこ間違っている。文系数学は点数の稼ぎどころだからな。ケアレスミスを減らせ」
「へいへい……」
鬼畜女子高生家庭教師に促され、追試対策に精を出すはるかだった。
放課後。
正門の前に立つ美少女。
栗色の髪が秋風になびく。
青春映画のワンシーンのような構図である。
制服をまとっていないところをみると、誰かを待っているのだろうか。
行き交う生徒たちがささやく。
誰だあの美人。
誰かの彼女か?
興味津々だ。
そんな中、校舎から飛び出す人影。
駈けてくる、などという可愛らしい動作ではなく、全力疾走だ。
高校記録くらいは出せそうな速度で校門にたどり着く。
その姿が二年生の『モテないブラザーズ』の一角、大石竜弥であると認識したとき、観客は失笑した。
美少女を見かけて、無謀なナンパに挑もうとした、とでも思ったのだろう。
しかし、
「竜弥くん。きちゃった」
という美少女の一言で、観客たちは凍り付くことになる。
なにその突然カレシの家に押しかけた恋人みたいなセリフ!
なんで頬を染めて目を潤ませてるの!?
「蜜音。LINEくれれば良かったのに」
呼び捨て!?
凍結がとけ、観客たちが放つ空気に熱がこもる。
怒りの炎だ。
「我慢できなかったの。ごめんね。竜弥くん」
鈴を鳴らすような声でいって抱きつく。
ひしっと。
周囲の男どもが、一斉に眼光に殺意を込める。
主砲斉射! 目標至近!! って感じだ。
もちろん竜弥は、一ポイントのダメージも受けなかった。
「俺は勝者だぁぁぁ!!」
叫んでるくらいである。
モテないブラザーズのもう一人、悠人は内心で思うにとどめたが、彼はセルフコントロールができなかったらしい。
「てめえ大石ふざけんなよ!」
「地獄に落ちろ!」
「猫のうんこ踏め!」
「ハイクを詠め! カイシャクしてやる!!」
罵詈雑言が飛び交う。
蜜音を左腕で抱き返しながら、右手で頬を掻く竜弥。
「ああ痒い。敗者どもの嘆きは妙に気持ちいいぜ。もっと言ってくれ」
ぬけぬけと言ったりして。
まあ、非リア生活が長かったので、反動というやつである。
「大石くんってさ。宝くじとか当たったら、調子に乗って使いすぎるタイプだよね」
「かなりの線で同意見だよ。間違いなく身を持ち崩すね。あ、もう手遅れか」
のんびりと歩いてきた麻奈と悠人の会話である。
そして彼らの登場により、現場は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
悠人が三年生の超絶美人な金髪娘と付き合ってるのは、多くの人が知っているから。
容姿も普通、性格も行動も成績も地味で、まったく異性と縁のなかった悠人と竜弥にこんな美人たちがよってくる。
世の中は不条理だ。
「みんな子供だね。のんのんの魅力は外見にあるわけじゃないのに」
内心で呟く悠人。
もちろん口には出さない。
火に油を注ぐだけだから。
「てゆーかさ。こんなにのんびりしていて良いのかしら?」
小首をかしげる麻奈だった。
誰の目にもとまることなく、巨大な陰謀が進行しているというのに。




