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東京エルフ!  作者: 南野 雪花
第3章 東京人外魔境
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東京人外魔境 1


 いつも通り『ぴゅあにゃん』を訪れる。

 秋葉原の片隅にある雑居ビル。

 さして目立つような店ではなく、過激なサービスがあるわけでもない。

 料理の味だって並みだ。

 もう、特徴がないのが特徴なんじゃないかってくらいの平凡なメイドカフェ。

 にもかかわらず、二日と空けずに(かよ)ってしまっている。

「なにをやっているのだろうな。俺は」

 サマースーツを粋に着こなした男が自嘲気味に呟いた。

 とある大手商社に勤務する営業マン。それが香上(こうがみ)という男の肩書きだ。

 この店を知ったのは二週間と少し前。

 とくになんの理由もなく店に入った。

 いや、あるいは理由があったのかもしれないが、今となってはどうでも良い話である。

 恋を、してしまったから。

 金髪碧眼のメイドさんに。

 年甲斐もなく、とは、彼自身が思っている。

 四十二歳。人生も中盤に差し掛かり、それなりに酸いも甘いもかみ分けてきたつもりだ。

 女が魔性だということも、身をもって知ってきた。

 しかし、知識も経験も、常識さえも一瞬で吹き飛んでしまった。

「そうか。そなたはユキどのというのだな。私のウパシも雪という意味なのだ。初めて接客するのがユキつながりとは奇妙な縁といえる。奇縁が良縁となるようつとめさせてもらうので、今後ともよろしく可愛がって欲しい」

 少しだけ緊張した面持ちで挨拶してくれた。

 少年のように胸が騒いだ。

 営業トークに営業スマイル。

 判っている。

 自分は客の一人に過ぎないのだということを。

 彼女に特別な感情などないのだということも。

 なのに通ってしまう。

 それなりの地位を持ち、独身で、自由にできる金があるのは幸運なのか不幸なのか。

 あるいは彼が二十年若ければ、血気に任せて行動しただろう。

 先に待つのが破滅だったとしても。

 しかし、今の彼はそんな未来を望まない。

「……簡単な理屈さ(シンプルリーズン)。君の笑顔を曇らせたくない」

 呟きながらドアを開く。

 いつもの穏やかな夜がはじまる。

 はずだった。

 その瞬間までは。

 目に飛び込んできた光景を、理性が拒否している。

 麗しの金髪メイドが、ジャーマンスープレックスで投げ飛ばされるシーン。

「この馬鹿のんがーっ!」

「みぎゃ!?」

 見事なアーチ。

 お手本通り、へそで投げるジャーマンだ。

 のどか店長の美しいブリッジ。

 マットではなく床にたたき付けられたウパシノンノのフレアスカートが、ふうわりとめくれあがる。

 香上の行動は素早かった。

 完全にめくれて下着が露わになるより先に、自らのジャケット脱いでウパシノンノの下半身を覆う。

 紳士か。

「……なにやってるんだ? きみたちは」

 他の客たちからの殺人的な眼光に、ざっすざっす射抜かれながら質問する。

 もうちょっとで大股開きになったウパシノンノの下半身が見られたのに。

 メッセージつきの視線だ。

 痛いこと痛いこと。

 だってしょうがないじゃない!

 身体が勝手に動いちゃったんだから!

「みたか! カール・ゴッチ直伝のジャーマンスープレックスホールド!」

 ブリッジの体勢のままのどかが息巻く。

 何人かの客が店長の足側に移動しようとするのを、ねこ耳メイドたちがしっしっと追い払っている。

 シュールすぎる絵面(えづら)であった。

 ちなみにカール・ゴッチというのは、往年の名プロレスラーである。

 ジャーマンスープレックス。日本語で背面反り投げというフィニッシュホールドを考案した。

 ちなみにこの人物は二〇〇七年に他界しているし、のどかが弟子だったという話も初耳なので、直伝というのはただのホラである。

 たぶん。

「ユキどの。そなたに感謝を。今日の下着は、他人に見せるには少し恥ずかしいものであったゆえ」

 足元からウパシノンノの声が聞こえる。

 上下逆さまになっても、彼女はなお美しい。

 派手すぎて恥ずかしいのか、それとも地味すぎるからか。

 香上はヨコシマな興味を抱いたが口に出すのは避けた。

 紳士なので!

「それで、できれば助けて欲しい。このままではスリーカウントをとられてしまう」

「もうすでに十秒くらい経過していると思うけれども」

 苦笑しながら助け起こしてやる。

 のどかの腕をぽんぽんと叩いてホールドを解かせて。

 男の上着が落ちる一瞬。

 彼は見た。

 深紅のぱんつを。

 そういう健康法があったな、とか、どうでもいい感想が脳裏に浮かぶ。

 口にしないけれども。

「ちょっと聞いてよユキさん! この馬鹿、写真をSNSにアップされたのよ!」

 ぷりっぷりと怒ってるのどか店長。

「なんと……」

 席に着きながら、男が相づちをうつ。

 ことは二日前の土曜日。

 浅草を観光中だったウパシノンノが撮られたらしい。

 自らの携帯端末を取り出して確認する。

「お。あった」

 だいぶ記事は流れてしまっているが、一時的にけっこう呟かれていたっぽい。

「ウパシノンノさんは役者だったのか?」

 コメントを見ながら確認したりして。

「咄嗟についた嘘だ」

「で、その嘘をつき通すために、演劇の学校に通わせてくれって言いだしたのよ! この馬鹿は!」

「おうふ……」

 繋がった。

 つまり香上が目撃したのは、営業中にそんなお願いをして、店長の逆鱗に触れてしまったお馬鹿娘の哀れな末路というわけだ。

「ウパシノンノさん。きみはたしか高校とぴゅあにゃん(ここ)の二重生活だろう。これ以上なにかするというのは、物理的に難しいのではないか?」

 運ばれてきた水を受け取り、苦笑する。

「む。そこは睡眠時間を削れば、なんとか」

「おやめなさいって」

 食べることと寝ること。

 このふたつは基本だ。

 おろそかにしては、いずれ体を壊してしまう。

 そうやって潰れてしまった人々を、彼は人生の中で幾人も見てきた。

「きみがどんなに元気でも、長続きはしないよ」

「ふむ……」

「それに、恋人との時間をもっと大切にしてあげると良い。会えない時間というのは、悪い噂になってしまうものだからね」

 不器用に片目をつむってみせる。

 さっとウパシノンノの白い頬に朱がさした。

「そ、そうだな。よく考えてみよう。と、ところでご注文(オーダー)はなんだろうか?」

「いつもので」

 穏やかな笑み。

「オムライスだな。あいわかった。すぐに用意しよう」

 やや慌てたように厨房へと去ってゆくウパシノンノ。

 微笑みながら見送る。

「意外だね。恋人と不仲になるのは、あんたにとっちゃ望むところじゃないのかい?」

 入れ違いに、のどかが香上の対面(といめん)に座る。

「……この店では座っての接客はしないんじゃなかったかな。のどかさん」

「だだの雑談さ」

「熱い恋に身を焦がすって年齢(とし)でもないよ。俺は。それに」

「それに?」

簡単な理屈さ(シンプルリーズン)。彼女が幸せであれば良い。横にいるのが俺でなくてもね」

 歌になりきれない抑揚。

「くふ」

 と、のどかが目を細める。

 少しだけほろ苦い大人の(リビドー)。なかなかに美味であった。




「おなかすいたなぁ」

 ふうとため息を漏らす少女。

 ガードレールに腰掛け、雑踏を見はるかす。

 ここしばらく、まとも(・・・)な食事にありつけていない。

 食べているのは、普通の人間と同じメニューばかり。

 これでは根本的な栄養補給にはならないのだ。

 篠崎蜜音(しのざき みつね)

 関東に住む妖怪、篠崎狐(しのざききつね)の末裔である。

 チカラの格としては弱い。

 たとえばのどかのような仙狸などと比較したら、五段や六段は落ちるだろう。

 数日前、エルフの情人の精を狙ったが舌先三寸で追い払われてしまった。

 このあたりが弱者(ざこ)の弱者たる所以(ゆえん)であろう。

 つねにクリティカルヒットを狙うのだから。

 それこそのどかのように、常人から少しずつ精を分けてもらえば良いのに。

「を? よさげなニンゲン発見」

 雑踏の中、なかなか良い魔力をもった男をみつける。

 しかもけっこう若そうだ。

 たっぷり搾り取れるだろう。

 とん、とガードレールから飛び降りる。

 次の瞬間、少女の身体がくたりと崩れ落ちた。

 数人の男たちが駆け寄る。

 貧血だ、とか。救急車を、とか叫びつつ。

 驚いた顔をして足を止めた通行人たちが、ふたたび歩きだす。

 冷たい東京砂漠では、他人のことなど誰もかまわない。

 だから、

「確保。霊格は弱いがいちおう連れ帰る」

 と、男の一人が無線機にささやいていたことなど、誰も気付かなかった。




香上之さん。

出演許可ありがとうございます!

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