ミステリアストーキョー 10
そもそもエルフという存在が日本において一般化したのは、一九八八年に発表された水野良の著作である『ロードス島戦記』からだといわれている。
ざっと三十年近く前だ。
もちろんそれまでエルフが描かれた作品がなかったかといえばそんなことはなく、トールキンの『指輪物語』やTRPGなどでも扱われてきた。
しかしそれらのファンタジー作品は、まだまだ好事家たちのものであり、一般的だとはお世辞にもいえなかった。
その風潮に一石を投じたのが『ロードス島戦記』である。
現在のファンタジー系ライトノベルの元祖ともいうべき作品であり、多くの書き手に多大な影響を与えた。
そして一九八八年というのは、裕也が十八歳のときであり、美晴が十六歳の時ときだ。
まさに青春真っ盛りである。
「やはり精霊魔法を使うのかね? ウパシノンノ」
「たしなみ程度には」
期待を込めた裕也に、エルフが軽く頷く。
「たしなみて……」
「実際たしなみなのだよ。悠人。私に扱えるのは下位精霊だけだからな」
「てことは、ジンやイフリートとは?」
今度は母親の質問だ。
お前ら詳しすぎるだろう、というつっこみを、悠人はかろうじて飲み込んだ。
「上位精霊との契約はしていないし、火の精霊とエルフが親しくないのは貴殿らも知っているのではないか?」
「おおお……」
なんか感動している両親。
嬉しいらしい。
大丈夫か?
「エルフがオレの娘になるのかぁ。夢みたいだな。美晴」
「やばいわ。子供が生まれたらハーフエルフよ。ときめくわ」
本当に大丈夫か?
「降る時の違いが、やがて重くのしかかってしまうのだが、理解しているか? 裕也どの。美晴どの」
呆れたように訊ねるウパシノンノ。
同様の質問を悠人にもしたような気がする。
この子にしてこの親ありだ。
「エルフの秘薬を用いて寿命を延ばしたとしても、ベースが人間では二百年から二百五十年がせいぜいだ。しかもそのくらいの長寿になってしまうと、ひとつところには住めなくなるだろう」
けっこう大問題なのである。
「そのときはウパシノンノの郷に引っ越すさ。あるんだろう? 故郷」
あっさり言っちゃう裕也。
「あるが。ど田舎だぞ?」
「二百年を超える人生。エルフたちに囲まれて暮らす。たぎるわ」
「いやまあ……そなたらがそれで良いなら良いのだが……」
なんというか、「このバケモノめ!」みたいな対応をされると思っていた。
「さすがは悠人のご両親だ」
「それ褒めてないよね? のんのん」
交際どころか、婚約までその夜のうちに認められた。
謎である。
「のんのん! みずくさいよ! 役者だったなんて! 最初にいってよ!!」
月曜の朝、登校すると梨乃と紫にからみつかれた。
彼女らもインターネットを見ていたのだろう。
「すまぬ。隠すつもりはなかったのだが、いいだしそびれていてな」
もう三年だし、いまから部活に入るわけにもいかないからと演劇部コンビに謝罪する。
「それに、駆け出しも良いところなのは事実でな。自慢するような実績もないし、自主制作の映画に出るのがせいぜいなのだ」
昨夜のうちに練られたシナリオ通りに語っておく。
コスプレ好きの外国人が自主制作映画の宣伝をした、という体裁をとることにしたのだ。
嘘で固めたような話だが、そもそもウパシノンノの経歴自体が嘘だらけなのである。
いまさら気にするようなものでもない。
「だから私たちの舞台を見に来てくれるって言ったんでしょ?」
「うむ。やはり興味はあるのでな」
「うれしいっ」
ひしっと抱きつく梨乃。
「うわぁぁぁっ!?」
動揺するウパシノンノ。
「なぜ腹を触るっ!?」
「良い腹筋。そうとう鍛えてるね」
「撫でるなっ! 離せ!」
必死に級友の身体を引き剥がす。
同性に触れられるのは、じつはけっこう苦手なのだ。
あるトラウマがあって。
「なに照れてんだい? 女同士じゃないか」
不思議そうに首をかしげる紫。
「むしろ私としては、同性同士でくっつくなと言いたいぞ。私は女と抱き合って喜ぶ趣味は持ち合わせぬ」
「男ならOKなん?」
「誰でも良いというわけではない。ビッチみたいにいうな」
憤慨する。
「年下の彼だっけ? 弟がいってたよ。あのとき俺が旅に出るべきだったって」
かつて悠人に、エルフなどいないと言ったのは竜弥である。
もしあのとき否定せず、あるいは一緒に旅していたなら、未来は大きく変わっていたかもしれない。
「それが選択というものだ。選ばれなかった無数の可能性の上に現在がある。昨日があるから今日があるのだよ。紫よ」
「おお。深いこというねぇ」
「そこまで深くもないがな」
当たり前のことだ。
なんでもそうだが、いきなり現れるわけではないのだ。
自動車でも飛行機でも宇宙ロケットでも、まず憧れがあり、試行錯誤があり、技術革新があり、挫折があり、それでも捨てられない夢があり、やっと実現する。
「この世界に溢れるすべてのものは、必ず誰かの夢の結晶だよ」
「充分深いって」
高校生である紫や梨乃には、なかなか理解できないかもしれない。
なにしろ彼女らは、過去よりも未来に多くのものを持っているから。
優しげな表情のウパシノンノ。
ふと目が鋭くなる。
朝のホームルームを前にざわついていた教室が静まりかえっていた。
ゆらりとした足取りで女子生徒が入ってきたからである。
もちろんウパシノンノには見覚えのある顔だ。
転校初日に一悶着を起こした人物。
幹本はるかだ。
ここしばらくは欠席していたのだが。
もちろんウパシノンノは欠席の理由を知っていた。
まっすぐに近づいてくる。
モーセが割った海のように生徒たちが道を空ける。
「……ウパシノンノ」
「おはよう。幹本はるか」
座ったまま営業スマイルを向けるエルフ。
すいと紫と梨乃がさがり、半歩後ろに仁王立ちする。
近衛兵のように。
「……写真を返して」
「あのレンズ付きフィルムは私のもので、そなたに所有権はないと思うのだがな。あと初期費用がかかっている。具体的には千円ちょっとだ」
意地悪な口調を作るウパシノンノ。
目が笑っているので、迫力はまったくない。
「お願いだよ……」
「ふむ。私や私の周囲の者に危害を加えないと誓えるか? その誓いを守れるなら、そなたに売り渡すのも吝かではない。価格は今日の昼食で手を打とう」
昼をおごってくれるなら、弱みである写真を渡す。
やすい取引もあったものである。
もちろんウパシノンノは、わずかな金銭を欲しているわけではない。
「誓うからっ!」
「良かろう。その言葉を忘れぬようにな」
鞄からごそごそとレンズ付きフィルムを取り出して手渡す。
いともあっさり。
「へ?」
これにははるかの方が面食らった。
べつに彼女は自分のおこないを反省したわけではない。
だからこそ謝罪のひとつもしていない。
ただ単に弱みとなる写真を奪い取ろうとしただけ。
腕力では勝てないからエモーションに訴えただけだ。
「なんで……」
「前にも言ったな。私は相互主義者だと。敵対していない者に、私が敵対する理由はない」
まさに泰然自若。
梨乃に抱きつかれてあわあわしていた人物とは思えない。
あるいは、はるかは不運だった。
あと十五分もはやく登校していれば、ウパシノンノの意外な弱点を知ることができたかもしれない。
「わかった。ありがとう」
ぎこちない笑みを、はるかが浮かべる。
「誓いを忘れるなよ?」
「もうあんたに逆らったりしない」
「そちらではない」
「へ?」
「昼食だ。土曜日のデートでいささか散財してな。懐が寂しいのだ」
深刻な顔をするウパシノンノ。
とてもとても。
ぷ、と、はるかが噴き出した。
「なんなのあんた。ほんともう、なんなのよいったい」
大の男を六人も一瞬で叩きのめす戦闘力を持ち、平然と他人を脅迫する悪辣さを持ち、謎めいた情報網まで持つ外国人の女。
まるで悪鬼羅刹だ。
そんな女が、真剣にお昼ご飯の心配をしている。
金がないと。
「わけわかんねえから」
ばかばかしくなってくる。
本当に。
笑っているんだか泣いているんだか判らない表情が、顔に刻まれていた。
参考資料
水野良 著
『ロードス島戦記』シリーズ
角川スニーカー文庫 刊




