ミステリアストーキョー 2
お下劣な会話があります。ご注意ください。
「まったく。暇さえあればいちゃいちゃと。そなたらはエスか?」
腰に手を当てて憤慨するウパシノンノ。
「エスってなんですか? のんのん先輩」
「ググれ」
麻奈の質問に、冷たい声が返ってくる。
が、エルフの頬がごくわずかに染まっていることを、彼女は見逃さなかった。
「えっちな言葉なんですね?」
にまぁと笑う。
「あたし子供だから判らないんですよねえ。のんのん先輩の口から、ちゃんと説明して欲しいなぁ」
「そなたという娘は……」
ぷるぷると震える。
怒りか羞恥かは知らないが。
客たちが、すかさずティッシュペーパーを取り出して鼻にあてる。
うち震える金髪美少女。
ご飯三杯はいけるってもんですよ。
「つーかのんのんさぁ。男女のことは無頓着っていうかあけすけなくせに、同性愛とかにはやたら反応するよね」
苦笑するのどか店長。
ちなみにエスというのは、レズビアンの隠語である。
だいたい戦前くらいまで流行していた言葉だ。
「誰のせいだと思っているのだ!」
「ん? わたしのせいなのかい? もしかして二百年も昔のことをまだ引っ張ってる?」
「知らぬ! れずは帰れ! ほもも帰れ!」
怒ってる。
客たちは喜んでいる。
こうして今宵も、メイドカフェ『ぴゅあにゃん』には、たっぷりとリビドーが貯まるのであった。
「もう帰るー!」
混乱して喚くウパシノンノ。
これはこれで珍しい光景ではある。
じりじりとさがる悠人。
じりじりと追いつめる蜜音。
後者はすでに半裸である。
非常に非常にまずい状態だ。
大声をあげて助けを呼ぶことも不可能ではないが、このありさまを見られると、悠人が被害者だと主張してもたぶん信じてもらえない。
「大丈夫。痛くしないから」
「それ明らかに男の台詞だよね!」
「黙ってればバレないって」
「そういう問題じゃないでしょうが!」
ていうか黙っていたとしてもすぐにバレると思う。
ウパシノンノの目から逃れる術はないのだから。
やばい。
本気でやばい。
「のんのん助けて……」
「うむ。もどったぞ」
がちゃりと扉を開き、ウパシノンノが入ってくる。
盛り上がりもへったくれもない登場に、悠人の目が点になった。
「え?」
「へ?」
蜜音も一緒に硬直しちゃってるし。
なんだこの絵図っていうシーンである。
「ええええるふっ!? なんでここにっ!?」
「早退したのだ。おかしな方向に盛り上がってしまったのでな。で、一応確認しておくが、これは浮気現場か?」
なぜかほっとしたように訊ねるウパシノンノ。
「僕が一方的に襲われてるんだよ!」
「ふむ。シチュエーションはともかくとして、普通だな」
「何に納得してるのっ!?」
「やはりそのような行為は男女で行うものだと私は思うのだ」
「なにが!?」
わけがわからない。
悠人には、ウパシノンノの言葉が、なにひとつ理解できなかった。
種族間ギャップというやつなので仕方がない。
「絶対違うよねっ! それ!」
喚いている悠人にとくにかまうことなく、男女の間にウパシノンノが立つ。
「さて。状況が判明したところで、確認しておこうか。篠崎狐が、どうして悠人を襲う?」
「あ、いえ……鬼の居ぬ間にちょいちょいとつまみ食いしようかなと……」
ごにょごにょと言い訳する蜜音。
服をなおしながら。
「私は鬼族ではないがな。しかし解せないな。悠人は普通の人間だぞ? そなたら妖怪が喜ぶような特別な精などもっていないが?」
首をかしげるウパシノンノ。
妖怪たちのエネルギー源は人間の感情だ。
これは仙狸たるのどかも同じ。
精というのが判りやすいカタチではあるが、じっさい感情の種類はべつに問わない。
歓喜、恐怖、憎悪、愛情。
何でも良いのである。
ただ、マイナス方向のほうがより情動が強いため、たとえば魔族などは人に恐怖を与えるように動く。
しかし、エルフの栄養摂取は人間と異ならない。
ごく普通に食べ物から必要な栄養素を取り入れている。
「そう……なの……?」
助けを求めるように悠人を見る蜜音。
僕に振るなよ、とばかりに少年は首を振った。
事実、悠人はただの人間である。ついでにいうと、ウパシノンノとは清い関係だ。
「……帰る」
ぽつりと呟いた蜜音が、意気消沈しながら窓枠を乗り越えた。
「ふむ。こういうのは新機軸だな。妖怪と亜人の違いがわからぬ妖怪か」
やれやれと肩をすくめる。
「ん? どういうこと? のんのん」
危急を救われ、やっとひとごこちついた悠人が訊ねる。
ぽむぽむと少年の頭を撫で、ウパシノンノがベッドに腰掛けた。
「すこし汚い話になるがな。男性の精液というものには、それなりに栄養が含まれている」
タンパク質、マグネシウム、カリウム、カルシウム、亜鉛、ビタミンCにB12。
ちょっとしたマルチビタミン錠剤にだって引けを取らない。
取らないのだが、それだけ摂取して生きていけるのかという話だ。
「一回分で十五キロカロリー程度だといわれているしな」
「うげ……本当に汚い話だった」
嫌そうな顔をする悠人。
ともあれ話の趣旨は理解できた。
妖怪たちは栄養価として人間の精を欲しているわけではないということである。
「魔力的な意味合いが強いな。古くはマナと呼んでいたが」
「のんのんたちは違うの?」
「私たちの身体構造は人間とほぼ異ならない。ゆえにこそ混血が可能なのだがな」
「そうなの?」
ほぼ無限の寿命を持つエルフが、人間と変わらない構造を持っているというのもおかしな話ではある。
「テロメアを持つか持たないかという違いではないかという説もあるが、真偽のほどは良く判らないな」
ともあれ、エルフと妖怪は違う。
後者は生きるのために魔力的なエネルギーを欲しているが、前者には必要ない。
「それを知らず、悠人を特別な存在だと思いこんだ。それが不思議でな」
「まあ、僕は凡人だしね」
「特別だよ。しかしそれは私にとって特別だという意味であり、妖怪たちには意味がない。麻奈などとは違ってな」
「む? なんで芦名澤さんの名前が?」
ウパシノンノの言い回しに大いに照れながら質問をする。
自分にだけ特別なんて言われたら、天にも昇る思いだ。
「あれは良質な魔力を持っている。名は体を表すというやつだな。のどかが側に置きたがるのも頷ける話だ」
憎悪ではなく愛情を向けさせるという方法たが、と、すごく嫌そうに説明してくれた。
彼女らの趣味は理解できないのである。
「話を戻すと、自分たちのことを良く判っていない妖怪も増えてきている、ということなのかもしれないな」
文明の光はあまねく降り注ぎ、世界から不思議はどんどんなくなってゆく。
魔法でも妖怪でも良いが、それらは歪みだ。
解き明かしてしまえば、そこに神秘は存在できない。
「なんかちょっと寂しい話だね」
「時代の流れだな。千年は一瞬の光の矢というだろう?」
「いうの?」
「く。これがジェネレーションギャップか」
「元ネタがあったのか……」
一九八一年に放送されたテレビアニメである。
携帯端末を操作して情報を引き出す悠人。
まったく知らない作品であった。
「設定に関して、言いたいことが山脈ひとつ分くらいあるのだがな」
「知らないよ! のんのんは懐かしのアニメに詳しすぎるよ!」
「好きなのだから仕方あるまい」
アニメ好きのエルフなのである。
彼女が私室としている客間には、日々アニメのDVDが増え続けているらしい。
「しかし、ここに妖怪が現れたということは、私の存在はすでに露見しているのだろうな。彼らに」
面倒なことだと肩をすくめる。
人間とは違い、特殊なチカラを持っている分、通常の守りではおぼつかないのだ。
存在自体を隠蔽してしまえば、風の精霊も見逃してしまう。
「事実、そなたが襲われているのも判らなかったしな。近くにくるまで」
「それってかなりまずいんじゃ……」
「彼らは滅多なことでは人間に危害を加えぬよ。せいぜい、悠人の貞操がピンチというだけで、あまり実害はない」
「実害ありまくりじゃないですかねぇ!」
いちおう彼としては、初めてを捧げる相手は決めているのである。
じつにどうでも良い決意だった。