三、Sprout
視界が反転した。
直後に衝撃が右半身を襲った。中々に痛い。
「…………はい、検査終わり。そのまま床に転がって芋虫みたいな無様な姿をさらしてればいいよ」
流れるように紡がれる毒にも今は言葉を返せない。が、転がったままはいけないと思いなんとか身体を起こした。
「これで、何がわかったんですか」
「あなたのクソみたいな魔力貯蔵量とゴミみたいな体力と到底人間とは思えない魔臓の小ささ、かな」
「……………もうちょっと他に言い方無かったんですかねえ」
「事実を口にしたまでだけど、何か不満でも?」
言葉が詰まる。体力の無さは自覚してるし、魔力の貯蔵量だって上級生になるときに計ったので知っている。
視界に映る景色は圧倒的な灰色。ただの地下空間である。
今俺は、体力テストと魔力の計測をしていた。というか、させられた。
――ま、善は急げっていうし。君がここに就職してもしなくても、一回ウチ特製のテスト、受けてみない? あ、拒否権はないから、安心してね。
医務室の女性――白地と名乗った――が言った言葉が脳裏によみがえる。白地はいつの間にか掛けていた眼鏡を上げながら、そう言っていた。
曰く、病人に人権は無いらしい。それも自分が治療した患者なら特に。
「体力はまあわかるとしても、あなたの魔力に関する物の数値が軒並み低いのはちょっとあり得ないかな。第一、魔臓なんて呼吸するだけで多少は成長するというのに。あなたもしかして、呼吸してなかった?」
――大気中にも魔力は含まれるのだから、普通はもうちょっと大きくなるはずなんだけど。
毒の混じった声で俺の意識は引き戻された。この計測員は、見た目とは裏腹に毒を吐く。計測中もずっと毒を投げかけられていたので、精神的にも辛かった。
魔力、と呟く。
大気中における魔力の含有率は約四十八パーセント。だから、ただ呼吸しているだけで魔力は身体の中に入ってくるし、それらを貯めるために魔臓という物が発達する。
俺は左胸、心臓が在るであろう手を当てた。
魔臓は右肺の隣、心臓に付随する形で存在している、らしい。らしい、というのは、単に俺の知識が足りないだけだ。魔臓についての知識なんて、何年前かに一度覚えたきりだ。それもテストのためだったので、今やその記憶は掠れかけている。
「…………日常生活だったら魔臓の大きさなんて関係ない」
負け惜しみのように聞こえたかもしれない。でもまあ、いいか。実際その通りだから。
「こんなんじゃあ一ミリも役に立てないね」
「何の」
「私達の、に決まっている。あなた、ここで働くんだよね?」
当然でしょ、とでも言う風に、青色の瞳がのぞき込んでくる。勿論当然ではない。
「…………誰がそんなことを言ったんですかね」
「白地」
何なんだあの人は。顔が引きつっているのが自分でもわかる。バカじゃないか、なんで民間人さらっと引き入れようとしてるんだ。暗示とやらを解いたから、それだけで?
「ここは常に人員不足なんだ。例えそこらの雑魚外敵にも殺されそうなあなたでも入ってくれたら助かるね。肉壁とか、興味ない?」
「あると思ってるんですかあんたは」
「逆にないんだね」
「あるわけ無いでしょうが!」
ここはあれか、こういう手合いしかいないのか。さらっと人権侵害するわ毒は吐くわ、もうちょっと常識的な人が欲しい。切実に。
「で? 働くの? 働かないの?」
返答は決まっている。
「働きません」
なんで好きこのんで死亡率高めの職場に行くのか。今やもう存在しないブラック企業もビックリだよ。
体力もあらかた回復した気がするので立ち上がる。左足の動かしづらさなんて物は消滅した。体力テストの最中はずっとあったというのに。怪我する前と同じどころか、それよりも調子が良い。歩くのも速くなった気さえする。
「当自治体は新入職員年中募集中大歓迎だよ」
「しつこいなあんた!?」
足早にこの地下空間から出る。取りあえず医務室まで戻ろう。俺の荷物が置いてある場所とか出口とか聞きたい。
記憶をたどって廊下を進んだ。『走るな殺すぞ!』と書かれた張り紙を横目に、ちょっと速度を落として歩いた。
職員らしき人とすれ違った。禿げていた。すれ違いざまに軽く礼。同情する。
また職員らしき人とすれ違った。走っていた。かなり急いでいる様子で、大事そうに書類を抱えたまま通り過ぎていった。その何秒か後に悲鳴が聞こえた気がするが、俺は知らない。死んでないことを願う。
そうやって歩いて行くと、なんとか医務室へとたどり着いた。一応ドアをノックして、部屋に入る。視界に映ったのは机に突っ伏した赤髪。
「またかよ」
俺がこの部屋からさっきまでいた地下空間に連れて行かれてどのくらい時間が経ったのだろうか。三十分か、一時間か。いや、それ以上だろう。
この人どんだけ寝ているんだ。そんなに疲れているのか。確かに医者は疲労がたまりそうだが、この医務室に俺以外の患者はいない。
ともかく、起こそう。
適当に近くの物を投げつける――のはやめて、体を揺らしてみる。
睡眠中の女性の体に触る、というのは犯罪行為っぽいし、できればやりたくないが、不可抗力だ。これは不可抗力なんだ。
ゆらゆら。ゆらゆら。ぐらぐら。
「っふおう! …………ああ、君。テストは終わったんだね。うん、どうだった? いやまあ、結果をまとめたやつはあるんだけどさ、やっぱ生の感想を聞きたいじゃん。聞きたいよね?」
寝起き一発目から元気のある声。よくそんなテンション上げられるな、と思った。俺が朝に弱いからだろう。
結果の紙があるならいいじゃないかとか、結果まとめた紙が送られるの速いな、とか思ったが、素直に口を開いた。一言で。
「……きつかったです」
「あっはははは、そっかそっか。君、体力なさそうだもんね。えっと、魔臓は……うわあ」
「一応本人の目の前なんですけど」
「いやいや、これはもう才能だよ、一也君。君、面白いねぇ」
「俺は全然面白くないです」
腹立つほどのにやけ顔。目の端には、笑いすぎたのか涙が見えた。
何が面白いのか、白地さんは未だに笑っている。
「で、どうする? ウチに入る? 待遇は良いよ、ここ」
笑いがやんで、白地さんはそう尋ねてきた。さっきから何なのだろう、そこまでここは人手不足なのか。笑えるほどの才能の無い人間をスカウトするくらいに。
眼鏡越しに緋色の目が問いかけてくる。それは俺の返答を待っているようで、しかし待っていないようでもあった。実験動物を見るみたいな眼差しだった。
ちょっと間を置いてから、口を開いた。
「遠慮しておきます。俺、まだ死ぬ気はないんで」
「……そう、まあ、いつでも歓迎しとくよ。怪我は治ってるから、もう家に帰っていい。服はベッドの横の机に乗ってる」
出口は、ここを出て右に行けば見える。そう呟いてから、興味を失ってそっぽを向くように、白地さんは机に突っ伏した。その姿から視線を外して、荷物を取った。一緒に置かれていたスポーツドリンクも。
出て行くときにちらりと振り返る。
初めて見たときと同じように、彼女は机に突っ伏して寝ていた。
市役所から出て、空を見上げる。
綺麗な朝焼けだった。
多分俺は七時間ほど眠っていたのだろう。
淡い赤に染まる町並みを歩いた。何せこの街は外縁部なので、外敵の被害が多い。修復はその都度行われているとはいえ、手の着いていない部分も多くある。
スポーツドリンクを飲みながら、ひびの入った道路を歩く。朽ち果てた家を通り過ぎる。切れかけた街灯を避ける。瓦礫の山、荒れ果てた畑。足を動かす。歩を進める。
俺はどこに向かっているんだろうか。多分家だろう。この先にはない。だから、家に向かっていた、と言う方が正しいか。でもこの先は立ち入り禁止区域だ。入ってはいけない。頭ではわかってる。理解している。でも体は理解してくれない。
まるで頭と体が分離したみたいだ。少し笑う。何で笑ったのかなんてわからない。気づいたら口が勝手に弧を描いていた。悦んでいるみたいだ。俺はちっとも嬉しくないのに。
スポーツドリンクはいつの間にか空になっていた。容器を持ち帰る気もせず、そこらに棄てておいた。
『立ち入り禁止』と掲げられた鉄柵を飛び越える。ここから先は外敵の侵攻によって廃棄された地区だ。西の砂漠とは違い、ここはまだ街としての風景を残している。
消えない火を見た。飛んでいる魚を見た。宙に浮いたまま朽ち果てている鉄骨を見た。独りでに歩いているマネキンを見た。群体を成している人骨を見た。
まるで異界だ。西の砂漠の方がまだよっぽど安らげる。あそこはちゃんとした「砂漠」だ。でもここはなんだ。外敵の闊歩する光景があったなら良かった。実際はそんな物はなかった。外敵は無害そうなものが一、二匹。それ以外に見た物はすべて物語じみた、人が作り出したようなナニカだった。
しかし体は一直線に向かっていく。思考と行動の乖離が凄まじい。
やがて山が見えてきた。なんと言ったか、確か武生山だったか。
武生山が見えてきた瞬間、異様な安らぎと郷愁が胸の内に渦巻いた。
――――ああ、そうか。
ここは、故郷だ。例えそこで生まれ落ちなくとも、覚えている。細胞が、受け継いだ遺伝子が記憶している。
歩を進める。
軽やかに、されど力強く。
慌てずに、されど迅速に。
躊躇はない。そんなもの必要ない。
一体誰が、自分の家に帰るのに躊躇など必要とするのだろう――――
「――警告します。そこで立ち止まりなさい」
ピタリ。足が止まる。
視界には、あの時自分を救ってくれた、あの時自分を殺した人物がいた。
翡翠色の瞳が、変わらず俺の体と自分の躯を射貫いていた。