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Sprout insect  作者: 東府
一章 胎動、孕み虫と翡翠色の邂逅
1/25

 



 


 ――ソレは、突然現れた。

 影のようだった。

 ぬるり、と擬音が付きそうなほど滑らかに、それでいて不気味に。

 俺以外いなかったはずの道に、現れた。

 ――――なんだよ、こいつは。

 家に食材がなかったから、買い物に出かけた。その帰り道、夕焼けが眩しい時間帯だった。

 目の前に現れたソレのことを見ようとしても、何故か靄がかかったようでよく見えない。音もなくソレはこちらへと歩いてくる。

 距離が狭まるにつれて、ソレの外見がはっきりとわかるようになっていく。


「あ……あ…………」


 思わず後ずさる。買った食材も道に落とす。でもそんなこと気にしていられない。


 それは人のようだった。

 それは人型をしていた

 それは人以外の何かだった。

 ゴツゴツとした外骨格に体は覆われている。頭の頂点には触覚のようなモノが生えており、だらんと下げられたその両腕には鎌のようなナニカ。

 二メートルはあるであろうソレは、白濁した複眼でこちらを見下ろしていた。

 ビキビキと顔の下部分が割れて、口が出来る。


「kyuiiiiaaaaaaaaa!!」


 およそ尋常な生物では出せないような奇っ怪な音。それを歪んだ口から発しながら、右腕を上げて――まっすぐに振り下ろした。


「ッッ!?」


 ソレの外見と発した声に戦慄を覚えながらも、何とか横に避ける。華麗な回避とはとても言えないような有様だ。転ぶように避けて、体勢を立て直したその時、俺は目を見張った。

 ソレの右腕と一体化している鎌はアスファルトの地面を容易く切り裂き、埋まっていた。驚くほどの切れ味だ。ここら辺の道は強化されたアスファルトで舗装されている。それに貫通するほどとなると、人間などそれこそ豆腐のように切断されるだろう。


 ――ああ、成る程。これが通り魔か。

 今日友人から聞かされた話がフラッシュバックする。『最近多発している』『時間帯は深夜』『犯人は人型の外敵かもしれない』『犯人は鎌らしき物を持っている』――確かに鎌があるし、明らか人型の人外だ。だがしかし、時間帯は深夜らしい。今は夕方。なんで今日に限って時間変えるんだよこいつ。


 じりじりと後退する。ソレはアスファルトに刺さった右腕を引き抜くと、その気味の悪い複眼でこちらを見た。

 笑っているようだった。


 ゾク、と背筋に嫌な感覚が流れたのを感じて、すぐに逃げた。来た道をたどる余裕はなく、ただがむしゃらに前へと走る。


「kiikyakaykyakyakyaaa!」


 嗤っているようだった。奇っ怪な声が背中から追いかけてくる。グッと手を握りしめて、普段滅多に使わない両足の筋肉を働かせた。






 走る、走る、走る。

 電柱が、民家が、ブロック塀が視界の端を通り抜けていく。


 恐怖に後押しされた、かつて無いほどの全力疾走。帰宅部とはいえ高校生男子の身体能力に物を言わせ、化け物から逃げる。

 後方から足音は聞こえない。それどころか、周囲がまるで水を打ったかのような静けさだ。耳が感じ取るのは、己の荒い呼吸とうるさいほどに鳴り響く心臓の鼓動の音のみ。だが、


 ――いる(・・)


 確かに足音はしない。しかし、確実にあの化け物が自分を追っている。おぞましい気配が後方から伸びてくる。


 後ろを振り向いて確認したい誘惑に襲われるが、自制して俺は走り続けた。汗が滴り落ちる。それらを拭う動きすら惜しかった。ただただ、あの化け物から逃げるために足を動かし続けた。


 瞬間。


 右腕に熱を感じた。その熱を知覚した数秒後、鋭い痛みが襲う。

 ひたすらに前を見据えていた視線を右腕に向けると、そこにはまるで切れ味の良い刃物に切られたような傷があった。


「ッ痛!?」


 傷を目にしたからか、痛みは次第に酷くなり、脂汗が吹き出た。。

 思わず立ち止まってしまいそうになるが、そのまま走り続ける。鮮血に塗れた右腕は、動かそうとしても動かない。


「kikyaa」


 奇っ怪な声。耳元で聞こえるそれは、嘲笑うかのような声音だった。

 そう、耳元だ。それはつまり、あの化け物が今、俺に肉薄していることを意味する。


「――――」


 声を失った。そして方向転換。今まで走ってきた道を、逆走し始めた。


 俺の目は視た。視てしまった。あの化け物の、この世のモノともつかない醜悪でおどろおどろしい顔面を。それも、互いの吐息がかかるような距離で。

 心を埋め尽くしているのは、恐怖だ。とてつもない恐怖。今まで感じたことが無かったような強大な物だ。


 右腕から伝わる激痛。足に感じる尋常ではない疲労。

 それらを無視して走ることが出来るほどに、恐怖は大きかった。

 どれだけ走っただろうか。いつの間にか景色は見慣れないものになっていた。太陽も沈む間際で、そろそろ夜のとばりが落ちる。きっと二十分くらいは走ったハズだ。滴る汗の量は尋常ではなく、足の感覚もなくなってきたがそれでも走り続ける。気配を背中に感じる限り、走って逃げる。


 すると、突然あのおぞましい気配が消えた。フッと肩の荷が下りたような気がして、走るのをやめる。

 かなり、結構、すばらしく疲れた。全力疾走なんていつぶりだ。少なくともここ数ヶ月はやってなかった。

 膝に手をついて、大きく、深く呼吸。酸素を思いっきり取り入れた。


 さて、取りあえず買った物を取りに帰ろう。そう思って、顔を上げる。


 瞬間、身体が硬直する。――――ああ、わかっていた。こいつは遊んでいたんだ。まるで鬼ごっこだ。鬼は目の前のこいつで、俺は逃げる役。目の前に現れていたソレの顔が歪む。笑っている? 楽しんでいる?


 違う。愉しんでいるんだ。――嗤っているんだ。


 絶望しかけていても、俺の身体は生き延びようとした。強ばった身体を無理矢理に動かして、ソレから逃げようと試みる。

 だが、無駄だった。逃げようとして右足に力を入れても、動けない。いや、違う。動けないんじゃない。動かないのだ。


 切られたんだな、と把握したのと同時に、右足から感じる尋常じゃない痛み。そんな足で逃げられるわけがないのは当たり前で、俺は前のめりに倒れた。

 堅いアスファルトの地面を転がる。立てない。足の怪我もそうだが、とっくに身体は限界だった。普段運動しなかった自分を呪う。


 ソレが近づいてくる。最初と同じように、右腕を振り上げる。

 逃げられない。動けない。俺に出来るのはただ自分の命を絶つであろうソレをぼうっと見ることだけだ。


 カマキリのそれと同じような形状の鎌。

 こちらを見据えているおぞましい複眼。

 愉しげに嗤うソレの顔。

 異形の体躯。


 いやに鮮明だった。鎌が、振り下ろされる。

 やけにスローモーションだった。まるでコマ送りのようだった。

 鎌が着実に、けれども進みは遅く。俺の命を刈り取ろうと、迫ってくる。

 軌道は一直線。強化アスファルトでさえ容易く切断するような切れ味で俺の身体は上半身と下半身がオサラバだ。 


 鎌が迫る。

 汗が流れる。恐怖があった。もう結末はわかりきっているはずなのに、どうも俺は死にたくないらしい。

 でも、このままいったら確実に死ぬ。誰が? 勿論俺が。


 どうすればこれを躱せる? この身体を動かせば。

 ……足は動かない。左足なんてもってのほかだ。左腕一本で動かせるならもうやってる。

 躱せない?

  ソレの顔が歪むのを見た。


 ――――いや。

 動かないだけだ。

 動かせ。


 嗤っている。

 動かせ。

 左足から血が噴き出した。

 悦んでいる。

 動かせ。

 右足も震えていた。

 愉しんでいる。 


  動かせ――――――――――。

 歓喜していた。



 鎌が、弧を描いた。



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