ザ・お姫さま
よろしくお願いします。
それから一年が過ぎた。今では若鮎寮に後輩がわずか二名だが在籍するようになっていた。二十才になったので寮内の自販機で堂々とビールも買える。以前から飲んでいたからあまり変わったとは言えないけどね。
待望の退寮資格まであと三ヶ月だ。もちろん残留してもいいのだが、俺と勝利は実家へ戻ると決めていた。通勤に不都合は生じないのだから残る理由が無い。上川先輩たちと別れるわけでもあるまいし、一緒に飲みたくなったら遊びに来ればいいだけだ。
この一年、勝利の実家へも度々遊びに行ったが、由香利と顔を会わせることは無かった。きっと隣の部屋に居たんだろうけどね。またあのゴスロリ姿を見せて欲しいと願ったものだ。
相変わらず俺に彼女はいない。恭子さんとも一回だけ映画に行ったけどそれっきりになった。「どうせ他に好きな女がいるんでしょ!」とまでキレられた。今度こそ見切りをつけられたのだと思う。
勝利は絹ちゃんと付き合い続け、時々実家にも連れて行ってるそうだ。あのアニオタ部屋で二人で過ごす姿を想像して発狂しそうになった。
4月になって退寮資格は整ったけど、引っ越しはゴールデンウィークにした。軽トラックを借りて来て、勝利と二人でショボい家財を運んだ。午前中に俺の家財を運んで午後から勝利の実家へ行った。布団以外は全く大したものが無かった。勝利の部屋で一服しているとカチャリとドアノブを捻る音がした。
「透、いらっしゃーい!」
おお、お姫さまと久し振りのご対面だァ!
「由香利ちゃん、超おひさー!会いたかったよォ!」
俺の切ない思いが爆発した。この時ハッキリ自覚した。俺の本命はブラックエンジェルさまなのだと。
一挙一動を勝手に目で追ってしまう。彼女の全てが気になってしょうがないのだ。ちなみに今日は淡いピンクのブラウスにブルージーンと至って普通のファッションである。
勝利は俺を一瞥してから由香利に「座れ!」と命令した。
「何で私が偉そうに言われなくちゃならないのよ!年が上ってだけのバカ兄貴のくせに」
「何ィ!高校生のくせに成人した社会人の言うことが聞けないのか!」
「うるさい!私に命令するなんざ百万年早いわ!ブラックエンジェルさまを舐めてると泣かされるぞ!」
言い終わるや否や由香利の真空回し蹴りが勝利の脇腹に炸裂した。さすがだ!圧巻と言うより他ない。ゴスロリじゃなくったって由香利は相変わらずブラックエンジェルさまってことだ。百万年と言う表現も素晴らしい。勝はもう泣かされてるし。
勝利はウウッと呻きながら「頼むから座ってくれ……」と哀願した。由香利は渋々フロアの絨毯の上に座り込んだ。もちろん胡坐をかいた姿勢でだ。
「お前なあ、一応透も男なんだから目の前で足開くなよ」
勝利は呆れた顔で注意した。言い方は別として、やさしい兄貴の心遣いには違いない。
「ジーンズだから別にいいじゃん。ところで何か話でも有るの?」
「以前から聞きたかったんだけど、由香利は透のことどう思ってるんだ?本人を前にしてハッキリ言ってみろよ」
俺は親友の思い掛けない発言に頬を染めた。本人の前で言えって、何て過激な兄妹なんだ!
「ええー、何でそんなことお兄ちゃんに言わなくちゃいけないのよォ!わかったわ。本人だけに伝える」
由香利はいたずらっぽく笑って俺に耳打ちした。
「透、好きよ」
囁いたあとフッと息を吹き掛けられた。俺はトロリと鼻血を出し仰向けにブッ倒れてしまった。
「おい、透、しっかりしろ!由香利、俺の親友を簡単に壊すなよ。買い替え利かないんだからさ」
呆れた顔の兄の意などお姫さまは全く汲まない。もちろんティッシュを貰った俺のことも気にしない。
「知らなーい!透が勝手に倒れちゃっただけだもん。鼻血まで出しやがって変態野郎がァ!」
ああ、ダメだ。いつまでもこのトーンを聞いていたい。罵倒されていたい。だけどこのままでは鼻血が止まらない。一刻も早くティッシュを鼻に突っ込んだダサい姿を解消しなければ。
「お前ら、さっさと付き合えよ。それが自然だ」
勝利がシレッと言い放った。
へ?由香利ちゃんと交際してもいいの?聖マリアンヌだぞ。退学になっちゃうぞ。ご両親が泣くぞ。でも、これはグレートサプライズに違いない。「お兄さまァ、愛してるゥ!」と絶叫したくなってしまう。
「お兄ちゃん、私、聖マリアンヌなんだよ。あの厳しい校則をかいくぐって何とか三年生までこぎつけたのに」
「高々あと十ヶ月の話だろ。それくらいうまく逃げ切れよ。どうせ受験勉強もしないんだし、くだらないローカルルールにこだわってるんじゃねえっつーの!もっと今って時を真剣に考えろ!俺と絹ちゃんが協力してやるからさ」
勝、超カッコイイィ!ロック・スピリッツがたまんないわァ。ホント絹ちゃんってしあわせ者ねェ。
「まあ、お兄ちゃんがそこまで言うんなら付き合ってやってもいいよ。透って私を大切にしてくれそうだし」
ブラボー!俺の身体をジャンピン・レディ・フラッシュが駆け抜けたァ!アイ・キャン・ゲット・サティスファクション。コミュニティでも魔界でもお供しますよォ!俺の大切なお姫さまァ!
倒れたまま聞いているのがちょっと悲しいけどね。それも鼻にティッシュを突っ込んでだから。
由香利は上から俺を見つめて小悪魔のようにニヤリと笑った。
「透、もちろん嬉しいだろ?ずっと私のこと好きだったもんな。ホントにウブな奴だよ、お前は」
俺は小さくコクンとうなずいた。彼女の瞳に吸い込まれそうになる。由香利がスッと頬を寄せて来たので思わず目を閉じた。
痛ってえ!頬っぺたを思いっ切りつねられた。彼女はオッホッホと高らかに笑いながら自室へ戻って行った。何てキュートなんだろう。お姫さまは色褪せることを知らないようだ。お陰で俺はニヤケっぱなしだよ。
勝利と軽トラックを返しに行った帰り道、喫茶店に立ち寄った。
「勝、交際を認めてくれてありがとう。俺、絶対に由香利ちゃんを泣かせないから」
「まあ、透が泣かされっぱなしになるだけだろうよ。しかしあのバカ、相変わらず凶暴だぜ。蹴りが思いっ切りヒットしやがった」
由香利に蹴られたわき腹をさすりながら勝利が顔をしかめる。
「俺、彼女の蹴りなら耐えて見せるよ。とにかく由香利ちゃんの全てを受け入れるんだ。でも、高校生のうちは注意しなくちゃいけないね。何たって聖マリアンヌだもんな」
「あんまり甘やかすなよ。あいつの要望は際限が無いんだから。まあ、俺にとっても可愛い妹に違いないから、わけのわからんバカと付き合うより透の方がいいと思ってさ」
「いや、俺も結構バカではあるけど感謝してるよ。いつまでも大切に守るって約束する」
勝利は俺の言葉に少し驚いたみたいだ。
「いつまでもってさあ、まだ成人して間もないのに、えらく先までイメージしてるんだな」
「うん、俺、由香利ちゃんと結婚したいもん。一緒に暮らせたらいいなと思ってる。あれ以上の女にこの先出会えることなど無いよ。一方的な思いってこともわかってるけどね」
真摯に話す俺の胸の内は勝利の困惑に拍車を掛けてしまう。
「はあ?俺たちはまだ若いんだから、自ら可能性を締め出すのもどうかと思うぞ。そりゃ俺だってうまく行ってくれた方がいいんだけどね。だいたいお前、俺のことお義兄さんって呼べるの?もしかして、絹ちゃんをお義姉さんって呼ぶことになるかも知れないし」
「えっ?そんな呼び方しなくちゃダメなの?そのイメージは湧いて来ないなあ」
「由香利と暮らすってのはそういうことなの!まあいいけど。こりゃまだまだ先の話だな。ちょっと安心したよ。とにかく、もう少し力を抜いて付き合えってアドバイスさ」
「わかったよ。勝、ありがとね。俺、一生懸命頑張るから」
勝利は情け深い眼差しで俺を見つめる。
「何か今の透がすごく健気に見えて、あんなバカ妹で申し訳ないくらいだよ。それと、注意事項を一つ伝える。由香利が高校生のうちはヤるなよ。バレたらもちろん退学だし、透も淫行条例違反でお縄だぞ。そしたらお堅い我が社は懲戒免職の処分を下すだろう。二人の将来は木っ端微塵さ」
「ゲエッ!そんな条例おかしくない?法律では女子って十六歳で婚姻出来るじゃん。そりゃ保護者の承認は必要だけどさ」
「透がそう言ってどうなるものでもない。確かにバレなきゃいいんだけど、もしもの時の代償が大きすぎるからな。まあ、マリアンヌの校則なんてシカトすればいいよ。男女交際禁止って人権無視してると思うもん。ホント私立は何でも有りだぜ。あんなの、お嬢さま学校の経営戦略の一つなのに。それをありがたがる父兄がいるから厄介なんだよな」
勝利は由香利のケイタイとメアドを教えてくれた。勝と親友で本当に良かった。
夜になって早速由香利に電話した。
「もしもし、透です。今日はどうもありがとう」
「うん、透だって直ぐにわかったよ。お兄ちゃんにケイタイ聞いてたからね。ところでお前、鼻血は止まったのか?私の声を聴いてぶり返しても知らないぞ」
「少しは心配してくれてたんだ。嬉しいな。何とか止まったけど、鼻血グセついたら困るよね。出血多量で死んじゃうよ」
「お前なあ、そんなひ弱で本当にブラックエンジェルさまの騎士が務まるのか?私は無理に頼んでるんじゃないからな。この美貌なら志願者は絶えないだろうし」
「つれないこと言わないでよ。俺は好きな女としか付き合えないんだ。それが由香利ちゃんってこと」
俺の全開ラブコールに由香利は呆れたようだ。
「ふーん、透ってホントに真っ直ぐだよね。今時、高校生でも駆け引きするぞ」
「俺だって必要なら駆け引きくらいするよ。でも、もっと純粋に追い求めてもいいんじゃない?好きって、とても重くて大切な気持ちでしょ?思えること自体がしあわせなことだよ」
「優位性は無視か。変わってるな、お前。まあいいや。ところで要件は何だ?」
「もちろんデートのお誘いだよ。土曜日に勉強しといて日曜当たりどう?」
「いいよ。一緒にコミュへ行こう。交通機関で行くのヤだからアッシーをやってくれ」
「了解!エンジェルさまのアッシー、確かに承りました。自宅へお迎えでいいのかな?」
「うん、迎えに来て。朝8時半に来いよ。名港まで行くんだからな。特設ドームが有って、その中で集うんだ」
「へーえ、結構大規模なんだ。俺、コミュって初めてだから色々教えてね」
「任せとけ!はぐれないようにずっと私に寄り添っとけ。あと、お財布は絶対に忘れるなよ!同人誌とかはコミュでしか買えないんだからな」
ずっと寄り添えって嬉しいこと言ってくれるじゃん。お財布の中身は……何とかするさ。
「わかりました。遅れないようお迎えに上がります。二人切りになれるのってすごく久し振りで嬉しいね」
「私も透とのデートは楽しみだぞ。何たってイカシた彼氏だからな。それじゃ切るぞ。おやすみなさい。チュッ!」
「ああ、おやすみ」
プツッと電話が切れた。
ウォォォ!ヤッタヤッタァァ!チュッだぜえ!俺はベッドの上を転げ回りゴツンと壁に頭をぶつけた。
アイタタ!ちょっとはしゃぎ過ぎたぜ。でも、こんなしあわせな気持ちは生まれて初めて味わうものだった。
読んで下さりありがとうございます。




