影
馬車が揺れる。ガタガタと舗装の甘い道を、馬車の列がゆったりと進んでいく。どことない緊張感の中、皆が皆硬い表情になっている。
明るい表情なのは、いまいち空気感のわかない年頃の子供達だけだ。
「お姉ちゃんはどこから来たの?」
「えっ……」
子供達の一人がたまらなくなったようで、エレノアに声をかける。急なことに言葉に詰まるエレノア。馬車の中の子供達は、目を輝かせながら、エレノアを見つめている。
長い旅になることは、大人たちが一番よく理解しているから。エレノアの言葉に、内心耳を傾けている。
「私は、王都からよ」
「おうと!きいたことある!」
「王さまがいるとこ!」
「そうだよ」
これをきっかけに、馬車の中の雰囲気もだいぶ緩んでいく。大人たちの間にも、少しづつ会話が増え。やっと乗り合い馬車での旅といった趣が出てくる。そんなエレノアの姿を馬車の後方から、馬上のジャックが眺めている。
「後ろの人はあんたの旦那かい?良い男だねえ」
「いっいえ、彼は傭兵で」
「まあ、そうなのかい?随分と親切な傭兵なんだねえ!」
「そうなんですか?」
「そうさ!普通は馬車の乗り降りに手なんか差し伸べないよ」
「そう……なんですか」
ジャックは、旅に慣れていないであろうエレノアが、怪我をしないようにとしただけであって。普段の護衛依頼では、決してそういった態度を毎回とっているわけではない。エレノアが条件の良い依頼主であり、旅に慣れていないからであり。決して美人であるからだとか、柔らかそうな手だったからとか、そういった気持ではない。
ないのだ。
そんな感じで、少しづつ旅をする雰囲気になった馬車。和気あいあいと言った言葉が、よく合うほのぼのとした雰囲気。出発した頃の、戦地に向かうような緊張感も今は霧散している。
たまたま乗りあわせた吟遊詩人が、普通のお話を子供達に話して聞かせ。それをエレノアが一緒になって聞いて。一緒になってハラハラ・ドキドキとしている。
ジャックは、ここまで穏やかな旅をしたことがない。いつも、一人のお客はワケありで、こっちに積極的に関わろうとはしないし。こちらも積極的に関わろうと言う気もない。エレノアという女性は、すれていないというか、純粋というか、兎に角出会ったことのないタイプの女性だった。
だが、ジャックはどこと無く、違和感を感じていた。嫌な予感とでも言うのだろうか、自分の経験上こういった時ほど、よくないことが起きるのだ。
昼になり、馬を休ませるためにも休憩を取る。数刻の間だったが、窮屈な馬車の中から開放されて、皆一息ついている。
「大丈夫か?」
「はい、いえ、ちょっとおしりが痛いです」
恥ずかしそうに、エレノアが答える。決してそういう意味で聞いたわけではなかったのだが。思わぬ回答に、言葉を失うジャック。
「そ……そうか、ならこれを敷くと良い、少しはマシだろう」
「ありがとうございます」
無邪気というか、無防備というか。どうにもこの女性はやりにくいと感じるジャック。
休憩場所は、開けた平原だ。ここならば獣のたぐいが近づいても、比較的に早く発見でき。また、山賊などの野賊に襲われる心配も少ない。もっとも、今回の馬車隊はそこそこの大規模なため、結構な数の護衛がいるから。襲ってくるような命知らずはそうそういないだろう。
女達が湯を沸かし、皆に配っている。季節は春とはいえ、まだまだ冷える時期であるから。白湯で体を温めて欲しいという、ちょっとした心遣いだ。
いまだ裕福な時代とは言えないため、食事は基本的に朝と夕しかとらない。だからこそ、今回の食事の条件も朝と夕だけなのだ。
しばしの休憩を挟むと、馬車隊はまた城塞都市へ向けて進みだす。
夕になり、あたりが暗くなり始めると、他の馬車等も一緒になり、大きな塊となって夜を明かす。もう2,3日行けば自由国家への分岐となるため、馬車の数は多い。
自由国家は貿易が盛んな商人の国で、海沿いにある為、様々なものが揃う場所である。ここで揃わぬものはない、と言われるほどの品揃えで。かの有名な名工も、軒先を連ねる通りがあるという。
あたりは地平線が見え、その向こうに山も見える見晴らしのいい場所で。其処にポツポツと馬車単位で火が見える。乗合馬車には他にも護衛を雇った人間が居るため、その傭兵とかわるがわる火の番をすることになる。あちこちから笑い声や歌をうたう声が聞こえ、ちょっとしたお祭り気分を掻き立てられる。
「なんだか、お祭りみたいです」
「そうか?皆暇だから娯楽に飢えてるだけだ」
「そうかもしれませんが、でも楽しいです」
「そりゃあ良かった」
よく思いかえしてみれば。自分が初めて護衛依頼を受けた時、同じような感想を持ったことを思いだす。人々が酒はないものの、笑い時を潰し合うさまは、どことなくお祭りを髣髴とさせるものがあった。
吟遊詩人の歌う声、奏でる楽器の音色。どこかで踊りを踊っているようで、軽快な音楽とやんややんやと囃し立てる声が聞こえる。子供達の笑い声や、大人たちの話し声。街では味わえない、ここ独特の雰囲気が野営地にはある。
「私、こういうの憧れてたんです」
「そうか」
「見られてよかった」
「そうか……」
どこかさみしげに、エレノアはつぶやいた。その声は、今にも喧騒にかき消されそうな、小さな小さな声。
「いやというほど見られる」
「えっ……?」
「あと何日もあるんだ、飽きるほど見られるぞ」
「……そう、ですね!」
夜が更けていく。
人々もやがて寝静まり。
賑やかだった野営地も夜の帳が下りる。
火の番をするジャック。背にはエレノアが寝ているテントがあり、周りは誰もいない。
はずなのに、ジャックは見られている気がしていた。しかし、次第にその感覚もなくなり、気のせいか何か動物でもいたのだろうとひとりごちるジャック。
闇にまぎれて、何かが動いた。
翌朝また馬車は進んでいく。朝が弱いエレノアも、流石に地べたに布を敷いただけの寝台は辛かったようで、少し眠そうだ。
「ジャックさんは大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
「眠くないんですか?火の番もなさってたのに」
「もう慣れた」
「慣れるなんてすごいですね、私は慣れそうもないです」
「あんたは……なれないほうが良いさ」
「どういう意味ですか?」
単調に、昨日と同じことを繰り返す日々が続く。馬車に揺られ、休息を取り、夜は騒いで睡る。また起きて、馬車に揺られ、休息を取り……。
もうモンティトを出て3日もたっただろうか。ここで想定内ではあったことが起こる。
それは雨だ。
それも普通の雨ではなく、この季節には珍しくバケツをひっくり返したような雨で。雷も鳴り響いている。馬車隊の一行は街道の脇に見えた小さな林に身を寄せた。総勢13程の馬車体がギリギリ収まるかという程度の林で、獣もいないことを確認し身を寄せる。
馬車体の面々が顔を合わせ、この雨ではこれ以上進むことは出来ないと判断し、今日はここで一晩明かすことに決定した。連日とは違い、雨に打たれた者も多く、皆静かな時間を過ごしている。馬車の中にいたエレノアは比較的無事であったが、ジャックは濡れネズミとかしている。髪をかきあげ、後ろになでつけたジャックは、普段にもましてワイルドである。
少しづつ夜が近づいてくる。雨は一向に止む気配もなく、未だに降り続いている。食事をとった後、疲れのためかエレノアはジャックの横で寝始めた。体を冷やさぬように、掛布をかけてやる。
雨の音。
雨の音。
雨の音。
金属音。
一気に緊張があたりを包む。
ジャックは気づいていない。
少しづつ、少しづつ。
雨音の中に土を踏みしめる音。
「あっ……寝てました」
「テントで寝ると良い、風邪を引くぞ」
「はい、掛布をありがとうございます」
「気にするな」
エレノアがふと目が覚め、テントの中へと入っていく。
また近づく足音。
水を飲むため、木のコップに水を移すジャック。
夜の闇を銀線が駆け抜ける。じゅうっという音を立てて消える焚き火。暗闇があたりを支配する。
「んっ!?」
「シッ……俺だ、静かに、囲まれている」
すんでのところで、ジャックは後ろからの凶刃を翻し、ブーツに仕込んでいたナイフで相手を仕留めた。実際のところ、ジャックは気づかないふりをしていただけで、雨音に紛れた金属音をその耳に捉えていた。仕留めた後は瞬時に持っていたコップの水で火を消し、エレノアのテントに素早く入りこんだ。
「いいか、逃げるぞ?」
「……」
必死になり、口を手でふさがれながら頷くエレノア。
「狼だ!!起きろ!!狼だ!!!」
「っなにぃ!!?」
「おい起きろ狼だぞ!」
蜂の巣を突いたように騒ぎが広がっていく。火が焚かれ人々が起きだす。剣を持った男達が一斉にあたりを警戒し始める。
突如ジャックが腰に刺した剣を抜き、テントの外に向かって突き出す。ドスリと鈍い音が響く。
「……ッ!!」
エレノアが息を呑む。ジャックがつきだした剣に滴る赤い液体。テントの外を思いっきり蹴り、剣を引き抜く。エレノアを抱えて、外へ飛び出す。何度か切り結びながら、火がたかれている方へとかけていく。エレノアを抱えた手には血が滴っている、ジャックの血が。
「こっちだ!」
「なにい!?そっちか!!」
「おいあんたは後ろに下がってな!!」
「すまない」
「良いってことよお!!」
一気に襲撃者のいた方に人々の注意が向く。警戒しながら、少しづつ傭兵たちはあたりを照らしていく。
「おい!血の跡だ!」
「本当だ!!」
そんな声を背に受けながら、ジャックは自分の馬を指笛で呼び飛び乗る。エレノアを胸にいだいた状態で、宵闇の中へと飛び出していく。自分の外套の中にエレノアを押し込め、本来であれば進むはずの方向とは逆の方向に。つまり来た道を帰っていく形だ。
「しばらく揺れる、窮屈だろうが我慢してくれ」
「はい……すみません」
「俺は礼の言葉のほうが好きだ」
「ありがとう、ございます」
ジャックに捕まるエレノアの腕は、可哀想なほどに震えている。まさかこのような事になるとは、嫌な予感はつくづく当たる。
兎に角馬を走らせる。道を戻り自由国家の方へ馬を向ける。幸い今日は雨、足あとは雨が流してくれる。道無き道を走り、勘を頼りに自由国家の方面へ。
森のなかに身を隠し、一度馬を降りる。もう長いこと走ってきた。まだまだ夜はあけないが、この暗闇が自分達を守ってくれる。
「ハァッ……ハァッ……大丈夫か?」
「はい、ジャックさんは……ジャックさん怪我をなさってるじゃないですか!」
「俺のことは良い、怪我はないか」
「私には大丈夫です!早く手当を!」
「毒だ」
「えっ?」
相手の武器には毒が塗られていた。掠っただけであったから、あまり行動に支障がなかったが。強い毒だったようで、少量でもジャックの体を蝕んでいく。
「そんな……私のせいで……また……」
「フッ……傭兵相手に泣くなんざあんたぐらいだろうよ」
エレノアは、その目から大粒の涙を流している。ジャックは不思議といい気分だった。依頼人を守って、その結果死ぬ。どこかの戦場で野垂れ死ぬより、よっぽどいい事のように思えた。
13から傭兵になったジャックは、元は孤児だ。子供の頃から、路地裏で、暴力と犯罪の中で育った。奪うことが当然だった。強いものこそ正義だった。
そんなジャックが変わったのは、一人の男に拾われたからだ。名も知らぬ男に、力の意味を教わった。剣の握り方から、野営の仕方、女遊びも教わった。いつしかジャックは、自分の力で誰かを救ってみたいと思うようになった。暴力で奪うことしか出来なかった自分が、誰かの為にその力を振るえたらと思った。
飛び切りの美人を腕に抱くことも出来た。その美人を命がけで守った。
文字通り命がけで。
清々しい気分だ。ジャックは心からそう思う。
「私を城塞都市まで連れてってくれるんじゃなかったんですか!」
「……すまんな」
「もう良いです!」
欲を言えば、最後は笑顔が見たかった。彼女の笑顔は、子供の頃欲しかった母親のように暖かく、優しいものだったから。
「大丈夫、私はできる」
エレノアは覚悟に満ちた表情を見せた。
--完--
いや、冗談ね。