始まり
まだ日も見えない早朝。昨夜の雨によって、うっすらと霧のかかる大通りを一人の男が足早に進んでいく。屈強な体を外套で包み、裾からは黒い鞘が見え隠れしている。フードを目深に被った男の目は鋭く獣のようで、くすんだ金髪に無精髭を蓄えていた。年は20代半ばほどに見え、まだ青年といった印象を受ける。
まだ聖職者も目覚めぬ時間であるから、昼間あふれる様な人と喧騒はもちろん、人通りも全くない。赤レンガの建物が立ち並ぶ石畳の大通りに、ブーツの足音を響かせながら男は一心に目的地へと向かっていく。
しばらくすると、開けた場所に出た。真ん中には銅像があり、そこから放射状に細い道や大きな道が繋がっている。その広場にある、少し古びた趣の建物へと男は迷わず向かっていく。その建物の軒先には、馬と馬に乗る戦士が描かれている看板が下がり、ランプが小さくなった火を灯している。ここは傭兵ギルドの詰め所。荒くれ者が集う場所だ。
男は中に入ると、フードを取りながら歩いて行く。入り口近くにあるスペースには机と椅子が置いてあり、そこで簡単な飲食ができるようになっている。しかし、当然ながら今は早朝だから、人が一人しか座っていない。男はちらりとそちらに目をやるが、すぐに興味をなくしたように目線を受付へと向ける。眠そうな職員が、カウンターに肘をつき顎を支えている。
座っていたのは女性で、珍しいがありえないことはない。大体ここにいる女性は娼婦か、傭兵たちの情婦だから、外套を着て、顔をフードで隠しているような女性は見かけたことがない。その珍しさから、男は視線を向けたが、自分には関係ないことだと視線を外した。
もう完全に瞼が落ちてしまっている受付のカウンターを2度ノックする。
「すみません、どうにもこの時間は眠くて」
「気にするな、依頼を達成した、記録してくれ」
慌てて飛び起きた受付は、恥ずかしそうに笑い、頭を掻きながら簡単に謝罪する。良くこの光景も、このやりとりもしている男は、特に気にした様子もなく用件を告げて、一枚の羊皮紙を差し出す。
「ジャック・ウィリアムズさん、アティート共和国からトゥリエント王国間の護衛依頼ですね……はい、記録しました」
「ありがとう」
男の名前はジャック・ウィリアムズ。この国の成人である13の頃から傭兵として生きてきて、主に護衛任務を受けている。傭兵にしては珍しく、個人で活動しており、時折どこかの傭兵団に臨時加入はするが、決して誰かと傭兵団を結成しようとはしない男だ。仕事ぶりは真面目だが、無表情のまま逃げる敵を執拗に追い回し葬る姿や、護衛対象を自分の身を挺して守ろうとする姿から、猟犬と一部で呼ばれている、そこそこ名の知れた傭兵。
傭兵はギルドにより管理され、その身分を証明すると同時に、傭兵による詐欺行為を取り締まる為に存在する。依頼をギルドが受け付け、ギルドを通して傭兵が任務を受けるため、依頼人は安心して傭兵を使うことが出来。傭兵は自分たちの依頼達成記録を用いて、依頼主に売り込むことが出来る。基本は紹介所の様な所だから、報酬や待遇については、依頼主と傭兵が直接話し合うことになる。依頼主が待遇や報酬を安く叩けば、傭兵たちはその依頼主の依頼から遠ざかってしまうし。逆に傭兵が無理な待遇や報酬を要求すれば、ギルドから傭兵としての登録を抹消されて、まともな活動ができなくなってしまう。荒くれ者が集う傭兵ギルドだが、その実仕事には真摯に取り組む人材が多い場所だ。
「なにか受けていかれますか?」
「そうだな、何かいい護衛依頼はあるか?できれば1月程で終わる仕事が良い」
「でしたら、あちらの女性が丁度要塞都市までの護衛依頼を出されていますよ」
要塞都市といえば、乗り合い馬車で3週間程度の距離にある都市で。その名の通り巨大な鉄の外壁が都市全体を覆っており、その内部も侵入者対策で非常に入り組んでいる。街そのものが要塞のような都市だ。
そこは女性が一人で行くような場所ではなく、どちらかと言えば軍人や傭兵が好んで行く様な所だ。要塞都市というだけあり、武器や防具を取り扱う店も多く、また訪れる客の性質上花街も発展している。この早朝という時間もあって、その女はとても浮いた存在に感じる。
まあ俺には関係のない話か。一瞬訝しんだものの、自分は傭兵であり、与えられた仕事をこなせばいいと思い直す。依頼主が自分を裏切らない限り、自分も決して依頼主を裏切るような真似はしない。傭兵として活動し始めた頃から、このことだけは守ってきた。ジャックにとって、傭兵に一番必要なものは力でも技でもなく、信頼であると考えている。そのためには、まず自分からその信頼を示し、行動しなければならない。護衛任務は、長期間共に移動するのであるから、特にその部分が必要だとジャックは感じていた。
「そうするか、交渉してみるよ」
「わかりました、契約内容が決まりましたらお呼びください」
ジャックは受付に一度頷いて見せ了承したことを伝え、女性に対面する様に腰掛ける。女性は視線を下に向けており、自分の膝や、その上においた手しか見えていないようで、ジャックが座っている事に気づいていない様子だ。
「要塞都市に行きたいのか?」
「えっ……?」
声を掛けられやっと自分の前に人が座ったことに気付いたであろう女性が、驚きの声を上げながら、弾かれるように顔をこちらに向ける。プラチナブロンドの髪が見え隠れし、優しげな印象を与える少し垂れ気味で大きな青い瞳。通った鼻筋に、形が良く程々にふっくらとした桃色の唇。目が覚める様な美貌というのは、こういうものなのかも知れない、などと考えつつジャックは、フードで見え隠れする女性の目を真っ直ぐ見つめる。
「あの……受けてくださるのですか?」
「ああ、だから話しかけているんだ」
「あっ申し訳ありません」
女性は、ジャックの言いように萎縮してしまい、身を小さくしながら謝罪する。先程からの振る舞いや、喋り方からするに、恐らくやんごとなき身分の女性だろうと、ジャックは推測する。自分とは全く反対の人生を歩いてきたのだろう、着ているものもかなり上等なもののようだ。これはそこそこ良いお客を引いたかもしれない。勿論騙す気はないが、真面目が服を着て歩いているような男であるジャックも男、連れ合いが美人であれば気分が良いものだ。
「いや、謝る必要はない。俺の言い方も悪かった、すまない」
ジャックがそう告げると、女性は安心したようで、胸をなでおろしているようだ。
「要塞都市までだったな、報酬と待遇を聞かせてくれ」
早速本題に入る。報酬は無論金貨や銀貨だが、待遇は少し特殊なものである。例えば、依頼人が提供する食事の回数や、村や街に辿り着いた時に宿を使用出来るか等、細かく話し合うことになる。
人の全く居ないギルドに、二人の交渉する声だけが響く。
「食事は?」
「朝と夕、食材を用意しますので、調理はして頂けると。昼食は簡単な携帯食料を用意します」
「最終的な依頼の達成条件と報酬を聞かせて欲しい」
「最終的には、要塞都市にある傭兵ギルドの方まで護衛して欲しいのです。報酬は金貨5枚、前払いも可能です」
「5枚?」
「少なすぎますか?」
「逆だ、多すぎる。金貨1枚でもお釣りが来るぞ」
どうやら、そこそこどころかとんでもなく、常識を知らない女性だったようだ。
経済の発展が未熟なこの世界は、金貨、銀貨、銅貨を用いて取引をする。しかし、未だに識字率も高くないご時世、算術が出来る人間は、商人や傭兵、そうでなければ貴族や騎士等といった一握りの人間だけだ。また造貨技術も未熟だから、金貨や銀貨、銅貨に至ってまでも不足しているのが現状だ。市場では、物々交換がよく行われており、金貨1枚でジャックが大凡2年は遊んで暮らせる、それだけの価値が有るのだ。傭兵であれば何度か見ることもあるが、ごく一般的な生活をしている者は、一度も見ることなく死んでいくのも珍しくはない。
要塞都市まで大凡3週間で移動でき、更に乗り合い馬車や食事代も向こうが持つとなれば、報酬は銀貨40枚、色を付けても四半金貨1枚程度だろう。金貨1枚は、異常なほどに高い報酬だ。
「銀貨40枚、そうだったのですね。あまりこういった事には疎いもので、申し訳ありません」
「そんなに謝らないでくれ、ちょっと驚いただけだ。普通は傭兵を雇う報酬の相場なんぞ知らないから」
「ありがとうございます」
今までしていた、明らかな愛想笑いとは違う、柔らかく温かい人柄を表したような微笑み。自分の周りにこんな笑顔を見せる女性はいなかったから、すこし面食らってしまう。この女性と居ると、どうにも落ち着かないと感じるジャック。
「この依頼を受けよう、要塞都市までよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。私の名前はエレアノール、エレノアとお呼びください」
「ジャック、ジャック・ウィリアムズだ。で、何時出発するんだ?」
「できるのであれば、今すぐにでもここを立ちたいと考えています」
「わかった、手続きをしてくる。待っていてくれ」
あっさりと、今すぐ出発することを了承した事に驚いていたが、依頼主の要望には誠心誠意答えるのが傭兵だ、そうジャックは考えている。その考えのもと、特に上客であるエレノアの要望は最大限答えようとする。それが次の仕事に繋がる可能性もあり、同時に贔屓にしてもらうコツだとジャックは知っているのだ。
またもや船を漕いでいる職員、同じようにカウンターをノックして起こし、手続きをしてもらう。未だ眠いのか、動きは鈍く筆を握る手も動きが遅い。
「お気をつけて」
職員に声を掛けられながら、ジャックはエレノアの元に向かう。前回の仕事で商隊を護衛したから、その時に次の依頼に必要なものを揃えておいた。だからこそ、すぐに出発をすると言われても慌てなくて済んだのだ。前回の依頼主も、ジャックを気にいってくれたようで、色々おまけもしてもらった。
「行こう、早いほうがいいのだろ?」
「はい、もう大丈夫です」
外に出て待っていたエレノアが城を見て居る。しばらくしてから、ジャックが声をかけると、エレノアは何事もなかったように、フードを深くかぶり直しジャックの方に歩いてくる。どこと無く、その後ろ姿に寂しさを感じたが、こちらを振り向けばその寂しさも霧散し、気のせいかと首を傾げる。
まずは要塞都市行きの乗り合い馬車の出ている街、モンティトに向かわねばならない。しばらくは歩きだ。
傭兵のお話書きたかった