右腕
五分企画参加作品です。検索して頂ければ、よりいっそう面白い作品に出会えると思います。
聞こえるは風の鳴き声。
築かれるは砂の城。
一年の半分以上を砂嵐に覆われた国があった。
その国は無思慮な王のために豊かな自然と資源を食い潰してしまっていた。民草は残る野菜屑や肉片をめぐり、紛争を繰り返し日常を綱渡る。
巨大自然保護団体、ブルックリン。異国のネットワークで過激派と呼ばれる、その組織に所属するゴルトも例外ではなかった。
一番古い記憶では母親に捨てられ、誰かに拾われたかと思えば地を這うようにして義父親の暴力から逃げ、十五の時には独りでどうにか今を生きていた。
友人の一人から一緒に仕事をやらないか、と誘われ組織の一員となったのも遠い月日のことでなかった。
ただそれを遂行するのはゴルトにとって、お金を得て生き延びる唯一の術であったからで、歩く目的は二の次だったからに他ならない。
曇る空模様のその日。
彼は作戦コード、オクトパスについた。
ブーツの靴紐はきゅっと結んで、愛用のライフルは前日から丹念に手入れをしておいた。少しばかり空腹ではあったが、気にはならなかった。任務に対する誇りが、胸のうちを支配していたからだ。たとえその中に自らの死が含まれていても。
作戦内容は大統領の庶子誘拐および、原子力発電所増設企画の廃止。ゴルトはそのうちの、遊撃部隊からターゲットを引き継ぎ、犯行声明を流すまでの監視役だった。
標的は十も満たしているかどうかも曖昧な、少年だった。ロープで両手と両足を縛られ、目には白い布が巻かれていた。かさかさに乾いた幼い唇だけが、小さな自由を許されていた。
万が一を考慮しても、彼は失敗など夢にも思わなかった。
だが、供に監視役をしていた仲間が一人用をたしに立ち、一人が昼寝をし始め、また一人が食事にその場を離れた時、ゴルトはいつの間にか一人で任務についていた。
少年はロセットといった。
よく喋り口達者で、生意気だった。だからこそ、裸の心が覗き見えた。
ゴルトは組織の調書で、彼が母親と二人あてもなく放浪していたことを知っていた。今回の作戦で寄る辺がなくなったことも分かっていた。
「仕事手伝うからさ。死んで生まれ変わったら、友達になってよ」
それはその国に布教していた宗教の教えだった。万物は貴方とともにあらますように。
「そうだ。ついでに悪いヤツとかやっつけてよ。お兄さん、強いんでしょ」
ロセットはそれはそれは楽しそうに、無邪気に笑った。
悪役がヒーロー気取りなど滑稽でしかないのに。鼻で小さく笑った後、ゴルトはふと一つのことに気付く。
「ちょっと待て。俺の仕事が二つになってないか」
「読者サービスだよ」
「なんだそれは」
奇妙な言い草に、ゴルトは今度は声を上げて笑った。気の済むまで笑った。
「クソガキの命なんか俺はいらねえよ」
ゴルトは懐のナイフでロープを切ると、非常食でとっておきのトマトジュースを彼の頭からぶっかけた。
「な、何するんだよ。トマトくせぇ。俺はトマト嫌いなんだよ」
垂れ流れた赤い液体は血痕のようにコンクリートの床に飛沫した。
「ついでに、お前みたいなうるさくて、好き嫌いするガキを捕まえる仕事なんかやめだ」
ごほごほとむせているロセットに、ゴルト構わずそう言い捨てた。そして最後にぽつりと言った。
「頼むぜ、相棒」
扉の外はやはり砂嵐だった。その中にやはりコンクリート造りの部屋が転々と建っている。アジトは四方を格子鉄線で囲われているはずだった。
即席エセ死体となったロセットを片手に抱え、彼はアジトから、いや組織からの脱出を目指した。
息が詰まるような時だった。鈍く光る銃口が、アジトの出入口に立っていた仲間だった男たちの頭や腹を撃ち抜いた。
死線を越えるような任務は、何度もあった。人を殺すのも、仲間を撃つのも、初めてのことではなかった。だがゴルトはこめかみに汗がつたうのを知覚した。
「もうそろそろいいんじゃないの」
「黙れクソガキ」
「ガキじゃない、ロセット。お兄さん強いのに頭悪いんだね」
本気で死体になりたいか、とゴルトは怒りを込めて言ったが、口角は上がっていた。
アジトの南の出口に食糧調達用のトレーラーを見つけ乗り込もうとした時、耳元でノイズが走った。
『誰か、聞こえるか』
掠れるような、虫の息のような声だった。
ロセットは無意識にゴルトの戦闘服の袖を強く握った。
遊撃部隊からだということは分かっていたが、状況が状況だった。ゴルトは鼓動を落ち着けるよう、深く息を吐いてから答える。
『こちら本部。何かあったか』
『作戦、コード。デーモン、は失敗だ。総員素早く撤た』
連絡はそこで事切れた。おそらくは兵士も。
耳奥の砂嵐は止んでも、現実は吹き荒れたままだ。
「く、くそったれ」
猶予はなかった。
ゴルトはレシーバーを投げ捨て、トレーラーのエンジンをかけた。タイヤはけたたましい音をたてながら砂を巻き上げ、急発進して、格子鉄線をぶち破っていった。
アジトを抜けても、景色は寸分も変わらぬ、でこぼこ道が地平線の向こうまで続いていた。
それでも、ゴルトはアクセルを弱めることなくただ走り続けた。遠くへ、遠くへ。
ロセットはゴルトの形相に声をかけられず、ずっと黙って一緒に遠くを見ていた。
車の駆動音だけが、砂と風の三重奏を奏でていた。
どのくらい走ったのだろうか。時間にして、その二時間後。
ある国の南方地方が、まばゆい閃光に包まれ激しい地鳴りとともに、火の雨が降り注いだ。
異国の紙面では、原子力発電所未曾有の大爆発だと騒がれた。何者かによる爆破テロだという噂が流れたが、事実を知る者はいなかった。
気付けばゴルトは、野戦病院のベットの上にいた。身体を起こそうとして、違和感に気付いた。右腕がそっくりなくなっていた。
だが隣に眠っていた少年から微かに漂うトマトの匂いが何だか懐かしくて、ゴルトは再び目を閉じた。
今日も風が強いようだった。
争いと聞いて最初に浮かんだのが、任務と称して自ら命を絶つ兵士の姿でした。もしそれをやめる兵士がいたら、彼はどうなるか。それが書きたかった作品です。ちなみに作戦コードがタコなのは、大統領がタコみたいな口だからです(いらん設定だここまで読んでくださりありがとうございましたっ!