[行かないで]
事の発端は、中学2年になった綱紀が塾から帰宅する途中に何者かに襲われたことだった。
直ぐ様、病院へ向かった俺達は唖然とした。
綱紀は包帯に巻かれ、管に繋がれていた。
ただでさえ白い顔には生気さえ感じられなかった。
…ただ、心電図モニターから流れる音だけが、生きている。と主張していた。
「誰だ……どいつが…綱紀を…!!!!!!」
深く恐ろしく響いた真綾のそんな声を、俺は何度か聞いたことがあった。
その声は、真綾が誰かに殺意を持ったときに発する声だ。
だが今回のその殺意は俺達にも止められるかは解らなかった。
…だって、俺達も真綾と近いものを抱いたから。
悪魔に対して、悪魔を、生まれて初めて殺したいと思った。
一匹残らず殺してやりたいと思った。
「ま…やさ………」
「綱紀!!!!
目を覚ましたのか…!」
俺達は息を呑んで、慌ててドクターコールと芹那へ連絡をした。
「ま…やさん。行かないで。」
綱紀はそれだけを言って、また眠った。
その言葉に、真綾はその場からしばらく動けなくなった。
そして、芹那にも綱紀さんの側に居てくださいと言われた。
真綾は益々困惑した。
俺は、二人の意図が何となく解った気がした。
綱紀は、真綾に自分傷つけた相手に、復讐しに行って欲しくなかったんだろう。
傷ついて欲しくなかった。
安全な場所に居て欲しかった。
どこにも行かないで欲しかった。
…芹那も、それを理解して…………。
「真綾先輩…行かないでください。」
数日後、再び目を覚ました綱紀は真綾の手を固く握っていた。
更に芹那が真綾のもう片方の手を握っている。
「……ああ。
ここに居る。」
「……良かった…。」
綱紀は安心したように笑って、また何度目かの眠りについた。
「…悪魔病。そう名付けました。」
芹那は真綾と手を握ったまま、もう片方の手で綱紀に掛けられた毛布を整えた。
「綱紀さんの体力が著しく低下しています。
原因は解りません。
ただ解るのは、悪魔が原因と言うことだけ。」
綱紀を襲ったのは悪魔だ。
その悪魔に付けられた傷はすぐに癒えた。
…だが、体力だけが一向に戻らず、ほぼずっと眠り続けている。
解決法は、ひとつ。
「眠ったか。」
ふと、後ろから絢斗が声をかけてきた。
私は二人を見つめたまま答えた。
「ああ。」
綱紀も芹那も私の手を握ったまま眠ってしまった。
両手が塞がってしまって不便だ。
解けない程の力でもないし、離して貰おう。
「ここに、居ろよ。」
私が手を離そうとする前に、僅かな威圧を含む声が響いた。
「それは命令か?」
私は絢斗を振り返り睨んだ。
絢斗は無表情のまま肩を竦めた。
「綱紀のご希望だ。」
希望だからと言って否定もしない。
だとしても
「……私が綱紀の希望を聞くとでも?」
私にそんな義理なんて無い。
私が言うことを聞き、愛し、願いを叶えるのは遙華だけ。そしてその家族だけだ。
「聞くだろ。
お前は、結構誰にでも甘い。」
絢斗の言葉を私は鼻で笑った。
「何をバカなことを…。」
「事実だ。」
………………。
私にとって特別なのは遙華だけだ。
それは決定事項で、私はその他には興味のない存在であらなければならない。
でなければ、遙華だけを愛することが出来ない。完全に守ることが出来ない。
私は、強くない。
それどころか闇の忌み子、邪魔な存在でしかない。
そんな私が守れるものなんて、僅かだ。
他のことになんて構っていられない。
情を向けてはいけない。
そう、だから、私の行動すべては遙華の、もとい自分のための行動だ。
戦力がこれ以上減ったら困るからだ。
綱紀に情を向けたことなんて一度もないし、これからもない。
「……………綱紀を…治す。」
私は綱紀の手をギュッと握った。
「…治せるのか?」
絢斗は驚いたようだった。
「今のところ、方法はひとつ。」
そう。
たったひとつしかない。
一番端的で解りやすい方法だ。
正直いってこれの可能性がどれ程のものなのかは解らない。
だが…だが。
私が出来ることは…!
「綱紀をこんな風にした…、悪魔を殺す……!!!」
私の指先まで黒い靄が広がった。
憎しみ、殺意、恨み、それらすべてを混ぜた明確で鋭い私の意思、私自身だ。
「……………そんなこと、出来るのか」
綱紀をこんな風にしたやつだ。
それなりに強いのだろう。
だがそんなのは関係ない。
「やるんだ。」
相手がどれだけ強大であろうと、自分の身がどれだけ傷つこうと、そんなことは関係ない。
「綱紀から離れてまで?」
「………………だが、他に誰がやる?」
私ほどの戦力は居ない。
悪魔退治ならば私がするべきだ。
少なくとも絢斗では無理だ。
「お前はここに、居ろよ。」
それが威圧でなく必死な声なのだと気づいた。
私は綱紀と芹那へ視線を移した。
二人も、そうだ。
私がどこかへ行かないようにと必死だった。
「……………………………わかった。」
これも遙華の為。
私は、私のことも、多少は大事にする。
それでみんなが…間違えた遙華が良いって言うなら。
それから、綱紀はずっと入退院を繰り返すようになった。
少し調子が良くなっては退院し、また倒れ。
能力者としての活動は愚か、普通の生活すらままならないようだった。
その間、俺達はずっと悪魔を探していた。ずっと、ずっと。
…ずっと。
しかし見つからなかった…。
どこを探してもそれは居なかったのだ。
なのに…それなのに、
それは突然現れた。