[怒りも殺意も狂気も]
胸騒ぎがして、私は目を開けた。
………何故だか、不安で不安で堪らなかった…
今、何かをしないと…大切なものが永遠に消えてしまうような……。
私は慌てて立ち上がり、真綾さんと遙華さんが眠っている部屋へ走った。
「真綾さん!!!!」
襖を開けて見た景色に、私は絶望感を覚えた。
つい先程までずっと眠っていたはずの真綾が…既に居なくなっていたのだ。
いつから…?
いつ目を覚ましたの……?
どこへ……何故、遙華さんを置いて……………?
……………………ああ、そんな答えは、ひとつしかなかった。
私は生まれて初めて全力で能力を使った。
全身の血管がはち切れてしまうんじゃないかと言うほど、脈を打っていた。
そんなこと気にする余裕もなしに、私は…ただ、愛する人の気配を求めた。
目が覚めると、私は…………図書館にいた。
いや、図書館というには広すぎるな。
それなら此処は………?
「もし、もし其方」
そう言いながら、私に手招きをする幼い子供がいた。
とりあえず、示された通りに近寄ってみた。
「其方、名はなんと言うのじゃ?
妾はセーラ…聖羅じゃ!」
幼い子供は、手に持った本の漢字…聖と羅を指差して言った。
亀みたいな名前だなと思った。
………ああ、それは甲羅か。
「私は真綾だ。
…………………真、………綾。」
私も聖羅に倣って、聖羅の持つ本から、私の字を探して言った。
「真綾!マーヤ!!!!
良い名じゃの!!」
聖羅は無邪気にはしゃいだ。
そんなにはしゃがれるほど良い名前だな…と思ったことはないけど…。
でも、そう言われれば悪い来はしない。
「…して、其方はかぐやを殺したいんじゃったな。」
そうだ。
遙華を傷付けた、かぐやという魔王を私は殺したいのだ。
殺したくて、殺したくて…堪らない。
私は頷いた。
「その為に速く魔界へ行きたい。
ここから出る方法を知らないか?」
右を見ても左を見ても、ずっと似たような空間が広がっているだけのように見える。
それどころか、窓もないし、上を見ても階が広がっているだけ…。
異常な空間であることは間違いない。
「真綾は冷静じゃのぉ…」
微笑んでそういう聖羅に、私は首を振った。
「これでも焦っている方だ。」
速く出たい。
だから、聖羅に聞い手いるんだ。
こんなに焦っているときでなければ、しばらく聖羅とも喋った。
「…その様じゃの。
じゃがそれなら心配は要らん。
ここで何日、何年、何十年、何百年居ようとも
…現実世界ではほんの一瞬じゃからの」
それは驚いた。
空間だけでなく、時間も異常だったとは。
「………そうか。」
どうせ殺すことには変わりないのだし、この殺意が鎮まることはないのだし、急かしてもさして良いことはないだろう。
「真綾は、何故かぐやを殺したいのじゃ?」
私は即座に答えた。
「私の愛しい人…愛する人達を傷付けたからだ。」
「その愛しい人、愛する人達とは?」
……
「遙華…それに絢斗や、綱紀…仲間達だ。」
私は、仲間達のことも愛していた。大切に想っていた。
彼らと過ごした日々…。
過去、現在、そして未来…。
出来ることならば永久に、側に居たかった。
だが…、無理なんだ。
私にとっては、やはり遙華が特別で…唯一で、何ものにも代えがたい存在なんだ。
世界で唯一の大切な人…愛しい人なんだ…!
そんなの…そんなの解ってた。
仲間が…遙華達が大事なことくらい…。
だから他を排してでも、心から大切に思って…、それ相応の行動をして来た…。
なのに…、なのに……。
もう
「愛しい人が傷つけられた以上
私は何を棄てでもそれらを殺す。
そして、愛しい人すら守れなかった私は、既に不必要だ。」
こんなドロドロとした黒く重く恐ろしく、そして愉快な…今も腹の奥底から沸き上がってきそうな、こんな感情を抱いた私は、もう遙華を守ることなんて出来はしない。
側に居ることは愚か、愛することも出来はしない。
遙華を愛することも出来ないのなら…もう心も必要ないし、私も必要ない。
生きていても、何にも良いことがない。
意味がなく、必要ないのなら、もう死んでしまいたい。
「……………真綾…、どうか、死にたいなんて思わんでくれ。
その怒りも殺意も狂気も、誰もが、抱く可能性を秘めた感情なんじゃよ。
大切な…大切な、思いじゃ。
だから、お前は、人なんじゃ。誰が何とほざこうと。
その思いがある以上…人はきっと人でしかないんじゃ。
天使でも悪魔でも、王でも神でも魔王でもない…
この世にたった一つの、人なんじゃよ。」
「…それなら、感情が無くなったら、人じゃなくなるのか?
このドロドロした想いも、
持ち続けなくちゃいけないって言うのか…?!?!!!」
ずっとずっと、苦しんで藻掻いて喘いで…。
そんな…そんな人生に、人に……一体、何の意味があるって言うんだ!!!
「だが…それでも、妾はお前に生きていて欲しい。
どれだけ苦しくとも悲しくとも狂っていようとも…
死んだ様にだけは…生きていて欲しくない…!!!!
これはきっと、妾の勝手な願いじゃ!希望じゃ!我儘じゃ…!
それでも…それでも…っ」
生きていて欲しい…。
活きていて、欲しい………?
………そうか。…そうか。
例え、その結果が苦しくとも、悲しくとも、…狂っていようとも。
私が…、私が望んでやったことなら。
望んで活きたことなら…、聖羅はそれで良いと言うのか…………。
私はそっと息を吐いた。
息を吐けば、腹の奥底に抑えていたドロドロとした狂気が浮かび上がってきた。
私は“それ”を感じて、ニヤリと笑った。
「聖羅、魔界へ行く方法…知ってるか?」
「…ああ。
知っておるよ、真綾。」
「退け…、志保…」
悲痛、苦しみ、狂気に歪む真綾さんが、私をキツく睨んだ。
それすらも愛おしく感じてしまう私こそ、端から見れば狂っているだろう。
けれど、それ以上に真綾さんに傷ついて欲しくないと思える心は、十分に持ち合わせている。
「退けません!」
私は確固たる決意のもと、真綾さんの前に立ちはだかった。
きっと真綾さんは魔界へ行く気だ。
行ってしまったら最後…きっと帰ってこない!
悪魔とは言え、魔王とは言え、自らの愛するものを傷つけたものとは言え。
人を、親を殺した罪深き自分は、もう立派な悪魔…。そう、思うことだろう。
別に悪魔だって良いのに……………
「退け
さもなくば殺す。」
…真綾さんは本気だ。
この世の何よりも、遙華さんを寵愛している真綾さん。
その敵討ちを、何でもない私に邪魔されているのだ。
殺意以外、なにが沸き上がるというのだろう?
それでも…、私は退けない。
例え真綾さんに殺されようとも魔界へは行かせられない…!
行かせたくない…!
「………―闇よ―」
真綾さんが小さくそう呟くと、闇の弓が現れた。
いつもは朧気に形を作っているだけの、その弓は真綾さんの感情が昂っているせいなのか
それとも、いつもはセーブしていただけなのか、完全なる形を持ち艶めいてすら見える。
私はハッと息を飲んで、目をギュッと閉じた。
「―破滅させよ―」
真綾が放った矢は、私の頬に鋭い風を当てて通りすぎていった…
“バカだな”
その風と共に真綾さんが、そう微笑んで私の頭を撫でてくれた気がした。
私はパッと目を見開いて振り返った。
「真綾さん!?」
真綾さんの前に立ちはだかっていたはずが、気づけば抜かれていた。
放たれた矢は、私ではなく空間そのものを破壊させていたのだ。
暗く深い深淵の常闇。
空間の歪みを擬似的に作り出したんだ…。
満月の光によく照らされた…、引力の強い、この場所で。
私は、真綾さんが何の躊躇いもなく闇へ飛び込んでしまったのを見て、届くはずもないのに、懸命に手を伸ばした。
「まっ―」
伸ばした手の先へ、再び何かが通りすぎた。
「絢斗さん―?!」
闇は、絢斗さんを呑み込むと、消えてしまった…。
私、一人を…置き去りにして………
私は、ここから一歩も進むことができなかった。
…咄嗟に頭に浮かんだのは、家のこと………。
私は、私は志保…志持つ柊が当主……。
愛している、何てほざきながら…思いながら、家を棄てることすら出来ない…!
愛しい人をも棄てた貴方に対して…私は…何も棄てることが……出来なかった…
私は、何もない場所に永い間 囚われていた…