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SYNCHRO-CITY  作者: 夏村千早
予報が外れた日
7/7

006




「じゃあまず」


 オフがゆっくりと言葉を紡ぐ。理解を促す話し方だった。


「俺たちはフォルトレス・インディヴィジュアル、欠陥のない個体だ。欠陥がないとはつまり、二つのことを意味する。

  一つは、クローンとして生まれながら、従来のように遺伝上の欠陥がなく、自然に生まれた人間との差がないという意味。もう一つは」


 オフが言葉を切る。茶色の瞳が光った気がした。


「自然な人間がかかるであろう病気や、遺伝性の病に対する一切の免疫、それからあらゆる毒素に対しての血清を持つ、という意味だ」


 オフが分かるな、という風に首を傾げる。数秒で内容を消化し、瑠璃は頷いた。


「要するに……体に入った異物に対しては敵なしってことですか?」

「ああ、正解だ。物理的に傷付く以外、俺たちは死なない。病死も有り得ない。これがクローンとF.Iとの、一番分かりやすい違いだ」

「一番分かりやすい?」

「良い質問。違いは他にも色々ある」


 そう言いながら、オフは小型のパソコンを取り出した。指が滑らかにパネルへと触れる。


「ここまでは身体的な差だ。他にもF.Iはそれぞれ、何かしらに特化した才能を持つ。例えば俺は、」


 話している間にもオフの指は踊るように動き続け、画面にはあっという間に『中央区国立研究所の火災報告』という文字が浮かんできた。


「ハッキング。ほら、これが一昨日の火災に関する警備隊の情報」

「それって……統合政府の管轄じゃ……」


 研究所は政府直轄の機関だ。情報開示は一部の関係者にしかなされない上、ハッキング防止のシステムが幾重にも張り巡らされていると聞いたことがある。

 目を丸くする瑠璃に、オフは肩を竦めた。


「俺はシステム解析と書き換えにかけては誰にも負けない。中央のエリートにも。万全のセキュリティも難攻不落のブロックも、俺の前では意味を為さない」

「すごい……一体どうやって」

「直感がこうだと教えてくれる。どっちに行けばセキュリティを誤魔化せるか、暗証番号は何か、どうすれば情報の書き換えができるか。本能的に分かる」

「……超能力ですか?」


 そんなに面白いことを言ったつもりはないのに、運転席のバッツが大笑いを始める。


「それは違うぜ」

「なぜ?」

「F.Iの能力は、そういう超自然的なものじゃない。理由が説明できるものだからだ」

リウが答える。

「それはF.I全員が持つんですよね?」

「ああ。人によって様々だがな。成人前後で覚醒するんだ」

「なるほど。じゃあ……リウ、あなたの能力は?」


 瑠璃が問うと、リウは一瞬虚を突かれたような顔をした。心なしか瞳の緑が濃くなったようにも見えた。


「リウ……?」

「リウはまだ、覚醒してない」


 答えたのはオフだった。


「だがF.Iであることに変わりはない。身体能力の高さが明らかに普通の人間とは違うからな――――悪い、横道に逸れた。」


 荷台に沈黙が流れる。

 二度、トラックが大きく揺れた。あまり気にはしていなかったが、結構なスピードで走っているようだった。


「……それで」


 オフを見つめる。


「あなた達がF.Iだってことは分かりました。F.Iが何かも一応。でも目的は? あなた達が私を連れてきた理由は何です? どうしてそんな説明を私に?」


 オフが瞳を見つめてきた。

 強い視線に絡め取られそうになり、目を逸らす。リウは壁にもたれ掛かり、目を閉じて会話を聞いている。

 暗闇に目が慣れてきたからだろうか。明かりに頼らずとも、瑠璃は周りの状況が分かるようになってきた。

 今自分がいるのは、バッツが運転するトラックの荷台。毛布数枚と木箱が二つだけの、狭い空間だ。ただ天井は高く、長身のオフが立ち上がっても頭を擦ることはない。


 ――――それにしても、どこへ行くのだろう。


 自分を取り巻く三人の人間は、少なくとも悪い人間ではなさそうだった。危害を加えられることはないし、脅される訳でもない。ただ話を聞かされ、どこかへ連れて行かれるだけだ。

 一体、どういうつもりなのだろう。


「……俺はさっき、F.Iは物理的に傷つける以外は死なない、病気にはかからないし、細菌兵器の類も効かない、と言ったな?」


 オフの声に、瑠璃は意識を現実に引き戻された。慌てて頷く。


「それは間違いない。もっと言うと、細胞の突然変異で発症するという癌にもかからない」

「えっ、癌にも?」


 オフが頷く。瑠璃は純粋に驚いていた。


 研究が進み、医療が発達した現代。少なくとも瑠璃の住む中央区で、感染症らしい感染症はほぼなくなっていた。

 それに代わり、昔から一定の発症数を保ち続けていた病。それが癌だった。

 以前に比べ、発症後の治療にかかる苦痛はかなり軽減されているという。手術を避け、なるべく薬で直していこうという動きが盛んになり、それがある程度成功してきたことも知っている。

 だがそれでも、臓器提供を待つ癌患者は決してゼロにはならない。なり得ないのだ。

 だからこそ、瑠璃はF.Iの特異さに息をついた。


「だが俺たちにはたった一つ、決定的な弱点がある」

「弱点?」

「そう。ある薬品に対してだけ、例外的にショック反応を起こすんだ」


 首をかしげる。細菌兵器も効かないと言ったばかりだ。明らかに矛盾している……


「薬品名は、エアレル」


 オフが瑠璃の思考を遮るように言った。


「俺たちは昨日、そのエアレルを開発・研究していた施設を破壊した」

「それって……」


 町外れにある国立研究所。母の職場だ。だがそんな話、母からは聞いたこともない。


「エアレルは、言ってみれば万能薬だ。少量でどんな疾患も治る。現代の医学では考えられないような不治の病ですら、コロッと」


 オフが手首を捻りながら手を握り締める。何かを握り潰すかのようだった。


「ただし、エアレルは繊細だ。ごく僅かな量のミスで、たちまち人を死に至らしめる。研究室で生まれたベラドンナだ」


 ベラドンナ。濃紫青色の花を咲かせ、根は薬にも猛毒にもなる。

 あれ――――?

 そこまで考え、瑠璃はふと疑問に思った。

 私はなぜそんなことを知っているのだろう。母の講習会の影響だろうか。

 学んだ記憶のない知識に沈みかけた瑠璃はしかし、オフの静かな声に戻された。


「F.Iは、たとえそれが適切な分量であってもショックを起こす。アナフィラキシーショックだ」

「アナフィラキシーって……あの、蜂とかのですか?」

「そうだ。一度体内に取り込んだ異物に対してできた抗体が、二度目にその異物が入ってきたときに過剰に反応し、ショック状態になる反応だ。簡単に言うとな。これが何を表すか、分かるか?」


 問われていることは分かる。

 でも。


 ――――どんな病でも治す万能薬?

 そんなものが完成されているのなら、なぜ

 世の中に出回らない。なぜ……

 根本的な疑問で、頭がいっぱいになる。


「瑠璃? 聞いているか?」

「え? あ、はい。でもそんな技術聞いたこともないですよ……施設も設備も不十分なはずですし……」

「いや、施設も設備も予算も人員も十分にあった。だから完成したんだ」


 その通り。だからこそ、納得できないのだ。


「だったらなぜ、エアレルは普及してないんです?」

「何だって?」

「なぜ、万能のエアレルは普及していないんです? 今だって現代の医学では治すことのできない病気で苦しんでる人は大勢います。中央が開発してるのは、人を救うための薬じゃないんですか? なぜ表に出ていないんです?」


 オフは一瞬表情をなくすと、冷えた声で答えた。


「研究者側の都合だ。誰もが聖人君子って訳じゃない」


 噛み締めるようなその言葉には、瑠璃の知り得ない複雑な感情が含まれているようだった。


「……で? F.Iにエアレルを投与するとショック状態になる。その理由は分かったか?」

「それは……」


 ――――一度、投与されたことがあるからだ。

 瑠璃の表情を見、オフは小さな子供を褒めるように笑った。


「その顔じゃ分かってるな。二度目の投与になるからだ。F.Iは生まれつき欠陥が無いわけではない。ベースがクローンであることと、エアレルの投与。それがあって初めてF.Iは誕生する。そのエアレルの開発は、あの研究所で行われていた。当然、君の母親も関わっていた」


 しばしの沈黙。

 瑠璃は自分が混乱していることに気が付いた。オフの説明が頭に入らず、耳から耳へ抜けていく。思考の速度が追い付かないのだ。


「そんなこと……母は一度も言わなかったわ」

「ああ、当然だ。中央の特秘事項だった」

「母が開発に関わっていたなら、すぐに薬を公表するはずです」


 怜華はそういう人間だった。

 機械化に流されずアナログの温かみを知る、それ以上に人の痛みに敏感な人間だ。自らのために公共の利益を犠牲にするなんてことは、考えられない。


「母は根っからの研究者です。そんなことできる訳ない」

「……母親のことなんか何も知らないくせに」


 オフに食い下がった瑠璃はしかし、別方向から聞こえてきた乾いた声に片眉を上げた。

 荷台の端で目を閉じていたリウが、こちらを真っ直ぐ見つめていた。


「あなたが母の何を知っているんです」

「それはこっちが聞きたい。お前は怜華の何を知っている?」


 リウが目の前に立つ。瑠璃は立ち上がり、その瞳を真っ直ぐ見返した。


「十七年間、一緒に生きてきました。母が不正を嫌うのも、人のために研究の道に入ったことも、自分の利に左右されないことも知ってます!」

「あいつがあんたの本当の親じゃないこともか?」

「……え?」


 瑠璃の顔を見、リウはあの独特の笑みを浮かべた。片方の口の端だけを吊り上げる、魔女のような笑い。全てを見通すような、不思議な威圧感のある笑顔。

 一瞬、背筋が凍った。


「……適当なこと言わないで下さい」

「いいや? お前が今まで一緒に暮らしてきた怜華は、お前の本当の親じゃない」


 本当の親じゃない。

 オフを振り返る。彼は何も言わず、ただ厳しい表情で二人を見つめているだけだった。

 それが無言の肯定のように見えて、瑠璃は頭を抱えた。


「うそ。そんなはずない」

「私が嘘を言って何の得になる。それに考えてみろ。お前たち二人、全然似てないだろう」

「……やめて」


 首を振る。けれどまた、不本意にも、ああ、と納得する自分がいた。

 母と自分は、目の色も髪の色も、体型も顔立ちも全く似ていない。母は……怜華は、あなたは父親によく似てるわ、と言っていたが……周囲からは似ていない母娘だとよく言われた。


 ――――本当の母娘でないなら、全て納得がいくじゃないか。


「父が……父親がいないのは知っています……でも」


 女手一つで、懸命に子育てをしてくれた母。それが本当の親ではないなんてことは考えられない。


「それはない。信じられない」

「信じるも何も、それが真実だ」


 ――――やめて。


「瑠璃」


 リウがしゃがみ込んだ瑠璃の顎をつっ、と上げた。

 深い深い、緑の瞳に映る自分。


「あんたにとってショックだってことは分かる。けど聞け」


 肩を掴まれる。トラックが跳ね、木箱がガラガラと音を立てる。放心状態の瑠璃の肩に、リウはさらに強く力を込めた。


「あんたは、自分の出生について何も知らないだろ。父親は誰か母親は誰か、彼らがどんな人間だったのか。兄弟・姉妹の有無。エアレル、F.Iと、自分との関わり。そもそもなぜ、人工的にF.Iが造られたのか。何も知らない。でも、知らなきゃならない。なぜならあんたは、」


 リウが言葉を止める。耳を、塞いでいた。

 言っている意味が分からない。



 あお あお

 いちめんの あお

 わたしは なんにも わからない

 なんにも しりたく なんかない



「やめて!」


 声が聞こえた。頭が痛む。そう、私は知りたくない。これ以上聞きたくない。

 ――――聞いてはいけないと、声がする。


「私を」


 口を開く。鈍痛が意識にもやをかけ、カラカラに乾いた喉からは嗄れた声しか出ない。それでも声を振り絞る。


「私を元の……家に……家に帰して下さい……。今日のことは……忘れるから……!」

「……それは出来ない」


 手を振り払われ苦い顔をしているリウではなく、その様子を黙って見ていたオフが言う。今までと同じ澄んだ声で、だが重苦しく告げる。


「なぜ……?」

「順を追って話す。リウ、感情的になるなと言ったはずだ」


 オフは深い溜め息をつくと、無言で腕の時計を見た。

 午後十一時過ぎ。 

 瑠璃が深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻したのを確認すると、オフは口を開いた。


「徒に混乱させて悪かった。でも俺たちは嘘は吐いていないし、これからも吐くつもりはない。理由は簡単。俺たちには君の協力が必要だから、だ」


 トラックが小刻みに振動する。舗装されていない道に出たようだ――――

 ――――え?ということは?


「国の外に出たな」

「おうよ。相変わらず出国のチェックは緩いな」

「今は助かる。ましてこっちには、違法出国者がいるんだ」

「ちょっと待って下さい……これ、どこに向かってるんですか!」

「F.Iの本拠地へ」


 オフはちらっとモニターに目を落とすと、顔を上げてにやっと笑った。


「幸い、時間はたっぷりある。ゆっくり話すからよく聞いてくれ。

  F.Iの目的は何か。いかにして生まれた者なのか、それから」


 茶色の、意思の強そうな瞳に視線を絡め取られる。身動きを取ることすら躊躇ってしまう。


「君と、君の両親についても」



 ――――リウの瞳、オフの笑み、無言のバッツ。

 その空気の中で、ようやく瑠璃は悟った。

 自分は、何かとんでもないことに巻き込まれてしまったのだ――――と。





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