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SYNCHRO-CITY  作者: 夏村千早
予報が外れた日
5/7

004



  微睡みの中にいた。

  とても、懐かしい。

  ああ、いつだっただろう。

  こうして曖昧な時間を渡り、

  すべてを忘れ、私が私になったのは。




 突然、頬を叩かれた。


「おい! しっかりしろ。このくらいじゃ死なないよな? そりゃ困る」


 乱暴な声がくぐもって聞こえる。フィルターをかけたかのような、どこか遠い世界の声だ。

 頭がはっきりしてくる。痛みは消えていた。

 瑠璃が目を開くと辺りには明かり一つなく、何も見えない暗闇が広がっていた。


「誰?」


 人の気配を感じ、声を出してみる。返事はない。その代わり、蝋燭のように淡い光が近付いてきた。

 目が慣れ、自分が誰かと向き合っていることに気が付いた。訳の分からない暗闇の中、おぼろげにしか見えない顔。

 たがすぐに気が付いた。息が止まりそうになる。

 闇よりもなお深い、漆黒の長髪。色白の細い顔。吸い込まれそうな緑の瞳。


 ――――見慣れた、自分自身の顔。


 一瞬、鏡を見ているのだと思った。

 瞬きをして――――相手が自分と同じように動かないことを確認して――――まじまじと顔を見る。


「だ……誰……ですか?」


 沈黙、それから混乱。

 苦しくなって息を吐く。ものすごく長い間、その瞳を見つめていた気がした。不意に相手の口が動く。


「……お前、それしか喋れないのか?」


 クリアな声。自分の心臓の音が、耳元で聴こえる。

 ああ、人だ、と瑠璃はぼんやり思った。


「幽霊でも見たような顔しちゃって。驚いたか」

「う……うん。いや、あなたは……人間?」

「どう見ても人間だろう。魚に見えるとしたら心外だ」

「いや……」


 世の中には、自分にそっくりな人間が三人いるそうだ。もっとも、その人に会うと、見た本人は死んでしまうらしいのだが……。瑠璃の思考は止めようもなく転がっていった。


「どっ……」

「どっ?」

「ドッペルゲンガーですか?」

「……アホか。ホントに。まあでもそうか。誘拐しておいて名乗らないのも変か」


 一瞬、頭の中が疑問符で溢れる。


「え? 誘拐? 誰をですか?」

「あんたを、私たちが。そんなつもりじゃなかったけど結果的にね」


 そう言いその人間は肩を竦めた。顔が笑っている。まったく、笑い事ではないというのに。

 どこか誇らしげに首を傾げる相手を、瑠璃はぼうっと見つめていた。


 ――――もしかして、まだ夢の中にいるのかも。


 いや違う……瑠璃は頭を振った。叩かれた頬に痛みは残っている。ひんやりとした床の感覚も、少し鼻につくこの空気の臭いも、僅かに感じる小刻みな揺れも、鮮明だ。

 小刻みな揺れ?

 そこで初めて、瑠璃はトラックのようなものの荷台にいて、どこかに移動しているということに気が付いた。


「ま、待って下さい! どこに行くつもりですか?」

「お前の知らない所だよ」


 笑い声。人をおちょくるような言い草への苛立ちと不安から、大人しく黙っていられなくなってきた。


「ふざけないで下さい! あなた誰ですか? どうして私がここにいるんですか?」

「まずは自分から名乗るのが礼儀だろ?」

「名前も知らない人間を誘拐したんですか!?」

「あらら? 随分元気になったな」


 瑠璃は息を吐き、相手の顔をまじまじと見た。口が達者なこの顔。びっくりする程自分に似ている。

でも……と思う。

 よく見れば見るほど、拭えない違和感を感じさせる。パーツの一つ一つは同じでも全体の印象が全く違うのだ。

 自分よりも洗練された鋭い瞳に、中性的で整った顔。中央区では見かけない、隙のない空気感。


「慌てなくても、説明はしてやるよ。まずは何から聞きたい?」


 不敵な笑みを浮かべ淡い光を手にした誘拐犯に、戸惑いながら問う。


「あなたは一体……?」

「それは名前を聞いているのか? それとも役割的なものか? 私が“何”かを聞いているのか?」

「ぜ、全部ですよ」

「一つの質問につき答えは一つだ。それがマナーって――――」

「おいリウ!」


 突然、声と共に、棒状の何かが相手の頭目がけて飛んできた。訳が分からず目を丸くする瑠璃をよそに誘拐犯は立ち上がると、運転席があると思われる方向にそれを投げ返した。

 さっきと同じ、鈍い音が響く。


「痛ってぇ! 何すんだよ」


 自分と同じか少し歳上の、男の声が聞こえた。


「黙れ。喧嘩売ってきたのはそっちだろ」

「売ってねぇよ。オレはただ、からかってないでさっさと説明くらいしてやれ、って言いたかっただけだ」


 そうだそうだ! と、我に返った瑠璃は心の中で口を尖らせた。誘拐犯は鼻で笑いながら言葉を返す。


「はっ。後ろ向いてんじゃねえよ。お前は運転に集中してろ。また事故起こすぞ」


 そうして瑠璃に向き直ると、彼女は再び独特の笑みを浮かべた。

 口の端を吊り上げるような微笑。

 相手が浮かべる余裕の笑みに、気圧される。


「ま、今回は初対面だから全部に答えてやる。特別サービスだ」


 一つ。そう言いながら相手は指を一本立てた。


「名前。私はリウ」


 リウと名乗った人間は言葉を切り、明かりごとゆっくりと顔を近付けてきた。

 硬質の光を放ち、憂いを帯びた深緑の瞳が露になる。


「よろしく、瑠璃」


 目を見開く瑠璃を前に、リウは目にかかる黒髪を払いのけ、笑顔で手を差し出してきた。

 先程までの、口の端を吊り上げるような笑みではない。優美な、艶やかともいえる華やかな笑み。仕草も物言いも洗練された人間のものだった。

 ……さっきまで目の前にいた粗野な誘拐犯とは、まるで別人だ。


「あ……あ、はい、よろしく……お願いします」


 差し出された手を、ゆっくりと握る。

 瑠璃の手が触れた瞬間、リウはさっと手を引き、瑠璃の眉間を突いた。


「痛っ」

「何がよろしくだ。もっと先に考えることあるだろ。どうして名前を知ってるんだ、とかさ」

「あなたが先に言ってきたんじゃないですか!」


 むきになって言い返した瑠璃を、リウは鼻で笑った。


「本気で分かってないんだな。警戒を解くためなら何だって言う」


 そして少し顔をしかめると、軽口でも揶揄でもない口調で静かに続けた。


「いいか? これから先あんたに握手なんか求める奴が現れたら、そいつには何か下心があるかただの変態か、もしくはその両方だ。簡単には信頼するな」

「はあ……」


 今の時点で一番信用できない相手に言われても、という言葉を飲み込み曖昧に頷く。


「それからその、瑠璃って本名。やたら色んな人に触れ回るんじゃないぞ」

「あ、はい」


 本当に分かったのか、と疑わしそうな目を向けると、リウは「二つ」と指をもう一本立てた。


「役割。今はさしずめ、あんたの護衛兼護送役だ。前のバケツは――――」

「バケツじゃない! バッツだ!!」


 男が大声を張り上げる。どうやら、声は筒抜けのようだ。


「聞き流せ。どうせどっちでも通じる。あいつは運転手」

「よろしくな、瑠璃!」


 トラックが大きく跳ねる。その拍子に遠くまで飛んでいった明かりを、リウがぶつぶつ文句を言いながら拾い上げる。そしてそのまま、荷台の端に光を向けた。


「ひっ……」


 一瞬、本気で幽霊を見たと思った。

 そこに浮かび上がったのは、やはり瑠璃と同じか歳上くらいの人間。どちらかといえば寡黙そうな、落ち着いた表情の青年だった。


「こっちの無口なのはオフ」


 オフと呼ばれた青年は軽く手を上げ、手元のモニターから目を離さずに会釈した。


「今は忙しいみたいだな。オフはあんたの足取りが掴めないよう、捜査を混乱させている。まあとりあえず、今ここにいるのはこの三人だ」

「あ……うん」

「で、あんたは?」

「遠藤瑠璃です。中央区の高等学生です」


 よろしく、と言いかけ口を閉じる。

 何を呑気に自己紹介なんかしているんだ。まして相手は自分を誘拐した人間だ。素性も目的も分からないのに、よろしくどころではない。


「さて、では問題の質問。私たちは“何”か」


 心の声に答えるように、リウは指を三本立て瑠璃の目の前に座った。


「瑠璃。私を見て何を思った?」

「何って……ドッペルゲンガーですか?」


 思ったままに答えると、バッツの笑い声が聞こえてきた。


「傑作! リウ、このお嬢さん、思ったよりネジが飛んでるぜ! 大丈夫か?」

「慣れてる。普段からお前みたいな、脳が半壊しているような奴と行動してるからな」


 悪態をつくバッツを無視し、リウは続ける。


「自分と瓜二つ……そっくりだと思っただろ?」

「あ、はい。どうして……」

「それは、私がお前という個体の、フォルトレス・インディヴィジュアルだからだ」


 フォル……え?

 聞き慣れない言葉に、反復しようとした舌が固まる。リウは手近な紙を引き寄せ、すらすらとその言葉を書き綴った。


「Faultless Individual。

 欠陥のない個体。完璧な個体、という意味だ」

「それは……どういう……?」


 飲み込めずに聞き返すと、リウは片頬を吊り上げ、どこか皮肉めいた笑みを浮かべた。

 そうして次にリウが口にした内容に、瑠璃は言葉を失った。


「俗っぽい単純な言い方をすれば――――私はお前のクローンなんだよ」





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