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SYNCHRO-CITY  作者: 夏村千早
予報が外れた日
4/7

003



「えっ……うわっ、雨?」


 その日の放課後。

 全ての講義を終え、何とはなしに下駄箱へ向かった瑠璃は、ガラス扉越しに見える景色に目を疑っていた。


「あり得ない……予報じゃ降水確率0%だったのに……」

「あっちゃー。傘なんか持ってないよー」

「あたしも。予報が外れるなんて前代未聞じゃない?」


 幼馴染二人と共に、瑠璃はため息をついた。


「イコンは何か言ってる?」

「ううん。何も。ちょうどシステムメンテナンスに入ってるみたいでさ」

「使えない!!」


 幼馴染みの片割れ、唯が小さく頬を膨らませる。その頬を突き、もう一人の幼馴染、真湖は小さく肩を竦めた。


「はーいはい。仕方ないじゃない。見た感じすぐ止みそうだし、教室で待ってればいい話よ」

「でも今日は三人で新しいカフェに行くって言ったのにー。瑠璃に聞きたいこともあったのにー」

「はいはい。お子ちゃまには後でアイスでも奢ってあげますからねー」

「誰がお子ちゃまか!」


 じゃれ合いながら移動し、三人は近くの教室に荷物を置いた。


「あ、この雨17時過ぎには止むって」


 イコンを操作していた真湖が言う。17時まではまだ30分以上ある。


「そういえばさ、さっき私に聞きたいことがあるとか言ってなかったっけ?」

「ああっ、そうだ瑠璃! 一昨日の人は誰? 何やってたの?」

「え?」


 小柄な唯は椅子の上にふんぞり返ると、チッチッ、と人差し指を振った。


「とぼけても無駄ですよ、遠藤さーん? 私も真湖も、この目でばっちり見ちゃいましたからねー」

「え、何を?」

「ちょっと身長高めの人。 仲良く並んで歩いちゃってさー。 どうして教えてくれなかったのよ」

「えーっと? ごめん、よく分からないけど何か誤解してるよね?」


 首をひねりつつ唯をなだめる。真湖が口を開いた。


「一昨日の夕方五時くらいかな? あたしたちも海岸沿いにいたのよ」

「“も”って、私昨日はずっと家にいたよ?」

「隠し立ては関心せんなぁ」


 首をかしげる瑠璃を前に、唯がカメラを取り出した。少しだけ目を見開く。

 画面に二人の人間が映っている。ズーム機能を使い良く見ると、一人は髪が長く、右手に指輪をしている。夕日に照らされ煌めく黒髪に、はっきりとは分からないが恐らく緑の瞳。その姿は同じく黒髪に緑の瞳を持つ瑠璃に、似ていなくもなかった。

 しかしもう一方の人間、茶髪茶瞳に長身の青年には見覚えがない。


「これ私じゃないよ。勘違い勘違い」

「まだ言うか」

「違うものは違うもん」

「怪しいなぁ、もう……」


 幼馴染みの攻撃に苦笑しつつ、瑠璃は指を立てる。


「まず一つね」


 鞄を置き椅子に座る。


「一昨日、家の近くで火事があったの。緊急車両で道が遮断されて大混雑だった。ママも夜勤の予定だったけど休みになったし」


 ああ、それ聞いたわ、と真湖が頷いた。


「結構大規模だったんでしょ? 私の姉さんも言ってた」


 でも、と唯が口を尖らせる。


「でも人が一人くらいなら……」

「通れたかもね。でも火元が研究所だったから、周辺三キロに外出禁止令が出たの。わざわざ外出する人なんていないでしょ?」

「うっ……助けて真湖!」

「はあ。……でもね瑠璃、この人の目、瑠璃と同じ色だった。身長も体型も同じに見えたの」


 首を振る。


「そっくりさん……とか?私じゃないのは確実だもん」


 瑠璃の住むこの地域の住人は、ほとんど黒か茶色の髪を持つ。だから瑠璃の髪色も、それ自体は珍しくない。緑の瞳との組み合わせが珍しいのだ。今までに瑠璃は、自分と同じ瞳を持つ人間に会ったことがなかった。

 そういえば……と瑠璃は思う。

 母も瞳は緑ではない。会ったこともない父が、緑色の瞳の持ち主だったのだろうか?


「あ……今思ったんだけどさ」


 唯がふっと口を開く。何かを思い出した口振りだった。


「ねえ真湖? その瑠璃、何か変だねって言ってたよね?」

「ああ、確かに。瑠璃はいつも変だけどね」

「おーい、聞こえてるぞー」


 自分の思索に沈みかけていた瑠璃はそう言うと、火照った頬を机に押し付けた。


「それ、多分さぁ」


 唯がそんな瑠璃に向き直り、顔をまじまじと見た。


「笑い方だったんじゃないかな……って今思った」

「笑い方?」


 真湖が首を傾げる。


「何か、そうだなぁ……口の端を吊り上げる、童話に出てくる魔女みたいな笑い方。瑠璃のあんな顔見たことないし」

「いやだ唯、童話だなんてらしくもない」

「えー? でも他に何て言えばいいか分からないの」

「それって、こんな?」


 瑠璃が声を掛けると二人は一斉に振り向き、そして吹き出した。


「それただの不審者!」

「似てない。全然似てない」

「うう、そんなに?」

「うん、そんなに」


 真湖が鞄から手鏡を取り出してきた。


「見てごらん」


 促され、鏡を覗き込む。


「あぁ、ほんとだ」


 そこには貼り付けたような笑みを浮かべる不自然な自分がいた。

 笑っているというよりは、失敗作の石像が片頬だけアルカイックスマイルを浮かべているような、そんな様子だった。


「分かった分かった。その顔が何よりの証拠だね。その人はもっと自然な感じだったし」

「こんな引きつってなかった」


 顔を見合わせ、唯と真湖は大笑いをした。つられた瑠璃も笑顔になる。


「もう。分かったなら次からは、そっくりさん見ても写真なんか撮ってこないでよね。二人とも訴えられるぞ」

「じゃあ恋人ができたらちゃんと教えてくれる?」

「教える教える」


 頭にポンと手を乗せ笑うと、唯は絶対だよと念を押した。

 真湖が息をついてカメラをしまう。


「あーあ。まあそうだよね。一番色恋沙汰に疎くて嘘が下手な瑠璃に、秘密の恋人なんて一番有り得ない」

「え? 私って疎いの?」

「瑠璃も、唯もかな。まあだから昨日のは、すっごく瑠璃に似た別人ってことで」


 真湖がそう言ったとき、ちょうど雲の隙間から太陽の光が見えた。じゃれ合っていた三人は荷物を持ち、それぞれが下駄箱へと向かった。




 私に似た、私の別人。


 その言葉がどこかで引っ掛かった。

 もやもやした疑問が残った。黒髪に緑の瞳。自分と同じ、珍しい組み合わせ。でもそれは自分ではなく、別の誰か。


 ――――あお、あお。いちめんのあお


 頭の中に響く声を聞きながら、瑠璃はぼんやりと帰路についた。

 途中、唯と真湖が通ったという海岸に寄ろうかとも思ったが、止めた。今から向かうと帰ってくる前に八時を過ぎてしまう。十八歳未満の者は、夜八時以降の外出を禁じられているのだ。

 それに――――怖くもあった。

 もし海岸に行って、そこに二人が見たという人達がいたらどうする? 声をかける? まさか。

 普段から仲の良い友達二人が、揃って見間違えるようなそっくりさんに、声をかける勇気などない。

 ――――そんなことをしたら、自分の存在が霞んでしまうような気がする。

 ため息をつき歩を速める。五時前とはいえ、この時期の夜の訪れは早い。徐々に夜の闇に支配されていく白い街の中、公園を抜け白い建物が並ぶ通りへと入る。


 ここ中央区は、怜華のような政府認定の医療研究者と、その家族たちだけが住む区画だ。学者の街らしく、塀から道路横のパイプまで、何もかも清潔感のある白色系に整えられている。景観を崩さないための規制がかけられているのだ。車なんてものも当然ない。広い道の真ん中を堂々と歩ける。

 瑠璃の世代にとって、“運転”という概念はもはや過去の遺物であった。祖父母の世代が車を個人的に所持し運転した最後の世代だった。安全性と利便性に長けたオートカーが普及してからは運転者数が激減し、車両の個人保有と運転行為が法律で禁止されるようになったのだ。


 ――――天気予報は外れるし……新学期初日から何だかおかしな一日だった――――


 そんなことを考えながら建物を左に曲がり、小さな通りに入る。

 異変に気付いたのはその時だった。

 背後から足音が聞こえてくる。軽く振り返ってみるが、人の姿どころか虫一匹見当たらない。

いやそもそも、この先には自分と母の――――怜華の家しかない。この細い道を通るのは自分か母だけだ。その母も、今日は講習会で遅くなるはずなのだ。

 確かに足音がする。人の気配を感じる――――


「……だれ?」


 返事はない。本能的に走り出そうとした。

 ――――逃げないと!

 心の声が叫んでいる。が、足が動かない。まるで貼り付けられたかのように、その場から動けなくなる。

 ――――それに何だろう。何だかとても眠い……。

 そう思った瞬間、首筋に鋭い痛みが走った。静電気に触れた時のような、一瞬の衝撃。意識が朦朧とする。

瑠璃は無意識のうちに膝から崩れ落ちた。誰かが自分に覆い被さる。音もない。一瞬だった。


 目を閉じる前に見えたのは、季節外れのコートのシルエットと、浮かびあがった白い壁だけだった。




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